仮面と人形(人形編)
げんすけ
2020/07/11 08:26
前回は、仮面とお面について書きました。身近な体験を例に取れば、仮面とは、トイレの壁の模様や見慣れた天井の染みなどに、人の顔を見てしまうという「人面○○」や心霊写真のたぐいと原理は同じみたいです。ないのに、見えちゃうんです。見えちゃうと、信じちゃ言うんです。それに、伝染るんです。そんなホモ・サピエンスに独特の習性、または病らしいという話をしました。
人は森羅万象、つまり何でもかんでもに、自分とその仲間たちの顔や姿を見てしまう。もう少し正確に言うと、知覚してしまう。そんなふうにも言えそうです。
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今回は人形について、ご一緒に考えてみましょう。
その前に、ある有名な話を、引用させてください。どこで聞いたのか、読んだのか、全然覚えていないのですが、ある知り合いも知っていたので、この記事をお読みになっている方も、たぶんご存知ではないかと思います。小・中・高のいずれかの授業で、教師が次のような謎々を出したような記憶がありますので、クイズ形式にします。
ある場所で、半ば化石化したヒトの遺体が発見されました。太古のものと、判断されました。骨とごくわずかな人体の一部が残っているだけの遺体です。土の中から発掘されました。で、こういう場合には、考古学者たちなどが寄ってたかっていろいろ調べます。それで分かった事実の一つとして、その遺体には目に見えない細かな花粉が多量に付着していたのです。おそらく、学者たちが、遺体の周辺の土や砂を顕微鏡か何かでじっと観察した結果、判明した事実なのでしょう。大変ですね、ああいう職業も。
さて、今述べた事実から、何が分かるでしょう?
ちなみに、花粉アレルギーとは関係ありません。自分は、スギ花粉のほか、いくつかの草の花粉や、ハウスダストや、ダニのたぐいにアレルギー症状を示す体質なので、はああああ、くしょん、と思わず、クシャミをしてしまいました。猫アレルギーでないことだけを感謝しています。ねー、ネコちゃん。ネコというのは、今、この部屋の窓から外をじっと見つめている、うちの猫の名前です。名前を呼んだのに、知らん顔しています。そういうところが、猫さんらしくて好きです。犬だと、呼べばすぐに尻尾を振りながら、そばに寄ってくるんでしょうね。
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さて、クイズの答えを言います。その半化石化した太古のヒトが、花粉症だったかどうかは不明なんですが、学者の説によると、花粉の存在が、「宗教の誕生ないし発生を物語っている」というのです。えええっつ!? ですよね? なんでそうなるの?
なんでそうなるのかと申しますと、おそらく、その遺体は仲間たちによって、埋葬されたに違いないからだ。つまり、亡くなった人を葬るさいに花を集めてきて、全身を被ってやり、供養し、あの世へ送り出してやったのだ。たぶん、そうだ。いや、そうにちがいない――という学者の説なのです。
その証拠に、もちろん花々は腐敗し風化して影も形もありませんが、花粉だけがその遺体の全身に付着していて、遺体周辺の土や砂にはいっさい、その花粉は見つからなかったというのです。その人が、たまたまお花畑で行き倒れになったとは、考えられないらしいのです。
うーん。なるほど。そういうものか。神仏のたぐいは信じていない自分ですが、このことに関しては、素直に納得します。そうであっても、不思議はない。たぶん、いや、きっと、そうだったのでしょう。人は、仲間あるいは自分の親族が亡くなったとき、ほったらかしにはしないでしょう。
冷たくなり、動かなくなったとはいえ、一緒に暮らしていた人です。お別れのさいには、美しいもので、その体を飾ってやり、あの世か、どこか知りませんが、送り出してやりたいと思うのは、理解できます。感動すら覚えます。
どうして、こんな話をしたのかと申しますと、人間って、かなり変だ、変わっていると思うからなんです。亡くなった仲間を美しい花で被って弔(ともら)う生き物なんて、ほかにいますか? 人間の脳には、ほかの生き物と違った何かがあるにちがいありません。
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人は森羅万象、つまり、何でもかんでもに、自分とその仲間たちの顔や姿を見てしまう。もう少し正確に言うと、知覚してしまう。
これは冒頭近くに書いた文です。話を、そこに戻します。みなさんに、お尋ねします。自分の周りを見回してください。お人形、キャラクターグッズ、または、そうしたものの絵や写真やアイコンがありませんか? 人のそばには、人や他の生き物の形をしたもの、または、架空のキャラクターなどが、必ずと言っていいほど、ありませんか? そして、その形は、たとえ人間を模したものではなくても(つまりクマさんやミツバチさんや妖精さんや妖怪さんを模したものあっても)、どこか人間の形をしていたり、人間に似せてありませんか?
