テリトリー(4)

星野廉

2020/09/20 11:38 フォローする

 クイズです。次に挙げる言葉は、何でしょう? 波止場、コルト45、慕情、にがい米、天国と地獄、探偵物語、凱旋門、落ちた偶像、昼下がりの情事、アメリカの悲劇、ガラスの城。そうです。映画のタイトルです。しかも、全部が洋画です。第2次世界大戦後の10年間ほどに、この国でヒットした映画ばかりです。もう1つ、クイズを出します。以上の洋画の邦題に共通する点がありますが、何でしょう? さらに、例を追加します。


 カサブランカ、心の旅路、ガス燈、断崖、ブルックリン横丁、美女と野獣、旅路の果て、大いなる幻影、甦える熱球、仔鹿物語、自転車泥棒、無防備都市、ヨーク軍曹、虹を摑む男、女相続人、黄色いリボン、アニーよ銃をとれ、わが谷は緑なりき、紀元前百万年、バンビ、サンセット大通り。


 どれもが大当たりした、つまり興行成績のよかった映画ばかりですね。なんて、偉そうなことを書いていますが、どれもが自分の生まれる前に製作されたものです。名前だけで知っているだけか、見たとしてもテレビかレンタルビデオで見たものです。で、答えですが、発音すると分かります。もう少し、例を挙げます。声に出して呼んでみてください。


 邪魔者は殺せ、疑惑の影、風と共に去りぬ、殺人狂時代、欲望という名の列車、天井桟敷の人々、第三の男、地球最後の日、雨に歌えば、禁じられた遊び、見知らぬ乗客、地上最大のショウ、ローマの休日、帰らざる河、エデンの東、暴力教室、必死の逃亡者、傷だらけの栄光。


 そうです。共通点は、発音すると、どこかに「濁点」が入るということです。なお、カサブランカみたいに、原題をそのまま邦題にしただけで濁点が入るものは、なるべく除きました。


 でも、どうしてなんでしょう? これは、かなり前に、何かで読んだか、聞いたことなのですが、当時映画を輸入して配給していた会社が、原題を邦題に直すときに、


*縁起をかついだ = 邦題に濁点の字を混ぜれば当たると信じた 


というのです(※この記憶が正しくなく、「カサブランカ」みたいに全部がカタカナの邦題だったかもしれません、間違っていたらごめんなさい)。なぜ「 " 」、つまり、濁点を邦題に入れると、縁起が良くて、興行成績が良くなるという「神話=伝説」が生まれたのかは知りません。大切なことというか、ここで考えてみたいのは、


*名前に祈り・願いを込める。


とか、


*名前、あるいは、言葉には、パワーがある。


と、ヒトが信じる現象です。


     *


 上の例は洋画の邦題ですが、例外もあるわけです。荒野の決闘、町の人気者、哀愁、赤い靴、白い恐怖、肉体の悪魔、花嫁の父、ライムライト、恐怖の報酬、理由なき反抗、王様と私、戦争と平和、誇り高き男、赤い風船、追想、やさしく愛して。


 こうした映画がヒットした以降は、洋画も邦画も下火になります。映画自体がテレビに屈する時代が、到来するわけです。


 映画でも、テレビドラマでも、小説でも、歌の題名でもいいです。自分が、


*いちばん楽しかった、苦労がなかった、単に若かった、輝いていた


なあ、と現在思い出される時期に流行ったものの


*タイトル=名前


って、懐かしいし、口にしてみると心がなごむし、不意にそのころの記憶が、ばあーっという感じでよみがえったり、思わず目が潤んできませんか。名前よりは、ちょっと長いものである、


*流行語、標語、キャッチフレーズ、CMの文句、歌詞


なんていうものも、いいですねー。


*記憶の断片を放出する=発する「不思議な力」がこもっている


という気がします。知覚器官や皮膚だけでなく、脳、神経、そして知覚をつかさどる以外の器官や内臓に染み入ってくるような、パワーが感じられる時があります。こうなると、


*からだの全細胞で信号を受け取る


なんていう、大げさな言い方を肯定したくなります。


     *


 きのうの記事のなかで、次のように書きました。


*固有名詞には、きわめて強いイメージの喚起力がある。


*名前には、半端じゃないパワーがある。


*ちょっと考えている=企んでいることがありまして、このシリーズでは「名前」に「短めのフレーズ」も含めさせてください。


*名前の半端じゃないパワーを利用して、縄張りつくりや、縄張りの拡大を、イメージ操作=情報操作によって実行することも可能である。


*大切なのは、内容ではなく、イメージだ! ⇒ 内容はそこそこでいいから、強烈なイメージで、相手を落とせ! ⇒ 名前 or 短いフレーズで、相手を落とせ!


