こんなことを書きました(その20)
星野廉
2020/09/25 13:24
*「夢の素(1)」2010-01-22 : 他人の見た夢を聞かされる時の退屈さから話を起し、夢と思考と空想の3つが自分にとっては近い行為だと述べています。大和言葉系の「おもう・おもい」という語の多義性と多層性に触れ、どれだけの厚みのある言葉であるかを、例を挙げて示しています。言葉を使って思考する、という俗説を批判しています。言葉を話し言葉と書き言葉だけではなく、広義で取れば、言葉を使って「おもう」ことはあり得るのではないか、と主張しています。「夢の素」という言葉とイメージについて語り、それが「おもう・おもい」を誘発し始動させる「粒」だと比喩的に説明しています。「こんなことを書きました」というタイトルで定期的に書いている記事に出てくる、「直接書かなかったキーワード」が、まさに「夢の素」であると書いています。キーワードは、「夏目漱石」「内田百閒」「ブレーンストーミング」「ゆめうつつ・夢現」「夢(=広い意味での想像界)」「現実(=知覚されている現在」)」「思考(=広義の言葉を用いて動いている心)」「味の素」「固有名詞」です。余白に書かれたキーワード、つまり「夢の素」は、「ステファヌ・マラルメ」「蓮實重彦」「ギュスターヴ・フローベール」『ブヴァールとペキュシェ』です。
*「夢の素(2)」2010-01-23 : 言葉が「ずれる・言い換わる・たとえられる・こじつけられる・わける・混乱する」という動きが、「夢の素」が「かわる・変容する・うつる・うつりかわる・わかれる・ゆがむ・くずれる」という動きと似ているという意味のことを述べています。記事を書くさいの癖として、つづられる言葉たちに、つづられるテーマを身ぶり・動きとして演じさせる。そんな込み入った遊び=戦略が好きだ、と言っています。そうした言葉によるテーマの擬態の方法は、渡部直己氏の著作から学んだと書いています。しかし、それはあくまでも個人的なひとりよがりの解釈にすぎないと断っています。「意識・思考・無意識・夢想・妄想」といった言葉とイメージを含む、「思い」という語とそのイメージを分析しています。イメージと「夢の素」は「いだく」ものであると主張し、「いだく」を「だく」へとずらし、「だくことはだかれることである」というテーマへと移行しています。そこから「意識する」と「意識される」とが、ヒトの意識の中ではほぼ同じことである、という話になります。また、ヒトは「分かっている」ことしか「分からない」という、かつて書いたテーマにも触れています。キーワードとキーフレーズは、「accent」「隠喩」「『言う・言葉』の直前にあるものとしての『夢の素』」「意識のグラデーション」「ヒトは『似ている』と『知っている・分かっている』を混同している」「出来レース」「経路」「ヒトにとって、森羅万象は、みんな『似ているもの』という意味での『偽物』だ」です。余白に書かれたキーワード、つまり「夢の素」は、「ジャック・ラカン」「レフ・ヴィゴツキー」「ニーチェ」「ピエール・クロソウスキー」です。
*「夢の素(3)」2010-01-24 : ヒトの夢や意識、ヒトがつくった話=フィクションにおける「視点・視座・位置・主客・主述」がテーマです。前回の「抱く=抱かれる」に引き続き、「する=される」に徹底的にこだわっています。例を挙げながら詳細に考察したのちに、「見ている=見られている」というイメージで総括しています。そうした動作・行為・身ぶりが、視点や主語や主体を欠いた匿名的でニュートラルなものである点が重要であると主張しています。キーワードとキーフレーズは、「レトリック・トリック」「言葉の綾・ありゃりゃ」「『=』という記号」「意識・認識・思考・混乱」「『事実と意見を分かる』のいかがわしさ」「走る=走られる」「パッチワーク・ブリコラージュ・織物・テクスト」です。余白に書かれたキーワードは、「ジル・ドゥルーズ」「フェリックス・ガタリ」『機械状無意識』「モーリス・ブランショ」『文学空間』『来るべき書物』「宮川淳」『引用の織物』『紙片と眼差のあいだに』『鏡・空間・イマージュ』「豊崎光一」『余白とその余白または幹のない接木』「ミシェル・フーコー」『外の思考』「クロード・レヴィ=ストロース」『野生の思考』です。