自分のこの部屋にも、人形やキャラクターのたぐいが、たくさんあります。「かわいいもの」って割と好きなんです。気が安まりますよね。癒やされますよね。
これって、やっぱり、ホモ・サピエンスの習性(またはビョーキ)みたいです。うだつの上がらなかった、尻尾のない、ある種のおサルさんの脳の中で、ズレ(または壊れ)という大事件が起こって、すごい脳を持ったおサルさんが誕生してしまったという「説=おとぎ話=フィクション=紙芝居」があるそうです。
脳の中で何かとんでもないことが起きてしまって、晴れてホモ・サピエンスとなったおサルさんは、周りの木の皮や石ころや空の雲の形に仲間の顔や姿を見て、「うひょー」「おっおっ」「けっけっ」「おーおー」「うーうー」「およよ」なんていうふうに、びっくりしたり、喜んだり、感動したり、敬虔な気持ちをいだいたりするだけでは、済まなかったみたいなんです。
それだけじゃ済まなくて、自分の手で、粘土をこねたり、木切れや石ころなどを何かを利用して彫ったり削ったりして、わざわざ仲間や他の生き物の形に似せたものをせっせと細工するように、なっちゃった。住んでいる洞くつの壁に、尖った木か石か分かりませんが、そういうもので絵を描いたり、色の付いた土か草木か知りませんが、そういうもので色を付けたりするように、なっちゃった。どうやら、そうらしいのです。
みなさんは、どうお思いになりますでしょうか? 自分の場合には、人の端くれである自分の顔を鏡で見たりすると、いかにもそんなことをしそうな、尋常ではないというか、異様な気配を覚えます。
そう考えると、人間って、けっこうおちゃめですよね。自分に似たものを、わざわざ、こしらえるなんて。そうとう、ワルいことも、ズルいことも、ザンギャクなことも、ジコチュウなことも、さんざんやっていますけど、おちゃめな面も確かにありますよね。
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学校でのお勉強のおさらいになりますが、土偶なんて面白いものが、この国にも大昔にありましたね。それに、古墳から出てくる埴輪なんて、習いました。学校で教わったものではありませんが、中国にある、ものすごく大きなお墓から、たくさんの精巧に作られた土製の人形(ひとがた・にんぎょう)や、家畜の像が発見されたという、いつだったか見たテレビのニュースを思い出しました。
そういえば、確か、エジプトのピラミッドからも、そんなようなものが出てきたんじゃなかったでしょうか? 詳しいことは、もう、すっかり忘れましたけど。で、話はちょっと違うみたいですが、イースター島のモアイ像なんてのもありますね。あれって、何なんですか? 不思議ですね。人が作ったんじゃないと言い張る人もいるようですが、そうだとしたら、人間以外にもおちゃめな存在が、この宇宙のどこかにいるんでしょうか?
ところで、みなさんの家に、ひょっとして肖像画ってありませんか? おじいさんか、そのまたおじいさんのものとかがありませんか? そうそう、肖像画で思い出しました。大切なものを、忘れていました。写真です。それに、ビデオで撮られた家族なんかの映像です。そうしたものも、一種の人形(ひとがた・にんぎょう)と呼んでもいいのではないでしょうか?
