なる(7)

げんすけ

2020/08/01 07:56


「なる」と「かわる・かえる」は似ています。これらの言葉を見聞きして、どう感じるかは人によって違うでしょう。また、同じ人でも、感じ方は文脈やTPOによって異なると思います。そこで、一般論という「横着=杜撰(ずさん)=テキトー」をしてみると、


*「なる」は、自然の成り行きで、ある状態になってしまうこと。


*「かわる・かえる」は、何らかの事情や働きかけによってある状態になってしまうことであるが、元に「かえる」という可能性があったり、ヒトの場合にはその可能性を意識している。


というニュアンスの違いを感じます。しょせん個人的な感想を一般論と名づけただけですから、きわめてテキトーで「穴=すき」だらけですが、いちおう、とりあえず、こんな違いを意識しながら、話を進めます。


*言葉を話すということは、ヒトが一時的に、あるいは部分的に自分以外のものに「なる」ことである。


と、「なる(6)」で書きましたが、またもや変更を加えます。


*言葉を話すということは、ヒトが一時的に、あるいは部分的に自分以外のものに「なる・なりきる」ことである。


「なる」に「なりきる」を付け加えただけですが、これって「自然の成り行き」をヒトが演じるという意味を込めた駄目押しのつもりなんです。「なりきる」という言い方が、気に入ってしまいました。いかにも「人間ぽい=ヒト特有だというニュアンスがある」言い方だとお思いになりませんか?


     *


 ところで、「なりきる」ことができる生き物は、ヒトくらいしかいないような気がしませんか? いや、そうでもないかも。ヒトに「飼われている」イヌなんかを見ていると、自分がヒトだと「思いこんでいる=なりきっている」ワンちゃんがいますよね。ある意味、かわいそうです。アイデンティティの喪失=奴隷状態ではないかなどと、考えてしまいます。


 イヌと金魚ほど、ヒトが「悪さをする=人工的に容姿を変える=細工する」対象になった生物はいないのではないでしょうか? ワンちゃんほど、ヒトに忠実な生き物はめったにいません。「……の犬になる」とか「……の犬になりさがる」とか言いますが、あわれだと思います。馬鹿にしてもいます。


 英国かどこかで、ワンちゃんに対する過剰な交配に歯止めをかけるとか何とかいう記事を、先日新聞でちらりと見ましたが、英国って不思議な国ですよね。超過激な動物保護団体があるかと思うと、すごいブリーディング(=人工的な交配)をしていたり、狩りのことをスポーツなんて呼んで楽しんでいます。


 ワンちゃんを手下として使って鳥や動物を追い回して挙句の果てにはドーンと撃ち殺し、剥製なんぞにして、「えへへ、すごいだろ」とか「あの時は、苦労したよ」なんて悦に入っている。そうか、だから、その反動として超過激な動物保護団体があるのですね。納得。


 試しに英和辞典で sport を引いてみてください。「突然変異」や「変種」なんて意味まであります。徹底していますね。本屋さんで犬百科事典の類を、ぺらぺらめくると、元はオオカミだったらしいワンちゃんの「変異」ぶりに「こりゃ大変だ」と感心すると同時に、「ヒトってやつは、けしからん生き物だ」という憤りと悲しさを覚えます。


【※ここでお断りしておきますが、今生きているワンちゃんたちにはぜんぜん罪はありません。ヒトといっしょに暮らしているワンちゃんたちが幸せだと感じているのなら、その生き方を積極的に支持し応援しようではありませんか。それがいちばん大切な、ヒトとしての義務および責務だと思います。金魚ちゃんたちについても同じです。】


     *


 話をもどします。


 sport がらみで、sportsman も英和辞典で引いてみると面白いですよ。日本語でいう「スポーツマン」はむしろ「アスリート」 athlete に近いなんて、親切に教えてくれている辞書もありますね。英語の本家、英国(特にイングランド)では sport という言葉には、狩り、釣り、乗馬といった、芸の域に達したアート(= art )のニュアンスがあるみたいです。


 そういえば、お馬さんにも、ヒトはいろいろ悪さをしてきたみたいですね。ぜひ、サラブレッド(= thoroughbred )も英和辞典で調べてみてください。そもそも、「 thorough 」(=完全に、完璧に、入念に、徹底的に)+「 bred 」(育てられた)ですもの。ヒトって、大したもの=罪深い生き物です。


