なる(1)・沈黙の春

げんすけ

2020/07/04 09:04


 春。テレビで見た数々の映像を見て、はっとしました。何かに似ているのです。しかもからだが震え始めました。記憶をたどっているうちに気づきました。小学生時代に学校の授業で教師がした中性子爆弾の話を聞いていて、あたまに浮かんだ風景にそっくりなのです。教室内のしーんとした異様な雰囲気も思い出しました。


 大都市の何気ない風景。ロンドン、パリ、ニューヨーク、ヴェネツィア、東京、モスクワ、北京……。大通りにも路地裏にも広場にも、人だけがいないのです。車も電車も見えません。鳥や猫の姿もありません。音がまったく感じられない大きな都市のけしき。ひとけがないことだけがきわだつごく日常的な都市の姿と言えばいいのでしょうか。その後悪夢として何度も思い浮かべた映像というか心像です。


 後に大学生になって当時ベストセラーだったレイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んださいに、あの不気味な都市の姿がよみがえりました。都市ではなく森と湖の風景なのですが、鳥のさえずりはもちろん、川や湖の水面で魚が跳ねる音も、虫や小動物が若芽を食むかすかな音さえも聞こえない、圧倒的な静寂の支配する春。生き物の気配のしない春。


     *


 春よ、来い。早く、来い。


 今の状況では、忌まわしい疫病の終息した春が来年に来るのは無理かもしれません。せめてワクチンが開発されて人びとに行き渡る春でいてほしいと願っています。祈っています。


 日本に住んでいる人たちにとって春は特にさまざまな出発を意味しますね。それがああなってしまったのです。いわば失われた春ではないでしょうか。


 失われたあの春をリセットしたい。やり直したい。もう一度、あの春を新たな春として迎えたい。そして、あのときにできたはずのことを実現する機会を誰もが得てほしい。春を迎えることなく亡くなった人たちのためにも――。そう思っています。


 疫病は人種や民族や国籍、老若男女、貧富の差に関係なく、誰にもひとしく襲いかかりますね。この星には四季がこことは逆である南半球もあれば、そもそも四季がない地域もあることを忘れてはなりません。そうした地域に住む人たちが春をどう受け止めているかについても、この連載では触れる予定です。


 ということで、最初のテーマは春です。一般的な意味の春について話しますね。以下は、ずいぶん前のある春に書いた記事です。季節がずれていますが、悪しからずご了承ください。


     ◆


 春ですね。春が来た。春になった。


 春になると、いろいろなものが「はる・はれる」、そして、いろいろなものを「はる」。だから、春なのだそうです。辞書には、そのように書いてあります。


(1)植物の芽や梅や桜などのつぼみなどが「張る」。


(2)土地を「墾(は)る」。荒れた野原などを耕し(=田を返して=掘り返して=切り開き)新たに田畑にする。あるいは、冬の間に放置してあった田や畑を耕し、作物をつくる準備をする。


(3)どんよりとした天候から徐々に「晴れ」た日が多くなる。日が照ることで気温が高まる。


 こうした説明を聞くと、「なるほどね」、「すごいこじつけだなあ」、「分からないことないけど、その説明ってちょっと苦しいんじゃない」、「へえー、そうなんだ」、「うさんくさい」、「で、それがどうしたの?」、「勉強になりました」、「かんけーねー」など、人はさまざまな反応を示すでしょう。自然で当然のことです。なお、(3)の「晴れる」の説明については、どの大きな辞書にも少々自信なげに書き添えてあります。


 日本の国語辞典や英和辞典は、伝統的に孫引きが行われてきたと言われています。確かに、版を重ねた、古くからある辞書には、どれにも似たり寄ったりの説明や定義が書いてありますね。いわゆる学会と出版界というギョーカイの内部事情から、そうなっているのでしょう。


 学者の世界では、徒弟制度が未だにはびこっているそうですから、現在でも辞書という商品がほぼ規格化されているのは、当然の結果だと思われます。学派と呼ばれる派閥間の争いもあれば、一匹狼もいれば、在野の学者もいるみたいですが、詳しいことは知りません。


     *


 いずれにせよ、「はる」です。「はる」について、勝手気ままに考えてみたいです。思いきり、こじつけてみたいです。こちらはアマチュアですから、当然のことながら、いわゆる専門家たちの書いたものから孫引きをする作業が出発点になります。では、遊んでみたいと思います。


*「はる」=「張る」=「貼る」=「墾る」=「晴る・晴れる」=「霽る・霽れる」=「腫る・腫れる」=「脹る・脹れる」


*「はらう」=「払う」=「掃う」=「祓う」


「はらう」まで書いたのは、「晴れる」と「はらう」のイメージが似ていると感じた。そして「祓う」という言葉が気になる。それだけの理由からです。こじつけに使えそうです。


 言葉は、一部のヒトたちの占有物でもなければ、管理下にあるものでもありません。みんなのものです。好きなように使い、好きなように遊びましょう。ちなみに、タイトルは入力ミスではありません。「なる」については、いずれ書きます。


※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77



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