角川文庫と新潮文庫の区別ができますか?
げんすけ
2020/07/01 13:09
大学を卒業して最初の就職に失敗して、ブラブラしていたころがありました。なにしろ、文学部のフランス文学科卒の男子です。当時はいわゆる「つぶしがきかない」の代表でした。そのうえ、性格はうじうじしているし、往生際が悪いときていました。
何をやろうかな? どうやって、ご飯を食べていこうかな? 消えてしまおうかな? もう少し、人生を楽しもうかな? そんなふうに、あれこれ迷っていたころ、「活字のデザイナーになりたい」と、どういうわけか思ってしまったのです。
なぜ、「活字」なのかと尋ねられると、いろいろ理屈が浮かぶのですが、本当のところはよくわかりません。ただ、好きだったというか、きれいだと思っていたのです。
写植という言葉を見たり、聞いたことがおありでしょうか? 活版印刷では、金属の活字をつかいます。写植は、「写真植字」を省略した言葉で、文字通り、一種の写真技術を利用して、文字のネガを印画紙などに印字して、印刷の原版をつくる方法です。けっこうな値段の機械を用います。今でも、コンピューターと組み合わせてつかわれています。電算写植というそうです。
もっとも、現在では、パソコンのワープロソフトと印刷用のソフトやプリンターさえあれば、市販の書籍や雑誌とくらべても、それほど見劣りのしない、きれいな印刷物ができてしまいます。でも、その道の専門家が言うには、活版印刷にはそれなりの味があり、写植には写植の美しさがあり、ワープロとプリンターをつかっての印刷物にも、それなりの魅力があるらしいのです。奥が深いというのでしょうか。
実は、「活字のデザイナーになりたい」とか、「写植を勉強したい」なんて思っていたころに、ある人をだましてお金を取ってしまったことがあるのです。よく考えれば、いや、よく考えなくても、正真正銘の詐欺です。詐欺の時効って何年でしたっけ? たぶん、この詐欺の時効は成立しているのではないかと想像しています。つまり、他人様にお話しても、警察に告げ口されて事情聴取とかされる心配はない。そう勝手に解釈しております。
とはいえ、たとえ罪は消えても、罪悪感というものはなかなか消えないみたいです。今、思うと、すごく悪いことをしました。というのは、相手の方――はっきり言えば被害者の方――は、当時、経済的に苦しい状況にあったからなのです。
さきほど触れましたように、活版印刷では金属の活字をつかいます。当然のことながら、その活字をつくる元の型があるのです。それを、「母型(ぼけい)」とか「マトリックス」と言います。キアヌ・リーヴス主演の『マトリックス』という映画のタイトルと同じです。マトリックスという言葉には、さまざまな意味があるようです。時間がおありの方は、ぜひ、少し大きめの英和辞典で matrix を引いてみてください。いろいろな意味が紹介してあるはずです。
詐欺の話にもどります。短期間ですが、母型をつくる会社でアルバイトをしていたころのことです。
職場には、オフィスのほかに、母型を製作する機械が二十台くらい置かれた一種の作業場みたいなフロアがありました。金属を削ったり切断したり磨いたりする音で、けっこうやかましかった記憶があります。そこに、十人以上の二十歳前後の人たちと、一人の五十歳くらいの人が働いていました。
自分は、アルバイトを始めたばかりで、機械には触らせてもらえませんでした。仕組みや操作を知らないと危険なのです。そんなわけで、オフィスと作業場、そしてその会社とほかの会社や工場との間を、母型や部品のようなものが入った箱を持って行き来するという仕事を与えられていました。
作業場に働いていた人たちのなかに、大学の通信教育を受けている二十歳くらいの学生がいました。わりと気が合ったので、休み時間や駅までの帰り道によく会話をしました。自分が大学を出て、その会社でアルバイトをしていることに、その人は興味を示しているようでした。大学で何を勉強していたのかについても、いろいろ聞かれました。
「どうして、こんな会社でアルバイトをしているの? 家庭教師の口とか、いくらでもあるのに」と、しきりに言われました。活字に興味があるのだと、その都度正直に答えたのですが、首をかしげてなかなか本気にしてくれないのです。何だか、自分が嘘つきで、その嘘のことで責められているような気分に何度かなりました。
その人がこちらに対して、複雑な感情をいだいているらしいのも薄々感じました。いい気なもんだ、と思われているようで、心苦しさにも似た気持ちを覚えたこともありました。どうやら、その人はいわゆる苦学生で、生活はかなり苦しいみたいでした。ある時、その人と会社の近くにある書店に入りました。
この文章をお読みになっている方に、唐突な質問をいたしますが、角川文庫と新潮文庫の区別ができますか? たとえば、誰かと、両文庫が揃えてある本屋さんに行きます。その連れの人を相手にして、次のようなことを試してみてください。
まず、相手を回れ右させて、こちらを見えないようにします。それから、どちらかの文庫を一冊手にして、あるページを両手で開きます。ページの上には、タイトルなどが印刷されていますから、そこを左右の指でうまく隠し、相手のほうにはページの字面だけが見えるようにして、上下を逆にして持ちます。いいですか、こちらから見て上下逆さまにですよ。ここまでは、分かりましたか? その状態で、開いた文庫を相手に差し出せば、相手は、その見開き二ページを正面から読めることになりますね。もちろん、カバーを見せてはいけません。くれぐれも注意してください。
準備が整ったら、相手をこっちに向かせて、五秒間だけ、そのページを見せます。五秒以上は駄目です。秒を計れる時計があったら、五秒がどれくらいの時間か、確かめてみてください。わりと短い感じがします。五秒経ったら、相手を再び回れ右させて、「今のは、何文庫だった?」と尋ねます。
立場を、逆にして、考えてみましょう。あなたは、五秒間見ただけで、角川文庫と新潮文庫の区別ができますか?
