げん・幻 -2-
げんすけ
2020/06/28 09:54
幻を「まぼろし」と読んだ場合に、「ま」という音と字に、つい気が行ってしまいます。魔、間、真……という漢字の意味とイメージがちらつくのです。すると、「ま」がひとり歩きしはじめます。
「まほう」、「あくま」、「まら」、「たま」、「たましい」、「ことだま」、「まがさす」、「まがたま」、「まがる」、「まがまがしい」、「まがあく」、「まをとる」、「まをうかがう」、「まがわるい」、「まあい」、「まあるい」、「まりも」、「まごころ」、「まにうける」、「まもる」、「まぼる」、「まあ」、「まま」、「mother」、「mammal」、「magic」、「Marks」、「マキロン」、「まーぼーどーふ」という具合です。
ヒトとは勝手な生き物ですから、たとえを用いて、ありとあらゆる物・事・現象同士をこじつけ、さまざまな妄想にふけります。現に、今、言葉を使って、妄想の結果を記述しています。単純化するなら、脳のなかで起こっている妄想を、言葉という代理に置き換えて作文していると言えそうです。
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比喩こそが、この惑星に生息する生き物すべての行動の根幹にあるメカニズムではないか。そう思っています。これは、知覚という仕掛けを重視した考え方と言えるでしょう。知覚とは、隔たったものを「近く」にあるものに感じられるようにする仕組み、つまり「間を滅ぼす・間をなくす」ことにほかなりません。
だから、「まぼろし」なのです。もちろん、これは言葉の遊びです。どうして、こうした駄洒落にふけっているのかと申しますと、自分には何もなく、取っ掛かりがないので、仕方なく、言葉に引っ掛けているのです。いや、逆に、こっちが言葉によって引っ掛けられているというのが、正確な言い方かもしれません。
いずれにせよ、圧倒的な偶然性が支配する宇宙において、自分が宙ぶらりんな状況にあるために、何かをつかまないと安心できない。とりあえず、思い浮かんだ言葉や気に掛かっている言葉に、手を伸ばしてみようという感じです。とりあえずの行為である限り、これは賭けです。何の根拠も確証もありません。でまかせだとも言えるでしょう。
いや、出るに任せているのですから、でまかせにほかなりません。ちなみに、「でまかせ」という言葉のなかにある「ま」が気になって仕方ありません。出魔枷、出真仮世、出間桛……。イメージが膨らみます。こういうときには出るに任せます。
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「でまかせ」という言葉とイメージが好きです。「出る」と「任せる」を合わせた言葉らしいのですが、さまざまな意味とイメージを呼び覚ませてくれます。たとえば、「出る」と言えば、決まって「うんち」を連想します。なぜかは、分かりません。自分のなかでは、「あらわれる」と違って、「出る」とは、「なぜか分からないけど出る」状況を指します。
イメージとは、このように個人レベルで各自が勝手にいだくものみたいです。だから、ヒトそれぞれです。共同体や複数のヒトたちが共有するイメージがあるという考え方もありますが、個人的には興味はありません。積極的に、他人様とイメージを共有しようとは思いません。
「まかせる」は多義的な言葉だと思います。この語を広辞苑で引くと、「まく・任」「まかる・罷」と同源と記してあります。「まかす」という言葉も並べてあります。こうした記述を見ると、もう止まりません。辞書を閉じて、言葉を書きつらねたくなります。
掛詞(=かけことば)が、次々とあたまに浮かびます。掛詞の例として「かける」を挙げるのは、ややこしいのですが、こういう自己言及的な倒錯が好きなので、ついやってしまします。たとえば、気懸かりな「掛ける」が、あたまのなかを駆けめぐり、「書く」がその語源だという「引っ掻く」と重なって、全身がむず痒くなり、無性にあちこちを掻きたくなります。すると、からだが熱くなってきて、汗まで掻きます。体質であり性格のようです。
「(偶然性に)まかせる・任せる・負かせる・巻かせる・蒔かせる・撒かせる」、「まける」、「まく」、「まかる」、「まかふしぎ」、「まがまがしい」、「おまかせ」、「でまかせ」、「まけ」、「おまけ」、「まげる」、「まがる」、「まげ」、「ちょんまげ」……。まさに、でまかせで、でたらめですね。でも、こういう遊びが好きです。
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辞書を引いていて、語源に関する記述を読んでいると「~の転・転じて・転じた」、「当て字」、「約・約音・約言・約転」、「訛り・訛って」といった言葉をよく目にします。要するに、言い間違いや書き間違いや発音上のアクシデントが起こったり、簡略化や勘違いが生じたという意味でしょう。言葉を使うのはヒトの自然ないとなみですから、そうなるのが当然です。「正しくない」がたくさん起きて、言葉が変遷する。そう理解しています。それが豊かさなのではないでしょうか。「正しい」ばかりだとヒトは心が貧しくなるという気がしてなりません。栄養不足をまねくように思われます。
