あう(4)

げんすけ

2020/07/27 08:03


 今になって「信号」というものについて考えているのには、わけがあります。とりたてて言う必要がなかったので、これまでブログには書きませんでしたが、親の介護をしています。


 うつとの共存、および言葉と哲学について考えていることをつづる――。そんなコンセプトで初めてブログを書き始めた昨年(※二〇〇八年です、古い話ですがお付き合いください)の十二月には、ブログのサブタイトルとして、そうした意味のフレーズを明記していました。つまり、「ああ、この人はうつのリハビリの一環としてブログをやっているのだな」と分かる程度のことを書いていました。


 そのうちに、あるテーマを書くさいに必要に迫られて、自分が中途難聴者であることに触れ、以後はその障害を真正面に論じた記事を書いたこともありました。


 そのほか、無職の身であるとか、自分名義の預貯金は事実上使い果たしたとか、親の年金にたかって生活しているとか、折りに触れて書きました。ブログは、公開されている日記みたいなものですから、普通は他人にあまりしゃべらないようなことを書く場合があります。この記事をお読みの方で、ブログを書いていらっしゃる方も、似たような経験をなさっていると思います。


 自分の場合には、ハンドルネームを使い、プロフィールも、詳細をぼかしてありますから、自分が特定される可能性はゼロとは言わないまでも、低いとだろうと楽観しています。案外、一部の知り合いにはバレているかもしれませんが、友達と呼べる人がいないので、その点については何とも言えません。


 で、親の介護ですが、親がかなり高齢なので大変なのは確かです。幸いなことに、手助けしてくれる人がいるので、自分はうつとの闘い、いや、これだけ長いと、もう闘いではなく共存しかないですけど、とにかく、うつの対処に専念できます。ですから、力になってくれている、その人にはとても感謝をしています。


 とはいえ、自分だけ、一日中ぼんやりしているわけにはいきませんから、家事をしたり、外へ出て雑事を片付けながら、考えたことを紙切れに走り書きして、翌日にブログを書く。そんな毎日を送っています。親の介護が必要になったのは、一昨年の初めに大病をしたからです。それまでは割と元気で、入院をした経験もほとんどない人だったので、病に倒れたさいには、こちらもてんてこ舞いしました。


     *


 一時は危篤状態となり、約一か月間の入院でした。そのとき、看病をしながら、


*「信号」


ということについて、よく考えていました。なにしろ、病院は信号だらけなのです。大病院で、先進的な医療をしている施設だったので、あらゆるところで機械や器械が作動しています。すべての情報がデジタル化されたデータとして、施設内を飛びかっている。そんな場なのです。


 要するに、機械だらけ、スイッチだらけ、信号だらけなのです。難聴者である自分にとって、察知できない信号も数多くあります。ちょっとしたブザー音や、機械音声、院内放送が聞きとれない。そんなケースは枚挙にいとまがありません。


 看護師さんやお医者さんやその他のスタッフの方々に、事情を話して、音声で伝えるのとは違った方法で、こちらに分かるように合図=信号を送ってもらうようにお願いする。それしか方法はないわけです。しかも大病院は看護師さんとスタッフの方々だけでも、たくさんいます。日や時間帯によって、引き継ぎもあります。違った人が来れば、最初から説明し直さなければならない。それだけでも、大変でした。ストレスにもなりました。


     *


 親は無事退院し、介護が必要ですが家で生活できるようになりました。寝たきりではないので、まだ助かります。そういう暮らしに慣れてきたとき、今度は、自分が体調を崩しました。ちょうど昨年のゴールデンウィーク明けのころです。疲れがどっときた感じでした。入院こそしませんでしたが、数日間通院し、いろいろな検査を受けました。


 親が入院していたのと同じ病院だったので、ある程度、勝手が分かっていたので、心強かったです。でも、お医者さん、看護師さん、スタッフのみなさんに、いちいち耳の障害について説明しなければならないのも、体調の悪い身には、かなりのストレスになりました。で、その時期に、また考えていたのが、


*「信号」


なのです。


*病院で働く人たちとのコミュニケーション=「信号」のやりとり


 それだけのレベルではありません。検査の結果=情報は、すべてがデジタル化されたデータとして記録・保管され、必要なものだけが、患者である自分に伝えられます。数字、つまり数値やグラフである場合もあれば、医師や看護師の言葉による説明という形で、伝えられます。


