マンネリズム・マニエリスム
げんすけ
2020/07/29 08:54
皮肉や冗談だと言われるかもしれませんが、
*「ワンパターン」は、褒め言葉だ。
と思っています。あたまにあるのは、水戸黄門や笑点ではありません。
で、
*ユーミン or みゆき or サザン or 陽水の歌はどれも同じように聞こえる
とか、
*スティーヴン・キング or みゆき or 漱石 or 龍 or 春樹の小説は同じような場面や人物が繰り返し出てくる
とか、
*ニナガワ演出のお芝居は見てすぐに分かる
とか、
*スピルバーグ節 or 調
とか
*マイコーの踊りはワンパターンだった
とかいう言葉をよく見聞きします。これらは、
*最高の褒め言葉
ではないでしょうか。
*
*多くの人に and / or 長く愛される作品には、パターン=文体=文法=流儀=芸風=刻印がある。
あるいは、
*多くの人に and / or 長く愛される作品の作り手には、「パターン=文体=文法=流儀=芸風=刻印」がある。
と言えるような気がします。
*「パターン=文体=文法=流儀=芸風=刻印」は、「抽象的なレベル=深層」に潜む「経路」であると同時に、「具体的なレベル=表層」に身をさらしている「現象・出来事」である。
ために、
*そのジャンルや作品や作り手に、それほど興味や関心のない人によって、「パターン=文体=文法=流儀=芸風=刻印」が感知され、ファンに見過ごされる場合もある一方で、熱狂的なファンでなければ分からない場合もあり得る。
とも言えそうです。たとえば、
*ユーミン or みゆき or サザン or 陽水の歌はどれも同じように聞こえる
といった現象は、興味や関心のない人によって感知される気がします。それに対し、
*スティーヴン・キング or みゆき or 漱石 or 龍 or 春樹の小説は同じような場面や人物が繰り返し出てくる
といった言葉は、同じ作り手による作品をかなり読み込んだ人でなければ、吐けないセリフかもしれません。なお、キング、みゆき、漱石の小説を「読むこと」については、「横たわる漱石」に書きましたので、興味をお持ちの方は、ぜひ、ご一読ください(※安心してください。過去の記事を読まなくても分かるように書きますので)。
*
音楽、小説、演劇、映画、ダンスだけでなく、
*スポーツという、まさに「運動=動き」を鑑賞・観戦するジャンル・領域・フィールド
でも、上で挙げた各種の例と同じような言葉が口にされます。
*いかにもイチローらしいバッティング or 守備の美技
とか
*朝青龍得意の攻め方 or 攻めのかわし方
とか
*片山のフォーム or スイングを真似て盗む
とか言う場合がありますね。
*
ところで、
*才能って何でしょう?
単なる才能ではなく
*天才
と呼ばれる人も、いたりするみたいですね。
言葉だけで知っていて、どんなものか、よく分からないのですが、
*絶対音感、動体視力、知能指数、偏差値or標準偏差、記憶力
という尺度みたいなものも見聞きします。
*ジョージ・スタイナー(George Steiner:1929-2020)という批評家
が、
*ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer:1943-2008)という米国生まれのチェスプレイヤー
と
*ボリス・スパスキー(Boris Spassky:1937-)というロシア生まれのチェスプレイヤー
とのあいだで、1972年にアイスランドのレイキャヴィークで行われた世界選手権を取材した本を書いています。その本を読んだことがないので、正確なことは知りませんが、読んだ人から聞いた話では、
*フィッシャーは、日常生活に支障をきたすほどのかなりの「変人」であるが、チェスの才能は「天才」と言っていい
というようなことが、書かれていたそうです。さらに、
*音楽・数学・ゲーム(※チェス、囲碁などの意味です)に秀でるためには、日常生活をおくるさいに必要な資質はいらない
逆に言うと、
*日常生活に支障をきたす人が、音楽・数学・ゲームに秀でる現象がままある
という意味のことが書かれていた、と聞いた記憶があります。
*「変人」とか、「日常生活をおくる」とか、「日常生活に支障をきたす」
と書きましたが、実際には、そのスタイナーの本を読んだ人は、もっと
*過激な=差別的な=PC(政治的公正さ)を欠いた表現
を用いて、内容を説明してくれました。いずれにせよ、
*不思議な現象
ですね。
*
上記のお話では、
