こんなことを書きました(その14)&(その15)
星野廉
2020/09/21 12:06
■こんなことを書きました(その14)
【注:10の「げん」について各10本の記事を書くという無謀な計画を立てたため、心身ともに余裕がなくなり、「こんなことを書きました(その14)」は、収録されている記事が掲載された時より、間を置いて書きました。以下の解説は、これまでの記事の「前書き」として付けておいたものなのですが、長い記事を読まないで、このダイジェストだけに目を通していただくと、ずいぶん印象が変わると思います。人によって好き嫌いが分かれやすい文章なので、この解説だけをお読みになって、「そうか、このアホは、こんなことを言いたかったのか」なんて思っていただければ嬉しいです。】
「こんなことを書きました(その13)」(2009-07-07~2009-07-17+2009-08-01~2009-08-08)の続きです。今回は、現在開設中の当ブログ「うつせみのあなたに・・・」で2009-08-11から2009-08-22にかけて書いた記事のダイジェスト版です。短い解説と、キーワードやキーフレーズが書いてあります。
10の「げん」について各10本の記事を書くつもりなのですが、「げん」はそれぞれが深くからみ合っているために、重複した話になりがちです。10の「げん」について10本の記事を書くとなると計100本ですので、長丁場になりそうです。1本を短めにするために、断章を積みかさねる形式をとっていますが、ついつい長くなってしまいます。無理をして抑うつ状態と体調が悪化しないように、気をつけたいと思います。
*「たわむれる」2009-08-11 : 「げん」シリーズのウォーミングアップのつもりで書きました。記事を書くうえで日本語の多義性・多層性を生かしたいという願いがあるため、その確認の意味でちょっと解説じみたことを書き、言葉たちにテーマを演じてもらったつもりです。最後に幾通りかに読める言葉のつらなりを書いてみましたが、独りよがりとしか言えないものになっています。でも、せっかく書いた、自分にとってはかわいい言葉たちなので、そのまま残しておきました。直接書いたり書かなかったキーワードは、「多義性」「多層性」「大和言葉」「漢語」「ひらがな」「漢字」「感字」「転じる」「言い間違い」「誤用」「勘違い」「連想」「でまかせ」「偶然性」「たくらむ」「しくむ」「マラルメ」「坂部恵」「仮面の解釈学」です。
*「なつかれる」2009-08-12 : うっかりして、この日に病院の診察予約が入っていたのを忘れていたために、あわてて川柳もどきの句を詠んでみました。いくつかの解釈ができるように「たくみ」「しくんだ」つもりですが、これもまた、独りよがりの句で終わっています。これまででいちばん短い記事になってしまいました。
*「げん・幻 -1-」2009-08-13 : 以前の乱暴な文体を反省し、読者の方々に読みやすいようにと心がけて書いたつもりですが、どうでしょうか。自分をせっぱ詰まった気分に追い込んだところで一気に、ばあーっと書く従来の方法を改めて、断章を重ねる形式を採用しています。テーマは、「正しい」対「正しくない」という対立から離れて、自分の思いとイメージを頼りに、「まぼろし」という言葉と遊び、戯れることの実践とその可能性です。キーワードは、「幻影」「かげ」「幻影城」「幻灯」「光」「ま・ma・間・魔・真」「ほろぼす」「広辞苑」です。
*「げん・幻 -2-」2009-08-14 : 個人的に好きな「言葉」、つまり、「音」であり、「字」でもある「ま・ma」とのたわむれがテーマです。「こじつけ」や「比喩」や「たとえ」と呼ばれている、言葉の仕組みについて、思うところを書いています。「げん」シリーズは、これまでつづってきた記事の「書き直し」、または「集成」にしようというつもりで書いています。いつ誰が飛び入りで読んでも、入っていけるような記事を心がけていますが、つい読者への配慮を忘れた独りよがりな言葉遣いをしてしまいます。自戒したいと思っています。キーワードは、「つなげる・つながる」「ひとり歩き」「妄想」「ちかく・知覚・近く」「圧倒的な偶然性」「宙ぶらりん」「でまかせ」「まかせる・まく・まける」「イメージ」「掛詞」「かける・かく」「転じる」「約」「訛る」「間違い」「言葉の乱れ」「当て字」「テリトリー」「縄張り」です。直接書かなかったキーワードは、「自動書記・自動筆記」「シュールレアリズム」「夏目漱石」です。
