代理としての世界 -1-

星野廉

2020/09/26 08:03


 何かの代わりに何かではないものを用いる。


 この仕組みは、この星に住むあらゆる生き物に備わっているようです。簡単に言えば、生き物は知覚器官を通して、自分の周りを知覚し認識しているということです。


 たとえば、みなさんが今見ているパソコンのモニターは、目と耳という名前の知覚器官がとらえたデータ=情報を、みなさんの脳が処理した結果と言えそうです。で、そのモニターに映し出されている画像は、どこかに住んでいるあるアホがパソコンを利用して作ったと思い込んでいるものです。


 このように、ヒトは自分の周りのありとあらゆることやものやさまを、「何か」の「代理=代わり」のものとして、おそらく脳で「とらえている=受信している」(※「=」という等号に大した意味はありません。似たような言葉を列挙するさいに、つなげる役割をしているだけです)と考えられます。代理だけの世界に生きている。そんなふうにも言えそうです。


 イリオモテヤマネコやチャバネゴキブリやヒラメやウズラやゾウリムシも、たぶん、そんな感じで代理だけの世界に生きているのではないでしょうか。そうお思いになりませんか?


 生物学については素人なので、今述べたことがどれほど「生物学的に正しい」のかは知りません。少なくとも、そう思っている。それだけのことです。なお、「正しい」か「正しくない」かについては、このブログではこだわりません。そのような判断ができる能力を、ヒトが備えているという立場になっていないからです。


 ヒトは「正しい」「正しくない」という言葉を口にしてしまった。そういうものがあると決めてしまった。そんな感じで受けとめています。というわけで、このブログに書かれていることは、うわごと=たわごとです。蛇足ながら、予めお断りしておきます。


 話を戻します。ヒトの場合には、ほかの生き物に比べて、知覚、認識に加えて、意識というものを想定しています。個人的なレベルの言葉遣いなので、説明をしておきます。


(1)知覚 : 知覚器官⇒シノプシス⇒脳。きわめて粗雑な図式でイメージしています。知覚とは、こんな感じの図式で伝わっている「情報=データ=信号」の流れの結果、生き物が「感じていること」です。知覚には取捨選択が不可欠です。そりゃあ、そうですよね。知覚器官が受け取ったすべてのデータを、脳が「感じる」と想像してみましょう。比喩的に言えば、脳は「爆発」してしまうでしょう。処理しきれないということですね。都合のいいことだけ、あるいは、必要なことだけを「知覚する=感じる」仕組みがあるとしか考えられません。


(2)認識 : 脳の中での「情報=データ」が処理されている過程とでも申しましょうか。そんな感じです。過程ですから、動きを伴います。それも「きわめて不安定な動き=よろよろ=おろおろ」かと思われます。知覚器官から流れてきた「情報=データ」が取捨選択されたり、「保存=記憶」されたり、加工されたり、捏造されたりしているとイメージしています。こうした過程では、エラーや誤作動や誤認、つまり、間違いや失敗はつきものではないかという気がします。いま、この与太話を書きながらも、個人的にそうした印象を強く受けます。みなさんは、どうですか? ご自分の脳の中は整然としている感じがしますか?


(3)意識 : 認識を、ヒトが自覚的にとらえている場合を想定しています。思考しているとか、ぼんやりしているとか、ぼけーっとしている、眠っている、意識不明など、グラデーションがあるものとしておきます。そうすれば、いろいろな状態を指すことができる。そんな使い勝手のいい言葉にしておきたいという下心があるからだと、白状しておきます。テキトーですよね。


 ついでに白状しておきますが、「自覚的にとらえている」というのは、嘘なんです。一応そんなふうに、とりあえずイメージしておいてくださいませんか。


 ヒトは、自覚なんてできっこない。「自覚する」という言葉とイメージを「作ってしまった=捏造してしまった=でっちあげてしまった」ので、その気になっているだけだ。つまり、引くに引けない、という状況になってしまったのではないか。そんな出まかせから「嘘」だと書いたまでなのです。この「自覚する」という言葉は気になるので、これからぼちぼち考えていく予定です。



※この記事は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77



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