生活と意見 2020/06/23
げんすけ
2020/06/23 15:51
初めての日記です。ここで日記をつける気になったきっかけは、二つあります。
一つ目は、島尾伸三の『月の家族』と出合ったからです。きのうの夕方、二階の書棚にある江戸川乱歩の小説を取りに行き、たまたまこの本が目にとまり何となく気になったので、居間に持ってきました。目を通してみると、今の自分が必要としている書き方だと強く感じました。衝撃を受けたと言っても言いすぎではありません。そんなわけで、『月の家族』と同様に、今この日記を敬体で書いているのですが、この文体で書くと気持ちがやさしく素直になれます。こうやって語尾を「です・ます・でした」とするだけで、ささくれたっている気分がやすらぐのはうれしい発見です。
もう一つの理由は、このサイトで興味深いブログを見つけたからです。フォローがないのにフォロワーがずいぶん多いブログなので驚いたのですが、その一部を読んでみて納得しました。内容はそれほど興味のあるものではないのですが、確かに人を強く惹きつけるものを感じるのです。自分もここで日々の思いを書いてみたいという気持ちになりました。
以上あっさりと書きましたが、実はここで日記を書くまでには込み入った事情があるのです。その事情は私にはとても大切なことなので、今後少しずつ書いていこうと思っています。
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ブログを書いた経験はありますが、ブログで日記を書くのはこれが初めてです。個人的な日記はつけています。持病があるので、主に体調や薬のことなど、備忘録としてつけているのです。他人の目を意識して文章を書くことは、いい意味でも悪い意味でもストレスになりますね。現にこの文章を書きながら痛感するのは、自分がかなり緊張していることです。私の場合には肩が凝りお腹が張るのですが、息が苦しくなることさえあります。そうでもなくても、頻繁にホットフラッシュが起きるのです。現在ホルモン治療を受けているのですが、それ以前からホットフラッシュに悩まされています。どうやら半分は精神的なものが原因みたいです。
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他人が読むものだと意識して日記を書いていて感じるのは、記述が説明的になることです。文章作法でよく指摘される「描写と説明」という話とは違います。私的な日記は自分だけが分かればいいのですから、ひとりよがりな書き方であって一向にかまいません。不特定多数の人が読む前提に立っているのがブログですから、一人称の日記であっても、第三者に分かるように説明をまじえて書く必要があります。その意味で、説明的な日記はエッセイに近づくと言えそうです。
このブログサイトで「日記」というハッシュタグがついている記事をいくつか読んでみました。面白いとかすごいと感じた日記には、いいエッセイを読んだなあという読後感があります。「日記」に加えて「エッセイ」というハッシュタグがついている記事も目につき、なるほどと感心し、見習ってみることにしました。
ところで「日記」「エッセイ」というタグと「小説」というタグが同居している記事も少なくないのには驚きました。フィクションとノンフィクションの区別にはこだわる必要はないということでしょうか。これも心強い発見です。いつか真似てみようと思います。
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午後四時になろうとしています。この日記を投稿する時間です。事情があって、午後四時以降はネットに接続しない生活を送っています。パソコンの電源も落とすので、この日記に書くことが頭に浮かんだらメモ用紙に書きとめておくつもりです。そこで、きょう日記を書いてみて今後気をつけようと思ったことを、以下にメモしておきます。
1)書きなぐらない。
ちゃんとテキストエディタで下書きを作り、できるだけ時間を取って文章を練る癖をつけよう。
2)無理をして毎日投稿する必要はない。
何かにつけて自らの首を絞めるような傾向があるので、長く続けるためにも無理は禁物。
3)いろいろなことを盛りこもうとしない。
あることを書いていると、書きたいことが次々と頭に浮かび収拾がつかなくなります。かつてブログを書いていたときにも、それで苦労したものです。
#日記
#エッセイ