わかるという枠

げんすけ

2020/09/14 09:00


「翻訳の可能性と不可能性」の続きです。


 この数日間、前置きが長くなって本題に入れない事態が続いていましたので、今回はのっけから、資料のコピーペーストをします。資料とは、「うつせみのうつお」に収めてある過去の記事です。【※「うつせみのうつお」とは、過去の全ブログ記事を収めたウェブサイトでした。削除して現在はありませんが、その代わりに、全ブログ記事を電子書籍化し、パブーのマイページに置いています。】


     ■


*「わかる」という日本語を「枠=制約=限界」として考えてみる。


ことから始めましょう。なぜ「わかる」が「枠=制約=限界」なのかというと、国語辞典を引くと分かるように、「わかる」という言葉の


*「語義=意味」が「限定」されている。


からです。これは当然のことです。一方で、


*「枠=制約=限界」とは、「可能性=広がり=望み」でもある。


とも言えます。これは辞書を引いて分かるたぐいのことではなく、


*ネガティブはポジティブであり、ポジティブはネガティブでもある。


という具合に、「枠=制約=限界」と「可能性=広がり=望み」の両者は、反対語というよりも、裏腹=補完の関係にあるからです。反対語とか反意語という言葉の綾=レトリック=ごまかしをまともに受け取ってはなりません。反意語や反対語に対する、当ブログの考え方=悪態にご興味がある方は、「意味の論理楽(続・ふーこー・どぅるーず・でりだ)その1」をぜひご一読願います。


 と書きましたが、その記事を覗いてみるとずいぶん長いものなので、該当する部分だけを以下に引用しますね(それでも長いのですけど)。


     ■


*ヒトは、飽きっぽく、しかも忘れっぽい生き物である。


 これは日々実感しています。自分の言動を考えても、まわりにいる人たちの言動を見ても、テレビや新聞やウェブサイトを見ても、つくづくそう思います。で、きのう書きましたように、反意語=反対語=対義語=異義語であると、とりあえず共通の認識があるらしい数々のペアの言葉たちに対し、自分はかなりの疑問を抱いているのです。


 自分が見聞きするすべてのペアについて、そうした不信感を持っているのですから、大変です。別に、そんなことを気にせずに生きていくのが楽に決まっています。それは百も承知です。百歩譲って、そうしたペアが反対であると認めてしまい、たとえば、このブログで記事を書いていくとか、そんな心持ちでやり過ごしていくとか、そんなことができれば、気楽だし、うつも悪化しないだろうなあ、と思います。でも、できそうもないのです。


 ただ、いちいち反対語のペアが出てくるたびに、それ突っかかっていたら、しんどくて仕方ありません。ですので、反対語のペアを、このさい十把ひとからげにして、気持ちの整理だけをしておこうという姑息な手段を選択しようと決めました。で、次のような仮説(かせつ)を仮設(かせつ)しておきたいと思います。以下のAとBは、いわゆる反意語=反対語=対義語=異義語のペアだと考えられているものです。


(1)AとBは、「反意語」というよりも、むしろ「表裏一体」であるらしい。写真のネガとポジが代表的な例。AからBへ、BからAへの移行が、ほぼ瞬間的に可能であるという特徴を持つ。また「一瞬にして自分を変える」「ポジティブをネガティブに転じる」に類似した、ある種の分野で用いられている、レトリック=言葉の遊び=キャッチコピー=宣伝文句=惹句=作り話=トリック=錯覚=嘘という、応用例もある。この中に含めてよさそうなペアの候補としては、愛と憎、快と不快、「いや=だめ」と「ええ・はい=いいわ・いいよ」、幸と不幸、うれピーとかなピー、味方と敵、友達と見知らぬ人、痴漢とたまたま電車内で隣合わせた人、前進と後退、進化と退化、などが怪しい。


