あらわれる・あらわす(7)

星野廉

2020/09/19 13:35 フォローする

 想像してみてください。この地球上で、現時点に、あなたのことを想っているヒトは何人くらいいるでしょうか。いるとすれば、誰でしょうか。常に、自分のことを見守ってくれる「存在」がいる。そうおっしゃる方もいるにちがいありません。ヒトではなく、「存在」がです。申し訳ありませんが、宗教やスピリチュアル関連のテーマは苦手なので、ヒトに限定して話を進めさせてください。


 誰かが自分のことを想う。または、自分が誰かのことを想う。そういう場合に、


*イメージ


という言葉をつかうことがありますね。曖昧でとらえどころのない言葉です。その意味では、


*幽霊


に似ていませんか。「なんだ、宗教やスピリチュアルが苦手な者が、幽霊だって?」とおっしゃる声が聞こえるような気がします。ここでは、幽霊自体(※そのようなものが存在するかどうかは知りません)のことを論じてはいません。「幽霊」という言葉について話しているのです。


 さて、「幽霊」だと「出る」と言います。「あらわれる」と言うかどうかは人によって差がありそうです。ただ、「霊」だとどちらかといえば、「あらわれる」のほうが優勢かな、という感じがします。これも個人差がありそうです。


     *


*イメージ


という言葉の場合には、どうでしょう。「イメージが出る or あらわれる」は、個人的にはしっくり来ません。「をいだく」「がある」「をもつ」「がわく」「がうかぶ」「をつかむ」「をおもいうかべる」「する」「をおもいだす」「をこころに、えがく」「がふくらむ」「が喚起される」「をかんじる」といったところでしょうか。


 もっとも、イメージの「もと=元=素≒本体・実体・本尊」はヒトとは限りません。森羅万象がなり得ます。今、あなたがあたまのなかに思い浮かべているものすべてが、イメージです。実在するかどうか、物体であるかどうか、も関係ありません。実在する物・事・現象、架空の物・事・現象……何でもがイメージです。極端なことを言えば、今、手にしているものでさえ、イメージ。自分自身の身体と精神 or こころさえも、イメージ。そう考えている人もいるでしょう。


 で、結論から申し上げますと、イメージって、


*きわめてテキトー


なものだ、と言えるような気がします。


 たとえば、今、あなたのことを想っている複数の人がいるとします。その人たちのなかには、あなたに対して良いイメージをいだいている方も、どちらかというと悪いイメージをいだいている方もいるわけです。そのどちらでもないイメージを思い描いている方もいるにちがいありません。


 言い換えると、きわめて不安定で、気まぐれで、信頼性に欠けるということです。短絡的で軽佻浮薄(けいちょうふはく)な表現になりますが、


*イメージとは、いかがわしくて、うさんくさくて、あてにならなくて、テキトーだ。


と言ってかまわないのではないでしょうか。


 人にたとえるなら、「要注意人物」=「危険人物」=「ヤベーやつ」=「あやういやつ」です。はあ? 「おまえと同じだ」ですか? 返す言葉もありません。


     *


 きのうから、イメージについていろいろ考えていたら、寝不足になってしまいました。きょうの記事を書くために用意した、走り書きメモが、PCの横に盛り上がっています。8束に分けてクリップで止めておいたのを、整理しようとして、さっき外したところ、ネコ(※うちの猫の名前です)が部屋に入ってきたのに驚いて、思わず、デスクから落として散らばってしまったのです。ひとりで大騒ぎをしていると、ネコのほうがびっくりして、部屋から出て行っちゃいました。


 メモは、いつもの5、6倍の数になります。夜中に、起きて書いたものもあり、自分の字なのに読めないものもあります。いつもは、メモを整理して、パッチワークのように継ぎはぎしながら、でまかせに記事を一気に書くのですが、きょうは無理みたいです。収拾がつかないのです。ですので、「イエス・アイ・キャン」という記事で、試みたように、きょうはメモに少し手を加えて並べていくという、


*「断片集」


というか


*「つぶやき集」


のような形にします。七夕の短冊のように、宙ぶらりん、ひらひらと断片が舞う様子をご覧ください。こんな形で横着をしてすみません。ただ、ある程度、テーマ別に、グループ分けをしておきました。それにしても、「イメージ」のトリトメのなさには、閉口しました。「イメージ」って、奥が深いなあ、とも感じました。