*「夢の素(4)」2010-01-24 : 作家に書かせる契機と動機を起させる「夢の素」について語り、スティーヴン・キングと宮部みゆきを例にとっています。キングに触れて、性的虐待のサバイバーである自分について、おそらく初めて直接的に言及しています(※「サバイバー」という語とイメージは「恵」というハンドルネームでブログに投稿した小説たちを書かせた「夢の素」と言えそうです。そうしたことにまで触れたのは、この記事を書いた時が、かなり精神的にしんどかったからでしょう。抑うつとは違った意味で苦しかったのです)。大学の卒論で、ロラン・バルトがバルザックの『サラジーヌ』を批評した『S/Z』を批評したことを回想しています。作家の「癖」=「夢の素」に注目する批評の方法について述べています。そこから話が飛んで、薬物による幻覚を求めた作家たちとその作品を紹介しています。記事を書いているうちに、だんだんあやうい方向に行く自分にあえて、書かせています。悲しい日でした。キーワードおよび余白に書かれたキーワードは、「ガストン・バシュラール」「ジャン・リカルドー」「トマス・ド・クインシー」『阿片服用者の告白』「オルダス・ハクスリー」『知覚の扉』「ウィリアム・バロウズ」『裸のランチ』「アーヴィン・ウェルシュ」『トレインスポッティング』「由良君美」『椿説泰西浪漫派文学談義』「澁澤龍彦」『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』「高山宏」「ステファヌ・マラルメ」「Brise marine」です。
*「うつせみのたわごと -1-」2010-02-02 : 1週間以上、心身ともに疲れていましたが、ようやく記事を書く気力が出てきたので、つづったものです。短いです。できるだけ大和言葉系の語をもちいて、平仮名づくしで書こうという試みをしています。ふだん書いている文章とは違った書き方で、「言葉」、「書くということ」、「読むということ」をテーマに書くという、ややこしい実験をしています。アホなうえに偏屈者らしい企てというべきでしょう。また、「追記」というかたちで、グーグルの検索エンジンを使って、こちらが選んだキーワードを読者に検索してもらうという小細工もしています。ひとりよがりな戯れなのですが、キーワード検索という作業と、言葉というサイコロを振る「マラルメ的」身ぶりを重ね合わせたつもりです。読者に参加してもらう、または、読者に「動き」を促すように働きかけるための、本気で試みた仕掛けだったのですが、読み返すと恥ずかしいです。標準的な表記に直したキーワードは、「何かの代わりに何かを用いる」「ことわり・事割り・言割り・断り・理」です。直接書かなかったキーワードは、「坂部恵」「あわい」「かわる」です。このシリーズ全体を通じての、直接書かなかったキーワードは、「ジェイムズ・ジョイス」「サミュエル・ベケット」「フランツ・カフカ」「ジル・ドゥルーズ」「柳瀬尚紀」「レーモン・ルーセル」「VOAのspecial English」「basic English」「聖書の翻訳」「ジョージ・スタイナー」『After Babel(邦訳:バベルの後に)』「ピジン言語」「クレオール言語」「ブリコラージュ」です。
*「うつせみのたわごと -2-」2010-02-02 : テーマは、言葉でものごとを語ること、および、ヒトが真実・現実・事実をとらえることの不可能性です。標準的な表記に直したキーワードは、「まこと」「かたこと」「かたる・語る・騙る」です。直接書かなかったキーワードは、「蓮實重彦」です。
*「うつせみのたわごと -3-」2010-02-03 : テーマは、ヒトが言語を獲得したこととテリトリーと知との絡み合いです。これまで何度か論じてきたことを、大和言葉系の語だけで語ろうとすることのおもしろさを感じました。スリリングな体験でした。標準的な表記に直したキーワードは、「謎」「なぞる」「かく・描く・掻く・書く」「思い」「掟」「しる・知る・領る・汁」「名づける」「手なずける」「なわばり・縄張り」「ち・地・知・血」「懐かしい所」「帰る」「戻る」「源」です。直接書かなかったキーワードは、「動物行動学」「縄張り行動」「マーキング行動」「闘争本能」です。
*「うつせみのたわごと -4-」2010-02-04 : 「外部・内部・辺境」という分類がテーマです。「よそおう」という言葉をつかって、そうした分類=分ける作業が、ありもしない物事を捏造することだと指摘しています。ヒトという生き物の性(さが)を嘆いています。この回で、ようやく、「追記」の意味を「種明かし=解説」しています。再読すると、ひとり相撲のわびしさを感じます。標準的な表記に直したキーワードは、「よそ」「装う」「そと」「うち」「ふち」「代わり」「偽物」「ずれる」「はずれる」「語る・騙る」「仮」「化ける」「誤る・謝る」「賢しい」「悪賢い」です。直接書かなかったキーワードは、「エルンスト・カッシーラー」「クロード・レヴィ=ストロース」です。
