げん・現 -1-
星野廉
2020/09/21 11:16
おまじないをしてみます。
げん・現・現実・うつつ・打つを打つ・うつをうつ・うつ(全・空・虚)をうつ・うつうつ
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広辞苑で、大和言葉系の「うつつ・現」を引くと「ウツウツの約か」とのっけに記してあります。「約」というのは「約音(やくおん)」とも言うそうです。発音が変化するという意味で、一種の「訛り」だと勝手に理解しています。
「うつうつ」に会いに行ってみると、「うとうと。うつらうつら」という言葉が見えます。夢のなかで辞書を引いているような、よくわからない気持ちになります。
「うとうと」を訪ねて行くと「うつらうつら。とろとろ」と書いてあり、ますます、うとうとしそうになってきます。「うそうそ」の間違いじゃないのかとさえ、思えてきます。仕方なく、「うつらうつら」に行ってみたところ、「うとうと」がいました。
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眠くなり億劫(おっくう)になってきたので、「うつつ・現」にもどってみました。広辞苑を読んでいて、生きている状態、目が覚めている状態、気が確かな状態、という語義の次に、次のような記述に出合ってしまいました。
(4)(「夢うつつ」と続けていうところから誤り用いて)心がうつらうつらとして正気でないこと。夢心地。
これを読んで、「まぼろしのよ・幻の世」、つまり「夢の世」という言葉を思い出しました。
今度は「ゆめうつつ・夢現」を訪ねて行くと、「夢と現実」に続けて、「夢か現実か区別し難いこと。意識がぼんやりしている状態」とありました。広辞苑での旅はこんな感じでした。
辞書を引いたあとは、しばらく、ぼけーっとしていました。いい気持ちでした。
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眠るのが好きです。夢を見るのが好きです。いい夢、わるい夢、どちらも好きです。夢は何でも肯定してくれます。安心して任せられる世界です。
現実は苦手です。苦しいです。否定に満ちています。ままならない世界です。安心できません。でも、致し方ありません。
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小学生の頃の記憶ですが、世の中で自分と親だけが、孤立した世界に住んでいるような気がしてならない時期がありました。1日が2つに分かれていて、自分と親だけが、一方の時間帯に目覚めていない。ほかのヒトたちはその時間帯に目が覚めていて、生活している。
もしかすると、夜中に眠っているのは、親と自分だけなのではないか。きっとそうだ。そうにちがいない。
だから、自分は世の中がどのようになっているのか、何が起きているのかが分からない。親は働いているから、そんなことは気にしていない。でも、自分は暇だから、分からない世の中の出来事が気になって仕方ない。
そういう感じでした。荒唐無稽と言えは荒唐無稽な話です。でも、そう信じていました。当時の、自分にとっては、世の中が分からないことだらけで、不安でならなかったのです。
今、おとなになったあたまで考えると、疎外感、孤立感、閉塞感という漢字を使ったいかめしい言葉が浮かびます。
自分たちだけが取り残されている。易しい言葉でいうとそんな感覚でした。現在も、こころの奥に、それとよく似た不安感があるような気がします。
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広辞苑に記されている「ウツウツの約か」と「「夢うつつ」と続けていうところから誤り用いて」というフレーズが気になります。ちょっとわくわくもします。
言葉がいかに「うつうつ」「うとうと」したものかが確認できて、嬉しかったという思いもあります。
間違ってもいい。誤りがあるのが世の常。ヒトはたくさんいる。ヒトは移動する。ヒトはなくなる。新しいヒトが出てくる。訛ったり、変わったり、話し方がずれても、おかしくない。ヒトは忘れっぽい。ヒトはしょせんひとり。
げん・幻・言・現、もう1つ加えて限
うとうとうつうつで、つながってしまいそうです。
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ひょっとして、現実を見たり知覚したことのあるヒトは、いないのではないでしょうか。
以前からずっとそう思えてなりません。どういうことなのかと申しますと、2つの意味というか、2重の意味があります。
1つは、ヒトという種は、1人1台のテレビで、1画面しか知覚・認識できないのではないか、という意味です。もちろん、比喩的に言っています。
もう1つは、1画面ですら、情報量が多すぎて、送られてくるすべて信号を受信し処理する、つまり知覚し認識することはできないのではないか、という意味です。これも比喩的な言い方であり、科学的根拠はありません。説や意見というより、感想と言うべきでしょう。
以上の2つの制約があるために、ヒトは刻々と過ぎ去る自分の周りの「現実」についていけない。「現実」を取り逃がすしかない。受け損なうしかない。2重とは、そういう意味をイメージしています。
「2重」には、もう1つの意味があります。ヒトは、空間の広がりと時間の経過という、「現実」の2つの側面を、自らの知覚器官・シナプス・脳で、受信・伝達・処理し損ねている。量と質の両面で取り逃がしている。そうも言えそうな気がします。
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ヒトの知覚は、「現実」に対し、常に遅れているし、その受け取り方は、結果として、まばらであり、まだらでもあるという感じがします。「まばら」とは「間があいている」、「まだら」とは「むらがある」というイメージのようです。
