はかる -3-

星野廉

2020/09/25 12:09


「はかる」の「おもい・思い・想い・意味・忌・イメージ」には、「重い・重み・重さ・重なる・重なり・嵩」と「あつい・厚い・熱い・篤い・あつみ・厚み・あつさ・厚さ・熱さ・篤さ」があります。このように、言葉たちの身ぶり・表情で、その重みや厚みを「とらえる・体感する」行為を、このブログではよく、つづられる言葉たちに演じてもらいます。


 こうした書き方が、このブログを読もうとする人の気持を左右する。つまり、好き嫌いの分かれ目となる。そうしたことは、意識しております。


「もっと分かりやすい素直な文体で書けば……」。今挙げたフレーズは、一昨日にブログページの左側にある「メールを送る」機能を通して、送られてきたメッセージの一部です。アドバイスをいただき、ありがとうございました。メールアドレスが添えられていなかったので、この場を借りてお礼を申し上げます。


 そうですね。おっしゃるとおりだと思います。以前、一種の売文業をしていたころには、「分かりやすい素直な文体」を心がけていました。商品ですから、自分の好き勝手で文章を書くわけにはまいりません。クライアントからの指示に従ったり、『朝日新聞の用語の手引き』(朝日新聞社刊)や『記者ハンドブック 新聞用字用語集』(共同通信社刊)を参照しながら、文章を書いていました。


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「うつせみのうつお」をパソコンのモニターでスクロールしながら、過去の記事を眺めてみると、いろいろな書き方をしています。「社会復帰」をあきらめたあたりからは、特にかなりとちくるった表記が目立つようになりました。恐ろしいものですね。いったん何もかも捨てた気持ちになると、とんでもないことをするようになります。相談する友達がいないうえに、この記事は親や周りの人たちには内緒で書いているものなので、よけいに歯止めがきかなくなっているのでしょう。


 読者の方々からのメッセージだけが、有り難いフィードバックです。ブログを書き始めたころから、記事を読んでくださっている方で、ときどきこのブログで「Hさん」と表記している方がいます。Hさんは「好きなことを好きなように書けばいいのよ」という意見の持ち主なので、書き方についてのコメントをいただいたことはありません。


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 冒頭のセンテンスですが、「分かりやすい素直な文体」で書き換えれば、次のようになると思います。


 平仮名で記す「はかる」という言葉には、その語源や表記法を考慮すると、多義性が備わっています。つまり、意味に厚みのある語なのです。


 以上のようにも書けるでしょう。でも、自分の中では、「多義性」や「意味に厚みのある」という部分が、抽象的で型にはまった言い方に感じられます。「はかる」という語がどのように多義的なのか、また意味の厚みとは、具体的に何を指すのかが不明なのです。そこで、そうした言い足りない部分を補うというか、センテンスに詰め込むと、冒頭のような書き方になります。言い換えると、それが自分にとって「分かりやすい素直な」文体ということになります。


 なお、「おもい」が、自分にとってどれほど「おもい」言葉なのかについては、「夢の素(1)」に、「おもい」の喚起するイメージと類語を挙げてありますので、さっと目を通していただければと思います。


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 以上のような言い訳を書いているのには、理由があります。この数日間というもの、「はかる」という言葉をめぐって、ずっと考えています。そのさいに、「計測する」「計量する」「観測する」「推測する」「推量する」といった漢語系の言葉を思い浮かべることもあります。でも、「はかる」という大和言葉系の語を見たり、口にしたりする時に感じる「何か」としか言えそうもないものが、あたまから離れないというか、気になってしかたがないのです。


 これに似た気持ちは、「うつせみのたわごと」という連載を書いていたときににも覚えた記憶があります。まず、お腹のあたりにずしっとくる。そして徐々に体全体に広がってきて、最終的には頭にたどり着く。それがきわめて短い時間、瞬時といってかまわないあいだに起きるのです。


