なる(10)

げんすけ

2020/08/11 07:55


 みなさんの中にも「花粉症」で悩んでいる方が、たくさんいらっしゃることでしょう。自分も薬で症状をやわらげながら、何とか耐えています。春は、いろいろなものが「張る」から「はる」と言う、でしたね。


*「はる」=「張る」=「貼る」=「墾る」=「晴る・晴れる」=「霽る・霽れる」=「腫る・腫れる」=「脹る・脹れる」


*「はらう」=「払う」=「掃う」=「祓う」


 このブログのバックナンバーである「なる(1)」で、以上のように書きました、辞書では「春」の語源の候補に挙がっていない「腫る・腫れる」=「脹る・脹れる」まで並べたのは、花粉症が頭にあったからです。


 花粉症の主な症状である粘膜の炎症とは、確か粘膜が「腫れる」ことですよね。鼻の内部や目などの粘膜が腫れてしまう。それでクシャミが出たり、目が痒かったりする。これは素人の単純な理解ですから、専門家の方からは、そんなものじゃないと言われるかもしれませんけど。とにかく、春は「腫る・腫れる」もあり、としておきます。


 さらに、「はらう」まで挙げてあるのは、春になるといろいろな過去のものを「払う」=「取り払って心機一転する」というイメージがあるのと同時に、春は「お祓い」の季節だというイメージもあるからです。


「福は内、鬼は外」と声をあげて豆まきをする節分もあるし、何か新しいことを始めるさいには、鬼=魔物の類や身のけがれを「はらう=祓う」儀式をします。入学式・入社式なんていう儀式も、まさに「お祓い」だという気がします。そういえば春は、神社も神主さんも忙しそうです。


 このように、語源と呼ばれている専門家による「説」=「こじつけ」に感心するだけでなく、素人がいろいろなものを自由に=勝手に「こじつける」ことがあってもいいのではないでしょうか。言葉はみんなのもの。言葉はこじつけが命。正しいも正しくないも、こじつけの前では影が薄いというか、意味がない。言葉はきわめてテキトー=恣意的なもの。そう思っています。


 権威は好きではありませんが、「偉い」と言われている何とかいう名前の学者も、似たようなことを言ったそうです。その弟子たちも、そう言っているそうです。詳しいことは知りません。ごめんなさい。


     *


「なる」というタイトルでつづってきたこの文章では、言葉の仕組みの根底にある「こじつけ」に加えて、「なる・なりきる」にこだわりました。なぜ、そんなにこだわるのかと不思議に思った方が、きっといらっしゃるでしょう。


 そういう疑問を想定したうえで、「なる・なりきる」にこだわる理由を説明させてください。どうも世界が変になりつつある。悪くなりつつある。そんな気がしてならからです。現在、よく話題にされる例を挙げると、いわゆる「地球温暖化」、そして「大不況」です。


「温暖化」の「化」は「化ける」ことであり、「変化」の「化」ですから、「かわる・かえる」という言葉の親戚と言えそうです。個人的には「かわる・かえる」には、いつかまた「かわる・かえる」という楽観的な響きを感じます。


 たとえば、「老化」なら、美容整形や厚化粧や若作りや途方もない値段の健康食品で何とかごまかせるさ、というイメージがあります。


「少子化」も、国が何とかしてくれるさ、くらいに考えているヒトが周りにたくさんいます。


 このように、「○○化」という言い方には、「化けた=変わった=変えた」ところで、いつか以前いたところに「帰る」、以前の状態に「返る」「返す」というお気楽な感じがしてなりません。


 一方、大不況は、「○○化」とは呼ばれていませんが、これまでの歴史を振り返ってみると、経済には波みたいなものがあるらしいので、いつかまた好景気に「変わる・返る・もどる」だろうという気はします。


 ちなみに、ヒトの経済活動の根底にある「お金=貨幣」「価値=値打ち」「モノ(※製品・原材料)、サービス(※活動・機能)、ヒト(※人的資源)」という広義の言葉たちも、「Aの代わりにAでないものを用いる」という「こじつけ」の仕組みを支えたり、その担い手になっています。このブログ流に言えば、ヒトの「なりきり」の枠内にあるということになります。


 さて、地球温暖化は、どうでしょう? 不景気のように楽観できるでしょうか? ヒトの「なりきり」の枠内にあると考えていいでしょうか? 個人的には、かなり悲観しています。もう、「変われない・返れない・戻れない」のではないか、と。


     *


*「なる」=「成る」=「生る」=「為る」


*「かわる」=「変わる(=変る)」=「代わる(=代る)」=「替わる(=替る)」=「換わる(=換る)」


 以上の二グループの言葉たちを眺めていて感じることは、


*「なる」の圧倒的な力強さ


です。ヒトの力や、ちょっとした小手先の細工では、どうにも「ならない」、後戻りや軌道修正は無理といった、


*「自然=宇宙」の「力=摂理」


を感じます。それなのに、


*ヒトは「こじつけ」の達人であり、「こじつける」ことによって、この惑星を「支配している」つもりになっている。


と言っても過言ではない状況にあると思います。


 その「こじつける・こじつけ」=「Aの代わりにAでないものを用いる」という仕組みに、「ヒトは森羅万象になりきる」という「視点=考え方=意見=思いこみ=こじつけ=「こんなふうにも考えられます」」を付け加えるのが、この「なる」というタイトルがつけられた一連の記事の目的でした。