「正しくない」が頻発して言葉が生き、そして変わっていくのだと考えると、「正しい」対「正しくない」という対立や、「正しい」が「正しくない」を駆逐すべきだという考え方に違和感と嫌悪感をいだいている身としては、うれしくなります。また、「美しい○○語」や「正しい○○語」とか、「正しい言葉遣い」や「正しい漢字の読み方」や「正しい文章の書き方」といった言い方や考え方が、幻想であり、歴史的に見れば劣勢に立たされてきたのだという証しを確認できて、心強く感じます。
最近国語が乱れてきた。正しくない言葉遣いが氾濫している。こうした趣旨の意見が跡を絶たないのは、「正しい」対「正しくない」を根拠にしているようで、実は自分にとって「快い」対「快くない」に基づいているようだと考えられます。言葉に限って言うと、「正しい」とは、「正しい」と教えられ、そう思い込まされたものです。思い込みは洗脳とほぼ同じですから、「正しい」に根拠なんてありません。また、思い込みは「快い」の源泉だと言えそうです。考えなくていいから楽なのでしょう。ぬるま湯につかるようなものです。もちろん、ぬるま湯も心地よいです。だから困ります。
たとえば、「当て字」や「らぬき言葉」や「新語・流行語」に対して批判的な意見を述べるヒトたちは、それが自分にとって「快くない」ために悪態をついているように見えます。恐怖感の表れ、あるいは保身のためだという気もします。異なるものを受け入れるのには、努力と寛容さが必要になります。時には、勇気も要るでしょう。それが面倒だと感じるヒトがいるようです。
言葉は変わる。それも、勝手気ままに変わる。これが、言葉における変遷のありようだと言えそうです。
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当て字と言えば、明治から大正にかけて活躍した、ある作家を無視するわけにはいきません。一般には「文豪」と呼ばれているヒトなのですが、その言葉が好きではないので使いません。「ヒト」や「作家」と書くだけにとどめます。著作権にかかわる場合を除いて、固有名詞はあえて挙げません。固有名詞は強い光を放つので、その前後にある言葉たちの影が薄くなるという弊害が生じるからです。
そのヒトの漢字の使い方は「感字」と表記すべき感覚的なものでありながら、理にもかなっているように思えます。そのヒトの残した諸作品は、的を射た絶妙な当て字の宝庫です。ただし、虎の威(この威ですが、個人的には感字で衣を当てたいところでです、豪華で厳めしいトラの毛皮をイメージします)を借る狐のように、そのヒトがやっているのだから、当て字を正当化するといった真似はしたくありません。
当て字については、言葉をめぐっての「正しい」対「正しくない」という幻想とかかわるために、批判的な意見を述べるヒトが必ずいます。どうして批判するのかというと、自分にとっての居心地のいい世界が脅かされる気がするからだと思われます。自分にとって、居心地がいい空間を、とりあえずテリトリーと呼んでみましょう。
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テリトリーでは、考えるという作業をする必要がほとんどありません。軽度の思考停止状態というのでしょうか。快い閉じた世界です。「まほろば・まほろ・まほら・はほらば」という言葉を連想します。「まほる・まもる」と関係があるのかしらん。専門家ではないので知りません。無精者の素人ですから、知ろうとせず、言葉やイメージとたわむれるだけです。
自分のテリトリーを侵されている。テリトリーに危害がおよぶ恐れがある。そんなふうに感じた場合、他の多くの生き物と同様に、ヒトは攻撃的になります。ちょっと戯れてみますと、テリトリーは、「まぼろし・魔を滅ぼす・魔滅ぼし」と関係がありそうです。魔物やよそ者を成敗する、という発想ですね。
困ったことに、ヒトは自分たちのテリトリーにおける居心地の良さ、つまり価値観や掟を、よそのヒトたちにまで押し付ける習性があります。あれこれ思い悩んだり、考える必要のない土地を拡大したいのかもしれません。横着なだけでなく、残酷ですね。他人様を犠牲にしてまで、楽をしたいのですから。楽のおすそ分けどころか押しつけは、ご免こうむりたいです。
テリトリーの類語に「なわばり・縄張り」があります。ヒトの場合には、縄を自分の土地を囲うためにだけでなく、異なるヒトたちを縛るのにも使おうとします。こうした魔こそ、滅ぼし、無くなってほしいと願っています。
でも、まほろばをつくるために、まもり、まをほろぼさなければならないとするならば……。まよってしまいます。まよう・迷う、まどう・惑う、まどう・魔道、まどう・償う、ですか。先の戦争が思い出されます。現時点において世界各地で起こっている紛争や戦争にも思いがおよびます。いくさばかりでなくヒトは広い意味でのまほろばをまもろうとし縄張りをつくり続けます。ヒトの歴史からまほろばをめぐってのいさかいを除くと何が残るのでしょうか。致し方ないのでしょうか。
まどえども まほろばとおし ままのかわ
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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