何となく
げんすけ
2020/07/31 09:13
何となく生きている。
みなさんのなかで、そんな感覚をおもちなっている方も、たぶんいらっしゃるかと思います。自分の場合、そんな心もちでいることが、よくあります。さもないと、抑うつが悪化するという事情もあります。とにかく、そうしていると楽なことは確かです。
*「自分が」生きている意味=「自分の」人生の意味については、あまり深く考えないほうが、生きやすい
と言えそうです。でも、
*「一般論として」生きている意味=「一般論として」人生の意味について考える
というズルをすると、話はがらりと変わります。個人的には、これが、
*いい気分転換=気晴らしになる
のです。自分が注射 or 手術されるのを考えるのは嫌だけど、世間一般のレベルで「注射 or 手術される」ことを考えると、恐怖心が薄れる、というのに少し似ています。でも、自分が注射をされたり、手術を受けるのが大好きだという人も、世間にはいます。実際、そういう人から話を聞いたことがあります。その人の場合は、歯科医院で抜歯することなのですけど。それは、さておき、
*「個人の問題」を「一般論」に置き換える
のって、やっぱり、「ずるい」と思います。「ずるい」⇒「ずる賢い」⇒「賢い」とみなすという「ずるい」考え方=操作もあります。いずれにせよ、「ずるい」ことに変わりはありません。で、厚顔に=いけしゃあしゃあと、そのズルをしますと、
*ヒトという種(しゅ)は、何となく生きていることができない生き物である。
また
*ヒトという種は、生きていることに意味を見いだそうとする生き物である。
とか言えそうです。これには、
*ヒトは「何となく」なんていって、すっとぼけながら、実は「何となく」なんて生きていない
という前提があります。ヒトという種は何となく生きていない、と言っているわけですから、
*たぶんに、他の生物を見下した言い方だ
とも言えます。でも、見下すつもりなどぜんぜんありません。なぜなら、「何となく生きていることができない」も、「生きていることに意味を見いだそうとする」も、自分にとっては別に優れた資質=特性=習性だとは思えないからです。むしろ、
*ヒトという種は、惰性で=何となく、「何となく生きていることができない」=「生きていることに意味を見いだそうとする」という行為を、日々実行=実演している。
からです。「惰性」というと、ネガティブな響きがありますね。でも、「何となく」というと、ネガティブな響きは薄れる=「許せる」ような気がしませんか。さらに、次のようにも言えます。
*ヒトという種は、惰性で=何となく=「経路」に沿って、「何となく生きていることができない」=「生きていることに意味を見いだそうとする」という行為を、日々実行=実演している。
*
実は、たった今書いたフレーズが、きょうのテーマ=いちばん言いたいことなのです。ここで、ちょっと脱線させてください。このブログの文章では、やたら、
*「=」
をつかいます。これは、もちろん、わざとやっているのです。なぜ、わざわざそんなことをしているのかと申しますと、わざ=方法=戦略としてやっているのです。言い換えると、
*意味=進行方向を固定させたくない
つまり、文=フレーズ=センテンスを、
*停滞させたい=つまずかせたい=踏みはずしたい=吃音させたい(※「吃音」はあくまでも比喩です。不快な気持ちになられた方に、お詫び申し上げます。ごめんなさい。)
または、
*すっきりさせたくない
からなのです。
*「これしかない」や「簡潔に」や「単純明快に」や「流れるように」の逆
です。すっきりした文章も大好きですけど、
*「すっきり」は、何かをそぎ落とした=何かを排除(=選別)した結果である
および、
*「すっきり」は、面倒なことを放り出す=放棄するという横着=怠惰の産物である
ことを思い出しましょう。彫琢や推敲の結果なんかじゃありません。「ま、いっか」=妥協=「テキトーにみつくろう」の結果です。それどころか、ある意味では、
*「すっきり」は、「ズル・ずるい」と「消す=殺める」を行った、大雑把で血生臭い結果
とも言えるのです。
*Simple is beautiful.