     *


★イメージ


*ヒトは、「絶対他者」には出あえない。「絶対他者」の「影」とおぼしき「イメージ」=「自分の知覚した結果を受けとめた、意識というスクリーンに映った像」だけに出あう。ヒトは、「自分自身」にも出あえない。したがって、生まれて間もない赤ちゃんが、まわりの世界=他者に(を)、


A)あう・であう ⇒ みる・ちかくする ⇒ あらわれる・でる


B)合う・出合う・出遭う ⇒ 見る・知覚する・近くする ⇒ 現われる・洗われる・あら、割れる・出る


というのは、フィクション=作り話=おとぎ話=説明のための方便=妥協の産物、である。


*イメージの原語である英語の「 image 」は、「真似たもの、似せたもの」という意味らしい。つまり、「にせもの=偽もの」ということ。


*何かに「似ている」ということが、前に見た記憶があるという意味ならば、その「前」とはいつなのか? どこで、なのか? 「前世」だと考えるヒトもいるだろう。自分は「前世」を否定してはいない。肯定もしていない。ただ、分からないだけ。


 ただし、イメージを「前」に見た「記憶」の、「断片」=「一部」=「残照」とするなら、その「前」とは「今」だと思う。「過去」=「現在」という意味。


 なぜなら、ヒトが、「他者=外」を、(1)知覚器官で「信号」として受信=「知覚」し、(2)ニューロン=経路を通して「伝達」し、(3)脳において「情報=データ=信号」として「処理」したのちに、(4)その処理された「情報=データ=信号」を、「意識」=スクリーン=画面に「イメージ=まぼろし」として、映し出す=「受理」する、と考えられるからであり、(5)ここまでの過程のうち、(1)の「知覚」と(4)の「受理」のあいだに「タイムラグ=遅れ」+「ノイズ=乱れ=ずれ=くるい」が生じると言われているからである。その「タイムラグ=遅れ」が、1秒の何百、何千、何万分の1のかは知らない。ただ、ヒトの意識は、それをほぼ「同時」、つまり、「過去」=「現在」として認識するのではないだろうか。


     *


★意識


*脳の「情報処理」の速さに、「意識」はついていけないのではないか。その理由として、ヒトは1度に1台の「テレビ画面」=「注意を集中することが可能な、意識のスクリーン」しか見る=知覚することができないという、構造=仕組み=メカニズム=限界性=枠を想定してもいいのではないだろうか。


【※以上の点については、「人面管から人面壁へ」でも、触れました。】


 以上の限界性は、「知覚器官」における「知覚」と、脳で処理された情報=信号を、「意識」が「認識する」までのタイムラグ=遅れを、著しく増大=増幅すると考えられる。それだけでなく、「意識」といういわば「ぼけーっとした」=「信頼性が乏しい」=「テキトーな」=「不安定な」存在 or 現象が、それ自体の特性か、あるいは、外的要因によるものか、または、その両者に起因するのか、定かではない「ノイズ=乱れ=ずれ=くるい」の発生と組み合わさり、上記のタイムラグ=遅れを、さらに増大=助長させているとも考えられる。


 以上述べた、タイムラグ、「意識」の不安定さ、ノイズの3者による、相乗作用によって、それ自体が信頼性に乏しい「意識」という存在 or 現象が、1秒の何百、何千、何万分の1のかは不明である時間内に、脳が処理した情報=データ=信号を、数分前、数時間前、数日前、数週間前、数カ月前、数年前、数十年前、あるいは、前世に生じたものとして「受理」=「錯覚」することがあっても、不思議はないのではないか。


 つまり、「意識」に備わっている、情報=データ=信号の「受理」能力は、そうとう鈍いのではないか。


     *


★脳と意識


*ヒトの「脳」と「意識」とを、厳密に区別する必要があると思われる。「脳」の情報処理能力が、きわめて速く、また、優れている=信頼性が高いのに対し、「意識」は、想像力=想像力=妄想力=空想力=夢想力=幻想力=思考力を肥大させていると考えられる。その「意識」の途方もない=とんでもない=すごい=驚嘆すべき特性を、大いなる乱れ=ずれ=くるい=錯覚の「常時産出態勢」と呼ぶことも可能であろう。


