「ん」の不思議

げんすけ

2020/07/16 08:21


 以前から不思議だと思っていることがあります。それについてきょうは書きたいのですが、専門家の方なら、


「そんなこと、もう解決済み。不思議でも謎でもなんでもない 」


で、おしまいになる話かもしれません。ただ、素人の自分には不思議でならないことなので、やっぱり書きます。


     *


 単純なことなのです。実に、単純。


*ノウ、ノン、ナイン、ニェット、ノ、ノ

*英、仏、独、露、西、伊


 ほかにも、あるらしいのですが、専門家でないので分かりません。勉強嫌いなうえに、無精者なので、図書館まで出かけて調べるとか、グーグルで数時間かけて検索しまくるとか、そんな元気がありません。とりあえず、今、知っていることだけを頼りに書きます。


「ほら、やっぱしね。そんなことだろう、と思った。今、あんたの言おうとしていること、学会(※学問研究のほうの学会です、念のため)では常識よ 」


とおっしゃる方がいても、無理はありません。


 何しろ、英と仏は海峡で隔たれているだけ、仏を中心に独と西と伊は陸続きだし、英仏独西伊と露との間には、露や伊の親戚がいくつもある。みんな、親類同士か、兄弟姉妹の関係にある。それに、昔々には羅や希があった。


     *


 ちょっと暴走し始めたので、注を付けさせてください。


※西=スペイン(※語)、伊=イタリア(※語)、羅=ラテン語(※ローマ帝国の言語)、希=古代ギリシア(※語) (そんなこと知ってるわい、とおっしゃった方、失礼!)


 で、ヨーロッパの言語が「みなきょうだい」であることを考えると、不思議ではないわけです。ただし、フィンランド語やハンガリー語やバスク語はきょうだいではないそうですけど、詳しいことは知りません。とにかく、ヨーロッパの諸言語は大雑把に言うなら方言みたいなものですから、似たところや共通点があっても全然不思議じゃない、ということです。


     *


*印欧祖語、インドヨーロッパ語族、サンスクリット語、比較言語学――


 言葉だけですが、何となく覚えています。でも、その内容や、からくりや、手法については分かりません。


*ソシュール、バンヴェニスト、あるいはチョムスキー(※チョムスキーは、ここでは、ちょっと場違いかな?)――


 学生時代によく聞いた名前です。読もうと思いましたが、難しそうなんで、やめました。生意気なことを言いますが、まだバルトやラカンやデリダのほうが、肌に合っていたのです。そんなことは、どうでもいいですね。話を戻します。要するに、


*親戚だから、似ていて当然


ということでしたよね。そこだけは、思い出しました。うっすらと、分かりかけました。


 ところで、上で、中と韓(※朝、ハ)が出て来ないことは、まことに恥ずかしい、と感じております。この国に陸上の国境はないにしても(※ここでクレームをつけないでください、国際政治の話は苦手なんです)、とにかく隣国なんですから。


     *


 で、自分が不思議だと思うのは、上に書いた 「いいえ」に相当する各国の言葉たちの共通項である「 n = N = ん = ン 」のことだけでは、ないのです。


*う「ん」にゃ ―― ん(※大和言葉系)

*所得税を払ってい「な」い ―― n (※大和言葉系)

*職が「無」い ―― n (※大和言葉系)

*裕福であるか「否」かを問わず ―― n (※大和言葉系)

*ネット社会、「否」、世間一般においても ―― n (※大和言葉系)

*「有」「無」 を言わせず、彼女の手を取り ―― う = u (※漢語系)、む = m (※漢語系)

*政治には「無」関心 ―― む = m (※漢語系)

*存在と「無」 ―― む = m (※漢語系)

*古今未曾「有」の珍事 ―― う = u (※漢語系)

*希「有」な愚行 ―― う = u (※漢語系)


【※こう並べてみると、何だかどれもこれもネガティブですね。ないない尽くし、なしくずしの死、ああ南無三宝、という感じです。とりあえず、「う = u 」 を別にして。とりあえず、の話ですけど。】


     *


 たった今、上で挙げた、各語句に続く「――」の右に記した、


*「 ん 」「 n 」「 む 」「 m 」「 う 」「 u 」


ですけど、


不思議で仕方ないのは、それなんです。もちろん、「う「ん」= yes 」(= 肯定) とか、「「ん」 だ「ん」だ = yes 」(= 肯定)などの、例外があるのは承知しています。「ん」「 n 」はまだしも、「む」「 m 」(= 否定)と「う」「 u 」」(= 肯定) を、同列に扱う無神経さと無教養さとずさんさ、についても、重々承知しております。でも、「無」の反対が「有=存在」とは、自分にとっては、とうてい思えないのです。


