仮面と人形(仮面編)
げんすけ
2020/07/10 08:55
仮面と人形の共通点は何でしょう?
難しく考えないでください。両方とも、「人面○○」や「何かに浮かんで見える○○像」の一種、または「人面○○」や「何かに浮かんで見える○○像」のチャンピョンみたいなものだと考えてみましょう。
「人面○○」や「何かに浮かんで見える○○像」とは、トイレの壁の模様とか、天井の染みとか、池の鯉とか、川辺に転がっている石とか、写真の隅っことか、車を正面から見た時なんかに、人間の顔や姿や形を見てしまうことです。錯覚と言えば錯覚だし、神秘と言えば神秘です。人によっていろいろな解釈ができるでしょう。
それに対し、仮面やお面、そして人形やキャラクターなどは、そのものズバリ、人が意図的に人間の顔や体を真似て作るものですね。
もとは、ラスコーやアルタミラの洞くつの絵みたいに、土の壁なんかに人の顔や形、あるいは狩りの獲物の動物などを描いていたのでしょうか。それとも、人の顔や形に似ている石ころや岩や木切れを見て少し細工してみたり、土や砂や粘土で顔や形を作って、「ほほーっ」とか「ぎゃははーっ」とか「 ひぇーっ」とか叫んで、騒いでいたのでしょうか?
こうしたものは、お絵描きと工作のどっちが先か、という問題ではなく、同時発生的に起こったのかもしれませんね。
そういうのが高じると、人形やお面に行き着くって感じがしませんか? 人形と言えば、ひな祭りが頭に浮かびます。おひな様も、男女の内裏びなだけを飾るごく質素なものから、ひな壇とセットになっている車一台が買えるくらいの豪華なものまであります。
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話はがらりと変わりますが、「タモちゃんのお代理様」とかいうコーナーが、テレビ番組の「笑っていいとも!」でありましたね。松本小雪とかいう人とタモリが、視聴者の相談に答えるという企画だったような覚えがありますが、あれって、かなり昔の話のはずです。
ところで、なんで、「お代理様」だったのでしょう? 視聴者の代理として、疑問に答えていたからでしょうか? 深読み、またはこじつけをすると、「お代理様=お内裏様」になります。意味深ですね。
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人形については次回に譲るとして、今回は主に仮面やお面について考えてみましょう。
お面の場合には、能面ぐらいになると、かなり高価だし、国宝級のものもあります。また、世界中の人たちが、さまざまな素材のお面を作っています。
「面」という言葉に、自分はとても興味を持っています。「面」は「かお」や「つら」のことです。「人形は顔が命」という言い方があるくらいですから、人にとってはとても大切なものだという気がしてなりません。
もしも、あなたの目の前に、いきなり人の顔が「にゅーっ」と出てきたら、不気味ですよね。顔って、自分自身の首の上にもあるのに、実に気味が悪いんです。だから、「人面○○」で大騒ぎしたりします。キリストやマリアの像や、観音像が何かに浮かんだといって、大騒動になる場合もあります。なぜでしょう?