*「うつせみのたわごと -5-」2010-02-06 : テーマは、「まぼろし・げん・幻」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる「幻界」です。この回から、10の「げん」について連載していく形になります。きっかけは、このブログの熱心な読者であるHさんから届いたメールです。以前、10の「げん」をめぐって各10本、計100本の記事を書くと宣言しておきながら、頓挫したことがありました。そのことを非難したとも取れる記述が、gooの評判分析で検出できると、Hさんに教えてもらったのです。評判分析の意図については未だに不明ですが、善意として理解し、素直に再度10の「げん」についてつづってみることにしました。ただし、各「げん」についてそれぞれ1本の記事しか書けないと断っています。また、10の「げん」の見取り図を紹介し、全体として何をやろうとしているのかを説明しようとしています。標準的な表記に直したキーワードは、「間を滅ぼす」「真を滅ぼす」「魔を滅ぼす」「イメージ・image」「信じる」です。直接書かなかったキーワードは、「知覚(する)」「想像(する)」「空想(する)」「夢想(する)」「魔法」「まじない・呪い」「だく・だかれる・いだく」「ジャック・ラカン」です。
*「うつせみのたわごと -6-」2010-02-07 : テーマは、「言葉・げん・言」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる「言界」です。言葉が代理でしかないこと、ヒトには言語を習得する先天的な能力が備わっているらしいこと、言葉はヒトの思いや感情の表出や伝達を担っていること、言葉がヒトの知の体系をつくり上げる支えとなってきたこと、について論じています。こうしたことがらを、大和言葉を多用しながら平仮名だけで記述する場合と、そうした語の使い方によらない書き方をした場合とを比較すると、つづる形態がつづられる内容に大きな影響を及ぼすことがよく分かる。そんな気がしました。簡単に言うと、書き方が書く内容を左右するということです。標準的な表記に直したキーワードは、「のっぺらぼう」「事の端・言の端・言の葉」「言霊」「思いは重い」「ひとり言」「すじ」「ずれ」「うつす・写す・移す・映す」「息・生きる・息る」「出る」です。直接書かなかったキーワードは、「表象」「代理」「ニュートラル・匿名性」「ノーム・チョムスキー」「言語能力・competence」「経路」「ミメーシス」「コミュニケーション」「ヒトの言語獲得」です。
*「うつせみのたわごと -7-」2010-02-08 : テーマは、「現実・げん・現」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる「現界」です。目覚めている状態、つまり意識が働いている状態と、夢を見ていたり、空想をしていたり、無意識でいる状態とを対比するのではなく、連続した帯=濃淡=階調として論じようとしています。幻界、言界、現界が重なるものであるとも訴えています。また、瞑想などによって悟りを得て自分だけが救われようする態度や、現実を生きるさいに、現在多くの人たちが指針としがちな自己啓発書を批判しています。標準的な表記に直したキーワードは、「うつつ・現」「ゆめうつつ・夢現」「悟る」「救い」「あうん」「あくび」「歌う」「眠る」「仮の死」です。直接書かなかったキーワードは、「om」「うつ病」「出版界」「マーケティング」「実用書」「処世術」「脳科学」『ブヴァールとペキュシェ』です。自己啓発書に関して直接書けなかった3つの固有名詞=人名は、どうか読み解いてください。難しくありませんので。今では「決まり文句」と化した名です。
*「うつせみのたわごと -8-」2010-02-09 : テーマは、「かぎり・へり・げん・限」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる「限界」です。ヒトをはじめ、あらゆる生き物は、それぞれに備わった枠の中で生きている。その枠組みを意識できるのは、おそらくヒトだけである。だが、ヒトを縛る枠は多種多様であり、それらの枠を意識することは難しい。枠はヒトを縛るが、枠をずらすことで、その縛りから一時的にでも逃れることが可能なのではないか。外・内・へりという分け方は、うさん臭いものであるが、あえてその分類を受け入れるとすれば、ヒトはへりにいると言える。以上のように要約できると思います。また、「後記」の中で、ある読者への回答として、「小品集」で試みたような小説を書く余裕が、今はないと断っています。いつか書きたいとの希望も述べています。標準的な表記に直したキーワードは、「線を引く」「縄を張る」「土地を名づける」「分ける」「名づける」「名が足りなくなる」「あわい・間」「境目」「言葉という枠」「体という枠」「種(しゅ)という枠」「書くという枠」「分かるという枠」「生死という枠」です。直接書かなかったキーワードは、「近親憎悪」「狂気」「フリードリヒ・ニーチェ」「アントナン・アルトー」「ジェラール・ド・ネルヴァル」「フリードリヒ・ヘルダーリン」「フランツ・カフカ」「ジャック・デリダ」「ジル・ドゥルーズ」「ヒュー・ケナー」「ジャック・デリダ」です。