「はかる」「わかる」「かわる」という一連の大和言葉系の語を見聞きしたさいに共通して、覚える感覚です。平仮名で記されている。hakaru、wakaru、kawaruという音として耳に入る。そうした条件が整っていないと、感じることはありません。「測る」「分かる」「変わる」と書かれていたものを目にしたり、その文字を見ながら発音する時には、上で説明した気持ちは訪れてくれません。そうです。そういう気持ちに「なる」というより、どこかから「訪れてくる」という感じがします。


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 そうです。「おとずれ・おとずれる」なのです。「おと」と「すれる」という音の響きから頭に浮かぶのは、「きぬずれ」や「あしおと」という言葉がよびさましてくれる「おもい」に似た「何かの気配」です。何かが動く。その動きと同時に何かがこすれ合う。その擦れる音がしだいに近づいてくるのを感じる。


 音は、聞こえるだけではありません。何かが動き、あるいは揺らぐ。それが空気の波となって移動し、耳の鼓膜を震わせる。科学的にはどう定義されているのか知りませんが、同調、共振、共鳴とか呼ばれている現象が起こる。それが音として耳に届く。それだけではありません。


 中途難聴者として生きていると、動きや揺らぎが耳だけでとらえられるものでないことを、日常生活の中で頻繁に経験します。空気の流れや揺れは、鼓膜だけでなく、体のいろいろな部分で感じ取ることができます。耳の奥ではなく耳たぶのあたりの皮膚、顔や首やの皮膚、手や指先、前腕など、露出した体の表面の皮膚で、空気の流れの変化を感じます。


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 特に、寝る間際に補聴器を外した時など、ほとんど何も聞こえなくなりますから、不安感に襲われます。聴覚障害者にとっては、夜間の火事がいちばん怖いです。あたりで大騒ぎになっていても、音が聞こえないために気づかず、逃げ遅れた。そんな話をよく聞きます。


 寝ている場合には分かりませんが、補聴器なしでじっと身のまわりに集中していると、動きや揺れを感じます。ちょっとした何かの動きがあると、目がそれを追います。他人の表情をうかがうような形になるのが、分かりやすい例でしょう。今、この人がかすかに眉をひそめたのはどういうわけなのだろう。そんな具合に、「おしはかる」のです。


 目の前のデスク、お尻の下の椅子、足元の床といった、体と直接触れ合っている何かが揺れるのを感じると、どきっとします。何だろう。何が起きたのだろう。何かが近づきつつあるのか。


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 かつて聾学校と呼ばれた教育施設で育った人の手記の中に、ろうの子どもたちが、よく壁を叩いたり、窓を揺さぶったり、床をどんどん踏んだりして遊ぶことがあるという話が書かれていました。それが楽しいらしいのです。その気持ちが、少しだけ分かるような気がします。少しだけです。


 おならをするさいに大きな音をたてるのを、聾学校に勤務するろう者ではない教師から注意された。恥ずかしいことなのだと言われたが、その意味が今でも分からない。手記にあった、そんな言葉も思い出されます。


 障害者であるかどうかにかかわらず、自分には「とらえにくい」あるいは「とらえられない」ものやことやさまを「とらえようとする」体験は、「おしはかる」以外にありません。


 あなたとわたしは違います。あなたは「あなた・彼方・貴方」にいます。このような話の途中で、言葉遊びをして恐縮ですが、「とおく・遠く」つまり「ちかく・近く」にないものを、「ちかく・近く」にあるものとして感じる仕組みが「ちかく・知覚」です。たとえば、犬にとっての嗅覚、ヒトにとっての視覚、コウモリにとっての超音波を発する声帯とその反響を聞き取る耳は、とりわけ遠近を「はかる」ために発達していると言われています。「知覚する」とは、「はかる」にほかならないと思われます。


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 ヒトに限った話かもしれませんが、空間的な遠近という意味合いだけでなく、「はるか・遥か」つまり「とおくへだたった・遠く隔たった」存在を「おもう・思う・想う」行為が、「はかる・おしはかる」または「おもいやる」です。「はかる・はるか」をめちゃくちゃにこじつけてしまいました。このように、「正しい」とされる意味に逆らった言葉の運動のありようや、ノイズとしてみなされがちなイメージを「いみ・忌」と、このブログでは呼んでいます。