 以上が、きのうの記事からの引用ですが、こうしたフレーズを書いて、何を言いたかったのかと申しますと、


*名前=短いフレーズは、こわいよー。


ということなのです。これに尽きます。固有名詞に限って言えば、ブログを初めて間もない頃に、「あえて、その名は挙げない」と「遠い所、遠い国」で、わりと正面から取り組んで書いています。今から思えば、このシリーズの芽みたいな記事でした。ご興味のある方は、ご一読ください。短めで文章も読みやすいと思います。


 で、きょうも屁理屈とゴタクを並べる前に、きのうみたいに、おとぎ話=紙芝居=アレゴリー=与太話をさせてください。「またかよー」ですか? ごめんなさい。ちょっとだけ、付き合ってくださいよー。きのうのおとぎ話、


*「な、いいだろう?」の続編


なんです。タイトルは、「テラ取り物語」です。「ったく、もう、くだらない」なんて、おっしゃらずに、どうかお読み願います。縁起をかついで、ちゃんと題名には、濁点を入れておきました。


     *


★テラ取り物語


 名って、なんて、すてきな、ルールなのでしょう。いったん、名をつければ、その名はどこへでも、持って行けます。ほかのヒトたちに、「これは、わたしのものだ」という印(しるし)みたいなもの、にもなります。この印(しるし)で、知る、つまり、知識を得たり、蓄えたり、伝えたりすることができるのです。自分が死んでも、子や、その子や、またその子たちへと、えんえんと残すことができます。ヒトって、賢いですね。すごいですね。まるで魔法じゃないですか。これって、半端じゃないですよ。な、いいだろう? いやー、名前って、本当にいいものですね。って感じですね。


 そんなふうに名前という魔法のようなものを手にしたため、ヒトは、名前のついた場所、つまり、自分たちの土地をどんどん拡大していきました。もちろん、簡単に土地を広げていくわけにはいきませんでした。ヒト同士のあいだで、争いが絶えないのです。「わたし」が次々と現れるのです。


「ここは、わたしのだ。だから、ここにあるものは、ぜんぶ、わたしのもの」。「いや、ここに名をつけたのは、わたしのほうが先。だから、ここにあるものは、ぜんぶ、わたしのもの」。「おまえたちは、何を言っているのだ。わたしのほうが、先に名づけたんだ。だから、ここにあるものは、ぜんぶ、わたしのもの」。「わたし」「わたし」「わたし」……、とにかく、きりがないのです。


 ヒトは、仲間、つまり、ヒトや、ほかの生き物を殺(あや)める天才です。石、弓、刀、先のとがった棒切れ、場合によっては火。ヒト同士で戦うため、そして、猟や漁をするために、いろいろな武器を手にしていきました。ヒトは、たいていのものなら、何でも食べちゃうのです。とにかく、きりがないのです。


 たくさんの血が流れました。たくさんの首が飛びました。あちこちで、ジュージューと、ヒトの肉のこげるにおいもしました。ヒト同士、または、ほかの生き物たちを相手に、ヒトは、戦い、殺める方法を覚え、だんだん上達していきました。手先が、半端じゃなく器用なのは先祖譲りです。親指1本で、相手を倒せるつわものまでいます。みぞおちとか、喉のあたりを狙うらしいですよ。ああ、こわい。


 一方、名づけは、えんえんと続いていました。たくさんの「わたし」たちが、次々と「わたしのもの」だと言って、ゆずらないのです。ちなみに、それぞれの「わたし」は自分の名前を持っています。でも、とっても大切なものなので、めったに、口にしないなんてルールをもっているグループもいたみたいです。とにかく、きりがありません。アイ、アイ、マイ、マイ、ミー、ミー、マイン、マインって言う、言葉の違う、よそのヒトたちまで出てくるのです。