*「うつせみのたわごと -9-」2010-02-10 : テーマは、「もと・はら・げん・原」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる「原界」です。ヒトは何ごとについても、その始原を求めようとする傾向がある。それは、「戻る」「帰る」という運動へとヒトを誘う。源に帰ろうとするという動きは、枝分かれしている形態の存在と、「出た」という過去の出来事を前提とする。「出る」「出た」は、流れる、移る、渡る、回るという運動の源である。動きと動くものとが、「出る」と「もと・はら」という場と重なる。もの、こと、さま、うごきが、重なる。それが「原界」である。以上のようにも、要約できると思います。個人的には、苦手な物語です。どうしても馴染めません。不謹慎かもしれませんが、笑ってしまいます。きっと、この種の話とは、相性が悪いのでしょう。標準的な表記に直したキーワードは、「群れ・群れる」「分かれる・別れる」「親」「母」「子」「旅」「つながり」「はらむ・孕む」「産む」「生まれる」「海」「死」「生まれ変わる」「輪」「めまい」です。直接書かなかったキーワードは、「うんち」「神話」「叙事詩」「経典」「聖典」「カール・グスタフ・ユング」「エミール・パンヴェニスト」「フェルディナン・ド・ソシュール」「インド・ヨーロッパ祖語」です。
*「うつせみのたわごと -10-」2010-02-11 : 長い記事になってしまいました。テーマは、「ふえる・げん・Gen(※ドイツ語で「遺伝子」)」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる「Gen界」です。小さな命の単位が転写という仕組みでどんどん増えていく。転写しそこなう場合もある。死滅する単位もある。単位の集合体である生体は、単位を生殖や増殖という仕組みで、新たな生体を生み出していく。そうやって、写す、移る、増える、伝わる、渡す、という一連の動きが生起する。ヒトは、その生起を出来事としてではなく、物語としてとらえるしかない。その物語を生成するために必要なのは、分けるという作業だ。分けるのは、ヒトが小さいからにほかならない。自分より小さく分けて分かったとする。Gen界における、もうひとつの運動は、「交わす」ことである。「ものを交わす」から、「価値を交わす」へとヒトは「交わす」を変化させた。価値という分からないものに、ヒトはもてあそばれ、振り回されている。それが経済である。「増える・増やす」「交わす」の根底には、ヒトの欲望、とりわけ物欲がある。決して逃れることができない、根源的な欲がある。以上のような話です。なお、「後記」の中で「母語という枠の中で『外国語』で語る=騙る」と「書き方によって書けることと書けないことがある」という意味のことを述べています。このシリーズの基本的なスタンスを言葉にしたものです。標準的な表記に直したキーワードは、「おもい・思い・想い・重い」「重み」「値」「値打ち」「かね・金」「はかる・量る・測る・計る・諮る・謀る」「サブプライム」「いちば・市場」です。直接書かなかったキーワードは、「ゲノム解読」「遺伝子工学」「遺伝子組み換え」「バイオテクノロジー」「クローン」「ES細胞=胚性幹細胞研究」「ノーベル経済学賞」「金融工学」「CDO」「大不況」「資本主義」「市場経済」「造幣」「財政投融資」「投資」「投機」「博打」「株式」「ジョン・メイナード・ケインズ」「交換」「貨幣」「カール・マルクス」です。
*「うつせみのたわごと -11-」2010-02-12 : 前回を含め、記事が長くなるのが常態になっていきます。この回のテーマは、「め・げん・眼」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる眼界です。冒頭で「まじる・混じる」「もじ・文字」「まな・真名(漢字)」「まなこ・目」「みる・見る」と発音すると m で始まる言葉を頻出させて、ずらずという遊びをしています。次に、「めでみる」という行為を「見る・視る・観る・診る・看る・回る・廻る」と、さらにずらしています。このシリーズでは、こうした、つづられるテーマとつづる言葉たちの擬態=媚態=舞踏をしてみたかったのです。そうした言葉たちの舞いを読者に読むというより、「見て」もらうことにより、眼界を体感してほしい、できれば「めまい=目舞い」を体験してほしい、という願いが形を取っている珍しいケースです。平仮名尽くしで書く必然性が「見える」という意味でも、稀有な例です。内容的には、「見る」を「知覚する」という広い意味で取り、「見える=見る=見分ける=分かる=意識する=認識する」へとつながっていくさまを語っています。「まだら・まばら」という言葉で、ヒトが「見間違う」「無視する」「見て見ぬ振りをする」こと、つまり、知覚と認識の限界性といかがわしさについても触れています。それまでに扱った各界と、眼界とがそれぞれ独立しているわけではなく絡み合っていることにも触れています。言葉の遊びを多用しているので、要約をしても、あまり意味がありません。実際に、記事を「見て」いただきたいと思っています。標準的な表記に直したキーワードは、「みわける・見分ける・身分ける」「ことわる・事割る・言割る・断る・判る」「あわいはあわい・間は淡い」です。直接書けなかったキーワードは、「ミシェル・フーコー」「豊崎光一」『砂の顔』「視線」「空間的広がり」「時間的経過」「再現の不可能性」「可視化というまやかし」「記憶の限界性」「信号・情報・データ」「手話」「指点字」です。