(2)AとBは、「反意語」というよりも、むしろ「範囲語」であるらしい。AとBの意味の素(もと)は、かなり混じりあっているにもかかわらず、言葉の響きによって、反対の意味であるという印象を招いていると推測される。つまり、構成要素が同じ「範囲=枠」の中で入り乱れている。構造的には、連続体という比喩も有効であろう。また、時間的推移により、構成要素間での位置関係が変化しやすい。また、そもそもペアが反意であるという根拠=理由が薄い=弱い場合も、ここに含めていいと考えられる。変化に注目した場合には、プリズムのイメージが近い。見方や視点を変えると、異なったもののように知覚されるという特徴がある。正規品と類似品、オトナとコドモ、単数と複数、悪人と善人、聖人と涜神(とくしん)者、聖人と俗人、超人とふつーの人、すごいヒトと凡人、本物と偽物、本人と影武者、本人と偽者、天動説と地動説、「ヒトは空を飛べる」と「ヒトは空を飛べない」、幽霊の存在の肯定と幽霊の存在の否定、「(人間関係における)上 」と「(人間関係における)下 」、などが典型例かもしれない。この中に含めてよさそうな他のペアの候補としては、真と偽、善と悪、正と誤、聖と俗、ハレとケ、「本当です」と「間違えました」などが怪しい。


(3)AとBは、「反対語」というよりも、むしろ「相対語」であるらしい。AとBとの間には、反対関係ではなく、相対的な「位相=段階=階段=雛壇(ひなだん)」が存在すると推察される。したがって、その階段のどこにいるかによって、反対関係とは言えない関係が生じる。多くの場合、測定器や測定用機器によって物理的に観察でき、かつまた数値化可能だという特徴を備えている。以下の典型例は、比喩としてではなく、物理的に確認可能な場合を想定していることに注意されたい。熱いと冷たい、暑いと寒い、右と左、無痛と苦痛(※SMではなく医学的意味で)、厚いと薄い、高いと低い、長いと短い、遠いと近い、「でかい」と「ちっちゃい」、「これだけ」と「こんなに」、東洋と西洋、速いと遅い、すっぴんと厚化粧、など。


 ここで、ひと休みしてよろしいでしょうか? みなさんも、お疲れになったのではないでしょうか? 少しだけ、話をずらしましょう。反対の意味を表すのに、漢語系の日本語の単語に「無」「不」「反」「非」「脱」といった語を頭に被せますよね。まるで、「否定のかつら」みたいです。英語にも、ありますよね。


*unhappy 「不幸な」、 immoral 「不道徳な」、 antisocial 「反社会的な」、disorder 「無秩序」、irregular 「不規則な」、illogical 「非論理的な」、ignorance 「無知」、deodorant 「脱臭剤」、nonsense 「無意味」、anarchy 「無政府状態」


 よく見ると、おなじみの単語が透けて見えませんか? おもしろいですね。一見するだけでは、どうなっているのか分からないものもあります。たとえば、上記の ignorance 「無知」ですが、これは語源的には i- という「否定のかつら」+ 「gnor(ance) = know 」と考えるらしいです。だから、無知=知らない、となるみたいです。なるほど、という感じですね。


 最後に挙げた anarchy 「無政府状態」は、アナーキーと読めば、なんだあれかあ、という感じの単語ですが、手元にある辞書によると、a- という「否定のかつら」+ 「 archy =指導者」と説明してあります。ですので、monarchy とは「モノクロ(=単色)」や、このブログみたいな「モノブログ(=孤独ブログ)」の「モノ」、つまり、「1つ、1人」+「指導者」で、「君主制、君主国」となるとのことです。なるほど。


     *


 で、


(4)AとBは、「対義語」というよりも、むしろ「大儀語」であるらしい。AとBの間に、対立関係ないし反対関係を見出すことは容易に見えて、実は難しい。哲学、論理学、倫理学、数学、ひいては「言葉遊び=レトリック」のテーマとして、しばしば論じられてきたが、結論は出なかったもよう。これから先も、結論は出ないと予想される。この種の議論は、七面倒くさく、骨がおれ、徒労に終わることが特徴。一部のマニアおよびオタク向け。脳科学に救いを求める向きもあるが、その有効性は未知=絶望的。典型例は、存在と無、有と無、虚と実、戦争と平和、現実と非現実、現実と仮想現実、フィクションとノンフィクション、事実と虚構、嘘と真(まこと)、始まりと終わり、身体と精神、平面と局面、点と線、直線と曲線、罪と罰、天国と地獄、この世とあの世、オトコとオンナ、キミたち女の子とボクたち男の子(※ただし、ここではオスとメスという生物学的要素を除いた抽象語)、など。


