生活と意見 2020/06/26

げんすけ

2020/06/26 13:40


 げんすけは本名ではありません。この名前をブログのユーザーネームにしているのは、長く使っていたペンネームを飼い犬に取られたからです。というか、それがきっかけになったからです。

 同居しているY君が、去年の四月にペットショップで運命の出会いを経験しました。それで二人でミニチュア・シュナウザーを飼うことになり、名前で悩んでいると「レンがいい」とY君が言ったのです。

「それって俺のペンネームじゃない」

「今ネットでワンコの名前の人気ランキングを見てたんだ。レンって響きがいいし、この子にぴったりだと思って」

 私はあまりいい気がしませんでしたが、Y君には日頃からいろいろお世話になっているのでつい気兼ねをしてしまいます。

「うーむ、そうかも……。かたかなのレン?」

「いや、滝廉太郎の廉だよ」

「ちょっと待ってよ。ますます同じじゃない」

「ハスの蓮が人間の男の子の名前で流行っているらしいけど、字面が気に入らないんだ。タキレンの廉ってかっこよくない?」

「タキレンねえ……。うーむ、いいんじゃない」

 こんな感じで決まったのですが、うじうじくよくよな性格のうえにひねくれている私は考えこみ、深読みしてしまいました。もう小説なんか諦めろってことか……。その二年前に私の母が亡くなり三人暮らしから二人暮らしに変わったとき、今後についてY君と話し合いました。

「小説を書かせてくれないかなあ」

「そう? じゃあ、僕は働くね」

 それまで母の介護や世話をしてくれていたY君は仕事にでかけ、私は家にいる生活が、そうやって始まったのです。小説を書く宣言から二年経っているのに、そのときの私はまとまったものを一編も書いていませんでした。Y君が私の創作活動に口出しをすることは一切なく、何か面白い出来事があると「これ、小説のネタにしなよ」と時々言うくらいです。無為徒食の身である私は常に焦燥感を覚え、Y君に対して申し訳ないという気持ちがどんどん募ります。

 廉が家に来て半年後に、私は体調を崩しました。前の年に大きな病気を医師から告知されて治療を続けているのです。経過次第では、県内ですが遠くの専門病院に転院してはどうかと言われました。Y君と相談し、廉を手放すことにしました。悲しい決断にいたりましたが、いつもカットしてもらっている美容師さんのお世話ですぐに里親が見つかったのは幸いでした。


 廉が新しい家で落ち着いたころに、美容師さん経由でY君のスマホにメールに添えた動画が送られてきました。その家の先住犬であるトイプードルと仲良く庭で遊んでいるものです。

「れんくん、こっち」

 そんな女性の声が聞こえます。ああ同じ名前でいるんだと知り、Y君も私もほのぼのとした気持ちになりました。ところが後で知ったのですが、それは「げんくん」だったのです。なるほど、れんとげんなら響きが似ているので、あの子も混乱することなくすんなり受け入れるでしょう。私たちは感心しその心遣いに感謝しました。

 それから二か月後の十二月にげんは一歳の誕生日を迎え、動画と写真が送られてきました。お祝いのご馳走なのでしょう、ドッグフードではなく、ささみと茹でたじゃがいものらしきご飯をもらって食べるげんくんの動画を見て、私たち二人はただただ号泣するばかり。その家のこどもたちの歌うハッピーバースデーの歌も聞こえます。同じメールに添付されていた写真には、かわいいフラッグで飾られたご馳走の入ったご飯用の皿が映っています。それにはネームのシールが貼られていて、ゴチックで「げんすけ」と印刷されていました。



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