うつせみのたわごと -9-
星野廉
2020/09/24 08:21
げん――。きになることば。からからきた、ことば。もとをただせば、おおきなりくからきた、ことのは。ところで、ことばのみなもとを、たどろうとするひとたちがいる。そうしたひとたちの、むれがいる。なぜか、むれると、わかれるとは、ちかい。ひとは、むれると、たちまち、わかれる。みなもとは、ここ。いや、みなもとはあっち。ここ。いや、むこう。なかたがい。どういうわけなのだろう。みなもとにしろ、えだわかれしたはしにしろ、よそではなくここだ、つまり、うちだ、というのは、ちがうと、このあほはおもう。うちもそともなく、どこもが、へり。しいて、わけることなし。ことなるものたちがであう、きわ。まじりあう、あわい。
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ちなみに、こことは、このしまじまのことか。ひのでるもと。ひのもとのくに。それがいつのまにか、ひのいるくにのことばのよみで、よばれている。にっぽん。にほん。やまとにあらず。ややこし。やっぱり、へりではないか。ことなることのはたちが、あわいで、まじりあったにちがいない。いまある、このしまじまのもじのつくりとしくみをみるだけでも、あきらか。ごったまぜ。ほどくに、ほどけない。ゆたか、というひとたちもいる。それで、いいではないか。もと、つまり、うちのうち、なかのなかなどない。もどるところなどない。そもそも、もどるにもどれない、かえるにかえれない。それが、ひとのさが。
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ことばがえだわかれしていったという、ものがたりがある。おとずれたこともない、とおくに、おのれのはなすことばのみなもとがある。そこから、わかれて、ちっていった。ちるにつれて、であい、まじり、うつりかわっていった。どのことばにも、つきまとう、ものがたり。かたり。もどって、まことかどうかをしらべられない、はなし。ことばだけではない。おやのおや、そのまたおや。ちのすじや、ねっこをたどろうとする、ものがたりにも、ことかかない。みな、みなもとがきになるらしい。だが、もどれない。もどる、とは、もとほる、からきたかもしれないと、じびきにある。もとほるとは、なんのことか。ややこしい。このあほも、ひとのはしくれ。もどるの、みなもとが、きになるが、やはり、あほにはわからず。ほってもほっても、もとはほりだせない。ほっとけ、ほっとけ、ほうっておこう。
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げん・原。げんかい・原界。からことばを、ずらしてみよう。原、源、元。もじのはなつ、ちからをうけとめてみよう。もと、みなもと、本、基、原子、元素、根っこ、ルーツ、泉、湧く、わく、わくわく、出る、でるでる。これ、みんな、でまかせ。とはいうものの、いま、しているはなしは、でるという、うごきときりはなすわけにはいかない。こちらも、ずらしてみよう。でる。はらからでる。はらから。なかからでる。なかま。なかまはずれ。なかまわれ。うちからでる。みうち。あつまる。よる。みより。むれる。むれ。むれからでる。むらはちぶ。しっぽのないさるたちのなかまから、でる。さる。ひと。にんげん。にんじん。ずれる。はずれる。はみでる。いえからでる。いえで。いえでびと。さまよいびと。ながれもの。たびびと。たびあきんど。たびやくしゃ。しまながし。わたりもの。いっぴきおおかみ。みんな、でまかせ。それにしても、おもしろい。
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むれをでてからも、つながりをおもんじるものたちもいる。そうしたひとたちは、ふるさとをでたのちも、たすけあいながらいきる。ときおり、おおきなあつまり、よりあいをひらくこともある。いつのひか、ふるさとやむれにかえることを、ゆめみるものたちもいる。にしきをかざる、といういいかたが、ある。おちぶれてかえるわけには、いかないのか。でるとかえるは、ふかくむすびついている。でたものには、かえるというおもいが、つきまとっている。かえることはゆめであり、つねにいだいているまぼろしでもある。そうしたうつつのなかで、でたものたちはいきている。かえるをささえに、いきてゆく。ふちとへりをわたりつづけ、いつか、ふるさとやむれに、もどることをゆめみている。