*「森羅万象になりきる」という発想=考えは、森羅万象を支配できるという、貪欲で身の程知らずな「幻想=まぼろし」


にほかなりません。森羅万象を「こじつける・こじつけ」という仕組みの枠の中に強引に取りこんでしまおうとする無謀で理不尽な発想である、とも言えるかと思います。おそろしいのは、「こじつけ」の一種である「なりきる」が、「信じる」 ⇒「思い込む」 ⇒ 「なりきる」という脳内での無意識のプロセスで処理されているのではないかということです。


 もちろん、これも、個人的な視点=考え方=意見=思いこみ=こじつけ=「こんなふうにも考えられます」です。この段階まで考えを進めると、「なる(9)」で深入りするのをやめた、自己催眠、錯覚、酩酊、夢想、妄想、忘却といった言葉が重要になります。ひょっとして、


*ヒトは「大い「なる」勘違い」をしている


のではないでしょうか?


 もしも、ヒトを取りまく環境や事態が、ヒトの手に負えないほど悪化しているのなら、どうすればいいのでしょう? 思い浮かべていただきたいのは、さきほど挙げた例でいうと、大不況ではなく地球温暖化です。もはや、人知の及ぶところではない。ヒトの力を超えている。そう危惧しています。


 自分が変われば世界が変わる、などといった自己啓発書的次元の話ではないのです。言い換えると、ヒトの、森羅万象を「こじつける」という仕組みの枠では、とうてい処理できない段階にまで来ているのではないか、ということです。どうすれば、いいのでしょうか?


     *


 ヒトが一種の自己催眠、錯覚、酩酊、夢想、妄想、忘却に陥っているのなら、目を覚まさせる努力をすれば何とかなるかもしれない、と思えないこともありません。でも、その程度の軽症なのでしょうか? 個人的には、もっと重症=重篤だと考えています。どうにも「ならない」と諦めるしかないのでしょうか? 以下に、素人なりに考えた結果として提案したいことを書きます。


「こじつけ」は広義の言葉の大前提ですから、これをやめるとヒトでなくなってしまうので、パスです。


 では、


*「なりきる」をやめて「なりそこねる」


を実践してみてはどうでしょうか? 今、首を傾げている方、あるいは、お笑いになっている方、ごもっともです。きわめて説明不足です。少し言葉を補わせてください。


*「なりきる」とは、「かわる・かえる or 化ける or 演じる=装う」という言い方の「代わり」に、「なる」という別の言い方を意識的に「当てる」=「こじつける」と同時に、「なる ⇒ なった」という状態にほぼ無意識のうちに陥ることである。


と、「なる(9)」で書きました。また、


*大切なのは、「なりきる」が「思い込む」から強くバックアップ=サポートされていることです。


とも、書きました。何を言いたいのかと申しますと、


*「森羅万象になりきる」の前提である「Aの代わりにAでないものを用いる」という「こじつけ」=仕組みは、自然ないとなみ=思考法=考え方である、という「思い込み」を疑おうではないか。


ということなのです。


*「Aの代わりにAでないものを用いる」という考え方は、実はきわめて不自然なことなのである。


ということに意識的になろうではないか、と言ってもいいです。とはいうものの、これを実践するとなると、広義の言葉(=話し言葉、書き言葉、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、ホームサイン(=家庭だけで通じる断片的な手話)、指点字、さまざまな標識や記号など)を使用するさいに、その有効性をいちいち疑ってかかる必要が出てきます。


「森羅万象になりきる」という、ヒトにとってきわめて「自然な」行為をしにくくなります。すると当然のことながら、やはり広義の言葉である「お金=貨幣」「価値=値打ち」「モノ(※製品・原材料)、サービス(※活動・機能)、ヒト(※人的資源)」を使用しての経済活動もしにくくなります。


 実は、狙いはそこにあるのです。


*ヒトの経済活動、特に現在グローバルな展開をみせている市場経済、あるいは資本主義というものの根底に疑いの目を向ける。


 これが第一歩ではないでしょうか? いや、それしか地球温暖化を回避する道はないのではないでしょうか? 大不況の克服が目的ではありません。地球温暖化の回避が目的なのです。


     *


 経済が特に苦手なド素人のドアホのたわごとととられるのを覚悟で、以上のことを書きました。この大切な問題については、もっともっと考えてみたいです。自他ともに認める偏屈者であるとはいえ、これでもヒトのはしくれです。ヒトはもちろん、この惑星が大好きです。温暖化なんかで、地球を台無しにしたくはありません。


 最後に、これまた大好きな「こじつけ」=「だじゃれ」=「オヤジギャク」をぶちかまさせてください。


 いろいろなものが「張る」という「春」という「晴れ晴れとした」喜ばしい季節に、花粉により粘膜が「腫る」という病に悩まされながらも「張りきって」、


*「なりきり・なりきる」というヒト特有の「思い込み」に殴りこみをかけましょう


そして、


*この地球から鬼=魔物を「取り払おう」


と考え、「お祓い」をみなさんに呼びかけている次第です。かなり季節外れですが、


*福は内、鬼は外!


 本日をもちまして、シリーズ「なる」はおしまいです。駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77


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