前回に、おひな様の人形について書きました。そのとき、「タモちゃんのお代理様」を思い出して、「お内裏様=お代理様」という話になりました。
今、広辞苑で「ひとがた(人形)」を引いてみたんですが、「古くは清音」とあるので、昔は「ひとかた」とも発音していたみたいです。で、「ひとがた(人形)」の項には、「にんぎょう」という意味のほかに、「身代わりの人。代理」とも書いてあります。どっきっとしませんか? 身代わり、ですよ。「人身御供(ひとみごくう)」、つまり、人間の代わりに神様に差し出す生贄を連想しませんか。よく考えると、ものすごく怖いです。自分は生贄には絶対にされたくありません。
人間は何か土木工事や建設をするさいに、工事中に自分たちの身を守るために、神様なんかに生贄をささげますね。他の動物だったり、植物だったりをお供えします。たいていは、殺します。花や木だったら、切って供えます。あれって、身代わりなんですね。ほら、お葬式や宗教的儀式で、献花とか供物って行いますよね。基本的には、あれと同じです。
ここで、さきほどの太古の遺体に付着していた花粉の意味が、また別の面から分かってきましたね。要するに、花は、広い意味での生贄だったということです。故人と一緒に、あの世か、どこかへ、送るのですね。美しいがゆえに犠牲にされるのです。なんだか、切なくて哀しいです。
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スケープゴートって言葉をお聞きになったことはありませんか? 弱い存在が、みんなの犠牲になって罪をかぶるんです。そう思うと、かわいそうですね。スケープゴートも生贄です。人間がそういう仕組みを作ったのも、脳の中で何かとんでもないズレが起こってしまった「狂ったおサルさん」だからだという説があります。
この「狂ったおサルさん」説を信じるかどうかは、みなさんにお任せします。自分の場合には、まず鏡で自分の姿を映してみます。その顔と体をよく見てみます。そして、なぜ自分がそんなことをしているのかと考えてみます。ほかの生き物がそういう行動をするかどうか考えてみます。
ほかには、新聞記事を読んだり、テレビのニュースを見ます。この惑星に散らばって暮らしている何十億もの仲間たちが、どんなことをやっているのかを調べてみます。自分自身も同じようなことをしているのではないかと反省してみます。そうすると、「狂ったおサルさん」説について、自分が賛成できるかできないかが判断できます。
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話を戻します。
上で挙げたこの国の古墳、そして中国のお墓はもちろん、ピラミッドもお墓ですね。そうしたお墓で、人間は、自分自身が血を流す代わりに、他の動物や植物を傷つけたり切って供えたり、人間や動物の形をしたものを作って、亡き人と一緒に葬るという「習性=仕組み=儀式」を、なぜか作り上げたのです。世界中の人間に共通するのが、興味深いですね。
「ひとがた(人形)」が代理として使われる例としては、傀儡(かいらい)、操り人形、木偶(でく)、でくのぼう、ダミーなどもありますね。どれもが、いい意味を持ってはいません。新薬の臨床実験などで利用される実験動物も、人間との生物学的な共通性や類似性があるから犠牲にされるわけです。その点では、広義の「ひとがた(人形)」とみなしてもよいのではないでしょうか。
お人形さんの起源は、子どものおもちゃだけでは、説明できないことが分かりますね。もっと、深いというか、恐ろしいというか、言葉にしにくい感情が込められているのではないか。そんな気がします。ですから、人は人形(にんぎょう・ひとがた・ひとかた)に対して、「ひとかたならぬお世話になっております」と、一言お礼を述べてもいいのではないでしょうか?
人形供養などという、他人任せの儀式だけで済ませてはなりません。敬虔な気持ちで、「ひとかたならぬお世話になっております」と口にして、お人形さんたちに、頭を下げてもいいのではないでしょうか? 反省の意味を込めて、たった今、自分はパソコンの脇にあるお手玉のモリゾーちゃんとキッコロちゃんに向かって頭を垂れ、「ひとかたならぬお世話になっております」と言ってみました。
人形に限らず、動物アニメ、ゲームのキャラクター、アイコン、アバター、絵文字などの存在を考えると、これから先も「人は森羅万象、つまり、何でもかんでもに、自分とその仲間たちの顔や姿を見てしまう。もう少し正確に言うと、知覚してしまう」という人間の習性と、その応用編である、「ひとかた」を作るという習性は延々と続くような気がします。
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前回にも触れましたが、以上述べたことの根っこには、人間に次のような習性があるからだそうです。
Aの代わりに「Aではないもの」を用いる。
こういう行動を「表象の働き」とか「象徴の仕組み」とか呼んでいる人もいるそうです。こんな理屈はややこしいとお思いでしたら、お忘れになってください。人間として生きて行くためには、そうするしかない理屈みたいです。つまり、これをやらないためには人間をやめるしかないみたいです。どうしようもないですね。
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ここで、気分をがらりと変えて、ちょっとエッチなお話をしてもいいですか? 実は、さっきの花粉の話を書いている時に、思い出して、書こうかな書かないでおこうかなと、迷っていたのです。
で、そのエッチな話なんですけど、次のことと関係があります。
花は、なぜ美しいか?
