テリトリー(1)
星野廉
2020/09/20 08:15 フォローする
村上春樹の新刊が、すごい売れ行きを見せています【※この記事は2009-06-07に書かれたものです。文章の勢いを生かすために加筆は最小限にとどめています。】。個人的にはあまり相性のいい作家ではありませんが、どんな本なのか、興味津々です。同じ村上の、村上龍の小説は、かつてはよく読みました。『コインロッカー・ベイビーズ』なんて、愛読書の1冊だと言ってもいいほどです。
村上龍と村上春樹とは、同じ文芸誌の新人文学賞出身です。龍のほうが、数年先にデビューしました。ある年少の知り合いが、2人が兄弟だと思い込んでいたのを知ったのには唖然としました。で、思い出したエピソードがあります。
かつて、ある雑誌で、文壇の話題を扱ったコラムか、座談会形式の記事の連載がありました。村上龍が文芸誌の新人賞と芥川賞とをデビュー作でダブル受賞して、何年か経ったころの話です。受賞作の『限りなく透明に近いブルー』の売れ行きは、事件と言っていいほど驚異的なものでした。村上龍はペンネームで、本名は村上龍之介。芥川龍之介にちなんで名づけられたと聞いた覚えがあります。
で、その雑誌で、村上春樹のデビュー作について、ある作家が触れたさいに、作品の批評・評価をそっちのけにして、
*とにかく、あの名前をどうにかしたほうがいい
といった意味のことを発言していたのです。
正確には覚えていないのですが、確か、その作家は、村上春樹という氏名をペンネームだと勘違いしていて(※ネット検索するとペンネームだとする説もありますが、ここでは本名として話を進めさせてもらいます、どっちでもいいんですけど……)、当時は「押しも押されもせぬ大型新人作家」だった村上龍の「村上」と、当時有名人および俳人でもあった(&でもある)、ある出版社の社長の名前「春樹」をミックスしたと思い込んでいたみたいなのです。そこで、「おふざけは止めたら?」の乗りで、上の発言が出てきたのではないかと思っています。
今、思うと、笑い話ですね。その発言をなさった芥川賞受賞作家の氏名を挙げるのは、ご本人の名誉のためと、こちらの勘違い=思い込みの可能性があるため、控えさせていただきます。苗字が両村上氏と同様、イニシャルがMであるとだけ、書いておきます。なお、その雑誌は廃刊 or 休刊になったはずです。
Mさん、村上春樹が
*世界の Haruki Murakami = Murakami Haruki
となった今、人生の汚点とは言わないまでも、決して名誉ではない過去のエピソードをほじくり出して、ごめんなさい。
*
きょう、テーマにしたいのは、たった今話題にした
*名前
です。
*ペンネームやハンドルネームや偽名やあだ名も含んでの名前
です。むしろ、そうした本名以外の名前について書いてみたいのです。
ちなみに、このブログのプロフィールにある、パリス・テキサスはいわゆるハンドルネームです。ご存知の方も多いかと存じますが、
*ヴィム・ヴェンダース(※ Wim Wenders)
が監督した、
*Paris, Texas (文字通りには、米国の「テキサス州、パリス市」という意味ですね)
から取りました。大好きな映画です。邦題は
*「パリ、テキサス」
ですね。
あれって、誤解を招きやすいタイトルです。自分も最初、邦題を雑誌か何かで目にしたとき、そのタイトルにつられて、勝手にストーリーとイメージを膨らませてしまいましたもの。フランスのパリと、米国のテキサスに別れて住む、わけありの2人の物語か? うむうむ、なんて。
でも、邦題のイメージの喚起性=妄想を喚起するパワーには、感心し、密かに気に入ってもいるのです。「正しい」「正しくない」、「ほんもの」「にせもの」という2項対立が嫌いな自分は、「悪役」のほうの=疎外されているほうの、いわゆる「正しくない」「にせもの」に加担したくなるという、習性があるみたいです。
*
で、
*ペンネームやハンドルネームや偽名やあだ名も含んでの名前
ですが、分類の仕方次第では、
*固有名詞
とも言えます。
*名は体を表す =( 名=実体 )
とか、そのほぼ逆バージョンの
*名は実(じつ)の賓(ひん) = ( 名(誉)<実際の徳 )
なんて慣用句がありますね。
とかく、名前はもめごと=トラブルのもとにもなります。ご存知のように、シェークスピアの劇『ロミオとジュリエット』は、キャピュレットという名前の家の娘ジュリエットと、モンタギューという名前の家の息子ロメオが、名門でライバル関係にある両家の板ばさみになるという悲劇です。例の有名なバルコニーのシーンで、
*What's in a name?