「信号」についていろいろ考えていた過程で、かつて大学生時代によく翻訳で読んでいたミシェル・フーコーというフランスの人の書いた文章を、頻繁に思い出しました。フーコーは、決して長かったとは言えない生涯を通じて、


*「視線」


に注目しつつ思考を重ねた人でした。


 医学・医療・病院や、刑務所・刑罰・法といった、「隔離」および、「排除と選別」を前提とする、ヒトのいとなみや施設の構造を論じた文章に、それが顕著に表れていたと記憶しています。詳細はきれいさっぱりと忘れましたが、「視線」を重視した人だったことは確かだと思います。


 ジャック・デリダという、やはりフランスの人が聴覚的な比喩を多用した思索家であったとすれば、フーコーは視覚的な比喩を用いた思想家でした。デリダの文章では、声や鼓膜を始め、ティンパニだの太鼓だの鐘だのが出てきた記憶があります。それに知的アクロバットのような駄洒落の連発が特徴でした。


 一方、フーコーは、襞(ひだ)を視るとか刑務所の監視塔とか砂浜の光景とか絵画・美術作品などをめぐって長文の論文を書きました。駄洒落はあまり得意ではなかった気がします。


     *


 話を病院に戻します。医学では、まず兆候を「見る」という行為から始めますね。お薬を処方する前に、「診なければならない=見なければならない」。そして、看護師さんたちは、患者と呼ばれる人を「看なければならない=見なければならない」。外科のお医者さんなら、患部を「視なければならない=診なければならない=見なければならない」。


*みる=観る=診る=看る=視る=視線を送る・視線を向ける=目を凝らす・目を据える・目を澄ます・目を注ぐ・目を光らす=目詰める・見つめる


というわけです。


 そうやって、患者の身体が発する「兆候=信号を察知する」。次にそれに基づき、「判断する」=「診断する」=「病名をつける」。場合によっては、「病名を告げる」こともあれば、「告げない」こともある。内科医なら、薬や抗生物質という一種の「毒」を処方する。【※なお、薬でもあり、同時に毒でもあるものについて、デリダは書き記すという行為の両義性と重ね合わせてスリリングな議論を展開していました。ご興味のある方は、「デリダ パルマコン(ファルマコン) 脱構築」をキーワードにネット検索されるとたくさんお勉強ができると思います。】


 外科医であれば、手術という形で、患者の身体にメスを入れ、一部を切り取ったり、接合したり、分離したりする。現在では、放射線などを当てるなど、もっと複雑な治療法を施すのでしょう。専門家ではないので、詳しいことは知りません。


 いずれにせよ、


*「みる」=「視線」=「信号」


といった、「視覚をモデルにしたイメージ=比喩」で語ることのできる行為が、医療において、かつても現在も重要性を持っていることは事実でしょう。もちろん、信号には聴覚に訴えるものもあることを忘れてはなりません。聴診器がいい例ですね。


 赤ちゃんの泣き声、患者のうめきも、「信号」です。もっとも、現実には、ことは以上のような単純なものではないに違いありません。で、去年の今ころ、体調を崩した自分は、いろいろな検査を受けました。理系の科目が大の苦手なために、尿検査や血液検査をされても、いったい何をどういう原理を応用して調べているのか、さっぱり分かりませんでした。


 激しいめまいに見舞われたので、X線検査を始め、CTスキャンとか、MRI検査というものも受けました。あのCTとかMRIっていったい、どんな仕組みで脳の中を映像化しているのでしょう? 見当もつきません。


     *


 昔は、医師が、五感や、五感+第六感みたいなものを総動員して、患者の身体を「診ていた=視ていた=見ていた」のでしょう。現在では何もかもがデジタル化されたデータ・情報=デジタル信号に置き換えられているみたいなのです。


 遠隔医療とか遠隔手術という言葉を、このところ盛んに見聞きします。そもそもすべてが、信号に置き換えられるのならば、医師と患者の間が数センチであろうと、数メートルであろうと、数万キロであろうと変わりがない。ということなのでしょうか。


 細かな細工が得意な職人さん並みの手先の機用さが要求されるという、外科医の手と指は、近い将来にロボットのそれに取って代わられるということなのでしょうか? 喜んでいいのやら、嘆くべきことなのやら、それさえ判断がつきません。


 いずれにせよ、


*「信号」


というもの、特にデジタル化された情報=データが、知らない間に多種多様な分野で活用されている。それを意識するきっかけになったのが、親の入院と、自分の通院という体験でした。