*「うつせみのたわごと -12-」2010-02-13 : テーマは、「つる・つるされてゆらぐ・げん・弦」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる弦界です。ヒトが天から垂れた「つる・弦」または糸につかまって吊るされて、ぶらぶらゆらゆらしている。すべてを何ものかに任せている。この記事では、「任せる・負ける」という身ぶりが大きな役割を演じています。ヒトの力を超えた「何物か・何者か」の存在が前提になっているにもかかわらず、ヒトはそれを知り得ないという立場で話を進めています。ヒトの力を超えた「何物か・何者か」の威を借りる人たちを批判しています。言葉遊びから、ヒトが「やりすぎていること」を列挙していますが、それもまた、人知を超えた現象として描いています。つまり、最終的な善悪さえ断じる力はヒトの側にはない、まして裁く力などないという意味です。「任せる」から「賭ける」へと話が移り、「出あう・出あい・あい」という圧倒的な偶然性(※もちろん、やらせです、偶然性を装っている=演じているだけです)の中で、「愛」を出すという、めちゃくちゃなこじつけで終わっています。標準的な表記に直したキーワードは、「ぶらさがる」「揺れる」「身を任せる」「祈る・念じる」「驕りたかぶる」「代わりの者」「偽者」「生贄」「身の程を心得る」「サイコロを振る」です。直接書けなかったキーワードは、「代理(人)」「シャマニズム(シャーマニズム)」「シャーマン」「まつりごと・政・祭事・奉事」「予言(者)・預言(者)」「託宣・神託」「官僚主義」「議会制民主主義=代表民主制=間接民主制」「ジェームズ・フレイザー」『金枝篇』「文化人類学」「ステファヌ・マラルメ」「花=生殖器=性器」です。
*「うつせみのたわごと -13-」2010-02-14 : テーマは、「減る・足らない・げん・減」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる減界です。言葉の遊びを多用しながら、「減る・足りない・欠ける」と「増える・足りる」とが言葉では矛盾しても、言葉の枠外では矛盾しないことを、言葉たちに演じてもらっています。再読すると、反意語や反対語と呼ばれている2項対立のからくりに対する懐疑と嫌悪感が表れているのを感じます。結果として、「減る」をめぐる言葉が「増える」こととなり、長い記事になりました。原理は単純です。ヒトは分ける。分けたものに名前を付ける=分かったことにする。名前が増える、つまり、名前が足りなくなく。「事=言足りる」が「事=言足りない」となる。そうなると、訳=分けが分からなくなってくる。「分けた=分かった=知が増えた」とならず、「分けた=分かっていない=知が欠けている」ことの確認にしかならないという「わけ」です。さらに、ヒトの知覚・認識・意識における集中力および持続力、データの保存容量、データの再現力・再構築力には限りがある。知が増えたはずが、常に減った・足りない感じがする。要するに、減界は限界でもある。そんな話なのです。ヒトは自分で意識しているよりは、はるかにぼーっとしている。すかすかの意識とまだらの認識の中にいる。と要約することもできます。ただし、ヒトが考え出した、すかすかの2進法でも、疲れを知らない機械ならば、そこそこの働きをすることが可能です。標準的な表記に直したキーワードは、「足りない」「間が抜けている」「たわける・戯ける」「ぼんやり」「26文字」「重なる」「またがる」「絡み合う」「だぶる」「厚み」「重み」「多い」「多すぎる」「忘れる」です。直接書けなかったキーワードは、「対応」「写像」「関係性」「語彙」「分類」「命名」「ラベル・レーベル」「博物学」「言と事の同一視」「語の多義性・多層性」「アルファベット」「辞書・百科事典の編さん」「デジタル」「コンピューター」「ゼロサム」「ナノテクノロジー」です。
*「うつせみのたわごと -14-」2010-02-15 : テーマは、「糸・伝わる・伝える・げん・絃」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる絃界です。「伝わる・伝える」という動き、「伝わる・伝える」を仲介する媒体、「伝わる・伝える」の対象をめぐる、さまざまな言葉たちを次々と「ずらす」ことにより、その言葉たちの表情・身ぶり・目くばせを読者に体感してもらおうとしています。糸とその縦横の運動から成る織物と、紙と記された言葉たちの縦横の運動から成るテクスト=テキストのつながりにも触れています。さらには、網とクモの巣、ひいてはインターネットへと話をつなげていきます。