 縄を張って、「わたしのもの」というヒトたちもいれば、どこからともなく現れて、てりてりとりとり、とりてりとりてり、てりとりてりとり、なんてわけの分からない言葉でわめく、よそのヒトたちが後を絶ちません。とにかく、きりがないのです。たくさんの「わたし」たちが、「これは、わたしのものだ」と言い張る土地のことを、ここからは、ぜんぶ、ひっくるめて、縄張りと呼びます。これで、すっきりしましたね。


 あっつ。ちょっと待ってください。「縄張りなんて言葉、いやだ、いやだ」と、いう声が聞こえました。このおとぎ話に出てくるキャラクターさんの1匹、いや、1ケ、というより、1名ですか、とにかくそのキャラクターさんの声です。縄張りって、ぴったりで、いい言葉なのに、なぜなんでしょうね。「もっと、格好いい言葉がほしい」なんて、言っていますよ。ひょっとして、さっきのわけの分からない言葉でわめく、よそのヒトたちのしゃべっていた言葉ですか? えっつ? あっちのほうがいいなんて、キャラクターさんが贅沢を言っています。てりてりとりとり、とりてりとりてり、てりとりてりとり、でしたっけ? 早口言葉みたいで言いにくいです。でも、何か意味深ですね。


 そういえば、テラって言葉があります。てら銭の「てら」ではなくて、ラテン語で土、土地、陸地、大地って意味らしいです。ということは、地球もテラってことです。なんかそんな言葉の出てくる、SFがあった記憶があります。じゃあ、テラを取り合うのだから、テラトリなんてどうでしょう、キャラクターさん。えっつ? 「テラ取り」って、専門用語があるのですか? じゃ、ちょっと訛って「テリ取り」はどうでしょう? えっつ? どうせなら、「テリトリー」まで訛ってくれ、ですか? はい、承知いたしました。では、これからは、「わたしのもの」って叫んだ土地は、テリトリーと呼びます。この名前で、よーござんすか? 


 いやー、名前って、本当に便利ですね。今、名前って呼びましたが、名前の数はすごく増えました。どうやら、種類もいろいろ出来てきたみたいなのです。ものの名前、ことの名前、動作の名前だけではありません。見た目、聞こえ、におい、味、手触り、雰囲気、不思議な感じ、いろいろな名前ができました。とにかく、きりがないのです。品詞? そんな難しい言葉は、ここではつかいません。


 こうしたいろんなものを、ぜんぶ、ひっくるめて、前からつかっている言葉という言葉で、呼ぶことにします。いやー、言葉って、本当に便利ですね。今度は、言葉って言葉で、ヒトが何をやってきたのかを説明しましょう。祈りの言葉。これは、天とお話ができるヒトが独り占めしていました。ヒトが定めてきた、たくさんのルールを表す言葉。これは、掟(おきて)と呼ぶようになりました。まだまだ、あります。とにかく、きりがないのです。


 たとえば、火のおこし方、天とお話ができるヒトをおだてる方法(これって、切実な問題なのです)、ウシの育て方、シカの狩り方、料理の仕方、武器のつくり方、薬草から薬をつくる方法、敵と戦う方法、亡くなったヒトを葬るしきたりの手順、天とお話ができるヒトに頼らずに天にお願いする方法、言葉が通じないよそのヒトとやりとりをする時のコツ、馬鹿話、祖先が何をしてきたかの話、不思議な体験をしたヒトが語った話、昼間に眠ってもいないのに不思議な夢を見たというヒトの語った話、仲間を癒やす時の言葉、仲間を励ます時の言葉、ルール違反をした仲間をいじめたり懲らしめたりする時の言葉、男女を結びつけ家を持たせる時の段取り、これから先どうなるかを知る時にやる秘密めいた儀式、こうしたことぜんぶが、言葉になったのです。とにかく、きりがないのです。


 あまりにも、たくさんの言葉や話や掟やおまじないがあるので、それを覚えきれるヒトはとても尊敬されていました。いるんですよ、みなさんのなかにも、100人いれば、1人か2人は、たいていいるんです。脳の働きがほかのヒトと違うのでしょうか。ところが、そういうすごい脳の持ち主がいなくても、だいじょうぶになりました。