 そう言えば、自分が両耳に装用している補聴器もデジタル信号を利用したものです。自分は、いわば、機械が聞き取った音を聞いて日常生活をいとなんでいるのです。自分を含め、みなさんがテレビやパソコンを通して耳にする音声も、デジタル信号をスピーカーという器械が増幅した機械音です。そう思うと、ますます「信号」というものが気になります。


     *


 言葉=言語という「トリトメのないもの」を、思考の対象とするさいには、よりどころになるツールが必要です。そのツールとして、これまでに、


(1)表象、

(2)トリトメのない記号=まぼろし、

(3)「ぐちゃぐちゃ」=「ごちゃごちゃ」、


を用いてきたという意味のことを、「あう(1)」で書きました。その三つのツールでは、以上述べてきたような、病院での体験、つまりデジタル信号はもちろん、もっと単純な意味での信号も扱いきれない。そんな気がします。


 もっと単純な意味での信号というのは、アナログ信号とでもいうのでしょうか、時計の針が示す「時」や、水銀を使った温度計が示す温度くらいの意味です。アカデミックな場で論じられている厳密な意味での「信号」について知るには、「情報理論」とかいう、非常にややこしい理系的な発想に基づいた考え方を理解する必要があるみたいです。


 自分は、お勉強好きではありませんので、それとは違うやり方で、というか、我流で「信号」というものを考えていくつもりです。


 そんなスタンスで考えた一例を挙げます。病院のベッドのすぐ近くの器械からぶらさがって伸びてきているコード。そのコードの先には、ナースコールのボタンが取り付けられていますね。親の入院中に、親がそのボタンを押すのを見るたびに、そして、それに応答する看護師さんの声が、壁にはめ込まれた器械のスピーカーから聞こえるごとに(※難聴者の自分には、これがとても聞きづらいのです。自分が入院する事態になったら、どうしようかと不安になります)、ナースコールという信号は、広義の言葉=言語ではないか、みたいなことを考えていたことが、思い出されます。


 きのうの記事の最後のほうで比喩的に触れましたが、夜の病室で親に付き添いながら眠っている時に、ふと目を覚まして見た神秘的とも言える光景を、よく思い浮かべます。患者の生命を維持するために置かれた機器のことです。その器械に付いているいくつもの小さなランプの点滅――。それが青だったか、黄色だったか、緑だったかまでは、覚えていません。


 覚えているのは、微かに聞こえてくる器械の音。普段は補聴器を外して眠るのに、親の付き添いの時だけは、外すわけにはいきませんでした。患者に異状が起きれば、その器械が察知して、音を鳴らすか、非常用のランプ(※おそらく赤でしょう)を点滅させるか、電波を通じて然るべき別の器械に伝えるであろう仕組み。それらは、すべてが信号なのだ。そんなことを、今になって考えています。


 上述の(1)表象、(2)記号、(3)ぐちゃぐちゃ――そうしたものとは、どこかイメージが違う。でも、似ている部分や合い通じる部分、あるいは共通する点もあるような気がします。


     *


「信号」について考えるとき、なぜか、「あう」を連想します。それが動機となり、このシリーズを書いています。このサイトのブログ記事を何回か、お読みになった方はご承知かと思いますが、「論理的思考」や「筋道を立てる」や「体系化する」や「まとまりをつける」ということが、自分は大の苦手です。


「でまかせ」や「テキトー」や「こじつけ」や「勘」を頼りに、文章をつづるという姿勢を貫いています。「つれづれなるままに」なんて、吉田兼好さんに対して無礼な言い訳はしません。「だらしがない」だけです。でも、これでいいと思っています。いや、これしかないと言うべきでしょう。「頑張らない」で「頑張る」というやつです。


 で、


*「信号」と「あう」がどうして「あう」のか、


について考えてきた結果、ようやく分かりかけてきました。まだ、言葉にしてはいません。こういうさいに、どのように言葉――ブログの場合には文字――にするかについては、三通りの方法があるように思います。


(A)説明する。読む人に分かってもらえるように、なるべく詳しく、かつ簡潔に、筋道を立てて書く。(※論理に頼る)


(B)説明する。読む人に分かってもらえるように、比喩=たとえを用いて書く。(※比喩に頼る)