網における「引っ掛ける・仕掛ける」という動作の重要性を訴えています。検閲・検索の基本的仕組みだからです。「伝わる・伝える」の究極的な対象となる「揺れ・揺らぎ」について考察していますが、尻切れトンボに終わっています。再度、考えてみたいテーマです。不可解なテーマです。標準的な表記に直したキーワードは、「目まい」です。直接書けなかったキーワードは、「宮川淳」『引用の織物』『紙片と眼差のあいだに』「豊崎光一」『余白と余白または幹のない接木』「ロラン・バルト」『テクストの快楽』「Stephen Heath」『Vertige du déplacement』「ジル・ドゥルーズ」『プルーストとシーニュ』です。このシリーズは、タイトルを模倣し、まさに、たわごとで終わりました。幻界、言界、現界、限界、原界、Gen界、眼界、弦界、減界、絃界。なお、各記事の中で、断っているように、10の「げん」をめぐる各界は、別個のものではなく、パラレルな関係にあり、同調し、共振しているとイメージしています。各界も、各界についてのイメージも、戯言であることは言うまでもありません。読者に、目まいまでは行かなくとも、笑いという揺らぎを促すことができたなら、そんな嬉しいことはありません。
*「「外国語」で書くこと」2010-02-16 : 「うつせみのたわごと」シリーズを書き終えた感想文です。これまでに自分の書いてきたブログ記事を、「うつせみのうつお」で、スクロールしながら、時系列に巻物のように眺めていくと、いつも同じことばかり書いているなあと思い、金太郎飴を連想します。ただ、目立つところがあるとすれば、ときどき文体=つづり方を微妙に変えることです。自分が書いたとされる文章に対する、ひとりよがりな感想=印象にすぎませんが、いろいろな小細工や仕掛けをしているつもりだという意味です。今回は、わりと目立つ文体上の細工をしました。漢語系の言葉の代わりに大和言葉系の語をもちいる。あるいは、前者を後者に置き換えるという作業をしました。そのさいに、どんなことを心がけたかについて述べています。キーワードとキーフレーズは、「くずす」「まげる」「枠をずらして書く」「違和感」「basic English」「VOA の special English」「言葉をつくりながら書く」「そとに近い場に身を置くことは、自分を揺さぶること」「柳瀬尚紀」「ジェイムズ・ジョイス」『フィネガンズ・ウェイク』「『翻訳不可能』を目ざして仕組む」「つづられる言葉たちに、つづられる内容を演じさせる」「渡部直己」「検索エンジン」「被害妄想」です。直接書かなかったキーワードは、「ジル・ドゥルーズ」『カフカ――マイナー文学のために』です。
*「揺さぶり、ずらし、考える」2010-02-17 : 「日本語の乱れ」や「最近の日本語は乱れている」という決まり文句を批判しています。言語が移り変わるという現象を、抽象的な紋切型の言葉に置き換えることに強い嫌悪感をいだいているからです。ありもしないもの、あるいは知覚し得ないものを、あたかも、あるかのように想定する思考停止状態に我慢ができないからです。「言語」、「国語」という言葉の抽象性にも、噛みついています。個人は常に移り変わりつつある多面的な存在として揺らいでいる。そう信じています。その個人が発する言葉が、ひとくくりできるわけがありません。そうした思いを前提に、いとおしく健気な言葉たちの、生き生きとしたありようを擁護しようとした記事と言えそうです。キーフレーズは、「どの時代においても、言葉は変わる。言葉は、特定の人たちの占有物ではない。天は言葉の上に言葉を造らず、言葉の下に言葉を造らず」「あやしげではない日本語 or きちんとした日本語 or 標準的な日本語 or 正しい日本語 or 美しい日本語 or 乱れていない日本語なんて、あるのでしょうか。ない、と思います」「『考える』を、簡単に済ませる方法はないのか。あります。『決まり文句』を使えばいいのです」「たとえ、思考停止に等しい決まり文句であっても、その言葉を『揺さぶる』ことにより、『ずらす』ことができます。そうした『行為』を『思考する・考える』と呼んでもいいのではないでしょうか」です。直接書かなかったキーワードは、「高山宏」「グスタフ・ルネ・ホッケ」『迷宮としての世界』『文学におけるマニエリスム』「種村季弘」『ナンセンス詩人の肖像』です。