ではじまる名セリフをジュリエットが口にします。「名前が何だっていうのよ。バラって呼んでいるものを、別の言葉で呼んだって、いい香りがするのは同じじゃん」と嘆くのです。
*
そのほか、事務所を移籍したタレントの名前(芸名)を、その事務所の別のタレントが使用して、裁判沙汰になったなんて話もありました。
*ブランド=商標=トレードマーク、商品名、作品名
*著作権、商標権、特許権を含む、知的財産権
という具合に、現在では名前は法律と密接にかかわっています。知らないうちに、自分が名前がらみのトラブル=事件=もめごとに巻き込まれる公算は大だと言えます。いったん、トラブルの当事者となれば、
*What's in a name? (直訳:名前のなかに何があるというの? 意訳:しょせん、名前なんてただの言葉。中身は空っぽじゃないの。)
という具合に、受け流すわけにはいきません。
*name には、きわめて大きなものが含まれているから、要注意だ。
と言わざるを得ません。まさに、「なめ」んなよー、です。で、まず、各種ある名前のなかでも、
*商標
について考えてみたいと思います。横着を決めこんで恐縮ですが、ここで、長めの自己輸血=自己引用=コピペをさせてください。
*
★特に過去10~20年間の科学技術の発展は、「書く」と「文字」の形を飛躍的に広げました。これから先も、その範囲はさらに拡大するでしょう。とはいうものの、基本は、
*しるす・しるし
ではないかと思っています。「しるす・しるし」の語源は、手元の辞書を引いても分かりません。こういう場合、きのうも書いたように、素人は、
*「今、ここにある」ものに注目し、手もちの知識と情報で間に合わせる
という方法も取れるわけです。気取っていえば、クロード・レヴィ=ストロース「印」の「ブリコラージュ」もどき。これって、カーネル・サンダースおじさん手製のフライド・チキンっていうのと、似た響きがありませんか? ブランド(=商「標」=焼「印」=烙「印」)ぽいという意味です。
ちなみに、レヴィ=ストロースという、フランス式の発音を英語風に言えば、リーバイ・ストラウス、つまり、リーバイスという商「標」をもつ会社名=創業者名になります。ユダヤ系です。いずれにせよ、もちろん、ほかの選択肢もありそうですが、身の程をわきまえ、無精者は無精なやり方で楽問します。
「正しい」 vs. 「正しくない」ごっこを職業としているわけではないので、「正しくなくていいんだよ」 or 「正しくなくていいじゃんか」のスタンスでいく、という意味です。
で、思ったのですが、辞書で「しるす・しるし」のあたりを見ていたら、「しる・知る・領る・痴る・汁」なんていうものもあって、そのうちの
*「しる・知る・領る」
に言い知れぬ魅力を感じ、その項を読み耽っているうちに、糟汁(かすじる)を口にしただけで足元がふらつくほどの下戸である自分が、その魅力に酔い痴れてしまったのです。あとは推して知るべし。神のみぞ知る。知らぬが仏。Don't be silly.= silly + ass =serious(「なぜ、ケータイが」2009-01-22 の自己パクリです)というわけで、マジで、
*「これって、もしかして、つながっているのとちゃうか」
と思い込んでしまったのでした。どういうことかと申しますと、辞書によれば、
*かつて、「しる・知る・領る」とは、何かを目にしたときに、「これは全部、わたしのものだ。わたしにまかせとき」と主張する、という意味だった。
ようなのです。
実に欲深くてジコチュー。いかにもヒトらしい。人間らしい。ヒューマン(human)かつヒューメイン(humane)。この発見=見解には、少々、不満(「ふまん」)はあるが、犬のフンを「踏まねー」でも済みそうだ。こりゃあ、ウンがいいワイ。ハウ・ラッキー・アイ・アム!=ワイはなんてウンがいいんや。きっとそうだ。そうに違いない。間違いない。言えてる。言えすぎ。お家(おうち)はやっぱり杉で建てるといい――。
簡単に申しますと、「ワイ=私=わたくし」ならぬ、ワンちゃんやネコちゃんの
*マーキング行動
を思い出したのです。
*おしっこ(=「しる・汁)をかける(=「かける」)