「ほら、やっぱしね。せいぜい、そんなことだろう、と思った。で、何が疑問なの? 素人さん、偶然だよ。関係はいっさい、なし。不思議も、なし。おしまい」


と言われたさいには、自分としては、「やっぱり、そうでしたか。恐れ入りました。いつか、図書館か、グーグルで確認してみます」と、引き下がるしかないわけです。そして、「まめに、こつこつ勉強していないから、自分はこんなことで不思議がるのだ。いつか、「消えてしまいたい指数」 が、もっと低い時にでも、勉強してみよう」と、反省するしかないわけです。


     *


 でも、このブログで、


*哲学がしたーい


*表象の仕組みと闘うぞー


と、しこしこと、しこを踏み踏み、ひとり相撲をとっている身としては、やっぱり不思議でならない。だから、勉強はいつかするとして、きょうは、


とりあえず、


*自分の頭と体で考えよう


というスタンスしかとれないわけです。


     *


 で、勝手に決めました。


「大問題であることが確実らしい日本語」にかかわる準備運動として、最も自分にとって身近な外国語である英語について、昔、お勉強したことのおさらいをしてみます。


*no / no one / nobody / nothing / nowhere / none / nay / not / nor / neither / never / null / naught / negation / negative


 ふーうっ、という感じです。これ以上あることは、確実ですが、きょうはやめておきます。これで十分だと思います。やっぱり、 negative で落ち着いたみたいです。全部、「ネガティブ」、「否定的」ということです。


*n が、否定的な意味の印(しるし)だ、素(もと)だ、


ということは、英、仏、独、露、西、伊だけでなく、その周辺から、はるか遠くにあるイラン、インドにまで達する「現象」らしい。さらに言うなら、


*n × 2 = m

*m も、否定的な意味の印だ、素だ(※たぶんですけど)


という駄洒落か嘘みたいな話も、全面的に否定するわけにはいかないらしい。


 では、


*n × (-1) = (上下ひっくり返して) u

*u も、否定的な意味の印だ、素だ


ということが、あったとしても不思議ではないかもしれない。あくまで、「かも」「たぶん」ですが。


「ほらほら、とちくるってきたぞー」


 今聞こえたのは、幻聴ですか? 難聴、耳鳴りに加えて、幻聴ですか? 困りました。でも、いいんです。どうせ、狂ったサルなんですから。と、言い聞かせるほかしかない。


 ここで、「大問題であることが確実らしい日本語」にちょっかいを出してみましょう。戯れてみましょう。言葉の奥ではなく、言の葉(=ことのは)の表面を手でなぞってみる。音としての言葉を、口というか舌を使って、もてあそんでみる。言葉の身ぶりや表情や動作に寄り添い模倣してみる。


     *


 以上は、このブログを開設して間もないころの記事に書いた「決意」です。それを、ここでも実践してみたいのです。参考文献、引用、権威、正確さ、実証。そうしたことは、当ブログではふさわしくありません。というか、できません。


 ネット上では比較的 「新参者」であるブログというものについてはよく知りませんが、そもそも初期のインターネットは、数々の大学や研究所をつなぐ学問の交流の「場 = 網 = ネット」として、発達してきたと記憶しています。


 もとをたどれば、軍事目的。確かにそうだったのでしょうが、現在では、この惑星で極度に貧しい生活を送っている、おびただしい人たちを除けば、誰もがネットに接続し、いわゆる「知」と「情報」を手に入れ、また発信できる状況が実現しています。


 うつせみ=現人(=生きているヒト)の端くれである、このブログの開設者は、いわば「うつせみ=空蝉(=せみのぬけがら)」です。うつお=空(= からっぽの空間)です。そのからっぽの箱の中で、うつろな言葉という音(ね)を響かせてみたい。音は消え去る。それでいい。このブログは、いわばお墓。そこには誰もいない、空のお墓なのです。


 あなた(彼方= over there ) にいる、あなた(貴方 = you ) に音が届けば、それで幸せです。それが、ごく短い間であっても幸せです。なぜか、センチメンタルになってしまいました。さっきの幻聴(※たぶん)の罵倒のせいでしょう。へこみやすいのです。


 うつせみの あなたにおくる うつおのね


     *


 で、


*不思議


に、話を戻します。遠い記憶をたどります。「あなた=彼方」に思いをはせます。


 中学生のころに聞いた話です。国語か社会の授業中に、教師が話してくれました。この国のどこかは忘れましたが、とにかく、日本のある地方を訪れたイスラエルの人が、その地方の方言で歌われている民謡を聞いて、ヘブライ語の詩として意味がとれることに、たいそう驚いた、とか。本当なら不思議です。


 次は、高校生のころに聞いた話です。上でも触れたサンスクリット語のことです。この辺の知識があいまいなので、不正確な話になるのを承知のうえで、あえて書きます。サンスクリット語は、仏教のお寺などで見かける梵字で表記されることから分かるように、仏教と大いに関係があるらしい。日本の仏教用語で「アカ」というのは「水」のこと。それが、サンスクリット語から来ている、とか。