(C)比喩を積極的に利用する。比喩を、意識的に=戦略的に、エスカレートさせて、おとぎ話=お話=寓話=アレゴリーという形で、「ほのめかす」ように書く。(※これも比喩的な表現なのですが、いわば「以心伝心」「阿吽の呼吸」を目指す)


 以上のうちの(C)を試みてみたいと思います。理由は、二つあります。このテーマでは、(1)その方法がふさわしいように感じられるから、(3)上で述べた(A)と(B)が現時点ではできそうもないから、です。


*「信号」と「あう」がどうして「あう」のか


について、イメージは何となくつかめた感じがするのですが、とにかく、説明しにくいのです。また、(1)と(2)は同じことを言い換えているのにすぎないとも思えます。で、(C)の作業をこれから実行するつもりですが、それが済めば、頭の中が整理されて、(A)や(B)もできるような予感もあります。というわけで、あるおとぎ話をします。



★ ★ ★



 昔々のことです。ある大陸に広がる大平原に暮らす人たちがいました。多くの部族に分かれ、散在するという形で生活していました。それぞれの部族は異なった言語を話していました。文字は存在しませんでした。部族間の交流は、主に物々交換という経済的なレベルだけで行われていました。


 狩猟や牧畜をめぐってのテリトリーの問題が生じ、部族間で交渉が行われたり、第三者の部族が調停にあたるといった事態も、ときにはありました。そのさいには、「手話」の一歩手前の段階に相当する、身ぶり手ぶりによる「言葉」が用いられていました。それも、やがて文法を備えた手話に近いものへと発展していきました。


 大平原では、声を張り上げても遠くまで届きません。空洞のある骨や石に唇を合わせて、息を思い切り吹き込んで、かん高い音を出す笛。器に張られた動物の皮と木の棒を打ち合わせて、大きな音を出す太鼓。硬いものを金属の器に打ち合わせて、よく響く音を出す鐘。棒切れを打ち合わせて鳴らす一種の拍子木。こうしたものを使って、仲間に合図を送るという方法がとられ、部族の行動範囲は広がりました。


 そうなると、他の部族と遭遇する機会が増えます。話し言葉が通じない場合には、身ぶり手ぶりや、「手話」で話し合うことになります。テリトリーと行動範囲が広くなるにつれ、部族間の出会いは増します。徐々に、部族間の交流、あるいは争いが増え、部族同士が結合するという現象も起こるようになりました。


 友好的な関係の部族もあれば、敵対関係にある部族もあります。部族連合のようなものも出来てきます。定期的に族長同士が集まって顔を合わせ、「手話」や「共通語」に似た混合した話し言葉が使われる機会も増えてきました。一部族のテリトリーや、部族連合のテリトリーは、拡大する一方でした。


 それにつれて、部族間、部族連合間の触れ合いや抗争が生じました。こうした複雑な関係が生まれると、話し言葉だけでなく、さまざまな方法での、部族内、部族同士、部族連合内、部族連合間の連絡方法が必要になってきます。


 遠く離れた人同士での、コミュニケーションの方法は、音を用いるだけではありません。火を用いる方法もありました。人間と火の出合いは、最初は、自然現象として生じました。落雷や乾燥による自然火災に遭うことは、人間にとっては避けられない事態です。


 そうした災難ののち、燃え残っている火のついた草や木を火種として大切に保存し、食べ物を焼いたり、灯りとして用いたり、暖を取る。そんな形で、人間は火を利用することを覚えました。石英の一種を打ち合わせるとか、木切れ同士を擦り合わせることによって、火を起こすことも覚えました。複雑な内容を伝え合うことができる話し言葉と同様に、火を扱うことは、他の動物たちにはできません。人は、とても便利な二つの道具を手にしたのです。


 話し言葉や火を神聖なもの、つまり、自分たちの力を超えた強い存在だと考える部族もいました。言葉を使って、これから起こることを占う。炎を崇め奉る。そんな習慣を大切にする人たちもいました。また、焚き火からヒントを得て、烽火(のろし)を上げて、さまざまな合図にするというアイデアも生まれました。


 烽火は、太鼓や笛などと違って、力を込めて叩き続けたり吹き続けたりする必要がないため、便利なコミュニケーションの手段となりました。烽火の煙の色や、煙を出すタイミングをずらすことで、ある込み入った意味の合図を送る、という複雑な意思伝達の方法を考えついた人たちもいました。太鼓や笛でも、同じように複雑なことができました。


