あらわれる・あらわす(8)

星野廉

2020/09/19 13:41 フォローする

 本日は、とちくるわせていただいてよろしいでしょうか? えっつ? 勝手にとちくるえば~、ですか? おありがとうございます。では、きょうは、こころおきなく、取り乱させていただきます。はあ? いつものことだろう、ですか? お励ましの言葉をいただき、感謝に耐えません。


 いえいえ、決して皮肉などではなりません。おふざけにも、こころを込める。マジで乱れる。これが、当ブログのスタンスでございます。


 先日、「と、いうわけです」という記事で、トンデモ本と、「と」という言葉について書いている最中のことです。その数日前まで続けていたシリーズで保留扱いにしておいた「ノイズ」というテーマが、いきなりゾンビのように追いかけてきて、ずいぶん怖い目にあいました。


     *


 前回の記事では、


*イメージ


という、これまた性質(たち)の悪そうなテーマを扱いまして、ある程度書いたところで、「ま、いっか」感覚で、あとは「ほぼ保留」みたいに放っておこうと決めこみました。ところが、その「イメージ」が、またまたゾンビのように追いかけてきたのです。ですので、きょうは、いちおうのケリをつけてやろうかと考えております。


 で、このブログのスタンスというか、ワンパターンのやり方として、


*記事のテーマを、記事に登場する言葉たちに演じさせる。


という、少々けったいな演出を、今回も行うつもりです。今回のテーマは、「イメージ」ですので、まず、


*イメージとは、いかがわしくて、うさんくさくて、あてにならなくて、テキトーだ。


という特性を確認しておきます。実際、そうなんです。困ったもんなんですよー。手に負えません。ですから、当然のことながら、さきほどのスタンスでいくとなると、この記事に出てくる言葉たちの表情、身ぶり、仕草、やることなすこと全部が、


*いかがわしくて、うさんくさくて、あてにならなくて、テキトーだ。


になってしまいます。


 なんで、そんなアホなことをするのか、と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。アホだからなんです、こういうことが好きなんですよー、とお答えするしかありません。


 イメージの悪口=悪態については、前回に書きました。ちょっとややこしい書き方をしてしまいましたで、今回は図にしてみます。


     *


 知覚器官 ― 知覚する(超高速・正確) ― 対象:「外イメージ」=情報・データ・信号≒森羅万象

   ↓

 ニューロン ― 伝達する(超高速・正確) ― 対象:情報・データ・信号

   ↓

 脳 ― 情報処理する(超高速・正確) ― 対象:情報・データ・信号

   ↓

 意識 ― (1)脳で処理された情報・データ・信号を受理する&受理し損なう(超低速+「ノイズ=乱れ=ずれ=くるい」の発生)

     (2)認識する=(1)をスクリーンに映す(超低速+「ノイズ=乱れ=ずれ=くるい」の発生)

     (3)(2)に加えて、脳で処理された情報・データ・信号を偽造=捏造する。(超低速+「ノイズ=乱れ=ずれ=くるい」の発生)

     (4)(1)(2)(3)の結果として、「大いなる乱れ=とほうもないずれ=とんでもないくるい」を常時産出する

     (5)意識に備わった、ある程度の有効性=整合性により、(4)の状態=常態を、自らの「優秀さ」と信じる=驕(おご)る

   ↓

 意識が、「内イメージ」を産出・蓄積・保存・放出する(「内イメージ」は、新たに、ヒトにとっての森羅万象の一部になる)


     *


 以上です。


 なお、「外イメージ」と「内イメージ」は、イメージの知覚から認識を経て放出されるまでの過程において便宜上用いただけなので、今後は、必要のある場合を除き、単に「イメージ」と表記します。上の図から言えることは、さきほど述べた、


*イメージとは、いかがわしくて、うさんくさくて、あてにならなくて、テキトーだ。


にほかなりません。


 その点が、いちばん大切なところです。では、次に、上図および、たった今書きました「いちばん大切なところ」を、言葉たちによって演じてもらおうと思います。


*こりゃ、ついていけんわ、


とお感じになった方は、斜め読み or 飛ばし読みをしていただいて、いっこうにかまいません。では、まいります。


     *


 繰り返しますが、イメージって、とってもテキトーで、いかがわしくて、うさんくさくて、でたらめなんです。そんなイメージというものがテーマですので、この記事に登場させる=用いる言葉たちにも、そうした


*いかがわしさとうさんくささとテキトーさを演じさせる


つもりでございます。


 イルカショーのイルカさん、アシカショーのアシカさん、猿回しのおサルさんと、同じでございます。それなりに、一生懸命演技をしておりますので、どうか、大目に見てやり、おひねりなんかも多めに投げてやっていただければ、幸いです。時には、粗相をいたす可能性もありますが、そこのところは、どうかご寛大なお取りはからいを頂戴できればと存じます。