 英国人だけでなく、金魚のメッカ(※元は中国らしいのですが)である日本に住むヒトたちも、フナとかヒブナとかいうお魚を、せっせとそれこそ命をかけて交配させてきたのですよね。デメキン、ランチュウなんて、水中でぎこちなく泳いでいるさまを動いているのを眺めていると、「生きにくそうだなあ」なんて同情してしまいます。


 自然にではなく、人工的=ヒトが手を加えた=ヒトが慰みに悪さをした結果として、「かわりはてた=変わり果てた」生き物って、あわれです。もしも、この惑星で全動物による裁判が行われたとするなら、ヒトって、きっと「無期懲役」では済まされませんよ。さらに、当事者である一部のヒトの責任だけでなく、ヒト全員の連帯責任になるでしょう。


     *


「かわる・かえる」という言葉も「かわりはてる」という「コンプリート=完全版」にまで至ってしまうと、「自然の成り行き」という感じは希薄な気がします。誰かの企みやせっぱ詰まった事情によって、やむを得ずそうなってしまったあげくに、「元にはかえることができない」=「もどれない」感じがしてなりません。


 さて、「なる」のコンプリート=完全版である「なりきる」について考えてみましょう。この言葉は、さきほど述べたように、ヒト独特の行為という気がします。「思い込む」とかなりかぶる=ダブる=重なる面があるからかもしれません。


 唐突ですが、このブログで書いてきた二つのフレーズを、合体させてみます。


*「まぼろしとは、ヒトが知覚している森羅万象=世界=宇宙である」


     + or ×


「言葉を話すということは、ヒトが一時的に、あるいは部分的に自分以外のものに「なる・なりきる」ことである」


     =


 「ヒトは言葉を使用することによって、自らが知覚している森羅万象=世界=宇宙=まぼろしに、一時的に、あるいは部分的に「なる・なりきる」


 こんなん出ましたけど――。どうお思いになりますか? 「ゲイ・サイエンス(= Gay Science )」という言葉をご存知ですか? 初めてこの言葉を目にした時には、ぎょっとしました。さまざまな思いが頭の中を巡りました。何だろう? その言葉が書いてある文章をよく読んでみると、あるドイツの哲学者の著作の英訳タイトルだったのです(※元アホがもったいぶっておりますが、ニーチェです by 今のアホ)。


 この国では『悦(よろこ)ばしき知識』という書名で売られています。ほかのタイトルでも訳されているらしいのですが、知りません。ややこしそうな本だったので中身は読んでいませんが、「学問や知性というのは楽しくていいのだ」と書いてあると勝手に理解しています。ですから、


*ヒトは言葉を使用することによって、自らが知覚している森羅万象=世界=宇宙=まぼろしに、一時的に、あるいは部分的に「なる・なりきる」。


というフレーズも、へそ曲がりの素人が楽しく考えた結果だ、くらいに理解してください。


     *


 ところで、偏屈者かどうかは別にして、学者とか研究者とか呼ばれている人たちが、「学説・理論・法則」などと称するものを、作りあげて=捏造して=でっちあげています。でも、ヒトの「知」とは、知覚器官と脳という「限界性=枠=思い込み」の中に成立する「まぼろし」です。したがって、「学説・理論・法則」などは、格好をつけずに「考え方・受けとり方・感じ方・とらえ方」と言うべきでしょう。


 ヒトが「真理・真実・現実・事実・実体・もの自体・本質」などと呼んでいるものもまた、「考え方・受けとり方・感じ方・とらえ方」と言った=呼んだほうが、潔い=正直=倫理的あり、また正確でもあると思います。


 要するに、学問の世界が、百家争鳴=百花繚乱=りんりんらんらんかんかんほあんほあん的状況なのは当たり前で、


*唯一の正解なんてヒトには無理。ヒトはえんえんと前言撤回と新説提案と脱構築=スクラップ・アンド・ビルド=新装開店=玉たくさんでまっせー=コンビニの新商品登場を繰り返していくほかない。


と感じているのですけど、どうお考えになりますか?


 というわけで、上記の「へそ曲がりの素人が楽しく考えた結果」=「いわゆるひとつのゲイサイエンス」の断片について、しばらく考えてみたいと思います。では、また。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77


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