とは、言葉や文章に関する限り、誠意に欠けた美辞麗句でしかありません。
以上が、冗漫=冗長=散漫=わかりにくい=ごちゃごちゃした文章を書いているアホの、言い訳=弁解=戦略の説明=「堪忍してちょ」=脱線です。とはいえ、この脱線は、きょうの本筋と大いに関係があるのです。
*
で、さきほどの「惰性で=何となく=「経路」に沿って」に、話をもどしますが、
*「「経路」に沿って」
と言うと、何だかわけが分からなくなると思います。「経路」というのは、このブログで、最近、このアホが馬鹿みたいによくつかっている、
*きわめて「個人語」的色彩の濃い言葉=自分で勝手につかっている言葉=自己満足の言葉=自分受けする言葉=他人には通じそうもない言葉
です。
ですので、この言葉がこのブログでどのようなつかい方をされているのかを、ご存じない方、および、きのうの記事を読んだけれど、「経路」なんてどうでもいいとお思いになっている方のために、きのうの記事から、必要な部分だけを少し改変=変奏=変装=編曲して、引用させてください。
*「経路」には一定した意味はない。
*「経路」=「線路」は意識されない。
*「経路」=「線路」は、敷かれている=引かれているが、意識されない。
*「経路」の中心的なイメージは、「すじ=方向=進行」である。
*「経路」=「意味」とは、分からないものである。
*分かるものは、「経路」=「意味」ではない。
*分かったとたんに、「経路」=「意味」ではなくなる。
以上のフレーズ=言葉を並べたところで、さっきのフレーズ=言葉を、以下にコピペしますので、申し訳ありませんが、もう一度読んでください。
*ヒトという種は、惰性で=何となく=「経路」に沿って、「何となく生きていることができない」=「生きていることに意味を見いだそうとする」という行為を、日々実行=実演している。
ということなのです。少しは、分かりやすくなりましたか? 駄目? じゃあ、駄目押しに、ものすごく、簡単に=すっきりさせてみます。
*何となく「何となくでない」をしている。
です。矛盾に思えますか? 論理的ではないとお思いになりますか? 「矛盾している」とか、「論理的ではない」とお感じになれば、こちらの
*イメージが通じた
と言えそうです。通じたのが、「イメージ」であることに注目してください。「意味」「考えていること」「メッセージ」ではなく、
*あくまでも「イメージ」
です。
*イメージとは、とても、テキトー=気まぐれ=大雑把=でまかせ的=頼りにならない=不安定なものである、と想定している
と考えてください。ですから、
*「矛盾している」あるいは「論理的ではない」と感じても、いっこうに差支えがない
のです。イメージのテキトーさについては、「あらわれる・あらわす(8)」で、かなり詳細に論じましたので、ご興味のある方は、ご一読願います。どれくらいテキトーかを知っていただくために、その記事からちょっとだけコピペしてみます。
*imagine のアナグラムは enigma (英語で、謎、謎の人)+ i(虚数単位)。image のアナグラムは、magie (仏語で、魔法、魔術)。「マジ」で、あやしい。imago ⇒ amigo (西語で、男性の友人)とはいえ、気を許してはならぬ。
以上のフレーズが、引用ですけど、英語の image の動詞形である imagine が曲者でして、
*言霊の幸ふ国(=ことだまのさきはうくに)(※意味は広辞苑でお調べください)の言葉で、「分光する=分ける」と、imagine のアナグラムは「imigane =意味がねぇ=意味がない=「意味がね、イマイチなのよ、の『意味がね』」、あるいは、「iminage =意味なげ=「意味なげに思ゆ or 覚ゆ、の『意味なげ』」とも読める
というテキトーぶりなのです。えっつ? 「テキトーなのは、imagine ではなくて、おまえだろう」ですか? そう言われると、返す言葉がありません。その通りでございます。
*
で、要するに、
*イメージを扱おうとするならば、矛盾、論理、筋道、真偽といった「凡庸な」フィクション=物語の出る幕ではなく、むしろ、去年ノーベル物理学を受賞した三人の日本出身の学者たちによる、受賞の対象となった研究論文に見られる「摩訶不思議な」=「非凡な」=「荒唐無稽ともいえる」フィクション=物語に出てくるたぐいの言葉たちの表情=仕草=動きこそが、主役を演じる。
のです。ですから、
*「矛盾している」あるいは「論理的ではない」とは、褒め言葉である
と言えないこともありません。
*現代物理学では、イメージが重視されているらしい
と妄想しております。しかも、