「まばら」と「まだら」に「あわい・間・淡い・泡い」を読みたい気持ちに駆られます。こうしたたわむれは、「夢現・ゆめうつつ」のなかでは、許されもし、肯定されもするだろうという気がします。
この「まばら」および「まだら」状態が、ヒトにおける「うつつ・現」という覚醒した、つまり「(夢に対して)目が覚めている状態」であり、「(死んだ状態に対して)生きている状態」であり、「気が確かな状態」であり、「心がうつらうつらとして正気でないこと。夢心地」だと言えそうです(※以上の鉤括弧内のフレーズはすべて広辞苑から引用しました)。
蛇足とは思いますが、広辞苑からの引用は、権威にすがっているわけではなく、話を進めるうえで参考にしているだけです。
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ヒトにおける「まばら」および「まだら」状態は、ヒトにとって常態であるわけですから、ヒトは自分が「覚醒している」のか「ぼーっとしている」のかを決定はできそうもないように思われます。その時々の心理的および身体的自覚症状によって、いかようにも感じているだろうと推測されます。
数学でよく行われているレトリック、つまりある種のトリックを使うなら、ヒトの平均的な覚醒状態を、仮に50と数値化し、それが60を超える場合には、「かなり覚醒している」と仮定し、40を下回る場合には「かなりぼけーっとしている」と仮定することも試みとしては、おもしろいと思われます。
その数値化が、指数となるか、あるいはパーセントで表されるかというレトリック上の問題は、その操作を行うヒトの好みに左右されると考えられます。確率・統計を用いたうさんくさい処理になるだろうという感じもしますが、素人には詳しい操作はわかりません。
いずれにせよ、ヒトの覚醒状態を、数値化、あるいは定量化できることは確かであろうと思われます。
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ヒトにおける「まばら」および「まだら」状態、言い換えると「覚醒」状態を、「現実」という言葉・イメージとほぼ同列に扱いながら、言葉のうちで書き言葉と呼ばれる手段を用いて、今、記述しつつあります。それ以外の方法が、この文章を書いている素人には備わっていないからです。
そうした制約の下で、とりあえず、次のようにまとめておきたいと思います。
ヒトは、世界・宇宙という時空のなかで、常に置き去りにされつつあり、置いてきぼりをくっているとも言えそうです。
こんなふうに言うと、さみしい気もしますが、ヒトはひとりでそういう状況に投げ込まれているわけではないと言い聞かせれば、なぐさめられる気もします。
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ヒトは、現実を取り損ねている。とらえ損ねている。追いつけずにいる。
そんなふうに想定してみましょう。
ヒトは、必死で現実を記述している。捏造(ねつぞう)している。想起している、あるいはそう思い込んでいる。再現しようと努めている、あるいはできると思い込んでいる。作り直そうとしている、あるいはそうしているつもりでいる。
そう感じられます。
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ヒトは、現実を取り損ねている。とらえ損ねている。追いつけずにいる。
そんなふうに仮定してみましょう。
ヒトは、現実を先取りしようとしている。予測・予想しようとしている。予見しようとしている。予言者と称するヒトが出てくる。預言者として崇め奉られるヒトが出てくる。
そういう気がします。
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ヒトは、現実を取り損ねている。とらえ損ねている。追いつけずにいる。
そんなふうに考えてみましょう。
ヒトは、現実をとらえるために、追いつくために、道具や言葉やさまざまな仕掛けを作ろうとしている。
そう思えます。
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ヒトは、現実を取り損ねている。とらえ損ねている。追いつけずにいる。
そんなふうに思ってみましょう。
ヒトは、穴だらけの現実を埋めるために、ストーリーを作り、辻褄を合わせ、論理をあやつろうと躍起になっている。
そうであっても不思議はないみたいに感じられます。
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ヒトは、現実を取り損ねている。とらえ損ねている。追いつけずにいる。
そんなふうに推測してみましょう。
ヒトは、失敗を補うために、想像力を働かせている。創造力を発揮している。妄想にふけっている。
そうも言えるような気がします。
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ヒトは、現実を取り損ねている。とらえ損ねている。追いつけずにいる。
そう思うと、自分は現ではなく夢のなかにいるような気がしてなりません。
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げん・幻・言・現、もう1つ加えて限
げん・現・現実・うつつ・打つを打つ・うつをうつ・うつ(全・空・虚)をうつ・うつうつ
無限・無間・夢幻・夢現・夢言・夢限
言を用いて間(あわい)幻と現を限の下に記す
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うつりゆく あわいのうちに うつをうつ
うつうつと うつつをぬかし ゆめうつつ
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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