*「動詞という名の名詞」2010-02-19 : 言葉を話したり書いたりすることは、未だにヒトに備わっている、ヒトを除く生き物というレベルでのありようから見れば、きわめて不自然である。そんな思いをいだいています。日常生活において、ヒトが言葉に振り回されているのは、それが生き物というレベルから逸脱しているからです。とはいえ、ヒトである限り、言葉と無縁で生きることはできません。致し方ないことです。まして、言語そのものについて思いをめぐらしたり、話したり書いたりすることは、不可能性に挑むことです。言葉そのものを思考の対象にすれば、頭の中も、出てくる言葉も、ごちゃごちゃになります。ならないとすれば、手加減をしているか、無難な決まり文句を借りているだけです。「ごちゃごちゃぐちゃぐちゃ=言語」を獲得してしまったヒトは、「ごちゃごちゃぐちゃぐちゃ=意識=思考=言動」を回避するすべを身につけているのが普通です。不自然さを自然さとして錯覚するすべです。その不自然な言語というものの不自然さのひとつとして、動作を名づけて動詞という名の名詞とする、からくりがあります。そのからくりをめぐっての悪態。この記事を、そのように要約することも可能かと思われます。ややこしい要約で、ごめんなさい。キーフレーズは、「森羅万象の動きや揺らぎを、名詞としてしかとらえられないヒトという生き物――」「万物を『名付ける・なつける・てなずける』という、ヒトに備わった習性、つまり名詞至上主義とでも呼びたくなる性癖に対する、ささやかな抵抗。その抵抗として、たとえば、音楽や映像に期待を寄せています。でも、いちばん、気になるものを挙げるとすれば、日本語や中国語や英語などと同じく言語である、手話です」です。直接書かなかったキーワードは、「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」「モーリス・ブランショ」『ヴィトゲンシュタインの問題』(in『フローベール全集別巻』)です。
*「名詞という名の動詞 (前半)」2010-02-21 : 前回に引き続き、言語活動というヒト特有の行動が、生物としてのヒトの日常生活に、ひいては種としての存続に、必ずしもプラスとして働いていないのではないかという問題提起をしています。森羅万象の動きや揺らぎを、名詞としてしかとらえられないヒトという生き物が、ヒト以外の生物がクリアできる障害物を、言語というフィルターを通してとらえているために、クリアできない。そんな事態も起きているのではないか。そんな危惧について触れています。もっとも、神経症的な内容なので、危惧すべきなのは、自分の頭ではないかとも、思ってもいるのですが……。キーフレーズは、「言葉というものは、ヒトを錯覚させます。『見る・見える』という言葉があり、その『見る・見える』をつかうことによって、ヒトは『見た・見えた』気持ちになってしまう。『見る・見える』と『見た・見えた気持ちになる』とでは、大違いです」「ヒトは、名づけることにより、手抜きをする方法を習得したのではないでしょうか。言い換えると、視野に入るすべてのものを注視しなくてもいい仕組みを手にしたということです。自分の周辺を、まだら状に見ていても大丈夫になったのです」です。直接書かなかったキーワードは、「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」「モーリス・ブランショ」『ヴィトゲンシュタインの問題』(in『フローベール全集別巻』)です。
*「名詞という名の動詞 (後半)」2010-02-21 : 横着なやり方で恐縮ですが、以下にこの記事のいわば「サビ」に当たるキーフレーズだけを挙げて、パッチワークをしてみます。「固有名詞は、強く、また多様なイメージを各人に喚起させる言葉です。あるテーマを論じる場合に、ある固有名詞を登場させると、たとえば、その固有名詞を名に持つ人に対する読者の多様なイメージが次々と呼び覚まされます。それがいわば『ノイズ=ラベル』となって、そのテーマを演じている言葉たちの『表情・身ぶり・目くばせ・働き』などに、読者の目が行かなくなる。つまり、つづられている言葉たちへの注視の妨げになる。それほど、固有名詞のイメージの喚起力は強いのです」/「個人差はあるでしょうが、名詞の中では(固有名詞が)いちばん人の心や意識を揺さぶります。品詞の中では、特に名詞と動詞が激しい『揺らぎ=動き』を人に『送ってくる=発してくる』気がします。そのほかの品詞も、人を揺さぶります」/「品詞などという言葉をもちいて、『ことわり=言割り=事割り=断り』をする必要はない。品詞ではなく、言葉=言の葉でいい。言葉は、人に働きかけ、『揺らぎ=動き』を人に『送ってくる=発してくる』。その『揺らぎ=動き』と同調し共振した人は、『考える・思考する』にいたる」です。直接書かなかったキーワードは、「フリードリヒ・ニーチェ」「ジル・ドゥルーズ」「アンタンシテ・intensité・強度」です。
*「はかる -1-」2010-02-27 : キーフレーズは、「「おもいはおもい・思いは重い」「おもいおもい・重い思い」なんて、最近、よく記事に書いています。こういうのは、おふざけではなく、自分がつづっているさまざまな言葉たちの「重み・思い・意味・忌・イメージ」=「多義性・多重性・多層性」を、受けとめて楽しんでいるのです。はかっている、とも言えそうです。「はからずに・測らずに・量らずに・図らずに」、文章はつづれない気がします。」/「一方の「わかる」については、これまでさんざん、ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもある、ああでもないこうでもある、ああでもあるこうでもない、をしてきましたが、殺伐とした印象が常につきまとっているように思えてなりません。何しろ「わかる」には、「分ける・切る・割る」という動作が基本にあります。血生臭いです。ばらばら殺人とか、腑分けとか、マグロの解体という言葉を思い起こします。痛々しいのです。」です。