 イメージとは、


*「いだく」


もので、


*「あらわれる」


とか、


*「でる」


とか、という言葉とは、あまり相性がよくないようです。「いだく」は、


*「抱く・擁く・懐く」


と「漢字=感字+ひらがな」で表記することもあります。赤ちゃんみたいに、抱かれてばかりいるので、あんなに


*わがままに育っちゃった


のでしょうか? もっとも、「もつ」「えがく」「うかぶ」「かんじる」「する」なんかとも相性がいいことは、きのうの記事に書いたとおりです。


 こうやって見てみると、やはり、「あらわれる」「でる」と相性のいいものたちと比べて、何だか、


*イメージは勝手にヒトがつくるもの


というイメージがありませんか? そうです。


*「勝手に」


がキーワードです。「カラスの勝手でしょ~」の「勝手」です。かつて、そんな歌が流行りましたね。「勝手」とは、要するに「わがまま」なんです。難しい言葉ですけど「恣意的」とも言えるでしょう(この恣意というのは、若いころに能記と所記という言葉といっしょに覚えました)。


 ところで、イメージという言葉に、どんなイメージをお持ち=おいだき=お描き=お浮かべ=お感じになりますか? 


*ヒトそれぞれ


ですよね。


 そういうところが、イメージの「勝手さ」=「わがままさ」=「テキトーさ」=「いかがわしさ」なんです。


*イメージの原語である英語の「image」は、「真似たもの、似せたもの」という意味らしい。つまり、「にせもの=偽もの=偽物=偽者=贋物=贋者」ということ。


 以上は、前回の記事からの引用に、ちょっと手を加えたものです。やっぱり、いかにも柄が悪そうですね。image は、imagine(※イマジン)、imagination(※イマジネーション)、imitate(※イミテイト)、imitation(※イミテーション)なんかの親戚だということです。


 フランス語だと、スペリングは image のままで、「イマージュ」みたいに発音するそうです。精神分析でつかう imago (※イマーゴ or イマゴ)といって、「子供時代の理想の愛の対象や理想像」を意味する用語がありますが、これも親戚だとのことです。


 ちょっと、もよおしてきましたので、ダジャレをさせてください。お題は、イメージ、イメジ、イマジン、イマージュ、イマゴ、です。


*「夢路(ゆめじ)」いとし、喜味こいし(※ちょっと古すぎるし、そうとう苦しいオヤジギャグですね)。


*「いじめ」はだめだよ「迷児(めいじ)」くん(※だからー、あの、どつき漫才のコンビはー、正司敏江・「玲児(れいじ)」だっちゅーの。むぎゅ)。


*「『今語(いまご)』って流行語?」「さあ? ちなみに『 imago 』って雑誌は、休刊中みたいですけど、なかなかいい特集がありましたね。まだ、ときどき、バックナンバーの在庫フェアー、やっているみたいですよ」


*まご、「ひまご」、やしゃご。


*「今、じゅ」わーって、こなかった? 


*「今人(いまじん)=めちゃチョーナウいヒト」、「暇人」、ワシのこと。


*元暴れん坊のレノンちゃんの「イマジン」も、いったん、お金を儲けてしまえば、平和がいいから、ピース、アンド、ラブ、フォエバーで、あとは奥さん、財テクくるいで、2人の息子(※異母兄弟)に暖簾(ノレン)分けして、今はイン・ザ・ヘブン。合掌。


*「imagine ス、売ってます?=今、ギネス(ブック)売ってます?」(※現 Guinness World Records = 旧 The Guinness Book of (World) Records )


*「imagine ス、売ってます?=今、ギネス売ってます?」「いいえ、でも、クアーズとバドならあります」


*「I'm Age. =ワシの名は英二ちゅうねん」


*「I'm age. =ぼく、おあげだよ(※「あぶらあげくん」が主人公の童話より引用)」


*「I'm Ago. =おれ、あご勇(※「あご・いさむ」さん、Where are you now?)」


*「アイム・アゴ(=顎=jaw=ジョー)」。「おじょうず、お上手」


*「アイム・アゴ(=顎=chin=チン)」。「『おら、ハードボイルドだど』の内藤陳(ないとう・ちん)さんじゃありませんかー、お懐かしーい」


*「アイム・アゴ(=顎=chin=チン)」。「ミスターちんさん、プロレスラーのミスター珍さんとは、ご親戚だったのですか」


*「アイム・アゴ(=顎=chin=チン)」。「ちんちんかもかも。仲がおよろしいですねえ」(※放送禁止用語では、ないみたいです。広辞苑に載っていますので、お調べ願います。あと、ちんあなごも、ついでにどーぞ。)