今、自分がそれを誰かに試されたとしたら、区別はできないと思います。活字については、わりと敏感なほうなのですが、今だったら、自信はまったくありません。「今だったら」がポイントです。その当時は、できたのです。
ここで、詐欺の告白をします。自分は、そのバイト先の仲間をだましたのです。
自分は活字に興味があり、知識もある。だから、数秒間見ただけで、角川文庫と新潮文庫の活字を見ただけで、区別してみせる。そんな調子で、本屋さんで大見得を切ったのです。相手は、「信じられない。ぜったい嘘だ」とそっけなく言いました。自分は、「本当だよ」と言い返しました。
この時点で、自分は相手を挑発しており、しかもだます意思があったのですから、立派に「犯意」があったということになります。その人は意地になりました。
「じゃあ、賭けをしよう」
思い通りの科白を相手に吐かせたのですから、しめしめという気持ちと悪いなあという後悔の念を同時にいだきました。
千円を賭けた勝負となりました。さきほど説明した本の持ち方を、相手に教えました。三冊で試して、こちらが二冊以上見分けられたら、こっちの勝ち。一冊だけ、あるいはぜんぜん見分けられなかったら、こっちの負け。まさに賭けです。まったくのまぐれで当てるつもりだったわけではありません。タネありです。とはいうものの、どきどきしました。負ける可能性もあったのです。数学に弱いので、その勝敗の確率については、まったくわかりませんけど。
結果は、三冊とも正解しました。その人の顔は、青ざめていました。でも、ちゃんと財布から千円札を出して、手渡してくれました。その時です。
「もう、一回やろう」
相手がそう言ったのです。こっちは千円札を自分の財布に入れながら、罪悪感を覚えはじめていたので慌てました。これ以上、罪は重ねたくないという気持ちも働き、「やめようよ」と言い残して店を出ようとしました。すると、その人はこちらの手首を強くつかんだのです。
怖かったです。断ろうと思いましたが、相手に悪いという気持ちよりも、相手に対する恐怖心が勝ちました。それで、もう一勝負してしまったのです。今度は二冊正解で、一冊は失敗しました。でも、こちらの勝ちには違いありません。また、千円が手に入りました。
振り返れば、あのころの二千円は、生活の苦しかった自分にとってはもちろん、きっとあの人にとっても大金だったはずです。その貴重なお金を、だまし取ったのです。立派な詐欺ですよね。この詐欺のタネについては、もう、ピンときた方もいらっしゃると思います。
「今、自分がそれを誰かに試されたとしたら、区別はできないと思います」と、さきほど書きました。新潮文庫と角川文庫を開いてご覧になればわかりますが、見た目には、とてもよく似ています。素人には、区別はしにくいです。でも、昔は、ある違いがあったのです。図式化して説明します。
(1)
である。
彼女は、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。
「そうよね。○○○○○○○○○○○○○」
(2)
である。
彼女は、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。
「そうよね。○○○○○○○○○○○○」
(3)
である。
彼女は、○○○○○○○○○○○○○○○○○○。
「そうよね。○○○『○○○』○○○○○」
(4)
である。
彼女は、○○○○○○○○○○○○○○○○○○。
「そうよね。○○○「○○○」○○○○○」
当時の新潮文庫の組版は(1)で、角川文庫は(2)だったのです。その違いは、「 の位置をよくご覧いただければ、おわかりになると思います。
難しい顔をして「うーむ」なんて唸りながら活字をじっと見なくても、瞬間的に区別できたのです。自分が、どきどきしていたのは、会話のまったくないページを開かれたらどうしよう、という不安の表れであり、一回負けたのはまさにそうしたページを見せられたからでした。ちなみに、活字の組み方の違いとしては、(3)と(4)もあったように記憶しています。(3)が圧倒的に多い中で、(4)もあったし、たぶん今もあるはずです。
もしも古い角川文庫があったら、あるいは新しくても組版が変わっていない同文庫があれば、確かめてみてください。(2)のままのものも、まだ売られています。ところで、当時このことを知っていたのは、大学四年生の時に、文章を書く技術を教える学校にも通っていて、そこの授業で習ったからでした。
現在では、このトリックはほぼ使えないと思いますが、前述のように、そういう書籍が残っていますから、絶対に悪用しないでください。へたをすると、犯罪になりますよ。
なお、以上の話を読んで、万が一心当たりのある方がいらっしゃいましたら、ご一報願います。お金を返しますので。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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