かりる・かる -1-
星野廉
2020/10/24 08:07
先日、蓮實重彦の『批評 あるいは仮死の祭典』と古井由吉の『仮往生伝試文』をダシにして記事を書いていたところ、結局は「借りる」について考えていることに気づきました。「かりにこれが仮の姿であり仮のからだであれば、人はここで借り物である言葉をもちいて、かりの世界を思い浮かべ、からの言葉をつむいでいくしかない。」という長いタイトルの記事にも「借り物」という言葉が見えます。
その記事を読み直しながら、「代理としての世界 -6-」でも次のように書いていたことを思い出しました。
>「自分」という言葉=語で指し示すと考えられている「何か」は、「代わり=代理=仮のもの=借りもの」である。特に、「借りもの」だという点に的を絞って出まかせを言うと、その「何か」は「引用されたものの断片=真似たものの断片=何かor誰かに成りきったものの断片=何かor誰かの言動を手本として演じたものの断片=何かor誰かを装ったものの断片=どこかから借りてきたor盗んできたもの断片」ではないか。
以上が引用なのですけど、思い出したと同時に、我ながらしつこいなあとも思いました。あれは、十年ほど前に書いたブログ記事なのです。「借りる」がまだ気になるみたいなので、面倒を見てやる必要を感じた次第です。
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辞書で調べると「仮」と「借」が近いものであると書いてありますが、なるほどと感心する一方で、どうでもいいことだとつぶやく自分がいます。自分にとっては「かりに」と「借りる」が何か似ているなあという感じがすることが大切なのです。あくまでも個人的な思いが大切。ですから、普遍性とかいう、言葉の綾には興味もないし、そういうものを目指そうなどという野心は毛ほども持ち合わせていません。そんな柄ではないことは自分がいちばんよく知っています。
わざわざ辞書や本の力を借りようとは思いません。そんなことをしなくても、そもそも自分は借りものだと思っているので、自分の中にはいろいろなものに混じる形で、その辺の辞書や本の断片も入っていると決めこんでいます。いまここにあるものを自分でああでもないこうでもない、ああでもありこうでもあるという具合にとりとめなく考えてみようと思います。そうするのが楽しいからです。
誰々が何と言ったかは知りませんし、知りたいとも思いません。誰々って誰でしょうね。偉い人と世の中で言われている人なら、なおさらかかわりたくありません。というか、偉い偉くないって考え方は苦手です。自分にとって、人については好き嫌いが最優先されるみたいです。
たとえば、ニーチェが好きです。と言っても、その人については見聞きした記憶はありますけど、ほとんど忘れてしまいました。自分にとっては人と言うよりも、言葉でしかありません。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェを偉い人だと思っている人がたくさんいるというイメージはありますが、ひとさまのことにかかわったり立ち入る気持ちはありません。どうぞご自由にという感じです。ところで、ニーチェって偉い人なんですか?
というわけでニーチェという人は知りませんが、ニーチェという言葉は自分の中でイメージをかき立ててくれます。一日に一度は頭に浮かぶ言葉です。何ででしょうね。不思議ですが、謎はそのまま楽しむことにしています。
謎はさておき、ニーチェという言葉は自分にとっては「間断なき射精」なのです。「間断なき失神」という言葉が『批評 あるいは仮死の祭典』の中にあるのですが、それをもじりました。お借りしていじったということですね。「常に射精している」よりも格好よく響きませんか。現代詩のフレーズみたいに。現代詩がお好きではない方には、馬鹿みたいな文句でしょうが。
いまはニーチェはもう読んでいないというか、その著作の邦訳は処分してたぶん家にはないと思います。あったとしても書棚にではなく、押し入れに積んであるひしゃげた段ボール箱の底に、でしょう。いつなのかは忘れましたが、昔々ニーチェの作品の邦訳をよく読んでいて「すごいなあ、常に射精しているような文章だ」と感動したことが記憶にあって、そのイメージが強烈に自分を刺激し続けていることだけが、いまの自分にとってのニーチェ体験だと言えます。
ニーチェを知っているとか、ニーチェの著作を読んだとか、ニーチェを論じるという言い回しは、自分に関してはありません。あり得ません。そんな柄ではないです。ニーチェとは、夢の中に出てくるニーチェという言葉でありイメージに他なりません。なぜ夢の中なのかと言うと、ニーチェについて考える時には、自分が夢の中にいるような気分になるからです。とてもうつつの出来事だとは感じられないのです。この感覚は仮や借に通じます。
好きなものについてはたいてい夢の中での話になります。自分にとって夢はそれほど大切なものです。みなさんのお使いになっている「夢」という言葉とそのイメージとはかなりずれているという直感があります。ややこしい話になりそうなので、徐々に触れていくつもりです。ですので、またこの記事を読みに来ていただければうれしいです。
体調が良くないので、次回がいつになるのかは分かりませんが、また書きますね。一週間に一度くらいのペースがいいかもしれません。なお、プロフィールにあるように、スキとフォローはできませんので、当方もご辞退申しあげます。体調管理を優先してログイン時間を制限している。それだけが理由ですので、悪しからずご了承願います(とはいえ、記事を読んでいて感動した時にはためらわずにスキをすることもあります)。アクセスしていただくと全体ビューで数字が出るので、それだけで満足しております。前回の記事には多数のアクセスを頂戴し、ありがとうございました。
では、今日はこの辺で失礼いたします。
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