 不謹慎とも、不真面目ともとられるにちがいない、言葉との戯れを、大切にしたい。おろそかにしたくない。そう思っています。というのも、言葉がいとおしいからです。「あなた」が「彼方」であり「貴方」でもある。「うつせみ」が「空蝉」でも「現人」でもある。これは、いわゆる「正しくない」が起こったからです。ということは、「正しくない」こそ「正しくない」ことになります。


 不思議なことがあります。「正しくない」が起こったのかどうかは知りませんが、「な・汝・己」も「わ・我・吾」も、「わたし」でもあり「あなた」でもある。そんなふうに辞書に書いてあります。「てまえ・てめえ」と似ていると考えると、何となくわかる気がします。何となくです。なぜかは、わかりません。


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 言葉はわからないことだらけです。


「食べれない」と言って「食べられない」と言わない人がいてもいいではありませんか。「けさは、しばれるなあ」とか「ああ、よかんべ」と言う人がいても、かまわないではありませんか。あえて古い流行語を挙げますが、かつて「デカンショ」や「チョベリグー」と言っていた人たちと、「スパコン」「イケメン」と言っている人たちとのあいだに何か違いがあるでしょうか。今でも「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と書かない人たちがいてもいいじゃないですか。


 みんな同じヒトです。みんな同じ言葉です。「正しい○○語」「正しくない○○語」「美しい○○語」「乱れた○○語」などという分け隔てはやめませんか。声に出して読みたい人は、お好きなようにどうぞ。また、そうしたキャッチフレーズを、ほかの目的につかわないでください。もっとも、お金儲けに利用するのはその人の自由です。ただ、思想教育とか洗脳とか、押し付けや強制につながる行為はしないでください。それに、世の中には声を出したくても出ない人がたくさんいます。


「はかる・おしはかる・おもいやる」。奥が深そうな言葉ですね。気になります。今回もまた、道草をしてしまいました。本題に入ります。


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 ここで「はかる」を、漢字をもちいて、ずらしてみましょう。広辞苑を参考にします。


「はかる・計る・測る・量る・図る・謀る・諮る・別る」


「はかる・調べる・数える・計算する・みつもる・見積もる・考える・推し考える・分別する・考慮する・推しはかる・予測する・見当をつける・相談する・機会をうかがう・見はからう・企てる・もくろむ・工夫する・あざむく・だます」


「はかる・はかり・秤・許り・ます・枡・升・斗・ものさし・物差し・物指し・度量衡・度量衡原器・キログラム原器・メートル原器」


「はかる・はからい・思量・思料・思慮・おもんばかり・おもいはかる・おす・推す・押す・圧す・捺す・推定・推測・推量・考える・思う」


「思う・思い・想い・重い・重み・重さ・面・顔・顔つき・表面・重・主・おもだったこと・おもに」


「おもみ・重み・重さ・あつみ・厚み・厚さ・かち・価値・価直・ねうち・値打ち・効用・たち・性質・質・品質・体質・生まれ・しょう・ね・値・あたい・値・しょうね・性根・かなめ・要・要点・重要・肝要・肝心・肝腎・大切・大事」


「アナログ・デジタル・主観的・客観的・具体的・抽象的」


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 次に、「□□をはかる」というように、「はかる」の対象となるものを、思いつくままに列挙してみます。


「数・量・重さ・長さ・高さ・奥行き・厚み・面積・体積・容量・距離・時間・時刻・年数・年代・年齢・角度・直線の傾き・揺れ・具合・密度・速度・圧力・熱量・温度・濃度・明暗・○○の具合・○○の程度」


「知能・学力・体力・QOL・○○の価値」


「思い・意図・内容・程度・良し悪し・○○の可能性・○○の確率」


「悪事・暗殺」


「便宜・向上・充実・徹底・拡充・解決・改善・安定化・合理化・近代化・強化・活性化・タイミング・バランス・効果・影響・レベル・度合・具合」


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 今度は、単位の名称を挙げてみます。本来なら、上述の事項と対照させるべきなのでしょうが、身の程をわきまえて、そうした出来もしない冒険をしたり、お勉強をする振りをして何かをコピーペーストすることは控えます。思いつくままで、いきます。


