やっぱり、ハンコはえらい(続・あなたなら、どうしますか?)
げんすけ
2020/07/09 09:03
「あなたなら、どうしますか?」のつづきです。結論から申し上げます。単純化すれば、「反抗 ⇒ 犯行 ⇒ はんこ」なので、人は誰もが結局はハンコに身をゆだねるしかない。そういうお話を致したいと思います。
ハンコ。これは、それほど手強い相手なのです。
そもそも、ハンコは、なぜ存在するのでしょうか? それは、象徴だからです。では、何の象徴なのでしょうか? 法律の象徴です。その法律って、何なのでしょうか? 分かりません。素人の自分には、分かりません。
でも、気になります。法律とは何でしょうか? 他人事ではありません。人は、生まれてから死ぬまで、いや、生まれる前から死んだ後も、法律と無縁ではいられないのです。婚姻、結婚、( 中略 )、死亡、埋葬、相続――すべて、届けが必要です。どこに? 嫌な言葉ですが、「お上(かみ)」にです。お上(かみ)に紙(かみ)を届けなければ、下手をすると、罰(ばち、ではなく、ばつ、です、念のため)を受けます。この駄洒落ですが、神(かみ)さまが、相手ではないので、罰(ばち)は当たらないと思います。
ただ、罰(ばち)と罰(ばつ)の違いだけは、考えておきたいです。罰(ばち)は、神仏のたぐいが人に対して与えるもののようです。罰(ばつ)は、原則として、人が人に与えるものです。そのよりどころになるのが、法律という途方もない「象徴の働き」なのだそうです。
簡単に言えば、「△△△してはならない」、「さもないと、×××するぞ」と脅すのが、人以外の存在か、人自身かの違いです。法律は人が作ったものです(宗教がらみの例外もありますが、ややこしいので、ここでは触れません)。それなのに、人は、どこかで、なにか、なぜか、どういうふうにか、勘違いをしてしまった節があります。
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この国以外の複数の国で、法廷に宣誓用のバイブルがあるのが、不思議です。また、この国もそうですが、法廷で判事がお坊さんのような、いかめしい格好をし、ひな壇みたいなところから、人を見下しているのも、不可思議です。開廷前の映像などをテレビで見ていると、芝居じみていて、笑いがこみ上げそうになる時も、あります。でも、これは、自分があの場に当事者としていないからこそ言えることだと思われます。
どうやら、ばちとばつは、混同されているらしい。それとも、やはり、つながっていると、考えるべきなのでしょうか?
人が自分で勝手に作ったり築き上げたものによって振り回されている災難を、罰(ばち)などと呼んで、「人に代わるもの」に責任を転嫁する人がたくさんいます。卑怯です。仏教から来ている言葉らしいですが、「自業自得」と心得るべきだと思います。もちろん、自分自身も含めての話です。お説教をするつもりで、こんな大切なことは書けません。
いずれにせよ、紙(届け=書類)とハンコから、逃れられない人生って窮屈ですね。でも、くだらなく思えることに対して、意地を張り、反抗し、罰(ばつ)を受けるなんて、ばつが悪いですから、やっぱり仕方ないですよね。少なくとも、この国を始めとする、いわゆる「法治国家」に住む以上は致し方ありません。
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話を戻します。
法律とは何でしょうか? 「法律」については、いろいろな定義が可能でしょうが、てっとり早く言えば、「権威」だと理解しております。「国家の権威」と言い換えても、それほど的外れではないのではないかとも思います。
そうだとすれば、「やっぱり、ハンコはえらい」。無力な市民は、そうつぶやくしかなさそうです。なぜなら、ハンコは「国家の権威」 の「象徴」だからです。それが、ハンコが「偉そう」にしている理由です。「偉そう」は伝染します。ポンポンペタンペタン押すだけが仕事の、役人や官僚に伝染します。
要するに、「伝染るんです (うつるんです、と読みます、念のため)」。恐ろしい言葉が出てしまいました。とうていタミフル(「民振る」とか「民降る」とか「民full」とか「民fool」とも書きます)なんかじゃ、太刀打ちできません。吉田さんのお孫さんも、官僚と役人の「伝染るんです」には勝てませんでした(お孫さんでは役不足が過ぎました)。たとえ戦車を繰り出しても、太刀打ちできないでしょう。
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ここで、脱線します。