(5)AとBは、「対義語」といよりも、むしろ「大疑語」であるらしい。大いに主観的な解釈が、さまざまな人たちによってなされている、極めていかがわしいペアである。と解釈できる点が、いかがわしさに輪をかけていると言えなくもない。(1)(2)(3)(4)、および次の(6)と重複する。典型例は、幸と不幸、前進と後退、真と偽、善と悪、正と誤、聖と俗、虚と実、現実と非現実、嘘と真(まこと)、など。


(6)AとBは、「異義語」というよりも、むしろ「異議語」であるらしい(※両者の漢字の違いをよく見てください)。反対関係にあるのではなく、複数の利害関係者=ステークホールダー間の意見の相違や虚偽や策謀などが根底として存在する、「混乱=闘い=戦い=喧嘩=生存競争=仁義なきたたかい」であると推測される。口語体=悪態=罵倒で、表現されるのが特徴。利害関係に基づくものであるために、しばしば同一ないし同様の表現として立ち現れる。例は以下の通り。「言った」と「言っていない」、「やったろー」と「やってねー」、「良かった」と「悪かった」、「関係ねー」と「責任とれ」 、「おまえが悪い」と「おまえが悪い」、「失礼しちゃうわ」と「失礼しちゃうわ」、「とんでもないわ~」と「とんでもないわ~」、「おだまり」と「おだまり」、「馬鹿野郎」と「馬鹿野郎」、「今に見ていろ」と「今に見ていろ」、「某国の将軍様」と「某大都市の知事」、「真似すんな」と「真似すんな」など。


(7)AとBは、反意語=反対語=対義語=異義語というよりも、むしろ「同意語=同義語」であるらしい。世界を「まだら」状にしか知覚および認識できないヒトが、長年にわたって使用してきたことにより、慣例的に反対の関係にあると「誤解=事実誤認=錯覚」されていると推測可能な言葉のペア。補完関係があるという見方も可能かもしれない。静と動、絶対と相対、客観と主観、客体と主体、「分かった」と「分からない」、「知っている」と「忘れている」、きれいと汚い、可能と不可能、シャチョーとペーペー、お偉いさんと市民、濃いと薄い、あそことここ、善と悪(※倫理的意味ではなく、この惑星に対してのヒトの影響度)、神と悪魔(※ただし、諸説あり)、ヒトと動物、優と劣、高等と劣等、理系と文系、○○党と△△党、右派と左派、保守と革新、主流派と非主流派、○○党XX派と○○党□□派、「某国の将軍様」と「某大都市の知事」(※また出ちゃった)(※今のヒトではありません)など。


(8)AとBは、反意語=反対語=対義語=異義語というよりも、むしろ「別物」であるらしい。しかし、存在である以上、根本においては、つながっているとも推測される。ベクトルが違うのに、歴史的経緯や、ゴタゴタ=騒動や、錯誤や、陰謀によって、反対の関係があるとみなされているとおぼしきペア。典型例は、資本主義と共産主義、塩と砂糖、社会主義と共産主義、SとM、○○教と△△教、○○派と△△派、○○流と△△流、一時期のテレビと一時期のラジオ、シロとクロ、まなとかな、タロとジロ、など。


 なお、以上の8つの定義のそれぞれの出だしの総括的センテンスの語尾が、すべて「らしい」となっているのは、それを一つひとつ検証するのが、実にしんどそうだからです。自分は、哲学と「心中する」(※比喩です、当ブログは自○サイトでは断じてありません、念のため)気はあっても、反意語=反対語=対義語と「心中する」(※比喩です、当ブログは○殺サイトでは断じてありません、念のため)気は毛頭ありません。


