たとえる(2)
げんすけ
2020/07/14 08:09
*その場に無いものを有るものとして思い浮かべ、言葉という代用品をパーツにして「まぼろし」を組み立てる一種の「魔法」。
以上の文をよく読み返してみてください。「たとえ」が使われています。「という代用品」「をパーツにして」「まぼろし」「組み立てる」「魔法」という個所です。見方を変えれば、
*「たとえる」以前に、個々の「言葉」が、すでに「たとえ」である
と言えるし、
*今書いたそのセンテンス全体が「たとえ」である
とも言えるでしょう。
このように、「言葉」と「たとえる・たとえ」をめぐって、「考え」、そしてそれを「言葉」として「表現する」行為自体が、「Aの代わりにAでないものを用いる」=「Aの代わりにBを用いる」という「操作=作業」になってしまいます。当たり前と言えば当たり前です。不思議と言えば不思議です。つまり、
*言葉の使用とは、見方=視点=力点を変えれば、「何を何とでも言える」方便=便利なもの=仕組み
なのです。
*
こうした言葉の仕組みや働きについて考える場合には、あまりにも大雑把で不正確な言い方にならないように気を使う必要があります。たとえ、素人が「遊びの精神」で言葉について書く場合にも、ある程度の「節度=倫理=読んでくれる人への心配り」がなければならない、と考えています。そこで、これまでの記憶を動員して、言葉について、できるだけ正確に語るさいのパーツ=ツールを整理してみます。
*言葉 : 一つの単語=語を意味することもあれば、二つ以上の単語からなる語句=フレーズや、一センテンス、さらには連続した複数のセンテンスから成る連なりを指す場合もあります。たとえば、「花」も言葉(※単語)、「花冷え」も言葉(※単語 or 語句)、「きのうは花冷えがした。」も言葉(※センテンス)、「きのうは花冷えがした。わたしは風邪を引いた。そこで、会社を休んだ。」も言葉(※センテンスの連なり)です。なお、日本語、英語など特定の言語を指すこともあります。
*言葉・言語 : 広義と狭義があります。広い意味では、表象=象徴=シンボル=記号といった抽象的で漠然としたとらえ方をする場合があります。たとえば、話し言葉、書き言葉、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、ホームサイン(=家庭だけで通じる断片的な手話)、さまざまな標識や記号など、です。一方、狭い意味では、話し言葉だけ、あるいは、話し言葉と書き言葉の両方だけを指すこともあります。なお、上と同様に、日本語、英語など特定の言語を指すこともあります。
*言語活動 : 上記の言葉・言語をヒトが使用する行為を指します。
*表象 : 広義の言葉・言語とほぼ同じと考えられます。ただし、表象の誘発する「Aの代わりにAでないものを用いる」という「仕組み=働き」を重視し、表象をその「仕組み=働き」の「パーツ=要素」としてとらえる考え方もあります。
*表象作用 : ヒトが表象を使用したり、表象と遭遇したさいに、ヒトの意思や動機や意図とは無関係に働く「Aの代わりにAでないものを用いる」という「代行=代理」の仕組み自体を指します。このブログで、「こじつける・こじつけ」「なりきる・なりきり」と呼んでいるものに、」ほぼ相当します。神話・神話研究、心理・心理学、文芸批評、映画批評などと親和性があります。
*記号 : 広義の言葉・言語とほぼ同じものを指します。ただし、「記号」が「意味するもの」と「意味されるもの」から成り立っているという視点を重視しているのが特徴です。また、記号の「ひとり歩き」状態も注目されます。このブログで「まぼろし」と呼んでいるものにほぼ相当します。
*記号作用 : ヒトが記号を使用したり、記号に遭遇したさいに、ヒトの意思や動機や意図とは無関係に働く、記号の「意味するもの」という側面と「意味されるもの」という側面のかかわりあいを指します。また、「記号」を「発信する側」の「送るメッセージ」、「受信する側」の「受けとるメッセージ」という分け方と、両者の差異、および、その差異が引き起こすと考えられる記号の「ひとり歩き」も重視する用語です。経済・経済学、文芸批評、情報・情報学・情報理論、コンピューター科学、人工知能研究などと親和性があります。
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以上は、きわめて個人的な感想=印象です。専門的=学術的な定義を知りたい方は、グーグルなどで検索するか、その手の専門書を参照ください。一つ言えるのは、
*学者=専門家により、定義や分類や用語はまちまちだ
ということです。
*そもそも「何とでも言えるもの=テキトーなもの」を相手=対象にしている
からです。意見が一致するわけがありません。ミジンコの観察とは違うです。
科学=学問を装っているらしきものには、十分にご注意ください。とりわけ、数字や統計や数学的モデルを用いている分野は要注意です。眉間にしわを寄せて真剣に取り組むのではなく、ギャグとして笑い飛ばす心の余裕と率直さと常識をもって臨みましょう。なお、「言葉・言語を対象とする科学=学問」という言い方を、修辞技法では、撞着語法=形容矛盾(=でたらめ)と言います。
