たとえる(1)
げんすけ
2020/07/12 08:09
比喩に興味があります。比喩をグーグルなどの検索エンジンを利用して調べてみると、修辞法(=修辞学=レトリック)の一種として取り上げられている場合が多く見られます。比喩を隠喩(=暗喩)、直喩(=明喩)を始め、細かく分けていき、大きく修辞法の中に位置づける方法もあります。
そうした方法を眺めていると、もとはヨーロッパの古典語、つまりギリシア語やラテン語で詩を作ったり、演説をしたり、あるいは文章をつづるさいの技法であったことが分かります。現在、この国で売られている、文章読本や、論文の書き方、話し方、効果的なコミュニケーションあるいはプレゼンの方法をテーマにした書物に似ています。そういえば、昔、「綴(つづ)り方」なんて言葉もあったことを思い出しました。
言葉というやっかいなものを何とか手なずけようとする試みは、学問や芸として体系化されたものであったり、年長者から若い者たちへの注意や小言といった、その場その場での日常的で小規模な出来事であったりしながら、昔から存在していたみたいです。
太古にヒトという種(しゅ)が、「尻尾のないおサルさん+α 」になってしまい、ヒトが誕生したらしい。こんな説=お話=神話があります。「+α 」の「 α 」に、狭義の言葉(=話し言葉)が含まれていることは確かです。
*言葉を持ってしまった=獲得してしまった。
それは、たぶん、「尻尾のないおサルさん」の脳内で何かが起こっただろう、と推測されています。このブログでは、
*「ズレてしまった」
と表現しています。いつ、どこで、どんなふうに起こったのかは、専門家や研究者により諸説があるようです。
*
素人としては、今、自分自身でも知覚できる範囲内で、言葉について考えるしかありません。本や権威(=オーソリティ)が嫌いな無精者で、しかも屁理屈ばかりこねている偏屈者が、言葉の仕組みや働きについて考えるさいに頼りにするのは、
*自分自身の頭を使い体を張って考えるというスタンス
と、
*周りの身近な出来事や現象や、新聞やテレビやネットなどをと通して得られる情報=データを観察するという方法
だけです。これまでの人生を振りかえってみると、どういうわけか言葉にこだわり続けてきた。言葉がおもしろくて仕方ない。そんな一匹の元「尻尾のないおサルさん」=ヒトが、このブログを開設して、毎日ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもあるを実践しているのです。
*
比喩に話を戻します。比喩にいくつか種類があるのは確認できましたが、ここではきわめてマイペースでテキトーに「遊びの精神」で、主に「たとえる・たとえ」という言葉を使いながら話を進めていきます。さて、「たとえる」という大和言葉系の言葉の語源が気になったので、ネットで検索したり、手元にある辞書を見てみましたが、分かりませんでした。でも、それなりに収穫はありました。
*「たとえる」「たとえ」「たとい」「たとえば」「たどる」
以上の羅列の最後にある「たどる」は、めちゃくちゃこじつける時に使えそうな気がしたので、一緒に並べておきました。こんなふうに、言葉を並べて眺めていると幸せな気分になります。抑うつ状態もやわらぎます。いろいろな考えが頭に浮かび、気もまぎれます。そんなわけで、まず「たとえる・たとえ」から、考えてみたいと思います。
*「たとえる・たとえ」
とは、
*「こじつける・こじつけ」=「Aの代わりにAでないものを用いる」という仕組み
とそっくりだということに気がつきます。
たとえば、「あなたは天使のような人だ」とか、「あなたは天使だ」とか「あなたの背中に翼が見える」なんていうのが、「たとえ」の使用例です。ここで、「Aの代わりにAでないものを用いる」を「Aの代わりにBを用いる」と書き換えてみます。この場合、まずAとBは「異なって」いなければなりません。同時に、「似て」いなければなりません。正確に言えば、
*ヒトが「Aの代わりにBを用いる」場合には、AとBは「異なっている」、あるいは「別のものである」と同時に、「似ている」と知覚=認識していなければならない。
ということです。AもBも、広義の言葉(=話し言葉、書き言葉、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、ホームサイン(=家庭だけで通じる断片的な手話)、指点字、さまざまな標識や記号など)だと理解してください。
*言葉のすごさは、異なっているものや別のものを結びつけてしまう(=関係づけてしまう)厚かましさ=デタラメぶり=大胆さ=志の高さである。
と言えそうです。狭い意味の言葉(=話し言葉や書き言葉)を使用するだけでも、
(1)知覚=認識=経験したことを記録する
(2)頭の中で想像しシミュレーション=作り話=フィクションを作成する
といったことが可能になります。たとえば、このブログもそうです。
*
この場にないものをあるものとして、思い浮かべ、言葉という代用品をパーツにして組み立てる。一種の「魔法」ですね。ヒトは、こんな仕組みを発明したのか、わけの分からないうちに獲得してしまったのか、あるいは、異星人から学んだのかは不明です。
現在、言えることは、そういう仕組みをヒトが手にして使用しているということです。その根底に「こじつける・こじつけ」=「たとえる・たとえ」という「作業=行為=いとなみ=仕組み」があると言えそうです。まずは、この前提を確認したうえで、次の話に移りたいと思います。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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