     * 


>ヒトは、飽きっぽく、しかも忘れっぽい生き物である。


でしたよね。いったん、さきほどの話題に戻りますが、


*反意語とは、ヒトが本当は体で分かっている、あるいはかつて体で知っていたことを忘れた結果として陥っている錯覚から生じる言葉のペアである


と、簡単にまとめさせてください。何しろ、


*ヒトは、「〇△X」という言葉を作り、その次に「〇△Xとは何か?」と問い、思い悩む生物なのである


からなのです。


     ■


 以上が引用です。


     *


 話を「わかる」にもどしますね。


「わかる」というひらがなで書かれた大和言葉系の語に、


*送り仮名を付ける


と、その意味がいわば


*分光


されます。分光とは、光をスペクトルに分けるという科学の分野で行われる作業です。もちろん、ここでは比喩です。


*「わかる」にどんな「意味=語義」があるかを体感する。


のに役立ちます。


*「わかる」=「分かる」=「別る」=「解る」=「判る」


 どうですか? 何となく、少しだけ、分かったような気になりませんか? 


*漢字に助けられて、意味が分かれていることが分かる


のです。おもしろいですね。個人的には、こういうことが大好きです。ただし、表記の「正しさ」は無視しましょう。表記に「正しさ」なんてありません。「何となく=結果的に=一時的に」そうなっているだけです。


     ■


 次に、上で用いた漢字に注目してみましょう。


*「分」⇒ わける、バラバラにする、わきまえる、おのれを知る、わけて配る、デリバリー、というイメージ。たとえば、「分別(ふんべつ)」「分解」「分離」「分裂」「野分(のわけ)」「分水嶺」「分析」「微分」「通分」「分類」「分家」「部分」「五分五分」「春分」「秋分」「身分」「分際」「区分」「分割」「分配」「分譲」「分担」……のように使われる。


*「別」⇒ わかれる、バイバイ、さよなら、ちょっぴりさみしい、離れる、他とは違う、ゴーイング・マイウェイ、ああ何と薄情な、わける、男と女は夢ぇ芝ぁ居ぃひらひら~、というイメージ。たとえば、「別離」「死別」「別居」「送別」「餞別」「特別」「格別」「別格」「区別」「分別(ぶんべつ)」「判別」「大別」「差別」「千差万別」「識別」「鑑別」「別荘」「別個」「別記」「個別」……のように使われる。


*「解」⇒ とく、ほぐす、バラバラ、わける、帯なんかをほどく、よかったね、ゆるゆる、自由にしてやる、バイバイ、余計なものを取り除く、脱がしちゃう、説明する、謎をとく、なっとく、わかる、どれどれ見せてごらん、なるほど、やっぱり、そうだったのか、というイメージ。たとえば、「解体」「分解」「解剖」「和解」「溶解」「融解」「解放」「解禁」「解散」「解雇」「解毒」「解熱」「解消」「解除」「解決」「理解」「誤解」「難解」「不可解」「氷解」「解明」「読解」「明解」「詳解」「図解」「解釈」「見解」「解説」「解析」「解答」……のように使われる。


*「判」⇒ わかる、ガッテン、なるほど、われる、明らかになる、白黒をつける、暴露される、さばく、けちをつける、ポンと押す、印をつける、というイメージ。たとえば、「判断」「判別」「判定」「判明」「判読」「判決」「裁判」「判事」「公判」「審判」「判例」「批判」「談判」「評判」「判子」「血判」……のように使われる。


 以上は、手元にある複数の漢和辞典を調べながら行った「素人のやっつけ仕事=ブリコラージュ=一銭にもならない内職」です。詳しいことがお知りになりたい方は、どうかお勉強なさってください。


     ■


 上のように見てくると、「わかる」がわかってきます。でも、「わかる」はあくまでも「わかる」です。日本語の一つの「言葉=語」です。このことを忘れないようにしましょう。


*「わかる」は日本語の一つだ。


というのは、すごく当たり前に思えますが、すごく忘れやすいことでもあります。日本語が母語だと、空気みたいに感じてしまい、その空気の存在を忘れてしまうのに似ています。でも、空気があること、空気のお世話になって「生きている=息ている」ことを忘れてはなりません。