*「げん・幻 -3-」2009-08-15 : このあたりで、シリーズの文体が定まってきた感じがします。「ま」のうち「間」という漢字が喚起するイメージを言葉に演じてもらうことがテーマです。日本語における大和言葉系と漢語系という2つの大きな流れについて、読者に体感してもらおうと努めています。「関係性」という、自分にとって大きな問題についても、少し触れています。キーワードは、「「間の取り方」という言い回しで使われる「間」」「音読み」「訓読み」「間・あいだ・あい・あわい・かん・けん・げん」「表意文字」「表音文字」「字面」「活字」「書体」「フォント」「写植」「タイポグラフィー」「幻界」「限界」です。直接書かなかったキーワードは、「杉浦康平」「佐藤敬之輔」「石井茂吉」「森澤信夫」です。
*「げん・幻 -4-」2009-08-16 : 「まぼろし」を「真を滅ぼす」と読むことで、話を展開しています。ヒトが「真」だと信じがちな「現実」という「物語」・「神話」に矛先を向け、批判的な意見を述べています。そうした物語が、知覚という仕組みを基本にしているヒトという種にとって、免れないことは致し方ないとしても、少なくとも、その仕組みに敏感であるべきではないかと主張しています。「いかがわしい」「うさんくさい」という語弊のある言葉を、戦略上、あえて使っています。キーワードとキーフレーズは、「真実」「現実」「実体」「事実」「論証」「実証」「知覚」「知覚器官」「現・うつつ」「夢はすべてを肯定してくれます」です。直接書かなかったキーワードは、「フロイト」「ジャック・ラカン」「エルンスト・カッシーラー」です。
*「げん・幻 -5-」2009-08-17 : 「ま・ma」という言葉の物質性を体感することがテーマです。実際に、「ま」を声に出すようと、読者を誘っています。まるで宗教の勧誘みたいです。言葉の物質性に触れることが、いかに容易であるか、同時に、いかに難しいかという二面性についても論じています。ヒトにおいて知と感が同時的に生じる状況に二面性がある、という意味です。一方に傾けば、もう一方が消える。それでいて、両者が同居する状況も可能だとも説明できます。これは、言葉を実際に発して体感してもらうのがいちばんだと思います。いささかオカルトめいたイメージを伴う体験ですが、個人的にはオカルトは苦手だと思っています。その点について、ちょっと自意識過剰になっています。今読み返すと、そんなに気にしなくてもいいのに、と思います。キーワードは、「言語学」「音声学」「意味素」「形態素」「音素」「あはっ」「わかる」「ひらめく」「きづく」「double」「すり替わる」「英和辞典」「語源」「母親」「乳母」「ご飯」「乳」「乳房」「ma」「m」「a」「阿」「無」「无」「aum」「om」「あくび」「赤ちゃんの泣き声」「あーむ」「むあー」「近親憎悪」「宗教」「カルト」「スポリチュアリティ」「オカルト」「組織」「個人崇拝」です。
*「げん・幻 -6-」2009-08-18 : 「似ている」がテーマです。「比喩」と「擬人化」という言葉・イメージを手掛かりにして、かなり詳細に考察しています。身の程をわきまえない、自分を含めたヒトという種への批判にもなっています。以前から気になって仕方がない、「夢」と「夢の主語」というテーマについて触れていますが、中途半端に終わっています。いつか時間をかけて考えてみたいテーマです。キーワードとキーフレーズは、「つなげる」「こじつける」「représentation」「人面○○」「顔」「表情」「人形」「ヒトにとって、森羅万象は「ヒトのようなもの」なのかもしれません」「夢」「非人称的で匿名的でニュートラルな」「幻界は言界であり現界でもあり限界だと言えそうです」です。直接書かなかったキーワードは、「宮川淳」です。