*「『今ご』ろになって、『イメ』チェン(=イメージ・チェンジ)して、猫をかぶったり、いい人ぶって、い『い孫』の振りをしても、おばあちゃん、許しません。しょせん、あなたは『イミテーション』、『にせもの』、『まがいもの』なの。いつも、『マネ』ー、『マネ』ーじゃない? わたしゃ、もう騙されませんからね」


*imagine のアナグラムは enigma (英語で、謎、謎の人)+ i (虚数単位)。image のアナグラムは、magie (仏語で、魔法、魔術)。「マジ」で、あやしい。上述の imago のアナグラムは amigo となり、スペイン語で「(男の)友達」となるが、いやになれなれしくて要注意。


 以上、寸劇を演じました言葉たちの身ぶり・表情・仕草・めくばせから、お分かりいただけたように、イメージという言葉=現象=記号は、その身勝手さ、うさんくささ、テキトーさにもかかわらず、


*思考=想像=妄想を、刺激=撹乱(かくらん)し、錯乱=活性化させる


という意味では、貴重な働き=役割=機能を果たしていると考えられます。


     *


 さて、ここで原点にもどります。さきほど、前回の記事からの引用という形で述べました、


*イメージの原語である英語の「image」は、「真似たもの、似せたもの」という意味らしい。つまり、「にせもの=偽もの=偽物=偽者=贋物=贋者」ということ。


と、やはり、前回の記事で書いた、


*ヒトは、「絶対他者」には出あえない。「絶対他者」の「影」とおぼしき「イメージ」=「自分の知覚した結果を受けとめた、意識というスクリーンに映った像」だけに出あう。ヒトは、「自分自身」にも出あえない。したがって、生まれて間もない赤ちゃんが、まわりの世界=他者に(を)、


A)あう・であう ⇒ みる・ちかくする ⇒ あらわれる・でる


B)合う・出合う・出遭う ⇒ 見る・知覚する・近くする ⇒ 現われる・洗われる・あら、割れる・出る


というのは、フィクション=作り話=おとぎ話=説明のための方便=妥協の産物、である。


という部分について、再度、考えてみます。で、


*イメージを対象として思考する


さいのキーワードは、


*似ている


と、


*フィクション


だと思います。


「似ている」とは、ちょっと異なる=違う=ずれている、ということです。それは、ふつう、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚、つまり五感と呼ばれている知覚と、もしそのようなものがあればの話ですが、第六感というものを通して、知覚されます。「あれの味と似ているなあ」、「どこかで嗅いだことのある匂いだ」、「かもし出す雰囲気というか、何となく懐かしさを覚えるのよ」という感じです。例のデジャ・ヴュという感覚も、「似ている」の仲間でしょうか。


     *


「あらわれる・あらわす・でる」に相当する英語の単語のうち、気になる一部のものだけを挙げてみます。


*appear : 語源は「見えてくる・視野に入る」という感じだそうです。


*show (up) : 語源は「見る・見せる」らしいです。


*represent : re- + present で、「再び」+「示す・述べる・与える・差し出す」=「表示する」というイメージです。名詞形は representation で、例の presentation 「プレゼンテーション」の仲間。


 以上のうちで、represent と present には、フランス語にもそれに相当する語の系列があり、現代フランス哲学、文学、文芸批評などで盛んに用いられてきました。多義的で興味深い語です。上記の3語と、「あらわれる・あらわす・でる」は、


*似ています。


ということは、当然のことながら、異なる部分もあるということです。


 このブログでは、なるべく、日本語を使って話を進めたいので、「あらわれる・あらわす・でる」の英語バージョンの紹介は、ここでとどめておきます。ルプレザンタシオンやプレザンスといったフランス語にまで立ち入ることも、やめておきます。別に、そうした用語に、抵抗があるわけではありません。つかい慣れたツール=玩具で、遊びたいだけです。


 ただ、イメージというレベルにおいては、母語 vs. 外国語、現代語 vs. 古語、口語 vs. 文語といった区別など、あまり意味を持たないというか、気まぐれなイメージ自体の抽象化作用が、今挙げた2項対立を具体的なものとして扱うことを無化する=阻害する=妨害する=嘲笑うだけです。その意味では、イメージは怖いです。危ういというより危ないです。


     *


 そんな話はいいとして、みなさん、まわりを見回してください。「似ている」「そっくり」なものが、あちこちにありませんか? まず、パソコン、ケータイがありますね。それって、それとそっくりなものがほかの場所にも、たくさんあるということです。大量生産されているから、当然です。


 次に、パソコンのモニターやスピーカー、ケータイの液晶やスピーカーに注目してください。そこに映ったり、そこから流れてくるものは、複製=コピーされたもので、ほかの場所にも、同時に恐るべき数の映像や音声として、存在しているはずです。