*「はかる -2- (前半)」&「はかる -2- (後半)」2010-02-28 : キーフレーズは、「「はかる」はヒトという枠内でのいわば「確信犯的」かつ「テキトーな」行為であるのに対し、「わかる」はヒトという枠外へと、身の程もわきまえず侵犯しようといういわば「無鉄砲で」かつ「賭けに等しい」行為だと言えそうです。「はかる」では、ダメモトに近い軽い気持ちで秤に「かける・掛ける・翔る・賭ける」。「わかる」では、マジで白黒のどちらかに「かける・掛ける・駆ける・懸ける・賭ける」。そんなイメージでしょうか。」/「「わかる」という行為は、ヒトが不可能性に挑戦することです。客観性・真実・事実・現実といった、ヒトという枠の外への志向が前提となっています。ヒトは「わかる」という言葉を発し使用することはできても、「わかる」という言葉が指し示している行為を、ヒトが「期待する」ほどまでには実現できません。」/「「はかる」という行為は、ヒトが自らの可能性らしきものに挑むことです。なぜ、「可能性らしき」なのかは、上述の「何かの代わりに何かではないものをもちいる」という仕組みが働いているからです。数、長さ、重さ、量といった一連の「もののありよう」を、感覚器官を通して、つまり、あくまでも「何かではないもの=何かの代わり」として「とらえる」ことが基本です。」/「ふつう、ヒトは目的になしに、はかることはありません。何らかの「思い・思う」があって、それを満たしたり、実現するために、「重み・重い」をはかります。その目的は、確固としたものであたり、気ままであったりします。」/「数字・数値自体は、言葉・語と同様に、ニュートラルなものです。比喩的に言えば、「もの」です。ただ、「もの」はヒトが、ある目的・意図をもって、ある視点・立場から、恣意的に・自分の都合に合わせて、捏造する・でっち上げることが可能です。「はかる」ための「基準」としてよくもちいられる数字・数値、あるいはデータ・情報と呼ばれる「もの」は、「わかる」ための「根拠」と同様に、「すっぴん」では、かなり「ぐちゃぐちゃごちゃごちゃ」としたものであるにもかかわらず、「厚化粧」をほどこした「すっきり」「くっきり」「はっきり」「すぱっつ」に、「化けている」というか「化けさせられている」と言えそうです。粗雑な言葉をもちいて単純化するなら、「もの」に「解釈」が行われるということです。」です。
*「はかる -3-」【不投稿記事】 : キーフレーズは、「ヒトに限った話かもしれませんが、空間的な遠近という意味合いだけでなく、「はるか・遥か」つまり「とおくへだたった・遠く隔たった」存在を「おもう・思う・想う」行為が、「はかる・おしはかる」または「おもいやる」です。「はかる・はるか」をめちゃくちゃにこじつけてしまいました。このように、「正しい」とされる意味に逆らった言葉の運動のありようや、ノイズとしてみなされがちなイメージを「いみ・忌」と、このブログでは呼んでいます。」/「「はかる」とは、ヒトいう枠内において、さまざまな「思い・思う・想い・想う」の「おもい・重い」重みと「あつい・厚い・熱い・篤い」厚みと重なり合って生じる擦れる音、つまり「おとずれ・音擦れ」として、ヒトにのみ「訪れる」ものなのではないでしょうか。だから、たぶん、はかないのです。その「はかる」の「はかなさ」について、次回は書きたいと思います。」/「「はかる」は「はかない・とりとめがない・たよりにならない・おもいがかならずしもかなわない」。「はかない」に似た語で「はかなくなる」という古い言い方があります。「なくなる・しぬ」という意味です。「はかる」にネガティブなイメージを、ヒトはふつう覚えないと思います。言葉に対しても覚えることは、まずないでしょう。でも、ヒトは日々、言葉と「はかる」に裏切られ、がっかりさせられています。それなのに、めげない。たくましい生き物です。これはある種の鈍感さに支えられた、たくましさです。」です。
*「はかる -4-」【不投稿記事】 : キーフレーズは、「「はかる」を、漢字、つまり中国語に当てはめて、意味をずらす。「はかる・計る・測る・量る・図る・謀る・諮る・別る」/「「はかる」を、発音の似た大和言葉にずらす。「はかる・わかる」」。/「はかる」を、その音節を並べかえて忌(※「いみ」と読んでください)をずらす。「はかる・はるか」/「母語である日本語と戯れながら、ずらす。」です。
以上です。
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