*そのイメージは、たぶんに「矛盾している」あるいは「論理的ではない」の乱舞=不条理演劇=「伝染るんです or ぼのぼの」=「わけわかんない」=「禅問答」(※「禅問答」という言葉はあまり好きではないのですけど、理由は禅僧が位が高いほど偉そうにしているからという単純な理由だけなのですけど、人によっては、この言葉でイメージが分かっていただける気がするので挙げておきます)を演じている
みたいなのです。
*現代物理学は、「1+1=2」や「犬が西を向けば、尻尾は東を向く」の世界ではない。
みたいなのです。
と、妄想して=決めつけて=思い込んでおります。
くどいですが、もう一度、書きます=コピぺします。
★
*ヒトという種は、惰性で=何となく=「経路」に沿って、「何となく生きていることができない」=「生きていることに意味を見いだそうとする」という行為を、日々実行=実演している。
ということなのです。ものすごく、簡単に=すっきりさせてみます。
*何となく「何となくでない」をしている。
です。
★
以上の説得=説明の方法は、イメージを伝えるために、どちらかというと理屈=論理に訴えています。倒錯したやり方です。次に、変奏=変装=言葉の置換えという方法で、みなさんへの説得=説明を試してみます。
*「我思う、ゆえに我あり=Je pense, donc je suis.」by デカルト
↓
「ぼーっとする、ゆえに我あり」by アホ in 「ぼーっとする、ゆえに我あり」&「不自由さ(2)」
↓
「何となく、ゆえに何となくにあらず」
↓
「「経路=線路」に沿って、「経路=線路」を外れる」
↓
「「線路」に沿いつつ、同時に脱線する」
↓
「「A」でありながら、同時に「Aではない」である」
↓
「「何か」でありながら、その「何か」ではない」
いざ試してみると、依然として、どちらかというと理屈=論理に訴えています。やっぱり、これしか道=手はないのでしょうか。それとも、
*人工言語という、フィクション=いかさまの体系=「圧倒的な偶然性に支配されている宇宙のなかで、細々と人為的な必然性をつくりあげ、それを信奉しながら、ある程度の有効性に賭けたツール」に頼る
べきなのでしょうか。
別の説得=説明の方法として、今度は、きのうの記事に書いた、辞書での言葉の料理法=説明の仕方1)~5)までのうち、
3)見出しの言葉をつかった例文を挙げて、ほのめかそうとする。=「Aは、『PがAしたらQが起きた』みたいにつかうのだけど、分かるかしら」。
を試してみましょう。あれっつ! きのうの記事からコピペをしようとしたら、その記事のなかで
*「意味」=「経路」
を説明しようとした結果、出てきたのが、上にコピペした、いくつかのフレーズだったことに気づきました。こういうのを
*堂々巡り=「あら、また、あんたじゃないの、あんたも好きねえ」
というのですね。「だめだ、こりゃ」的状況ですね。でも、めげずにやってみます。別のフレーズで試せば、何とかなるのではないかと、「何となく」思います。では、いきます。
*
*意味は分からないけど、何となく、お経を読んでいる。
*意味は分からないけど、何となく、その歌をうたっている。
*意味は分からないけど、何となく、お風呂に入っている。
*意味は分からないけど、何となく、ご飯を食べた。
*意味は分からないけど、何となく、選挙で○○党の××に投票した。
*意味は分からないけど、何となく、戦争で人を殺めた。
*意味は分からないけど、何となく、この△年間自動車を運転してきた。
*意味は分からないけど、何となく、レジ袋使用をやめてブランド製のエコバッグをつかっていて、たくさんあるダサいもらいもののエコバッグは押し入れに突っ込んだままだ。
*意味は分からないけど、何となく、地球温暖化を助長してきたらしい。
*意味は分からないけど、何となく、大不況になっちゃったみたい。
*意味は分からないけど、何となく、神様or教祖様を信じていることになっている。
*意味は分からないけど、何となく、この惑星がやばい方向にむかっている気がする。
*意味は分からないけど、何となく、すごく悪い=罪深いことをしている気がする。
もう、これくらいで、よろしいですよね。
*何となく「何となくでない」をしている。
の意味が、体感できてきたのではないでしょうか。
次に、ヒトにとって、わりと苦手な時間的経過の処理に挑戦しましょう。いえ、難しいことではありません。ここでは、ただフレーズの最後=文末をちょっといじるだけです。
*何となく「とんでもないこと」をしている。
*何となく「とんでもないこと」をした。
*何となく「とんでもないこと」をしてきた。
*何となく「とんでもないこと」をしつつある。
*何となく「とんでもないこと」をするだろう。
*何となく「とんでもないこと」をし続けてきた。
*何となく「とんでもないこと」をし続ける。
*何となく「とんでもないこと」をし続けるだろう。
こう並べてみると、空間的な広がりだけでなく、時間的な広がりも体感できて、
*「何となく」は「とんでもない」ではないだろうか?