ことで、「ここはわたしのテリトリー」と主張=意思表示する。ネコちゃんの場合には、おしっこ(=「かける」)以外に、あちこち、
*「引っ掻く」=「かく」
こともあります。いずれにせよ、「おしっこ」が出てくるくらいだから、辞書に「知る・領る・痴る」といっしょに並べてあった
*「汁」
も、つなげて、仲間に入れてやっても、罰は当たらないのではないか。そうすると、おやおや、ワラ・コインシデンス= What a coincidence! =「何という偶然であろうか!」となります。駄洒落を通り越して、ばればれのヤラセですね。牽強付会(けんきょうふかい)とも言いますよね。はい。
で、念のために、
*マーク= mark
を英和辞典で調べてみたのです。図星でした。楽しみは独り占めしたくないので、みなさん、中型以上の辞典で、mark を引いて、そのいろいろな意味を斜め読みし、語源の部分にちょっとだけ目を通してみてください。やっぱり、ヒト=人間様も生き物のはしくれだったのです。文字通り、お里が「知れた」わけです。
*テリトリーを持ちたがるし、いったん持ったと決めたなら、ぺぺっと唾をつけて、自分のものだという「しるし」をつけておきたい。
*
★から以上までは、「かく・かける(4)」からの引用です。
もっとも重要な部分は、
*かつて、「しる・知る・領る」とは、何かを目にしたときに、「これは全部、わたしのものだ。わたしにまかせとき」と主張する、という意味だった。
と、
*マーキング行動
つまり、
*おしっこ(=「しる・汁」)を、かける(=「かける」)
と、
*しる(=知る・領る・痴る)を、かける(=掛け算する・一か八かで賭ける・欠ける)
という掛詞(かけことば)=ダジャレ=オヤジギャグです。しかも、それに根拠があるということになると、只事と済ますわけにはまいりません。きょうから始めようとしている「テリトリー」シリーズは、以上の引用部分がきっかけとなったものです。
ヒトは、ワンちゃんやネコちゃんときわめて近しい=親しい行動をとって、物や土地やヒトに名前をつけたり、開発した商品や製品をもとにブランド=商標(※「標す」行為)を立ち上げたり=構築したり=登録したりしているようです。こうしたマーキング行動を束ねる言葉として、
*テリトリー
をシリーズのタイトルにした次第です。
*
で、テリトリーは、日本語の
*縄張り
に相当しますが、何だか品のない響きをお感じになりませんか? まだ、
*領分
のほうが、お上品に聞こえません? とはいうものの、よく考えてみると、そもそもテリトリーって、「品のない」ものではないか、もっと率直に言うなら、
*「はしたない」「見苦しい」「厚かましい」「ジコチューである」「迷惑である」……
と、悪態のオンパレードみたいに、次々とネガティブな言葉やフレーズが、あたまに浮かんでくるのです。「テリトリー」などと外来語のオブラートに包むのではなく、「縄張り」でいいのではないか、とも思えてくるのです。
一方で、ワンちゃんやネコちゃんや、その他の生き物たちのマーキング行動やテリトリーつくりには、そうしたネガティブな印象をいだきません。
*身の程をわきまえている
ように感じられるからです。また、
*一定の線を越えないという、おそらく本能的なつつましさ
も感じられます。
正直申しまして「本能的」というと、何やら「はあはあ」と息を荒くしているさまが目に浮かんで、「えげつない」というか、ネガティブなニュアンスを感じなかったわけではありません。でも、反省=自己批判した今では、「本能的」とは、「きわめて自然体である」、または、「自然の摂理に忠実である」のではないか、とさえ思えてくるのです。
おそらく「本能が壊れた」ヒトという種のほうが、むしろ、変だ=ヤバい=あやうい=「危険だ!」なのではないでしょうか。それは、ヒトの過剰とも言えるテリトリーの「拡大」現象、並びに、とちくるったとしか言いようもないヒトのマーキング行動が、現時点で念頭にあるからに他なりません。
ヒトに対して、ものすごく好意的な見方をすれば、かわいそうに、
*ヒトは脳内でズレが起きたために、ズレまくっている
とか、かわいそうに、