*「げん・幻 -7-」2009-08-19 : 「似ている」と似ている「そっくり」という言葉・イメージがテーマです。「似ている」が「別のものに似ている」状態であるのに対し、「そっくり」を「そのもの自体に似ている」状態として、話を展開しています。以前は、「記号」や「まぼろし」という言葉を用いてイメージしていたテーマなのですが、現在は違ったとらえ方をしています。「血の濃さ」や「血縁関係」という比喩で、「似ている」を説明している一方で、「有効性」や「声の大きさによる説得力」という言葉を使って、「似ている」のいかがわしさを指摘しています。現在の学問を成立させている前提のうさんくささにも矛先を向けています。批判の根拠としているのは「比喩」という、ヒトが免れない仕組みと、その仕組みへのヒトの無自覚です。かなり長い記事になってしまいました。キーワードとキーフレーズは、「似ている」「そっくり」「同じ」「同一」「対象生産」「大量栽培」「大量消費」「大量流通」「大量販売」「関係性」「共通性」「科学」「ノーベル賞」「物理学」「量子」「実証」「観測」「五感」「説」「理論」「有効性」「信頼性」「オリジナルとコピー」「本物と偽物」「出来事と出来事の再現」「神話」「思い込み」です。直接書かなかったキーワードは、「ピエール・クロソウスキー」「モーリス・ブランショ」「ロラン・バルト」「宮川淳」「記号論」「記号学」です。
*「げん・幻 -8-」2009-08-20 : 前日の記事で「そっくり」状態について、言い足りなかったことを補足しています。「そっくり」を「状態」「状況」「見る側のヒトの知覚・意識・イメージ」「見方」など、どんどん言い換えていく戦略をとり、意味の固定化、概念化を回避しようとしています。その「きりのない言い換え」の運動、あるいは移り行く言葉たちの演技に、「そっくり」が立ちあらわれる「さま」を見てほしいという考え方で書いています。ときには、「現代社会」「市場経済」「グローバル化」といった、抽象度の高い、いかめしい言葉を用いて説明をしていますが、あくまでも、重点は「言い換え」という「運動のありよう」に置かれています。なにしろ、「そっくり」とは「そのものにそっくり」なのです。二枚の鏡を合わせたときの、きりのない映像を目にしたさいのめまいに似ています。この日は、つい熱が入って、ブログ記事の文字制限いっぱいの長さになってしまいました。いろいろな言葉やフレーズが出てきますが、この記事ではキーワードは、ありません。言葉たちの演じる動きが主役です。
*「げん・幻 -9-」2009-08-21 : 表象としての広義の言語がテーマです。このシリーズで何度も繰り返されている、「ヒトにおいては、知覚器官と脳のあいだの各所で、情報あるいは信号が伝達および処理されていて、それがヒトにおける知覚および意識である」と、「ヒトは、「何か」の代わりに、「その「何か」ではないもの」を用いている」という2つフレーズが、不毛とも言える議論しか生まないと思われがちなのではないか。そんな思いから、その「不毛感」もしょせん「まぼろし」にすぎないという視点を示すことで、「不毛感」を乗りこえる処し方もあるのはないかと訴えています。そのために、さまざまな言葉を必死に使って、「不毛感」をやわらげようと努力しているさまが滑稽です。あきれるほど、いろいろな言葉を持ち出してきて説明を試みています。再読してみると、そうした訴えを弁解、あるいは言い訳と解釈するヒトもいると思われます。そこまで気を使わなくてもいいのに、と思えるほど、気を回している印象を受けます。キーワードは、「交換」「代行」「流通」「消費」「利用」「発する」「受け取る」「伝える・伝わる」「あらわす」「読む」「代理」「錯覚」「現実」「幻想」「賭け」「確率」「有意性」「知覚」「種(しゅ)」「再現」「複製」「実用性」「有効性」「観測者」「知恵」「救い」「諦め」「居直り」「希望」「風刺」「ユーモア」「笑い」です。
*「げん・幻 -10-」2009-08-22 : 「げん・幻」の最終回です。前回の気遣いをまだ引きずっています。ヒトにとって一生付き合うしかない対象である「まぼろし」との付き合い方を提案しているとも言えます。言葉とイメージを相手にたわむれることで、まぼろしのおもしろさを読者に体感してもらおうとしていますが、共感を得られるかどうかは不明です。この記事を読み返してみて、自分はまぼろしが好きなのだと実感しました。まぼろしと詩は相性がいいです。最後の言葉の遊びめいた部分は、つたない「詩もどき」として読んでください。キーワードは、「幻影」「映像」「想像力」「創造力」「かげ・影・陰・翳」「面影」「像」「象」「形」「うつる」「写像」「かける」「たちあらわれる」「かたる」「よむ」です。
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■こんなことを書きました(その15)