顔から考えてみます。個人的な意見を申しますと、顔=面=皮膚=皮で、「厚みがない」・「薄っぺら」だからだと思うんです。言い換えると、実体がないみたいに見える。まるで幽霊です。のっぺらぼうのお化けです。
また、ぺらぺらだから被ることができます。身にまとうことができる被り物です。つまり、自分でないものに「化ける」ことができる。逆に言うと、目の前に見えるものが、本当は「何か別のもの」が「化けている」ものなのではないか、とも考えられるわけです。
こういうのを「表象の働き」とか「象徴の仕組み」とか呼んでいる人もいるみたいです。要するに、Aの代わりに「Aではないもの」を用いることなのです。言葉がそうですね。言葉は「言葉でないもの」の代わりに人が使っているものです。単純に考えてください。本物の花の代わりに「花という言葉」を使うという意味です。
お金も、表象=象徴ですね。お金は価値の象徴だとも言えます。したがって、その額によってさまざまなものの代わりになります。ほぼすべてのものがお金で買えるという意味では、お金はほぼすべてのものの象徴だと考えることもできます。そう思うと、お金ってすごいですね。だから、みんなが欲しがるのでしょう。
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話を仮面に戻します。
「仮面」とか「能面」を見て、気味が悪いと感じる時がありませんか? 最高に不気味なのは、何と言ってもデスマスク。デスマスクもマスクデス。自分は、一度だけ、お能を観に行ったことがあるのですが、あまりにも退屈なので途中で眠ってしまいました。能面を、デパートの催しで間近に見たことがあります。もちろん、展示してあるものでしたが、見る位置によって「表情」が変わって見えるのです。ミステリアスなものを感じました。
「表情」という言葉があります。個人的な意見なのですが、「表情」も一種の「仮面」だと思います。文学的な言い方ですが、「表情をまとう」なんて表現もあるくらいです。「表情を浮かべる」という言い方なら、日常会話でも出てきますね。ポイントは、表情は「浮かんでいる」ということです。要するに、内心は分からない。ベール(被い)に包まれている。
やっぱり、「表情」は一種の「仮面」ではないでしょうか。演劇で考えてみましょう。劇場でのお芝居にしろ、テレビドラマにしろ、映画にしろ、劇は「ステージ=舞台」や「スタジオ」で行われます。観客との間が離れているわけですから、濃いめの「メイク=お化粧」をしますね。「化粧」は文字通り、「化ける」ことです。役者は「化ける」ことによって、喜怒哀楽などの表情を誇張し、隔たりのある場所にいる観客に伝えるわけです。
すると、「顔」=「面」=「表情」=「化粧」=「表象」=「象徴」という、つながりが見えてきます。同時に、これらのものに、どこか「あやしい=怪しい=妖しい=面妖(めんよう)」というイメージが備わっているのも、何となく分かる気がしませんか?
「顔」=「面」=「表情」=「化粧」=「表象」=「象徴」に、もう一つ付け加えたいものがあります。「かつら」です。広辞苑によると、「かつら」は「かずら」「かづら」でもあるとのことです。分かったずら? 「かつら」も、一種の「象徴」だと言えそうです。人形は顔が命。オヤジはヅラが命。政治家と公務員はおもてヅラが命。言えてませんか? 中身とづらがずれている。よくできたづらほど値が張る。しかも鉄面皮。
かつら、お面、仮面、お化粧、表情、顔つき――こうしたものは、さきほど書きました「表象の働き」とか「象徴の仕組み」という言葉でひっくるめることができそうです。要するに、Aの代わりに「Aではないもの」を用いることです。ぶっちゃけた話が、何かに「化ける」ことです。もう少しお上品に言うと「装う」ことです。
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どうして、人間は、Aの代わりに「Aではないもの」を用いる、などという奇妙なことをするのでしょう?
個人的な意見を申しますと、人間が地球で威張っていることと関係があるような気がします。「威張る」というのは、文字通り「権威」をからだに「張る」こと。つまり、「虎の威を借りる」ということです。
以上のことから「虎の威」とは「虎の衣」に他ならず、雷さまがはいている虎の「皮」のパンツと同じだと言えそうです。また、パンツは「メンツ=面子」に似ています。これも駄洒落ですが、意外と言えてませんか?
ひょっとして、人は「面子=体面=面目」のために、象徴をまとうのではないでしょうか?