*「意識」に備わってと考えられる、上記の特性を前提とするならば、ヒトが、(1)脳によって処理された情報を「意識」が「受理する」という形で、あるいは、(2)「意識」が(1)で受理した情報を「受理しそこなう」という形で、または、(3)「意識」が、(1)と(2)とは無関係に、「『マトリックス=元情報』を欠いたコピー」=「コピーのコピー」=「意識自体による情報の産出=ほぼ誤作動=捏造」という形で、「『認識』が生じたと『意識』が信じている=思い込んでいる」という事態も、あり得るのではないか。


*上記の仕組み=メカニズムを前提とするなら、上記の「認識」の産物=結果として、日常生活において「現実=他者=外」および「現実=自分自身=内」を「認識」したり、あるいは、オーラ、スピリチュアリティ、○○様、前世、来世、予知、予言、預言、霊感、占い、賭け、投資、投機、自己改善、発想法、思考法、処世術、コーチング、心理療法、霊、神、神々、仏、妖精、超常現象など、と呼ばれている「物・事・現象・言葉」を、「現実 = 他者 or 自分自身 = 外 or 内」の1部として、「認識」することも、あり得るのではないだろうか。


 また、ヒトは、自分の「意識」が「認識」したものを、「錯覚 or 幻想 or でたらめ or 精神的病理現象」として疑うこともあるだろう。それは、ケースバイケースで行われていると考えられる。


【※以上の補足として申し添えますが、ヒトの「意識」のネガティブな特性を、「飽きっぽさ・諦めやすさ・忘れっぽさ」という言葉で考察した、「おいしくない社会」、「あきらめない」という記事を、合わせてお読みいただければ幸いです。】


     *


★意識と整合性


*「意識」は、脳から受理した情報=信号を、大量に蓄積し、改変し、組み替えると同時に、受理してもいない情報=信号を偽造し、捏造し、複製している節がある。その結果、「意識」は、体よく言えば、「想像界」=「思考界」、ぶっちゃけた話が「ぐちゃぐちゃごちゃごちゃの玩具箱」=「信頼性に欠けるイメージのアミューズメントパーク=遊園地」を運営しているのではないだろうか。また、「意識」が主役となって「思考する」あるいは「認識する」という行為は、捏造された=思い込まれた=人為的な、整合性のパーツである「理・必然性・法・業・因果・意味・条理・有意味・有・在」という名のもとに、大混乱とカオスを展開することにほかならないのではないか。つまり、「意識」の想定=信奉している整合性は、幻想ではないだろうか。ただし、そのヒトのいだいている幻想が、仲間を月に送り込む程度の有効性を備えていることは、言うまでもない。その程度の有効性が、ヒトに自信=驕(おご)りを与えていることも、否定できない。


     *


★イメージの力および効用


*おびただしい数のヒトたちが、オーラ、スピリチュアリティ、○○様、前世、来世、予知、予言、預言、霊感、占い、賭け、投資、投機、自己改善、発想法、思考法、処世術、コーチング、心理療法、霊、神、神々、仏、妖精、超常現象など、と呼ばれている「物・事・現象・言葉」をテーマ=素材にした出版物、テレビ番組、映画、イベント、組織=団体=集団、個人、ウェブサイトなどに惹かれたり、購読 or 購入 or 視聴 or 参加 or 加入 or 崇拝 or 訪問するのは、ヒトの「意識」がそうした類のものを「欲求している=欲している=求めている」からだと考えられる。


 また、実際、そうしたものによって、救済、癒やし、納得、娯楽、幸福感、全能感、エクスタシー=忘我=法悦、満足感、充実感、安らぎなどの感情を得るヒトたちが数多くいる。それとは、逆に、絶望、失望、こころの動揺、不安、恐怖、不快感、怒り、憤り、騙されたという感情などを得るヒトたちも数多くいる。


 上記の「物・事・現象・言葉」をテーマ=素材にした出版物、テレビ番組、映画、イベント、組織=団体=集団、個人、ウェブサイトなどが、1国あるいは1共同体において経済活動の一翼を担っていたり、グローバルな経済活動および社会運動を展開していることも事実である。その意味では、個人レベルのイメージが、集団レベルで共有されたイメージとして、肥大化=増大化する可能性=パワーがあることは無視できない。それを、ヒトが、必然的=人為的=本能的に生み出しているイメージの効用と、みなすこともできるであろう。