10の「げん」について、各10本の記事を書く――。その無謀な予定が挫折に至った記録です。「幻→言→現」で、立ち往生してしまいました。お恥ずかしい限りですが、そのまま再録いたします。
※ブログタイトル:「うつせみのあなたに・・・」(2009-08-23~2009-09-01)+ブログ不投稿記事5編
*「げん・言 -1-」2009-08-23 : 「げん」を「幻」から「言=言葉」とずらして論じる第1回目です。まず、言葉を言語学的視点から事務的に5つに分け、次に言葉を比喩として置き換え、さらには言葉と関係のありそうな言葉を羅列する作業を通し、「言」を「分ける」ことが「ぐちゃぐちゃ」「ごちゃごちゃ」になる様を言葉に演じさせ、その身ぶりを全面的に「肯定する」というスタンスを戦略にするという「宣言」をしています。このシリーズを学問や探究や研究から遠ざけ、あくまでも「遊戯」に徹しようという意思表示とも言えます。キーワードとキーフレーズは、「言葉は何とでも言える」「分ける」「言語」「比喩」「隠喩」「直喩」「類語」「レトリック」「イメージ」です。直接書かなかったキーワードは、「ジャック・デリダ」「ソシュール」「マラルメ」です。
*「げん・言 -2-」2009-08-24 : ヒトが言葉に接する場合に、言葉を単に道具のように使うという日常レベルでの付き合いだけでなく、「言葉そのものにこだわる」、つまり「言葉にのめり込む」という態度があることを指摘し、後者の危険性を訴えています。つまり、言葉にこだわりすぎると「不幸になる」=「ある種の狂気に陥る」というわけです。半ば冗談、半ば本気で、「不幸にならない」ための方法を、いくつか提案しています。言葉について語るさいに避けられない「代理」という仕組みにも言及し、最後は言語の多様性への言及で締めくくっています。キーワードは、「狂気」「まける・まかせる」「かける」「翻訳」「伝道」「教義」「解釈」「知」「わける」「あう」「はなす」「かく」「情報」「信号」「伝達」「代理」「貨幣」「異形」「絶対的他者」です。直接書かなかったキーワードは、「ヒュー・ケナー」「ジョージ・スタイナー」です。
*「げん・言 -3-」2009-08-26 : 「げん」という音(おん)および文字の多義性と多層性を再確認しています。その小道具として、「言界」「現界」「幻界」「原界」「限界」「Gen界」「減界」といった文字を交えたおまじないのようなフレーズを唱えています。「言葉は何とでも言える」と繰り返し、駄洒落を頻出させ、言葉が多種多様なつながりを身ぶりとして演じている様を現出させようと努めています。言葉のごちゃごちゃぶりと豊饒さを言葉に演じさせるために、言葉を固定させまいと必死になって文章をつづっています。「論じる=まとめる」と「戯れる=拡散する」の両立を目指しているとも言える、絶望的な戦略で書いていますが、当然のことながら、読者がどう取るかは不明だとあきらめている節も感じられます。前回の「言葉そのものにこだわり」、「のめり込んでいる」状況を、自らが実践しているとも言えます。このシリーズでは、最も重要な記事だと思います。キーワードは、「うさんくさい」「わける」「部分・全体」「写像・対応」「無限大・無限小」「まつりごと・政」「政治・宗教・権力」「わかれる・ちる・あう・つながる・かわる・かえる」「part-」「uni-」「光の二面性」「知覚」「脳」「情報」「伝達」「物語・フィクション・定型」「competence」「performance」です。直接書かなかったキーワードは、「ヒュー・ケナー」『The Stoic Comedians: Flaubert, Joyce, and Becket(邦題:『ストイックなコメディアンたち――フローベール、ジョイス、ベケット』)』「ジェームズ・ジョイス」「サミュエル・ベケット」「ギュスターヴ・フローベール」「ジャック・デリダ」「ジャック・ラカン」「ソシュール」「マラルメ」「チョムスキー」「レフ・ヴィゴツキー」「ジャン・ピアジェ」「赤塚不二夫」「吉田戦車」「松鶴家千とせ」「丸山圭三郎」「坂部恵」「高山宏」「高橋康成」です。