役人・官僚の横柄さと怠惰ぶりは、昔も今も変わりません。毎日、新聞を読んでいれば、よく分かります。ウェーバー(あるいは、ヴェーバー)が、ちょっとだけ予言したとおりです。悪しき官僚制、あるいは官僚制の弊害というやつです。言い換えれば、虎の威=衣を借りる狐。国家の権威の威=衣を借りる役人。
だから、汚職が起こります。民間人は、役人からハンコをペタンと押してもらいたい。民間人には、お金の威力くらいしか持ち合わせの威=衣はない。あるいは、国会議員やその秘書に対して、やはりお金の威=衣をもって頼みこみ、その威=衣を借りるほかしかないみたいです。
衣。そうか、だから、法廷では、判事らがお坊さんの着る法衣(ほうえ)みたいな、おべべをまとっているのか。あれは、単なるコスプレじゃなかったんだ。謎が解けました。一人で納得。
法律。そういえば、「法」も「律」も、仏教と関係ありそうです。あとで、広辞苑か何かで調べてみます。ばちとばつの謎も、解けるかもしれません。
で、役人への悪態に戻ります。書類作りの名手。法律をもてあそぶ超テクニシャン。辻褄合わせの職人。オヤジギャグや駄洒落も真っ青な牽強付会のオーソリティー=権威。
小役人もずる賢いが、キャリアと呼ばれる大役人のすることは、実にえげつない。一言で言えば 「省益命」、あるいは「自分(たち) だけ、良ければいい」。少し前に新聞で読んだんですけど、前政権の大臣や副大臣をごまかして、公文書の文言を捏造・改ざんする輩までいたそうです。これって、犯罪にならないんですか?
見逃されて、いったん、ハンコが押されれば、効力を持ってしまうんですよ。ハンコはそれほど威力があるのですよ。発覚したところで、犯罪を犯罪にならなくする(=ハンコウをハンコウにならなくする)言葉いじりのテクニックくらい、もう自家薬籠中の物ってわけですか? ハンコウやハンコの消しゴムでも隠し持っているのでしょうか? おとがめなし、ですか? それとも、あれって処分されたんですか? 続報を読んだ記憶がありません。
「国民? 納税者? 市民? ああ、そんなのもいたね」。たぶん、そんなふうに考えているのではないでしょうか? 国民などまるで眼中にない、と考えているとしか思えない言動が、役人と呼ばれる人たちには多すぎます。そう、思いませんか?
新聞、テレビ、インターネットなどで報道される、国家・自治体で働く公務員たち、そしてその関連組織(天下りや渡り先の法人・団体など)で働く元・公務員たちの言動を見聞きしていると、あの人たちは、どうやら、自分たちを国民とも納税者とも市民ともみなしていない節がある。そう、思いませんか?
何ごとにも例外があるわけですから、今、上で挙げた悪態に当てはまらない公務員もいるでしょう。でも、その人たちの姿が見えない。言葉が聞けない。それらしきものを見聞きしても、影では何をやっているか、分かったものではない。という気持ちが先に立つ。そんな感じです。たとえば、裏金。あの仕組みにあえて加わらない、あるいは暴露する公務員がいたら、必ずその人は潰されるでしょう。たとえばミツイ氏みたいに。ああ、怖い。cocksuck捜査=操作。庁suck操作。
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あの人たちにとって恐ろしいものって、何でしょう? 自分、そして部下の「不祥事」くらいでしょうか? メディアや司法は、どうでしょう? 人である以上、怖いでしょうね。たぶん。
それで思い出しましたが、役人同士も共食いすることがあります。警察官が警察官を逮捕する。検察官が検察官を起訴する。判事が判事を裁く。市町村役場の職員が市町村役場の職員の死亡届を受理する。公立校の教師が公立校の教師を処分する。財務省のキャリアが財務省のキャリアを刺す(比喩的にも、現実にも)。
あの人たちが、自分は国民でも納税者でも市民でもない、と感じているとすれば、やはり大きな錯覚です。「威=衣」を脱いで、素っ裸になれば、ただの人。
ちなみに、人は共食いをします。グローバルな規模で共食いし合っています。自分を棚に上げたりはしません。自分も含めての話です。自分が夕食に何かを食べることによって、あるいは車に乗るという具合にエネルギー資源をジャブジャブと消費することで、この惑星のほかの人たちの生きる可能性を奪っています。空間的(地理的)にも時間的(歴史的)にもです。今、自分たちが二酸化炭素を排出することで、自分たちの子孫の生き得る期間を短縮しないと誰が断言できるでしょうか?