*ヒトは本能が壊れたために、壊れまくっている
とか、かわいそうに、
*ヒトは、狂わないために必死に狂っている
とか言えそうですが、いやしくも「 homo sapiens = 知性を備えた人 = 人間様 」と自称するのなら、そのような「心神耗弱者云々」的な弁護はやめましょう。
要するに、この惑星で、
*ヒトは、やりすぎている
のではないでしょうか。そう申し上げたいのです。もちろん、自分を含めての話です。棚に上げたりはしません。脇に置くどころか、ど真ん中に据えて、この問題を論じる覚悟でおります。ですから、お説教をしているなどとお取りにならないことを願っています。みなさん、ごいっしょに、考えてみませんか。
*
21世紀に入り、10年ほどになりました。ヒトという種(しゅ)にとってのさまざまな問題が、とりわけ、去年の後半あたりから「見える化」しはじめてきているのを感じます。
もう、メディアでのお決まりの文句になりつつありますが、地球温暖化、金融危機・信用危機が発端らしきグローバルな大不況、この惑星のリミットを越えた人口増加、いわゆる文明の衝突、個人レベルおよび国家・地域レベルでの貧富の格差、資本主義経済・市場経済への懐疑、ミツバチの世界的規模での激減という不吉とも言える現象……といった問題が、この数年、いや数十年単位で解決できそうだとは、とうてい考えられないのです。
その
*根っこに、ヒトのテリトリー意識、つまり、マーキング行動がある
というのは、言いすぎ=杞憂=取り越し苦労=妄想=戯言=危険思想=ビョーキでしょうか?
英語に、
*doomsayer
という単語があって、縁起でもないことをよく口にする=場をシラケさせる=せっかくのいい雰囲気やお楽しみをぶちこわす=へそ曲がりで偏屈でクラい性格の人を、非難するさいに、よく用いられます。どうやら、そんなレッテル=ラベルを貼られそうなことを書いています。せっかくの日曜日に、不快な気持ちになられた方も、いらっしゃるに違いありません。ごめんなさい。話題を変えます。
*
みなさん、ご自分の「氏名」をお好きですか? 苗字と名前の両方を含めての話です。満足していないとしても、こればっかりは、家庭裁判所の判断を仰ぐ以外に、方法はないみたいですね。今もその傾向が続いているのかもしれませんが、一時期に、すごく読み方の難しい名前(※苗字ではないほうです)をお子さんにつけることが流行っていた記憶があります。
あれは何年くらい前でしょう? ある時期にかなりエスカレートして、今では徐々に収まってきているように感じるのは、自分だけでしょうか。現在の中学生前後にまたがる年齢のコドモたちに多い、という漠然とした印象があります。間違っていたら、ごめんなさい。新学期に教師が苦労するのではないか、などと余計な心配をしてしまいます。
このブログでは、感字、当て字大好き、というスタンスをとっていますので、抵抗はないのですが、「オジサンの老婆心=オジンバ心」が働くのも事実です。お子さんご自身が苦労することもあるんじゃないかなあ、という感じです。その年代のお子さんたち、あるいは、その親御さんたちと接する機会がほとんどないので、実情は知りませんが、やっぱり「オジンバ心」がしゃしゃり出てきます。
*
ここでまた、このブログ恒例の、
*記事のテーマやサブテーマを記事で用いる言葉に演じさせる
という、言葉のお遊び=アホ芸=ア・ゲイ・アート=「愉しき何とかごっこの1つ」を、やってしまいました。
自己解説=自己注解=自己注=「ジコチュー2世」をします。最近は、新シリーズの初回に、「How do you do?」=「はじめまして、このブログでは、こんなアホやっています」という意味で、あることを紹介しております。万が一、ご興味をお持ちになった方は、「つくる(1)」を、お読みください。「このブログは何だかヤバそうだな」とお感じの方は、パスして結構です。その代わり、今、ほかのサイトに、ひゅーっとお飛びにならないでくださいね。
で、何をしたのかと申しますと、今、話題にしているのは、
*名前をつけること、つまり、ネーミング
ですよね。もっとも、お子さんに、ちょっと変わった漢字の読み方をする名前をつける話ですけど。で、たった今、