*「げん・言 -4-」2009-08-27 : ヒトが言語というものを手にしてしまった「喜劇性」と「悲劇性」がテーマです。その両義的な状態を前提にどうすればよいか。その問いの答えとして、「言葉の物質性」を肯定するというスタンスを提案しています。その帰結として、言葉のフェティシズムという生き方が出てきます。それが、誰もが日常的に経験する行為であることに、読者の注意を喚起しています。キーワードは、「代理」「不毛」「抽象的」「抽象化」「知覚」「読経」「音楽の歌詞」「外国語」「読み聞かせ」「聞こえる・聞く」「具体的」「即物的」「直接的」「書道」「写経」「活字」「文字」「フェティシスト」です。直接書かなかったキーワードは、「音声学」「タイポグラフィー」です。
*「げん・言 -5-」2009-08-28 : 「わける・わかる・わかれる・わけ」に漢字を当てる作業を通し、「わける・わかる・わかれる・わけ」を具体的な体験として読者に示そうと努めています。次に、「わける・わかる」を抽象的な話=物語に還元して「説明する」という作業をしていますが、同時にそれが「割り切れない」話にしかなり得ないことを言葉の身振りとして示そうとしています。その過程で、言葉を「道具」という比喩に見立て、その「道具」が「ヒトに使われるもの」という暗黙の了解を無化し、「非人称的で匿名的でニュートラル」なものとしてヒトの支配を超えた存在であり、むしろヒトが「道具」に依存している状況にあることを指摘しています。言語に支えられた、ヒトの「知・知性」についての懐疑の念も示しています。キーワードは、「つくる」「備わっている」「主導権」「学問」「まばら」「必然性」「整合性」「機械」「システム」「偶然性」「ごちゃごちゃぐちゃぐちゃ」「すっきり」「狂気」「正気」です。直接書かなかったキーワードは、「ヴィトゲンシュタイン」です。
*「げん・言 -6-」2009-08-29 : ヒトの言語能力と言語運用を可能にしているものとしての、先天的な「回路」「システム」「経路」があるらしいという説に加担しながら、議論を進めています。その考え方と「フィクション」「筋」をからませ、あくまでも自分自身の経験をもとにしながら、その説の有効性を探る方法をとっています。根底にあるのは、ヒトは「紋切り型」に沿って思考し生きているのではないかという疑問です。キーワードは、「決まり文句」「自由意志」「仕掛け」「仕組み」「出来レース」『紋切型事典』「パッチワーク」「オリジナリティ」「引用」「真似る・学ぶ」「物語(or 説話)の構造分析」「ロシア・フォルマリズム」「ブリコラージュ」「理論物理学」「インド哲学」です。直接書かなかったキーワードは、「チョムスキー」「ギュスターヴ・フローベール」「構造主義」です。
*「げん・言 -7-」2009-08-31 : ヒトが他者や共同体から「統制されることを恐れる」という心理と、「進んで統制を望む」心理がテーマです。この相反する2つの心理と、アンビバレントな心理の3つのからみ合いをさまざまな例を挙げて考察しています。後半で、「異化」という言葉を自分なりに定義し、「統制」への反発力を備えた「武器=戦略」にできないかと手探りしています。キーワードは、「アメリカ文学」「明治維新・文明開化」「翻訳・翻訳語」「写生文」「学校教育の制度化」「共通語」「つづり方」「文章の書き方」「描写」「比喩」「インターネット」「ケータイ」「難聴(者)」「表情」「文法」「国語の乱れ」です。直接書かなかったキーワードは、『言語の都市――現代アメリカ小説』「トニー・タナー」「村上龍」「村上春樹」「大江健三郎」「多和田葉子」『動機の文法』「ケネス・バーク」です。
*「げん・言 -8-」2009-09-01 : 言語に支えられた「知」というものの有効性への懐疑がテーマです。実用書、ハウツー本、マニュアル、入門書、専門書はもとより、自己啓発書、発想法や問題解決の指南書といった書物をやんわりと非難しています。また、言葉が欠陥品でしかないという認識に立ったうえで、言葉で「知」を伝え流通させるという既存のシステムに対し、無駄な抵抗と承知しつつ、ぼやいています。言界は限界であるという駄洒落をむなしく吐いています。「代理」という仕組みに対して悪態もついていますが、迫力に欠けます。徒労感と疲れがみられます。キーワードは、「代理としての貨幣」「交換性」「置き換える」「価値」「実体経済」「『ないのにある』状態」「『ない』のに『ある』代理」です。直接書かなかったキーワードは、『ブヴァールとペキュシェ』「ギュスターヴ・フローベール」「ヒュー・ケナー」です。
※以下の記事は、ブログには掲載しませんでした。