*狭義の言語、つまり、話し言葉や書き言葉の運用とは異なる、広義の言語の運用が問題になっている
ような気がします。きのうの記事で書いた言葉=イメージをつかうなら、
*「経路」には、自立性=自律性=独立性が備わっているのかもしれない
と思えてきます。あるいは、
*「発達障害」という言葉で一緒くたにされている、さまざまな人たちのいろいろな資質
と関係があるのかなあ、と思ったりします。その言葉でくくられている人たちの
*生=生活=人生=生き様=在り様=からだとあたまとこころ
って、どんなふうになっているのでしょう。不謹慎ながら、つい「軽い気持ちで」興味をいだいてしまいます。
いわゆる知的障害をもつと言われているにもかかわらず、
*ごく短いあいだに見た光景を、詳細にわたって絵として再現する才能
をもっている人について取材したテレビ番組を見たのを思い出しました。
ただ偏屈なだけの凡人のアホには、想像ができない話です。
*ヒトって、本当に不思議です
ね。
*
そういえば、中学時代のクラスメートに、ちょっと変わった才能をもった人がいました。
*聞いた言葉を、逆に再現する
のです。
*「あんたのブログはくだらないね」なら、「ねいならだくはグロブのたんあ」という具合
にです。実際には、二十秒くらいのあいだに、他人が早口でしゃべった「言葉=フレーズ=文」を、逆に再現していた記憶があります。早口で二十秒だと、かなりな文字数になると思います。確かめるのが大変なので、ほかのクラスメートが教科書の文章か何かを読んで、文字を指で指してたどりながら、正しいかどうかを確認していました。
ごくふつうの人だったのですが、その点だけが変わっていました。どうしているのでしょう、あの人は今。
*回文の名手
にでもなっているのでしょうか。
*
話をもどします。
*「ワンパターン」は、褒め言葉だ。
そして、
*「パターン=文体=文法=流儀=芸風=刻印」は、「抽象的なレベル=深層」に潜む「経路」であると同時に、「具体的なレベル=表層」に身をさらしている「現象・出来事」である。
でしたね。さきほども似たようなことを書きましたが、要するに、
*小説であれ、歌であれ、演劇であれ、舞踊・舞踏であれ、スポーツであれ、多くの人から長く愛される作品や選手には、いわば「刻印」=「経路」=「文体」のようなものがある。
と思います。
*「刻印」=「経路」=「文体」があるから、「今ここ」と「かなた=彼方=あなた」とを同時に、再現・再演・反復・変奏・持続できる
とも言えそうです。
*作品にきざまれた or 内包された「刻印」=「経路」=「文法」は、言葉の動きとなって立ち現れ、あなたの「あたま」だけでなく、「からだ」に働きかける。
要するに、
*伝染るんです
と信じています。
*
*ワンパターン
に似た言葉に
*マンネリ
そして、そのもとになっている
*マンネリズム
という言葉がありますね。
*「あなたの○○はマンネリズムだ」
と言われて、
*「イズム= -ism = ~主義」なんて立派なものがついているんだから、「マンネリ」よりかは、ましかー
なんて思う人は、あまりいないのではないか、と思います。
で、大きめの英和辞典で、
*mannerism(※「マナリズム」みたに発音しますね)
を引いてみると、語義として、「マンネリズム」のほかに、
*「マニエリズモ」 or 「マニエリスモ」
とか
*「マニエリスム」
という
*「美術用語」
の意味があると分かります。で、
*「誇張された」「非現実的」「不自然な姿勢」「複雑な遠近」「歪んだ」
などという、個人的にはわくわくする、たぶん一般的にはネガティブな響きをもつ言葉で、説明が書かれています。
さらに、「文学用語」でもあると書いてある大きな辞書もあり、そこには、
*「異端」「奇想」「凝った」「気取り」
なんて、これまた個人的にはわくわくする、たぶん一般的にはネガティブな響きをもつ言葉で、説明が書かれています。
*
ぶっちゃけた話が、mannerism は、
*ひんまがった物の見方で、世界を見ている=感じている=とらえている
というわけです。一言でいうなら、
*まがっている
です。
*マナー = manner(s)
や
*マニュアル = manual
や
*マニキュア = manicure
と親戚で、語源的には、
*「手」を意味する語から派生している
ようです。
*「て」
を広辞苑で引くと、この
*「語=音(おん)=文字」の驚くべき多義性=多層性を目にする