*「オジサンの老婆心=オジンバ心」
なんて、言葉を書きました。これって、正確に言えば造語なんですが、一種のネーミング=名付けと言えないこともないと存じます。で(※「で」はこのブログの口癖です、初めてこのサイトに訪問された方に、Nice to meet you. )、
*ネーミングをサブテーマにしながら、「オジンバ心」というネーミングされた言葉にサブテーマを演じさせた
のです。ややこしい=込み入っている=アホみたい。でも、これ、本気でやっているのです。正気だと言う自信も勇気も、まったくありません。とはいうものの、本気なのです。これが、
*自分なりの言葉の愛し方=接し方
なのです。
「やっぱ、ここから出るわ」とお思いの方、もう少し我慢してください。で、こういう新語のようなものが出来ちゃった場合には、いちおう、ググります。ちゃんと"オジンバ心" みたいに"○○"でくくります。
*「"オジンバ心"との一致はありません。」
と出ると、やっぱり嬉しいです。ちなみに、"オジンバ" だけだとヒット数が出ます。つまり、「使用中= occupied 」です。
以前に、重度の抑うつ対策の一環として、
*"西松する"
なんて、アホな言葉をつくった時の名残が、まだググれますので、お時間のある方はお試しください。
*
で、実は、話はこれだけではないのです。この記事のメーンテーマは何でしょう? タイトルにある
*テリトリー
ですよね。で、よく考えてみると、"オジンバ心" にしろ、"西松する" にしろ、マーキング行動を「いけしゃあしゃあ」とやっているではありませんかー。つくった言葉に、ぺっぺっなんて唾をつけているんです。散歩中のワンちゃんが、気になる木の根っこにおしっこをするのと同じです。
*ヒトは、やりすぎている
*根っこに、ヒトのテリトリー意識、つまり、マーキング行動がある
と偉そうに書いたばかりのアホが、その「やりすぎ」と「テリトリー意識」と「マーキング行動」を、
*自分なりの言葉の愛し方=接し方
なんて書いた直後に、愛(いと)しき言葉たちに演じさせているのですよ。とんでもないとお思いになりませんか?
でも、みっともないと重々承知しながら、言い訳=弁解させていただきますと、これって、いちおう、
*このブログの戦略=方法=企み=お遊び=おふざけ
なのです。
ややこしいとは存じますが、こういうことを、本気でやっているのです。なんで、そんなアホなことをやるのかと尋ねられれば、「好きなんですよー」とか、「アホだからなんですよー」としか、お答えできないのです。
少しかっこうをつけて弁解しますと、書かれている言葉たちが、「おまえら、自分たちを棚に上げて偉そうなことを言うんじゃない」と言われないように、言葉たちに語っているテーマを演じさせることで、テーマを棚上げしないようにかばってやっているのです。自分の書いた言葉たちが、いとおしいのです。
とはいうものの、ふだんは、こんな、オヤジギャグのみっともない種明かしなどせずに、みなさんの目ざわりにならないように、「お遊び」は、ひっそりとやりますので、どうか、ご安心ください。えっつ? 「ぜんぜん、安心できない。ヤベーよ、このブログ」、ですか? そこのところを、どうか、大目に見てくださいませ。
シリーズの初回ですので、PL法=製造物責任法を遵守し、「当ブログの使用上のご注意」を申し上げた次第でございます。あっつ! もう1つ、お断りしなければならないことがありました。平均して、このブログの記事は長いですので、みなさんの目に負担をかける恐れがあります。レイアウトを工夫して、*のついた行だけを、拾い読みするだけでも、ほぼ(※あくまでも「ほぼ」です)全体の意味は取れるようにしてあるつもりなので、どうか、お試しください。
よろしければ、あす、またこのサイトに遊びに来てくだされば、嬉しいです。テーマは、「テリトリーとしての名前」みたいになる予定です。お待ちしております。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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