そう言えば、この記事の初めのほうで取り上げた、おひな様もえらそうにしていますね。実際、えらいお方らしいです。内裏雛(だいりびな)は、高貴なお方のお人形。だから、ひな壇の上のほうに控えていらっしゃるのです。
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話は飛躍しますが、「ひな壇」とピラミッドは、司法・立法・行政には付きものです。代理、代行、代議士、代表、総代が、うようよいます。そのうようよに「壇=段」がある、つまり格付けされているのです。なお、お役所では、ハンコぺたぺたのペーパーワークが主な仕事になっています。ペーパー=紙の先祖は、草木の皮や生き物の皮だったそうです。パピルス(ペーパーの語源らしいです)や羊皮紙なんて、小学校で習った覚えがありませんか。
「ひな壇」は「虎の威=衣」と二点セットで、クラス分けしたり、棲み分けして、暮らすわけです(今のは駄洒落です、念のため)。これが代々続けば、例の二世、三世、そして世襲ということになります。仲間うちで「虎の威=衣」を譲ったり譲り合えば、天下り、渡り、渡る天下に鬼はなし。
蛇足ながら、「虎の威=衣」は「虎の位」でもあります。ぺいぺいからキャリアまで、ピンからキリまで、枚挙にいとまなし。フェイクファーのパンツから、スマトラ産の超高級品の上下一式の被り物まで、多岐にわたる種類があります。
引退後は、民間人をさておいて、真っ先に褒章、勲章までもらえます。ワッペン張って、大威張り。首から下げて、涙腺を緩めるのが、最後のご奉公。なんで、これがご奉公なの? 公僕、最後のご奉公ってわけですか? ここまで来ると、もうめちゃくちゃではないでしょうか? それなのに、庶民が一揆を起こしたり騒がないが不思議です。
「タモちゃんのお代理様」は、やっぱり言えていると思います。
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さて、核心に入ります。
人間は人間よりも、もっともっと偉い存在がいて、自分がその代理を務めたいという、願望=欲求=祈り=野望を持っているのではないでしょうか?
Aにはなれないから、Aの代わりを演じます。Aみたいな顔をしてみます。Aの仮面を被り、表情を真似て、時にはお化粧もし、かつらも付けたりもしてみます。
どうです、似合うでしょう? 様になるでしょう? だって、こんなふうに化ければ、○○様なんて呼ばれるんですもの。偉く見えるんですもの。いいじゃないの。
そんな具合に、偉く見えるから、崇め奉られる。ちやほやされる。甘やかされる。そして、ますます図に乗る。
どうして、こうなっちゃったんでしょう? 昔々と関係ありそうです。
たとえば、次のような具合です。
「どうか、雨が降って豊作になりますように」「作物が駄目にならないように、大雨が止みますように」「ニワトリとブタが増えますように」「隣村の馬鹿どもが攻めてきませんように」「今度の戦(いくさ)に勝てますように」「あいつとの賭けに勝てますように」「お父さんの怪我が早く治りますように」「娘がいいところにお嫁に行けますように」「亡くなった後に天国に行けますように」「元気が出ますように」
というふうに庶民が願い、祈ります。すると、虎皮のパンツをはき、お化粧をするか仮面を被り、かつらをつけた代理人がしゃしゃり出て来て、えらそうに次のように言います。
「お任せあれ。任せとき。大丈夫。ところで、あれは、ちゃんと用意しているかな? この間は、ちょっと少なかったぞよ」
万が一、でまかせが当たらなかったり、何かとんでもないことが起きて、都合の悪くなった時には、代理人は即座に仮面を外し、お化粧を落とし、表情をしおらしくして、かつらも外して、「わたしは、単なる代理でございます」と言って、責任を転嫁すればいい。
または、「あんたの信心が足りんからじゃ」と、これまた責任を転嫁すればいい。
このように、「代理人=代行者」は、実に気楽でいい商売だわい。
これは便利。超便利。魔法みたいに便利。呪術みたいに便利。イッツ・ア・マジック。マジでマジック。マジで絶句。ヒューマニズムよりも、シャーマニズム。コミュニズムよりも、キャピタリズム。デモクラシーよりも、ビュロクラシー。
なんて、恥も外聞もなくおふざけをしてしまいましたが、「代理」とか「代理人」というのは、実はかなりシリアスで怖い問題なんです。だって、そういう仕組みや人たちによって世界は動かされているんですから。
嘘じゃありません。テレビのニュースや新聞をご覧になってください。代理、代理人、仮面、虎皮のパンツ、仮装、お化粧、かつら、作り顔、顔芸ばかりです。だまされないように、気を付けましょう。
とは言うものの、本物や中身や真実や事実や現実なんてものがないのが、これまた困った問題なんです。でも、こういうややこしい話はやめておきます。
仮面とお面については、そういうわけでございます。次回は、人形について考えてみたいと存じます。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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