ことができます。「て」だけを「テーマ=てーま=手ゑ間」にして、横着をすれば、一日二本立ての記事が書けそうです。横着をしなければ、一週間ほどかけてシリーズが書けそうな気もします。いや、手に余る=手に負えない=てんで駄目だ、かも。
でも、いつか、やってみたいなあ――。
*
で、日本語の「て」と同様に、
*「手」を意味する manus というラテン語経由で、英語に「うつった=移った=写った=映った=伝染った」という、man- とか、manu- とか、mani- で始まる語
の多様さにも、驚かされます。そういえば、
*手って、まがりますよね = 口も「への字」に、ひんまがりますよね = へそもまがる、みたいですよね
と、勝手に納得しておきます。
*
そうなると、このブログでは、
*「マニエリスム」は褒め言葉以外の何ものでもない
ということになります。これで、決まりです。で、「マニエリスム」といえば、
*グスタフ・ルネ・ホッケ(1908-1987)という人と、「ホッケ教」信者を自任する高山宏氏
を忘れるわけにはいきません。"グスタフ・ルネ・ホッケ" でググるか、もしよろしければ、「かく・かける(6)」の関係のある部分だけを、ご一読願います。さて、「まがる」に話をもどします。
*
*「まがる」
を、広辞苑で調べてみましたが、残念ながら、語源の説明がありませんでした。仕方がないので、似た言葉の項を見てみました。念のために、申し添えますが、このブログは、いつもそうなのですけど、
*「正しい」 vs. 「正しくない」は関係ない
です。むしろ、
*「正しくない」に加担=味方する
スタンスをとっています。さらに、
*「ま、いっか」主義=でまかせ主義実行中
でもあります。
というわけで、
*「ま・間・魔」「まあ」「まい・舞・昧・まいう・ま、いっか」「まう・舞う・眩う」「まえ・前」「まお・真央・マオ=毛・真麻・間男・魔王」「まが・曲・禍」「まがごと・禍言・禍事」「まがまがしい・禍々しい・曲々しい」「真神」「間が空く・間が悪・魔が悪・真が悪」「魔が差す・魔が指す・魔が刺す・魔が挿す・魔が射す・魔が注す」「まがよう」「まがり・曲がり・曲り・勾り」「まかる・罷る・みまかる」「負かる」「まかす・負かす・任す・委す」「まかぜ・魔風」「まがたま・勾玉・曲玉」
といった感じ=感字になりました。
正直申しまして、収拾がつきません。ですので、原点にかえります。
*
*「マンネリズム」と「マニエリスム」と「まがる」
です。で、でまかせをかましますと、これって、
*「くせ・癖・曲・救世」
ということではないでしょうか。イメージとしては、
*「癖毛」の「くせ」
です。
*「手癖」の「くせ」
です。
*「癖になりそ~」の「くせ」
です。
これって、まさしく、きのうの記事に書いた、あの
*「経路」
じゃないですかー!
という具合に、このブログには、何でも、強引に、ところかまわず、
*「つなげる=くっつける=こじつける」癖=曲=ビョーキ
があるんです。
*
きのうは
*「わりと」理詰め
かつ
*「かなり」戦略的
に、そして、
きょうは
*「きわめて」でまかせ主義
で、つまり、上述の、
*宇宙の圧倒的な偶然性に身を「まかせ=ゆだね」、宙ぶらりん状態でひたすら遊ぶ
やり方で記事を書いてきましたが、同じ結論に達しました。
*ワンパターンも、マンネリズムも、マニエリスムも、最高の褒め言葉である
です。なぜなら、
*多くの人に and / or 長く愛される作品には、「くせ・癖・曲」=「経路」=「文体」=「スタイル」がある。
そして、
*多くの人に and / or 長く愛される作品の作り手には、「くせ・癖・曲」=「経路」=「文体」=「スタイル」がある。
からです。
*「文体」と、「肉体・身体」とは、同義語だ。
そう、本気で思っています。
*「くせ」がヒトの「からだ」に具体的な「うごき」として立ちあらわれた「とき」、その「うごき」は「ねつ」となって「うつり」「ゆき」、それを「うつす」他のヒトたちのこころをも「うごかす」。それこそが「わ」にほかならない。
そんな「かん」をいだいています。
*
いいところに、ネコが部屋に来ました。さっそく、ぐるぐるごっこをして、遊んでもらいます。
ここまで読んでくださった方に、感謝いたします。どうもありがとうございました。
では、また。
まげる手に まなこ沿わせる 猫のくせ
まわりつつ なとわで交わす 無言の儀
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
#エッセイ