何だか、理解に苦しみますよね。でも、さきほどの話を思い出してみてください。亡くなった仲間を美しい花々で被って弔うという儀式は、太古から続く人間の習性のようです。なぜ、花なのか? また、なぜ、人は花を美しいと思うのか? 不思議です。
花って、どうしてきれいなのか分かりになりますか? 生殖器だからです。ずばり申しまして性器だからです。花粉というものは雄しべにある細胞だって、学校で習いましたよね? ところで、生殖器と性器の違いって何でしょう? ちょっと引き算をしてみます。
生殖器 - 性器 = せいしょくき - せいき = しょく = 殖
解けました。「殖=ふえる・ふやす=増」。フエルアルバムじゃ、ありませんよ。いや、アルバムは写真を収めるものだから、おおいに関係がありそうです。「殖」とは、子や種族が増えること。要するに、繁殖することですね。
繁殖=生殖を目的とする場合に、生殖器。エッチすることだけを目的にする場合に、性器。こんな具合に割り切れればいいのですが、できちゃった婚みたいに、一石二鳥というか、「ありゃ、こんなはずじゃなかった」という場合もあるし、あるいは「確信犯」というか、「できちゃえば、親も許してくれるよね」みたいな乗りもあり、事はそれほど単純じゃないみたいですね。
いずれにせよ、花は生殖器なんですね。雌しべと雄しべがある場合も、片方だけの場合もあるんでしたっけ? 昔、学校で習ったことなので、忘れちゃいました。
とにかく、美しくしていないと、蜂さんや蝶さん(愛のキューピット役です)などが、わざわざ立ち寄ってかきまわして(「自家受粉」「他家受粉」とか「交配」とも言うそうです)くれないんですよ。他の生き物にかきまわしてもらわないと、植物は繁殖のための「合体」ができないんです。生き物同士って、協力し合っているんですね。人知の及ばぬ、つまり人知などお呼びじゃない、すごい仕組みだ、と思います。
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どうでしたか、ちょっとエッチなお話だったでしょ? こんなんじゃ、エッチとは言えないですか? じゃあ、もう少しエスカレートしていいですか? 実は、花が生殖器だと気づかせてくれた人がいたんです。それも、即物的な形で示してくれたんですよ。はい。
大学生のころの話です。すごく変わった人を、変人と言いますね。自分も、近所では、そう思われているらしいのですが、本当のところは未確認です。確認のために一軒一軒を訪ね歩けば、それこそ「ほんまもん」だと、ふれて回るようなものです。
そうなれば、○○小学校の校下(通学区域)を、夕方などに散策することができなくなります。不審者というレッテルを貼られてしまいます。きっと、後ろ指をさされます。スーパーへの買出しにも、不自由することになります。バス停で、ぼけーっと突っ立っているわけにもまいりません。
で、大学生のころに、同じ学科にかなりな変人がいました。男性です。自分は、昔から、飲み会のたぐいが嫌いで(お酒の臭いと煙草の臭いに、アレルギーなのです)、ほとんど参加したことがないのですが、その事件の場にはたまたま居合わせました。
その事件というのは、ある男子学生が、女子学生たちのいる席で、性器を露出したというものです。今だったら、セクハラです。場合によっては、警察に、即、身柄を拘束されますよ。あのころだから、穏便に済んだ事件なのです。
前後関係は、よく覚えていないのですが、あるフランス語の詩と関係があったはずです。その詩の中で、花が美しいとか、肉体は悲しいとか、そんな感じの一節があって、ある女子学生が、花の美しさについて、酔いも手伝って気持ち良さそうに、とうとうと語っていたのです。そのとき、その変人の男子学生が、「きみ、花ってそんなに美しいかい? じゃあ、これも美しいはずだ」とか言って、宴席の椅子の上に立ち、いきなり下半身を露出したのです。
「きゃー」「おえー」「ばかやろー」「なにおー」「こらー」「わーん」「しくしく」
とにかく、大変な騒ぎになりました。ご想像はつくと思います。で、そのけしからん変人ヘンタイ学生が、叫んだのです。
「花は、生殖器だ。文句あっか?」
この話は、現場に居合わせた一部の人たちの間で、今も語り継がれているはずです。実話です。その珍事件の目撃者が、ひょっとして、この記事を読んでいらっしゃるかもしれません。懐かしーい、とか叫んでいるかもしれません。万が一、お心当たりのある方は、ご一報願います。旧交を温めませんか?
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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