「メートル・ヤード・フィート・尺・マイル・グラム・オンス・トン・貫・個・人・匹・頭・平方メートル・立方メートル・バレル・時間・年・月・週・日・分・秒・世紀・光年・時速・毎秒・パスカル・マグニチュード・震度・カロリー・度・パーセント・ビット」


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【※ 以上の言葉たちの中には、これまで記事の中で論じたものがいくつかあります。キーワードと記事を挙げておきますので、お時間とご興味のある方は、どうかご参照ください。微妙に「はかる」とかかわっています。

◆熱 : 「論理の鬼」2009-01-02 &「書く・書ける(2)」2009-05-22 / ◆確率 : 「信号論(3)」2009-05-12 &「賭け・賭ける」2009-05-21 &「さらに気になることが」2009-08-03  / ◆時間 : 「「時間」と「とき」」2009-06-28 &「「揺らぎ」と「変質」」2009-06-29 &「うたう」2009-07-02 / ◆直線の傾き : 「もう1つ気になることが」2009-08-02 / ◆価値 : 「ケータイ依存症と唇」2009-01-27 &「信号論(1)」2009-05-10 &「げん・言 -8-」2009-09-01 / ◆重さ : 「うつせみのたわごと -10-」2010-02-11 、2010-02-23 にある同記事の解説と併せてお読みください) / ◆厚み : 「あつさのせい?」2009-07-16 &「うつせみのたわごと -13-」2010-02-14、2010-02-23 にある同記事の解説と併せてお読みください)】


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 話をもどします。「はかる」という言葉から出発した、上述の連想ゲームもどきの言葉の羅列に、もう一度目をやってみてください。たくさんあって、ややこしいですね。でも、何となくイメージがわかってきませんか? ここはお勉強の場ではないので、何となくで、かまわないと思います。


 上で挙げた言葉たちを眺めていると、前回の「はかる -2-」で書いたことが思い出されます。少し文言を変えて、以下に並べてみます。


(1)「はかる」の裏には、「はかる」側の目的・意思・意図・思惑があると考えられる。


(2)「はかる」者、つまり観測者の位置と、(1)に挙げた要素によって「はかる」の結果が左右されるのはないか。


(3)「はかる」行為は、「基準・単位」を必要とする。「基準・単位」の設定は、ヒトが決めるものであり、一様でもなく一定してもいない。


(4)「はかる」は、ヒトという枠の中での行為であり、とりわけ「おもい・思い」という枠の中で行われると思われる。同時に、「はかる」がヒトという枠の外からの何らかの働きかけに左右されることも大いに考えられる。枠の内外で生じる出来事や力によって、誤差やブレやノイズと呼ばれるものが生じるのではないか。いわゆる精度と信頼性の問題である。


(5)「はかる」の次にヒトが行うのは、「さぐる・みつける・しる」「くらべる・きそう・てらしあわせる」「わける・わかる」という広義の「解釈」と、「かわす・かえる」「つくる・おこす・うみだす」「うごく・うごかす・はたらく・はたらかせる・ゆらぐ・ゆらす」という広義の「運動」である。


(6)「はかる」行為から生じた結果は、広義の言葉によって記される。広義の言葉とは、話し言葉と書き言葉だけでなく、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、指点字、音声(発声)、音楽、合図、映像、図像、さまざまな標識や記号や数字や信号などを指す。


(7)「はかる」行為から生じた結果は、いったんヒトから離れた瞬間に、ニュートラルな「もの」となる。その「もの」は、ふたたびヒトにとらえられて初めて「意味・忌」を成す。


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「はかる」とは、ヒトいう枠内において、さまざまな「思い・思う・想い・想う」の「おもい・重い」重みと「あつい・厚い・熱い・篤い」厚みと重なり合って生じる擦れる音、つまり「おとずれ・音擦れ」として、ヒトにのみ「訪れる」ものなのではないでしょうか。だから、たぶん、はかないのです。その「はかる」の「はかなさ」について、次回は書きたいと思います。



※この記事は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77



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