 考えてもみてください。サンスクリット語が使われていた土地、つまり古代インドを経由して、日本語の「アカ」が、はるかかなたの島国の言語である、英語の「アクア( aqua )= 水に関係する語」とつながるというのです。不思議です。


 もう一つ、思い出しました。墓地に立ち並ぶ卒塔婆(そとうば)。その、「そとうば」の「とう = 塔」は、英語の「 tower = タワー = 塔」につながり、その語頭にある tow は、「とう」 と読めないこともない。大学生になって、エッフェル塔を仏語(※フランス語です、仏教語ではありません、念のため)で「 la tour Eiffel = ラ・トゥー・エッフェル 」 だと知った時にも、高校時代のあの授業を思い出しました。不思議です。


 「う」ー「ん」。今、思い出しても、唸らずにはいられません。


 ヘブライ語については、未だ不明。サンスクリット語については、謎は実証済みらしいので、 「そうか、別に不思議ではないのか」と納得できるような気がします。そうはいうものの、今もなお、素直に言って、


*不思議です。


     *


 さて、「大問題」にとりかかりましょう。


 上で書いた、「 ん 」「 n 」「 む 」「 m 」「 う 」「 u 」です。


 「な」「ん」で、こ「う」「な」る「の」、でしょうか?


 根拠など、「な」い。実証も、でき「な」い。


 単なる「 accident = 偶然 = アクシデント = 事故 」だ。


 果たして、そうなのか? それとも、何らかの学術的な説や法則があるのか? あったとして、それは既に定説なのか? 


 それで思いしましたが、日本語とタミル語。タミル語って、インド南部、スリランカの言語ですよ! 隣の国とは違うのですよ。その二つの言語の驚くべき類似性を示し、あとは実証するだけのところで、世を去った学者がいました。学生時代に、その学者の授業を受けたことがあるので、記憶違いではないはずです。 Oh, no. オー・ノー(※ごめんなさい、大野晋先生)。次に、「すすむ」ことにします。


 タミル語でも、「 ん 」「 n 」「 む 」「 m 」「 う 」「 u 」 についての類似性があったのかは、全然知りません。


 ただ、言葉って不思議。おもしろい。そう、思います。


     *


 で、無精者である、当ブログの開設者としては、ここで、先ほど述べた言葉たちとの戯れを実践してみます。よろしければ、ご一緒にどうぞ。


「ん = n 」 と口にしてみてください。声らしきものが出ないかもしれませんが、口の中の状態は、感知できると思います。舌と前方の口蓋(こうがい)がぴったりくっつきますよね。両唇は、離したままで、「ん = n 」。唇を閉じると 「 m 」 になるので、注意してください。


 ナボコフの書いた 『ロリータ』 の冒頭を思い出します。何だか、すごくエロいことをしているような気分です(※実際、そうなのかもしれない)。「ん = n 」は、ご承知のように子音です。だから、五十音図では仲間外れ扱いにされているのですね。子音だけで、母音がないから、はみっ子。


 次に、


「む = m 」です。「 mu 」と母音を添えないでください。子音だけ。それが、音の素(もと)なんですから。意味の素(もと)なんですから。味の素(もと)なんですから。上で説明したように、口を閉じて、上と下の両唇がしっかりと、むすばれた状態になりますよね。次に、


「う = u 」。思いきり、口をとがらせましょう。では、ご一緒に、


*ん・む・う


 このさい、この行為の意味、つまり、今、なぜ、自分がこんなことをしているのか、なんて考えるのは、やめましょう。


*ん・む・う


 一句、浮かびました。


 部屋寒し ひとり遊びの にらめつこ


 「 無 」 から 「 有 = 意味 = 言葉 」 が生じる瞬間。 m から u が生じる瞬間。 m と u は反意語ではなく、表裏一体の関係にある。つまり、


 自分が「尻尾の無いサル」から、「狂ったサル」 = 「ヒト」 になっていくさまを、模倣し、演じているような気がします。あまりにも、出来すぎた話でしょう。「ガセだ。ヨタだ」 と、お思いになるのは、無理もありません。ですので、お遊びだと思って軽く考えましょう。


 「軽く考える、だって? 「狂ったサル」どころか、「狂ったヒト」にはついていけない」


と 「あなた」 からの声が聞こえたのは、錯覚でしょうか? 幻聴でしょうか? そうですか、やはり、こういうのって、あやういですか? 


     *


 いずれにせよ、


*不思議


だけが残ります。念のために言っておきますが、本気です。正気とは言いませんが、本気です。


*ん


という一字をめぐって長たらしく書かれた、この文章にここまでお付き合いくださった方、それだけで涙が出そうになるほど嬉しいです。どうも、ありがとうございました。


※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77



 

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