 でも、錯覚しないでください。それらの映像や音声は、同一ではないのです。似ているだけなのです。同一であるものは、原則として=基本的に、ある特定の1ヶ所だけにしか存在し得ないのです。


 このブログでよくつかうパーツである、「トリトメのない記号=まぼろし」と「そっくり」=とても「似ている」話になります。「トリトメのない記号=まぼろし」については、「あらわれる・あらわす(1)」で、「表象」と「信号」と比較して説明しておきました。「トリトメのない記号=まぼろし」と「イメージ」を区別すべきなのかどうかに関しては、まだ考えが煮詰まっていません。ただ


*「そっくり」=とても「似ている」


ことだけは、確かです。いつか、この「激似」状況について、考えてみたいです。


     *


 さて、


*「似ている」が、あちこちにあふれている。


一方で、


*「同一である」ということは、きわめて、まれな現象である。


と言えそうです。


 なぜなら、「同一であるものは、原則として=基本的に、ある特定の1ヶ所だけにしか存在し得ない」という屁理屈が理由であるだけでなく、「同一である」ことを、ヒトが知覚したり、知覚した結果を認識し、断言するに至るまでには、かなりの時間=間(=ま・あわい)と隔たり=距離が必要だからです。


*ヒトにとって、「似ている」は「近しい=親しい」現象であるが、「同一である」は「ほぼ知覚不能」な現象である。


と言っても言いすぎではないような気がします。


 厳密な意味で「同一である」を追求するとすれば、それは物理学の仕事ではないでしょうか。その領域において、ヒトが通常用いている知覚は、ほとんど役に立たず、機械=計器に頼らざるを得ない。そう言ってもいいと思います。言い換えると、


*ヒトに備わっている限界性=枠が、ヒトから「同一である」を遠ざけ、「似ている」を近しい=親しいものにしている。


となります。


 だから、


*「似ている」が、あちこちにあふれている。


と、さきほど述べたことに、もどってしまうわけです。この


*「似ている」は「イメージ」である。あるいは、「似ている」は「イメージ」の特性である。


と言えそうです。


*「似ている」は、フィクション=作り話=小説=物語=映画=テレビ番組と、重なる=かぶる=からむ。


とも言いたいです。さらには、


*「似ている」は、ノンフィクション=実話=ドキュメンタリー=ニュース=報道=報告と、重なる=かぶる=からむ。


とまで話を拡大したいです。


 なぜかと申しますと、上で述べた


*フィクションもノンフィクションも、再演=コピー=複製としてしか、存在できない。


からです。


 ある事件が起きたとします。その場に立ちあったヒトたち以外は、その事件についての映像・記録(=文書・音声)を、現在では、ほとんどがデジタル化された情報=データ=信号として、機械を通して知覚するしか、知覚する方法がない。そんなふうに、言えそうです。


 そうであるなら、フィクションか、ノンフィクションかの違いは、原則として=基本的に、個人レベルのヒトには検証=確認できないことになります。YouTube の映像が、演出されたもの=フィクションか、演出されていないもの=ノンフィクションかを、検証=確認することは、ほぼ不可能でしょう。


 それと似たことが、


*「似ている」が、あちこちにあふれている。


という現象として、この惑星に住むほとんどのヒトの「現実」となっているのです。その「現実」を言い換えると、


*いかがわしくて、うさんくさくて、あてにならなくて、テキトーな「イメージ」が、「現実」を侵して=犯している。


となります。なぜ「犯している」のかというと、


*「イメージ」は、ヒトのまえに「あらわれる・あらわす・でる」ものではなく、ヒトが「いだく」ものである。


からなのです。


「あらわれる・あらわす・でる」に比べれば、圧倒的に、ヒトの内(部)の問題になってしまいます。完全にヒトの責任の話として論じることも可能なのです。ですから、


*いかがわしくて、うさんくさくて、あてにならなくて、テキトーなのは、「イメージ」自体ではなく、むしろ、「イメージ」を「いだく」ヒトである。


とも言えそうなのです。この言い方のほうに、説得力を感じ、加担したくなります。


     *


 マジで、とちくるった話になってしまいましたね。この記事を書いているアホを責めないでください。責めるのなら、いかがわしくて、うさんくさくて、あてにならなくて、テキトーな「イメージ」を、せめて責めて攻めまくってやってください。


 ヒトの責任は、とりあえず保留しておきましょう。以上が、きょうのまとめです。ややこしかったですね。ここまで読んでいただいた方に、こころより感謝いたします。


 夢で見た 似ている人を 夢で待ち


     *


 このシリーズ=sillies は、今回でおしまいにします。


 毎度、長い文章を書いて、ごめんなさい。さぞかし、目が疲れることでしょう。申し訳ありません。アホなりに頑張って、また新しい記事を書き続けますので、今後とも、よろしくお願い申し上げます。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77





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