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かえるというおもいなしに、ながれつづけるひとやむれもあるだろう。たびげいにんが、あたまにうかぶ。かつて、そうしたひとたちは、たずねるさきざきで、こどもにもおとなたちにも、わくわくしたきもちをわかせたのではないだろうか。まつり。はれのとき。ながれものたちが、どこからともなく、おとずれる。ながれつづけるたみのなかには、やむをえずふるさとをでることになった、とおいおやたちのものがたりを、かたりついでいるものもあるときく。いずれにせよ、あわれみをさそう。
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でたものは、うごきにうつり、いたるところにある、そととうちとのさかいをかきみだす。であう。にらむ。みつめあう。まじる。きそう。あらそう。あやめる。かえる。つくる。つくりかえる。ほろぼす。くずす。つぶす。ずらす。ゆがめる。こわす。うむ。うみだす。さる。とどまる。ことなるものは、よそものとなり、おとずれたところで、うごきをさそい、うごきをなす。そのさまは、さまざまだ。いずれにせよ、かきまぜる。かきまわす。幻界、言界、現界、限界、原界は、まじりあっている。せっしあっている。てあかのついたたとえだが、ひとはだれもが、たびびとだといえる。だれもが、ふちにあるともいえる。みなもとなし。みなが、界から界へとかってにゆききし、たびをつづける。おちつくこころなし。
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もと。ものやことが、おこるところ。きにたとえれば、ねっこにあたる。はら。いのちのめのやどるところ。ははのはら。はらからのでるところ。でるにまかせて、ずらしてみよう。はら。はらむ。のはら。しんのすけ。くさはら。かわはら。かわら。さいのかわら。さい。さいのめ。まらるめ。うなばら。こはま。おはま。おばま。はま。はまべ。うみ。うみは、このほしのいのちのみなもと、とならったことがある。うむうむ。うむ。うまれる。これ、でまかせ。だが、いえてるきがする。ははのはらのなかは、みずたまりとか。ちいさなうなばら、ではないかいのう。みずのなかでゆれる、いのちのめ。うつくしい、さま。うつくしい、まぼろし。およぐ、ちいさなちいさなこ。やがて、あなからでる。うまれる。おぎゃー。
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しをおもう。そのとき、ひとは、もとにかえるとかんがえる。たしかに、くちたからだは、つちにもどるらしい。それが、あらたないのちのもととなる。よくみききする、ものがたり。おそらく、そうなのだろう。しぬ。なくなる。もどる。かえる。また、うまれる。いないいないばあ。うまれかわる。いきかわり、しにかわる。いないいないばあ。でるときえるが、わをえがく。ぐるぐるまわる。めまいをさそうおもい。
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ひとは、なににうまれかわるのか。ひとは、ひととして、ふたたびうまれる。そうしんじて、うたがわないひとが、なんとおおいことか。なんとみがってな、かんがえなのだろう。ひとは、そんなにえらいのか。ぐるぐるわっかごっこを、しんじないものとしては、あまりにもあさましいはなしに、あきれはててしまう。いきて、なお、またもや、もとをとりもどそうというのか。いやし。うまれかわるとしんじて、このよで、いやされたいのか。いやし。いじきたなし。よくぶかし。いまをしんじる。いまをいきる。それだけで、いいではないか。あほは、そうおもう。ひと、それぞれか。
【追記 上記の戯言につづられていることばたちに身をまかせてください。どのようにも取れると思います。意味や解などありません。というか、無数にあるでしょう。そうやって、たわむれてみませんか。参考としての、ことわりをお望みの方は、グーグルで、"うつせみのあなたに" "かえる"、 "うつせみのくら" "でる" ";あらわれる" 、 "うつせみのくら" "うんち" 、 "うつせみのくら" "チャバネゴキブリ 、という具合にダブルとトリプルのキーワードで、4回検索してみてください。