ただし、今、述べていることは、数学や自然科学以外の学問=科学、つまり「社会科学」や「人文科学」というネーミングも撞着語法=形容矛盾(=でたらめ)だと考えている、学問や科学に関してはド素人の偏屈者が勝手に思いこんでいる「個人的な感想」なので、その点を考慮してください。
*
ちなみに、「人文科学」や「社会科学」は芸=技=道です。華道や書道や茶道や占いなどと同じように、さまざまな流派があり、徒弟制度があります。「正しい」「正しくない」ごっこをやっているさまは、「○道」よりも、熾烈(しれつ)で巧妙をきわめています。ここが、日本道路公団によってつくられた道との違いです。
「人文科学」や「社会科学」が学問=科学とされているのは、歴史的経緯からみて、既成利益集団と職能集団が築きあげてきた「制度」を守ろうとする力学が働いているからです。「たとえ」=「こじつけ」=「Aの代わりにAでないものを用いる」という仕組みが、学問や科学と呼ばれる分野までに及んでいる点に注目しましょう。
ここでお断りしておきますが、自然科学だけを学問=科学だといって擁護しているような印象を与えかねない表現になっていますが、それは本意ではありません。単に、自然科学にめちゃ弱いので、保留にしているだけです。
*
さて、次に「たとえる・たとえ」=「こじつける・こじつけ」といった、広義の言葉・言語の仕組みと働きについて考える作業を進めるうえで、いくつかの方法がありますので、以下に紹介しておきます。
(1)遺跡・遺物・古文書に注目する : いわゆる考古学・考古学者や歴史学・歴史学者が採用している方法です。「実証」という作業が可能である場合も、不可能である場合もあります。なお、「実証」については、文字通りにとってはならない「実証」がしばしば観察されます。
(2)赤ん坊からティーンエージャーの入り口にいるヒトを観察する : 人類というレベルでの言葉・言語の獲得 or 誕生 or 発生を、一個のヒトの発達=成長にたとえて(=こじつけて)考える方法です。心理学者と精神医学者(or 精神科医)間で激しい縄張り争いが行われています。また、この分野での百家争鳴=百花繚乱=りんりんらんらんかんかんほあんほあん的状況は、上述の(1)の比ではありません。
(3)ヒト以外の動物、特に知能が高いとされている一部のサルや、イルカ、クジラなどを観察したり、実験の対象とする : 研究者の主観がかなり反映された研究論文があるのが特徴です。おそらく、画期的な研究の成果を発表したいという欲求が強すぎるために、「思い込み」に支えられた「なりきり」状態になり、対象に自己を「たとえる」=「こじつける」という作業をほぼ無意識のうちに行っているからだと思われます。対象の動物と仲良くなりすぎた結果である、という見方も可能だと思われます。
(4)主に理屈=論理(※厳密に言って、そのようなものがあればの話ですが)という「手続き=約束事=パターン=癖=脳内で働いているらしい惰性」を用いる : 哲学者、言語学者、記号学者と呼ばれているヒトたちが、ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもあると考えるさいに、きわめてゲーム的色彩の強い方法を使って、言葉・言語の様相や仕組みや働きを対象に「思考=試行錯誤」あるいは「思想=試走」しています。ここでも、統計や数学的モデルを用いるヒトたちや流派が存在します。要注意であることは、さきほど触れた通りです。
(5)人工知能(=AI)を作る : ヒトの脳の機能と言語活動を模倣した人工知能や、それを搭載したうえで、人工の聴覚・発声器官を装備したロボットという形で「知能とその働き」を再現する作業=工作が、即ヒトの脳の機能と言語活動の解明になるという、素朴であると同時にきわめて困難=無謀な試みに挑んでいます。多分野の研究者が参加しています。それぞれの「いいとこ取り」が成果のカギです。なにしろ、結果ははっきり出ますので、(1)~(4)のように言葉を用いるだけで煙に巻いたり、お茶を濁したり、あまりテキトーなことはできません。数学やコンピューター言語の知識がゼロに近い自分には、これくらいの感想しか書けません。
(6)脳の損傷などで言語能力を失ったり、言語をつかさどる機能の一部を損なわれたヒトを対象にします : 医学者(or 医師)や生物学者が、言語聴覚士や、理学療法士、作業療法士などの助けを借りて、あるいはこき使って、患者の脳や神経系統を始め、言語と関係の深い諸器官の状態を健常者と比較したり、リハビリテーションの過程で、同様の比較を続けることにより、言葉・言語の様相や仕組みや働きの解明を目指します。
以上のように、言葉・言語の研究は多岐にわたっています。上記の仕事に携わっているみなさんに敬意を表します。ごくろうさまです。
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さて、このブログでは、上記のパーツ=ツールと、(1)~(6)の分野の成果として見聞きした情報・データを用いて、あくまでも素人の「遊びの精神」(※ポジティブな意味にとってくださいね)で、自分なりに考えていることをつづっていきます。気取らずに言えば、めちゃくちゃ、こじつけていくつもりです。
繰り返しますが、以上はあくまでも素人である個人の感想です。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77