*「わかる」は日本語の一つだ。


を体感するためには、


*「わかる」をズラしてみる。


方法があります。


*いわゆる「類語=類義語」を探してみる。


のです。上のリストにもありましたね。たとえば、


*分析する・分類する・区別する・判別する・識別する・解決する・理解する・解明する・図解する・解釈する・読解する・解説する・判断する・判定する・判明する・判読する


なんて、いかにも「わかる」っぽい気がしませんか? 個人的には


*理解する


が、いちばんピンときます。


     ■


*「わかる」をズラしてみる。


という意味は、以上のような作業をさします。でも、


*ズラす


のは、比較的簡単ですが、


*ズレ=違い=差=差異=際・きわ=間・あい・あいだ・あわい=隔たり=分かれ目=境い目=境界線=辺境=縁=ふちっこ=枠


について考えようとすると、ややこしそうな感じがしませんか。


 実は、今、


*「ズレ」という言葉をズラす。


作業をしてみました。こういう、込み入ったことが好きなんです。部屋でひとりでぼけーっとしている時とか、眠りに入る前なんかによくやっています。


 こういう考えごとをしながら、「永眠できたら=なくなることができたら=きえることができたら」最高なんですけど。


     ■


 話を戻します。


*「わかる」と「理解する」の「ズレ=違い」は何か?


くらいに、簡単なフレーズでも、それに答えようとすると、思わず「うーむ」とうなってしまいます。


 ややこしいですね。なぜ、ややこしいのでしょう。


 きっと


*「枠」に突き当っている。


からだと思います。


 その


*「枠」


というのは、さきほどの、


*ズレ=違い=差=差異=際・きわ=間・あい・あいだ・あわい=隔たり=分かれ目=境い目=境界線=辺境=縁=ふちっこ=枠


という一連の「言葉=語=イメージ・意味・表象・代理・でたらめ・恣意的なもの」の総称だと考えてください。


     ■


*ヒトは、枠に「とらわれ=はめられ=しがみつき=おさまり=入り込み=寄りかかり=支えられ=組み込まれ」ている。


のが、常態です。そうしなければ、ヒトとして生きていけないという意味です。ほかの生物も、枠の中で生きています。それは


*環境に自らを合わせる。


という生物学的レベルの話だと思われます。


*ヒトは、ほかの生物の生態とはズレて生息している。


あるいは、


*ヒトという生物=生体は、ほかの生物とはズレている。


または、


*ヒトの脳とその機能は、ほかの生物とはズレている。【※「ズレている」を、お好みに応じて「逸脱」とか「過剰」という語を用いて言い換えることもできるでしょう。】


ようですから、話はかなりややこしくなります。個人的に、特に注目しているのは、


*ヒトは、「言葉=語=言語」を始めとする、さまざまな「イメージ・意味・表象・代理・でたらめ・恣意的なもの」という枠の中で生きている。


らしいという点です。長いフレーズなので、切りつめましょう。


*ヒトは、表象=代理という枠の中で生きている。


     ■


 話を、


*「わかる」という枠


に戻します。さきほど「わかる」の類義語として、


*分析する・分類する・区別する・判別する・識別する・解決する・理解する・解明する・図解する・解釈する・読解する・解説する・判断する・判定する・判明する・判読する


を挙げました。ほかに、どんなものがあるでしょう。できれば大和言葉系の言葉で「わかる」と重なる部分の多いものを知りたいです。


 類語辞典を持っていなくても、複数の国語辞典で「わかる」を引くと、「わかる」とほぼ同じような意味の言葉が出てきます。それを利用してみました。


*わかる・はっきりする・あきらかになる・さとる・じぶんのものにする・しる・みとめる・みさだめる・つかむ・とらえる・なそがきえる・わきまえる・かんじとる・さぐってしる・うかがいしる・うなずく・ききいれる・おもいがつうじる・あじわう


 以上のような言葉が目につきました。なるほど、という感じです。「わかる」と部分的に「重なる=似ている=かぶる」気がします。


     ■


 次回は、さらに違った視点から、


*「わかる」という枠


に、無理を承知で揺さぶりをかけてみたいと思います。



※以上の文章は、09.12.06の記事に加筆したものです。なお、文章の勢いを殺がないように加筆は最小限にとどめてあります。



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