 大発明があったのです。話している言葉を、板や土のうえに印(しるし)をつけて、思い出す方法を考えついたヒトたちがいたのです。掻く、つまり、引っ掻いたり、彫ったり、色を着けて塗ったりするんです。あー、びっくり。これを文字という言葉で呼びます。いやー、文字って、本当に便利ですね。あの、うじうじ、もじもじしていた、うだつのあがらない種類の尻尾のないおサルさんたちが、もごもごを言いはじめたと同時に、とちくるい出し、数々のルール違反をするようになり、ながーい時が過ぎ、とうとう文字というすごいものを発明したのです。大したものです。


 もっとも、こうした文字を持たないままで暮らし続けたヒトたちのグループも、たくさんありました。文字なんて、あえて持たなくても、そんなに不自由するものではありませんから、当然です。結果的には、文字を持つグループが、テラ取り、じゃなくて、テリトリーをいちばん広げましたので、文字があって当たり前みたいになっていますが、話はまったく逆なのです。文字があるほうが、当たり前じゃない、つまり、変だったんです。最初の頃ですけど、「かなり変」だったのです。


 でも、ヒトの歴史を見ていると、どうやら、「かなり変」なことが優勢になっていく傾向が見られます。徹底的に「とちくるう」ことを決意した種(しゅ)、あるいは、そんな遺伝子を持った種、それがヒトみたいですね。さて、文字のことは、これくらいにして、さきほどちょっと触れました、掟(おきて)とおまじないのお話にもどります。


 テリトリーを維持し運営するためには、掟とおまじないが、とても大切な役割を果たします。何しろ、ヒトという生き物は、「変」が基本ですから、放っておくと、どんどん「変」になっていきます。そのことに、ヒトは大昔から、薄々気づいていた節があります。良く言えば、自制心とか歯止めという言葉が、それに当たります。悪く言えば、テリトリーを独り占めしたい一部のヒトが、つくりだした脅迫です。自分や、自分のごく少数の仲間たちだけにとって都合のいいようにつくった、脅迫文集です。


「○○○しちゃだめよ。したら、ただじゃ済まないよ。たとえば、△△△しちゃうからね」。「□□□する時には、必ず、▽▽▽するんだよ。これを守らなかったら×××しちゃう。分かった?」


 掟は、こんな感じでした。つくったのはヒトなんですけど、例の天とお話できると言い張る、ごく少数のヒトがからんでいる場合も、珍しくありませんでした。掟の作者を分類しましょう。まず、やたら何でも仕切りたいヒトたちがいますけど、これは支配者と呼びましょう。次に、自分はただのヒトのくせに、天とお話ができると言い張って、本当かどうかは知りませんが、そのお話の報告だと称する言葉を吐くヒトたちがいますけど、これはシャーマンって呼びましょう。カメさんの甲羅や、シカさんの骨を火であぶると、パチンなんて、ひびが入りますね。そのひびを眺めながら、これから先に何が起きるかを当ててやる、なんて言い張る癖があるヒトたちがいますけど、これは占い師と呼びましょう。


 ちょっと、黒板を利用させてください。チョークあります? あった、あった。で、「預言者」とか、「予言者」って、両方とも「よげんしゃ」なんですけど、区別しろといってうるさいので、こういうヒトたちもいますと、ご紹介しておきます。いいですか、よげんしゃさん? 気が済みました? よかった。シャーマンとは違うんだって言い張る、よげんしゃさんも、いるんですよー。そんなのどっちだって同じだよ、なんて言う、テキトーなヒトもいますけど。


 今、ご紹介しましたヒトたちは、言葉にはパワーがあると口をそろえて言い張ります。言葉はみんなのものですから、みなさん、毎日、おつかいになっていますね。その意味では、みなさん、ひとりひとりが言葉の専門家であり、言葉の達人なんです。だから、自信を持ってください。今、ご紹介したヒトたちは、言葉を独占しようとしています。意図はさまざまでしょうが、これだけは確かです。動かせない事実というやつです。


 ですから、みなさんは、上で紹介したヒトたちの言葉を鵜呑みにするのではなくて、言葉にパワーがあるのかどうか、あるとしたら、どんなパワーなのか、自分にとってプラスになるものなのか、そんなふうに、自分の力、つまり、自分のパワーで考えてください。安易に、他人に頼るのではなく、まず、自分の体と頭に尋ねましょう。最後は、自分しか頼りになるヒトはいません。いっしょに、頑張りましょうよ。プロとか、師とか、○○の神様、なんていう偉そうな言葉で自分自身を呼んだり、ヒトから呼ばれても、呼ばせておいて何とも感じないヒトは「変」です。