と「何となく」思えてきませんか? きょう、みなさんに、このアホがどうしても、訴えたいことは、それなんです。
この記事の冒頭で、いきなり、
*「何となく」は「とんでもない」のだ。
なんて申し上げても、
*「はあ?」で、片付けられてしまった
にちがいありません。それが、とうぜんだと思います。自分でも、いきなり、そう言われたら、
*「はあ?」
ですもの。今なら、
*「何となく」は「とんでもない」のだ。
と書いても、それほど抵抗感=「わけわかんない」はないのではないでしょうか。
*知らず知らずのうちに、大変なこと=罪なことをしている
とか
*無意識のうちに、多大な影響=危害=被害を及ぼしている
とか
というふうに読みかえていただいても、大差ありません。
*
ここでまた話は、ずれますが、
*「何となく」の正反対
であるはずの
*間違ったことは何もしていないのに=然るべきことをちゃんとしているのに=言われた通りにしているのに、やることなすことがうまくいかない
という状況がテーマになっている小説を思い出しました。きのうの記事でも出てきた、
*ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert:1821-1880)作の『ブヴァールとペキュシェ』(Bouvart et Pécuchet)
です。個人的には、この作品は小説ではなく、
*宗教色のない、むしろ、自然科学的な意味での、一種の「預言書」
だと思っているのですけど。テーマが大きすぎて、ここでは扱えませんので、万が一ご興味のある方は、実物をお読み願います。あえて、言えば、
*ヒトは、何となくうまくやっているつもりで、何となく途方もなくズレたことをやっている
みたいな「お馬鹿な」=「真面目な」話が書いてあります。
*
で、
*「何となく」は「とんでもない」のだ。
に話をもどします。大切な点は、
*「何となく」が、きょうの日替わり定食のメニュー的「経路」の意味
なのです。ごちゃごちゃぐだぐだ書いていますから、もう、お忘れになったと存じますが、さきほど、
*「経路」には一定した意味はない。
と書きましたように、「経路」は、その日によって意味が変わることがあるのです。ですから、「きょうの日替わり定食のメニュー的」という修飾語をつけました。たとえば、これから先の記事で「経路」の意味が変わっている可能性は高いと言えます。
ちなみに、きのうの記事では、
*「経路」は「意味」という「意味」だ。
みたいなことを書いていました。きょうは、
*「経路」とは、「何となく」であり「とんでもない」だ。
です。見通しとしては、今後、
*「経路」は「刻印」である。
みたいな話になる感じがします。
*刻印=DNA=運命=宿命=「どうにもとまらない」=「因果」=「業(ごう)」=GO=さだめ=「リセット不可能性」=「駄目」……
という連鎖があたまに浮かびます。あくまでも、見通しですので、変更もあり得ますけど……。なお、こうした一連の言葉たちが、出てくる心境については、「カジノ人間主義」という、個人的に非常に愛着のある記事と呼応しているので、ご一読いただければ幸いです(※安心してください、過去の記事を読まなくても分かるように書いていますので)。その記事では、「経路」が
*「出来レース」
という言葉で登場しています。
*
ところで、最近、
*自然言語と人工言語
について、すごく気になって仕方ありません。めちゃくちゃ苦手な人工言語をちょっと「お勉強」してみたくなりました。で、しばらく、その「お勉強」に専念し、このブログはお休みさせていただきます(※安心してください。以前のアホがこう書いていますが、無視していただいてかまいません by 今のアホ)。
こんにゃく、いや、絹ごし豆腐ほどの柔(やわ)な根性しかないアホのすることですので、すぐに挫折するのは目に見えていますが、いちおう、やってみます。
*
ごちゃごちゃぐだぐだした文章を、我慢して、ここまで読んでくださった、心優しいあなたに、感謝いたします。どうもありがとうございました。では、また、再開=再会のときまで(※以前のアホがこう書いていますが、無視してください by 今のアホ)。
何となく それでは済まぬ 出来レース
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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