そのさいには、"○○" と括弧でくくるのをお忘れならないように、ご留意願います。今、挙げた4組のキーワードを、それぞれそのままコピーペーストして検索なさるのが、てっとり早いかもしれません。ヒットするのは、長い文章が多いと思います。関係ありそうなところだけ、拾い読みしていただくだけで十分です。こんな戯事にお付き合いくださる方がいらっしゃれば、うれしいです。】
【追記への追記(※以下は、10の「げん」シリーズについての解説として、「うつせみのたわごと -4-」から再録したものです)
当ブログの左にある「メッセージを送る」機能をつうじて、ある読者の方からコメントをいただきました。追記にあるキーワードをつかってのグーグルの検索には、どういう意味があるのか。要約すると、そうしたご質問でした。メールアドレスが添えてなかったので、この場を借りてお答えします。目的は2つあります。
1)あやしげな記事の解説のため。いわば参考資料へのご案内です。
2)実は、「マラルメ」の「サイコロ」を「ふっている」のです。読者のみなさんと一緒に、ひらがなだらけのたわごとをめぐって、「詩作=思索=試作=失策=失錯=失作」ごっこができたらなあ。そんな思いで、検索エンジンという「賭博装置=スロットマシーン」の検索ボックスに、キーワードという「さい=コイン」を放り投げての、「サイコロあそび」をしているのです。「読む=詠む=与む=予む=余む=闇む」ことは、「書け=掛け=翔け=懸け=駆け=賭け」です。
つまり、「どんな『さいの目=検索結果』が出るのかな」という、わくわく感を楽しんでいるのです。検索結果で出てきた言葉たちと、記事のたわごととの、目くばせや絡み合いや取っ組み合いやシカトのし合いがおもしろくて、はまっています。言葉って、けな気でかわいいです。いとしいです。
万が一、この馬鹿馬鹿しいお遊びに関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら(「馬鹿馬鹿しいお遊び」とつづりながら、記事を書いている本人は、いたって本気なのですけど)、グーグルで、 "うつせみのくら" "マラルメ" "サイコロ" を、トリプルのキーワードとして検索してみてください。
ヒットした検索結果の表示ウィンドウにざっと目を通すだけでも、「いったい、こいつは何をやっているか」の感じがつかめると思います。「とちくるっている」という感想をお持ちになれば、「大当たり」です(とはいうものの、本気なんです。正気だとは申し上げる勇気も根拠もありませんけど、本気です)。ご理解いただけましたでしょうか。】
【注: 現在は「うつせみのくら」という過去のブログ記事を再録したサイトがないので、上記の検索は意味をなしません。お詫び申し上げます。】
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【解説】「こんなことを書きました(その20)」より
*「うつせみのたわごと -9-」2010-02-10 : テーマは、「もと・はら・げん・原」という言葉とイメージをもとに世界をとらえる「原界」です。ヒトは何ごとについても、その始原を求めようとする傾向がある。それは、「戻る」「帰る」という運動へとヒトを誘う。源に帰ろうとするという動きは、枝分かれしている形態の存在と、「出た」という過去の出来事を前提とする。「出る」「出た」は、流れる、移る、渡る、回るという運動の源である。動きと動くものとが、「出る」と「もと・はら」という場と重なる。もの、こと、さま、うごきが、重なる。それが「原界」である。以上のようにも、要約できると思います。個人的には、苦手な物語です。どうしても馴染めません。不謹慎かもしれませんが、笑ってしまいます。きっと、この種の話とは、相性が悪いのでしょう。標準的な表記に直したキーワードは、「群れ・群れる」「分かれる・別れる」「親」「母」「子」「旅」「つながり」「はらむ・孕む」「産む」「生まれる」「海」「死」「生まれ変わる」「輪」「めまい」です。直接書かなかったキーワードは、「うんち」「神話」「叙事詩」「経典」「聖典」「カール・グスタフ・ユング」「エミール・パンヴェニスト」「フェルディナン・ド・ソシュール」「インド・ヨーロッパ祖語」です。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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