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話を、戻します。
「伝染るんです」。さきほど、この言葉が恐ろしいといったのは、そういう意味です。人のすることは連鎖します。ドミノ倒しです。最後は全部が倒れます。つながっているからです。これも、いわゆるひとつの「法」でしょうか。広い意味の法です。
話を、ハンコに絞ります。繰り返します。
すべては、ハンコのためにあるのです。
チャート化すると次のようになります。
国家 ⇒ 権威 ⇒ 法律 ⇒ 文書 ⇒ ハンコ ⇒ やくにん (=役人=厄人=疫人=益人)
象徴の連鎖です。象徴の自己増殖です。ペタペタペタペタペタ……。象徴の象徴の象徴の象徴の象徴……。象徴は模倣し合う。象徴を「表象」と言い換えても良さそうです。
ハンコは複製です。ペタペタペタペタペタ……。複製の複製の複製の複製の複製……。複製は複製し合う。 複製を「表象」と言い換えても良さそうです。
要するに「伝染るんです」。上から下に、下から上に。左右はめったになし。だから、恐ろしい。だから、ハンコも「偉そう」にしているのです。社会科で習った「金印」を思い出してください。立派ですよね。あんなの一ケ、欲しいと思いませんか?
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ところで、馬鹿高いハンコを売りつけられそうになったこと、ありませんか? ハンコで人生や運勢が変わると、脅されたこと、ありませんか? 買わされたこと、ありませんか? 偉そうなハンコ、ひょっとして、今お持ちではありませんか?
それです。象徴の恐ろしさというのは、それなんです。リアル (身近)に、感じていただけましたでしょうか?
それにしても、どうして、ハンコはこんなに偉くなったのでしょう?
昔、社会科で勉強したことが役に立ちそうです。確か、次のような話でした。
明治維新の時代、この国は必死で、外国、特に欧米からいろいろな制度を持ち込もうとしました。法律は、確か主にドイツからでしたよね。警察組織を含む行政機構は、主にフランスからでしたよね。この二つの柱が、どうやらハンコの「偉さ」を解くカギのようです。この国の明治以降に限定しての話ですけど(ハンコは、明治以前からこの国で威力を発揮していましたが、日本史が苦手なので、この問題はパスします)。
フランス共和国は、ものすごい中央集権国家です。国民一人ひとりについて、徹底的に詳細な書類を作る。そして、それを保管する。こういうことにかけては、ヨーロッパで最高の仕組みを作り上げた国らしいです。
一方、現ドイツ連邦共和国は、連邦という名が示すとおり、複数の国が集まってできた国ですから、中央集権はそぐわない。割とゆったりした結合で成り立っているようです。でも、話は前後しますが、法律の体系、とりわけ憲法は、かつてのドイツの中でも最も力のあったプロイセン(プロシア)のものが、日本がお手本にするには一番都合が良かった。皇帝の地位を法的に位置づける規範となり得たからだ。確か、そう習った記憶があります。
そうした政治的に微妙なところは、正式にお勉強していただくとして、結論を言うと、フランスとドイツの「(都合の)いいところ」を取り入れた結果、紙いじり=書類作り=ペーパーワークが増殖し肥大化し、それに伴ってハンコが絶大な力を得た。そんな感じらしいです。
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今、思い出しましたが、ハンコが偉いのは、この国だけじゃありません。ヨーロッパでも同じらしいです。うろ覚えですが、すごく凝った「偉そうな」ハンコを、テレビで見たことがあります。
指輪自体がハンコになっているものも見ましたが、しゃれていますね。ゴールドはもちろん、宝石までついていましたよ。
確か、バチカンあたりのお坊さんの指にも、すごく豪華なのがはまっていたような覚えがあります。あちらのお坊さんって、ずいぶんお金持ちなんだなと感心しました。
「信者」が増えると「儲かる」という、手垢の付いた漢字を用いた駄洒落があります。それと同様に、東西を問わず、鐘の鳴る所には、金の成る木があるようです。