     *


★謎=疑問


*一般論として、ヒトという種(しゅ)が、オーラ、スピリチュアリティ、○○様、前世、来世、予知、予言、預言、霊感、占い、賭け、投資、投機、自己改善、発想法、思考法、処世術、コーチング、心理療法、霊、神、神々、仏、妖精、超常現象など、と呼ばれている「物・事・現象・言葉」に惹かれ、依存し、それらを基盤にして文化や文明や知と呼ばれている現象を築きあげているのは、そうした現象の最小単位=最小レベルとしての、ヒト個人の「意識」に備わっている、これまで述べてきた特性を、遺伝子のレベルで持つヒト個人が、そうした遺伝子を持たないヒト個人に比較して、高い生存率を達成してきた=生き延びてきた=相対的に多くの子孫を残してきた、からではないか。


 その結果として、そうした遺伝子を持つヒトの割合が多くなっている、と考えられるのではないだろうか。逆に言うと、そうした遺伝子を持たないヒト個人や、そうした遺伝子を持ちながら不遇な境遇にあるヒト個人の生存率は、低いと言えるのではないか。


     *


★まとめ


*上の「★意識」で述べた「鈍い」「意識」=「鈍感さ」と、「★脳と意識」で述べた「意識」の「大いなる乱れ=ずれ=くるい=錯覚」とを、兼ね備えること、および、兼ね備えているヒトに注目しよう。それが兼ね備わっていない場合には、自分自身において、そういう状態が「実現する=あらわれる=でる」ように、専門家の助けを借りるなり、日々自力で努力することが、ヒト個人レベルで長生きをするコツ=秘訣である、と言えるかもしれない。


*万が一、深刻化しつつあるかに見える地球温暖化、金融危機・信用危機に端を発するという現在の大不況、この惑星のリミットを超えた人口増加、ミツバチの世界的規模での激減などの、由々しき数々の予兆=問題=危機が、「★謎=疑問」で述べた「文化や文明や知と呼ばれている現象」が招いた結果であるとするならば、上で述べた「ヒト個人レベルで長生きをするコツ=秘訣」と、「ヒト=人類」レベルでの「行く末=未来」への対処=対策とが、相反する方向を目指していることは言うまでもない。


     *


 なお、これもまた、言うまでもないことですが、以上の「断片」=「つぶやき」に、いわゆる科学的根拠はまったくありません。でまかせと、勘=観=感=疳=癇の産物です。「断片」のなかには、ある種の方々に、不快なお気持ちをいだかせるにちがいないものも含まれていたと存じます。


 当ブログは、楽問=ゲイ・サイエンス=「楽しくやろう、お勉強ごっこ」の場です。したがいまして、この記事に書かれている事柄はすべて、理論的・実証的根拠の検証を経ていない、個人の感想文=意見にしかすぎませんので、ご理解とご容赦を願います。どうか、アホの戯言として、お笑いください。


     *


 今回は、「あらわれる・でる」につきまとう、幽霊のような、「イメージ」という言葉について、きのうから考え続けていたことを、「つぶやき」形式で書きました。ちょっと、脇にそれたような格好になりましたが、言うべきことは書いたと思っています。まだ、メモはだいぶ残っていますが、別の機会に利用するつもりです。


 次回は、また、シリーズの続きを書く予定です。お待ちしておりますので、また、遊びに来てくださいね。


     *


 最後に少しだけ、お付き合いをお願いします。


 前に出る 右往左往で 後戻り


 鬼を見た 鏡に映る ヒトは誰


 あらわれた 出ぬ出ぬヒトに あらわれた


 自分は俳句が詠めません。ぜんぶ、川柳もどきになってしまいます。ま、いっか。


 詠む詠むと いきんだものの がんもどき


 蜘蛛と雲 カレイとヒラメ 詠むと読む


 あれとこれ どれがまずいか ネコに聞き


 ネコにそっぽを向かれました。だめだ、こりゃ。ネコを見習って、もう一度、顔を洗って出直してきます。


 では。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77



#作文


 

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