 勘違いしないでくださいね。今しているのは、言葉に限ってのお話です。大工さんやお茶碗をつくるヒトみたいに、物と真剣に取り組んでいる職人さんには、プロとか、神様のようなすばらしいスキルを身に付けたヒトたちがいます。そういうヒトの言葉に、耳を傾けましょう。ぼそっと、すばらしいことをつぶやくことがありますよ。そのヒトたちのしていることは、言葉だけじゃありませんもの。


 さて、テラ取り、つまり、この惑星を奪い取ってしまったヒトという種は、これから先どうなるのでしょう? そのヒトたちにも、赤ちゃんがいたりします。本当に、その赤ちゃんたちのためになることをやっているのでしょうか? 何かを言葉で名付けたために、その何かが見えなくなっている。そんな気がするのです。名付けたものは、ぜんぶ自分のもの、ぜんぶ知っているはず。ぜんぶ分かるはず。今のところはちょっと分からないものもあるけど、いつか絶対に分かる。ひょっとして、ヒトはそんな思い込みをしているのでは・・・。そんな気がするのです。また、機会があったら、このおとぎ話の続きをします。みなさん、お元気で。さようなら。


     *


 以上です。蛇足ではありますが、このおとぎ話=紙芝居=アレゴリーは、単なる与太話=フィクション=でたらめです。したがいまして、いかなる科学的、および、学問的根拠に基づくものではありませんので、その点をどうか、よろしくご理解並びにご了承願います。


 おとぎ話は、せいぜい改行を多くして、段落の間を1行空けにするくらいしか、レイアウトの工夫ができないので、目が疲れたのではありませんか? ごめんなさい。お疲れ様でした。では、今度は、屁理屈=ゴタクを並べさせてください。


「*」をつかって、レイアウトに工夫を凝らします


ので、いくぶん、おとぎ話よりは、読みやすいと思います。とちくるった内容は別にして、ですけど。で、


*名前(=言葉)は進化する。


 これが、きょう、強調したいことです。今書いたセンテンスにある「名前」は、言葉=言語の初期的な形態だと、あくまでも「比喩的に」ご理解願います。


*言語の始原=起源=誕生=萌芽


などという、うさんくさいテーマを、


*楽問=ゲイ・サイエンス=「マジにならずに楽しくやろうよ、お勉強ごっこ」


としてジョーダンでやるのなら、かまわないのですが、


*マジで学問


しようとするとなると、


*タイムマシーンの発明と製作


から取り組んだほうが、賢明です。要するに不可能だということです。もしも、


*マジで


上述の問題に取り組んでいる試み=学問?=研究?を見聞きした場合には、注意しましょう。きっと大嘘です。日本語や英語など、個々の言語の変遷なら、ある程度はたどれるかもしれません。言語一般というレベルでは、発生や起原を検証することは無理でしょう。だって、


*言葉で言葉を扱うのには、限界=「テリトリーの枠」=「縄張りを囲う縄」=「線引きの線」がある。


からです。


*言葉=表象=記号=信号=イメージ


を用いて、ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもある、しかできそうでない以上、マジで学問なんて不可能だからです。とはいえ、その一方で、


*言葉は、ヒトを動かすさいに利用される。


という、言葉に備わっている「現実的な側面=現時点でもあらゆる場所で行われつつある現象」を忘れてはならないと思います。


*ヒトを動かす


とは重い言葉なはずです。ヒトを動かすことで、場合によっては、その


*ヒトの行く先=前途=運命を大きく左右する


ことができます。たとえば、政治家、ミュージシャン、作家、コピーライター、広告代理店、宗教家、官僚組織、司法組織、広義の有名人などは、長い言葉=演説=マニフェスト=公約=作品=キャンペーン=マーケティング活動=イベント=プロパガンダ=教義=教え=法律=判決=演技=主張などといった、


*長期にわたる戦略=運動を展開する


高い能力と、おおぜいの援助者=スタッフをかかえています。手強いですよー。


*名前(=言葉)は進化する。


とは、そうした現象のことです。ありゃー! 話が大きくなってきましたので、きょうは、ここでストップして、あたまを冷やしたいと思います。


 この行まで辛抱して読んでくださった方に、こころから感謝いたします。また、あす、このサイトに遊びに来てくださることを願っています。お待ちしております。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77




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