*「げん・言 -9-」【ブログ不投稿記事】 : 「げん」シリーズを書くために溜め込んだ走り書きメモを、ほぼそのまま断片的に並べながら、ある程度の「つながり」を持たせるために、つなぎの言葉で間を埋めている形式となっています。残暑の中で体調不良に耐えながら、「言霊」という重いテーマを扱おうとした結果です。いろいろ書いていますが、「言霊=言葉=物質 ≠ いわゆる魂・いわゆる心・いわゆる神々 or いわゆる神・いわゆる霊」という、「いわゆる唯物論」が核となっています。要約不可能な文章です。キーワードは、「神社」「神仏」「霊」「妖精」「文字」「声」「こと・事・言・げん」「たま・たましい・魂・こん・霊・れい」「つたわる」「使う」「代理」「働きかけ」「嘲笑う」です。直接書かなかったキーワードは、「ステファヌ・マラルメ」「賭け」です。直接書かなかったキーワードは、「原点への回帰」「復古主義・復古運動」「朝鮮語・韓国語・古代朝鮮語」「古代日本語・現代日本語」「漢語・漢文・漢字・中国語」「帰化人」「万葉集」「語源」です。
*「げん・言 -10-」【ブログ不投稿記事】 : これも走り書きメモを材料にしたブリコラージュ=パッチワークです。「仮に・仮(=かり)」「たとえ・たとえる」をキーワードに、苦手な数学と物理学をイメージとして言葉で紡いでいます。断片の集成ですが、再読してみると、けっこうおもしろいです。他人事のような言い方ですが、日ごろ思っていることを素直に書いているという印象を受けます。愛着のある断片集です。静かな語り口で書かれていて、こういうのもいいな、と思います。
*「げん・現 -1-」【ブログ不投稿記事】 : 10の「げん」について10本ずつ(計100本)の記事を書くという、今考えると無謀とも言える「げん」シリーズを構想して挫折した残骸である「メモたちを継ぎ接ぎしたパッチワーク」という点では、「げん・言 -9-」と「げん・言 -10-」の不投稿記事と同じです。「幻→言→現」と来たわけですが、「げん・現・現実」という「音読み=からことば」から、「うつつ・現」と「訓読み=やまとことば」に「うつる」ことにより、「正しい」「正しくない」という2項対立という「嘘=虚=空」を超えた「嘘=虚=空」へとイメージが「うつろっていく」さまが、断章をつなぐテーマとなっています。つまり、「うつろい」がテーマと言えないこともないという意味です。「ヒトは、現実を取り損ねている」というフレーズが何度も出てきます。その言葉をめぐって書きたかったのだなあ――。今となっては、他人事のように思うばかりです。「うつろい」の「うつ」に、「抑うつ」の「うつ」が重なっているのは言うまでもありません。残骸には残骸のおもしろさがある――。自己弁護と言われれば、返す言葉はありませんが、そんな印象を持ちました。キーワードは、「ゆめうつつ・夢現」です。
*「げん・現 -2-」【ブログ不投稿記事】 : これまで続いてきた不投稿記事とは対照的に、元気がいいです。勢いが感じられます。テーマは、そもそも伝道の手段として発達をみた「翻訳」という行為です。教義を記した書物における「げん・現・現実」とは、「げん・言」に近づこうというヒトの意思と、「げん・幻」の方向へ引き込もうとする言語のメカニズムの間での葛藤である。その葛藤をつづろうとしていたのではないか。再読して、そう思いました。キーワードは、「聖書・バイブル」「伝道・ミッション」「植民・植民地・植民地政策・植民地主義」「うつす・移す・写す」「写本」「印刷」「ファンダメンタリズム」「法・掟」「支配・体制・絶対」「地政学」「文明の衝突」「TIME誌」です。直接書かなかったキーワードは、「クルアーン(コーラン)」「イスラーム」「神道」「国家神道」です。
*「げん・現 -3-」【ブログ不投稿記事】 : 「げん」シリーズを断念する宣言となった断章です。白旗を掲げています。10の「げん」を「=」でつないだ、シリーズの見取り図がむなしく見えます。やろうとしていたことが、思い出されますが、本当に「アホな=無謀な」ことを企てたものです。でも、結局は、その夢の残骸を「解体した=ほどいた」ものの、のちにさらにまた言葉をつむいでいったわけです。因果を感じます。
以上です。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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