なにしろ、全部とは申しませんが、世界各地の宗教組織のトップや幹部を見ていると、ゴールドや宝石をふんだんに用いたアクセサリー類はもちろん、衣装も実にきらびやかなんです。貧富の差と身分の差を実感します。これが人間が勝手に演じているギャグやジョークでないとするなら、神も仏も超越者もずいぶん罪なことをなさいますね。
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ちなみに、ハンコ同士にも差別がありますね。実印や認印なんていう格付けがあります。三文判なんて、かわいそう。ランク付けするヒトの習性が、伝染ったんですよ。きっと、世の中のハンコというハンコが差別し合っているんですよ。
そうそう、署名やサインも、ハンコの親戚だということを忘れてはいけません。ハンコに比べてちょっと影が薄いのは、人が書いた「文字」だからでしょう。アイボリーやゴールドといった「物」にはかないません。
とは言っても、署名をあなどってはなりません。かなり権威があり、手強いことは確かです。国家間の協定や条約での調印の儀式では、ペンを走らす、あるいは筆を走らす、偉そうな人たちが、フラッシュライトを浴びます。あの人たち、もともとは国民の「代理人」なんですけどね。
なぜか、代理のほうが偉くなっちゃうんですよ。やっぱりね、という感じです。人間は、本質的に強いリーダーの出現を待望するとか、ファシズムや全体主義に引かれやすい習性があるようです。この点については、いつか書いてみたいと思っております。ここでは、深入りしません。
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さて、ハンコは、これからどういう運命をたどるのでしょうか? シャチハタの株を持っている人たちだけの、問題ではありません。この国に住むみんなの問題です。
電子、チップ、ナノテク――このあたりが、からみそうです。ハンコ、スタンプ、サインの代わりに、「電子化された情報」という形で、国家は国民に「烙印」を押し、国民の個人情報を集め、それを処理し保管し利用する。いつか、国民の体内に極小のチップが埋め込められる。ハンコ注射の痕はないけど、見えない刻印が体内に宿る。そこから、超微量の電波が発信されたり、逆に超微量の電波を受信する。
妄想でしょうか?
「そうだよ、もう、そうだ。時間の問題だね」
やっぱし。もう、そうでしたか。と、なると、貨幣=お金も、似たような運命を、今後たどりますよね? もう、すでに、ポイント、マイレージ、電子マネーなどが、お金の行く手を指しているんですよね? 新聞に書いてあったことの、もろ受け売りですけど。
すべての象徴が、電子という「モンスター」に集約されていく。すると、電子って究極の象徴でしょうか? 情報を処理するための究極の素(もと)は、「1か0」の二進法だと思っていましたが、それとかぶりますか? つながりますか? それとも、量子という説=お話=フィクション=神話がしゃしゃり出てくると、象徴をめぐる仕組みは様変わりするのですか? 全然理系ではない自分としては、妄想するしかありません。もう、そうするしかありません。
話は飛びますが、加速度的なペーパーレス化に伴い、ハンコレス化にも、拍車がかかっています。キャリアから市町村役場の公務員までが、一人一台のPCを与えられている時代みたいです。既に、紙とハンコなしで多くの事務が処理されているのに違いありません。
現在、自分の体内には、ハンコ注射という烙印を「ひいじいちゃん」に持つ、電子チップ(マイクロチップでしたっけ?) は埋め込まれていないもようです。とはいえ、どこかの役所の秘密の部屋に、自分の個人情報が詰め込まれたチップが、保管されているかどうかは知りません。知るよしもありません。妄想するしかありません。
ハンコの未来。いや、ハンコについて考えるのは、またいつか、ということにします。
今、こうして、自分の体内に埋め埋めチップなしに、膝の上にいるネコの重みを楽しんでいる。それだけでも、幸せだと思うべきなのでしょう。
膝に乗る 猫の毛に見る 線と点
【この文章は、数年前に書いたものです。勢いを保つために、そのまま投稿します。鮮度が悪いですが、悪しからずご了承ください。https://puboo.jp/users/renhoshino77 】
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