 さて、ここで、ある部族で起きた話をしましょう。△という男の人が、部族の掟を破り、追放されました。テリトリーを追われ、見知らぬ土地をさまよい歩いているうちに、ある女の人と出会いました。その女の人は○という名前でした。


 衰弱して病気になっているらしい△を見て、○は憐れに思いました。○は、自分の部族の集落から少し離れたところにある小山に△を連れて行きました。その小山にある洞くつに△をかくまい、一日に二度、こっそりと食べ物や水や薬草を運ぶようになりました。毎日、逢っているうちに、二人は愛し合うようになりました。


 やがて、○が身ごもり、部族の人たちに、二人の関係がばれてしまいました。その部族では、他の部族の者との結婚は、族長を司会とする合議で承認されるという掟がありました。△の部族の話す言葉を聞いたことがある人がいて、△の出身地が明らかになりました。そこで、△を追放した部族と連絡を取ろうという話になりました。


 烽火が上げられ、近隣の部族間の集まりが開かれました。それほど、掟というものは、大平原に住む人たちにとっては、重要な意味を持っていたのです。集会の議題は、△と○との間の結婚を認めるかどうか、でした。「手話」や、身ぶり手ぶりや、一種の「共通語」などを用いて、話し合いが行われました。


 結論は、ある部族のシャーマン、つまり、天と会話のできる人に決めてもらうことになりました。シャーマンは、火を起し、炎に生贄の山羊を捧げ、トランス、つまり夢を見ているような状態になり、次のように叫びました。 


「この炎が消えたあと、雨が降れば、二人の結婚を許そう。同時に、かつて掟を破った△の罪も、他の部族の者と通じた○の罪も消える。雨が降らなければ、二人を火あぶりの刑に処する」


 炎が次第に小さくなっていき、日が落ちたあとの静けさのなかで、各部族の代表者たちは、息を詰めて、天を仰いでいました。急に雷鳴がとどろき、微かに明るかった空が真っ暗になり、大粒の雨が降り始めました。


 動物の皮で作られた天幕がいくつも張られ、人びとは、そのなかに逃れ、灯りをともしました。やがて雷雨は止みました。もう夜です。闇と化した平原の一画に、少し間をおいて散らばった天幕が、提灯のように点々と光って見えます。その天幕の一つに、抱き合う二つの人の影が映っていました。




 以上で、「★ ★ ★」の次から始まったおとぎ話はおしまいです。


     *


「信号」と「あう」がどうして「あう」のかについての、おとぎ話が終わりました。読み返してみましたが、おとぎ話のつもりとはいえ、実に稚拙な文章で、お恥ずかしい限りです。「なんだ、馬鹿らしい」と思わるのも、もっともだと思います。


 でも、もう一度、読んでほしいのです。お願いします。できれば、言葉を読むというより、言葉の身ぶりや表情を見てほしいのです。妙なことを書いて、すみません。難しいことをお願いしているのではありません。小学生くらいのコドモになったつもりで、読んでください。もちろん、お時間のない方は、スルーなさってかまいません。それでも分かるように書きますので。


 話が飛躍するようですが、コドモもオトナもヒトですから、知覚し差別します。違いがあるとすれば、概して、コドモは体で差別=区別=知覚し、オトナは頭で差別=区別=知覚します。今、問題にしているのは、文字で書かれたおとぎ話です。


 上のお話には、たぶん小学生には、理解しにくい言葉遣いや現象が書いてあるかもしれません。でも、いや、だからこそ、小学生くらいのコドモは「書かれている意味よりも」、「書かれている文字に注意を払って」、上のおとぎ話を読もうとすると思われます。


 そのとき、


「あっ、ここにもある=これとあれは同じだ」


とか、


「これとあれは似ている」


という具合に気づくことがあるかもしれません。


 そうした「知覚に訴える部分」が、オトナには気づきにくい傾向があります。つい、言葉の意味だけに意識がいってしまうのです。ところで、「似ている」とか「同じだ」と「気づくこと=知覚すること」は、「違い」を認めることと同じく、「分ける」=「区別する」=「差別する」という行為です。


「違っている=異なる」の反対は、「同じ or 似ている」ではありません。両者を認識するさいには、「同じ or 似たメカニズム」が働いているのです。詳しいことは、次回に、できるだけ「筋道を立てて」説明しようと思います。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。

https://puboo.jp/users/renhoshino77



#エッセイ

#言葉


 

このブログの人気の投稿

あう(1)

かわる(8)

かわる(3)