3人のゲンちゃん
げんすけ
2020/08/02 09:26
以前、
*「信号学」
と
*「信号論」
なんて言葉をつくって、
*「学問ごっこ」
をして、はしゃいでいました。まさに、
*テリトリー本能=なわばり行動=マーキング行動=「汁・おしっこ・知る・印(しるし)・標(しるべ)」=「地・知・血=地を知って血を流す」
ですね。このへんの独り受けギャグ=アホの自己満足ギャグに、ご興味をお持ちの方は、過去の記事「かく・かける(4)」と「地と知と血(2)」をご一読願います。こんなくだらないギャグはどうでもいい、とお思いの方は、どうかこのまま読み進みくださいませ。
で、「学問ごっこ」ですが、このアホもしょせんヒトの子=アホもいちおうヒトのはしくれ、というわけです。ああ、恥ずかしい。でも、恥ずかしいのって大好きです。そんなアホの馬鹿さ加減をご覧になりたいご奇特な方が、万一、いらっしゃいましたら、「スポーツの信号学(1)」を一瞥=一蔑し、
*「この、アホめっ」 or 「この、ぬけさくぅー」
と、罵倒=叱咤激励してやってください。「この○そ暑いのに面倒くさい」とお思いの方は、他のサイトに飛ばずに、どうかこのまま読み進みくださいませ。
で、性懲りもなく、恥ずかしながら、「恥ずかしいのって大好き」企画=「太宰治生誕100年を記念しての(※記事の鮮度が悪くて申し訳ありません、赤面)自意識過剰的・自虐的・道化的性向を見直そうキャンペーン(別称:「生まれてきてすみません」運動)」の一環としての「学問ごっこ」をしてみます。えっつ? 「勝手にやれば~」ですか? お許しをいただき、ありがとうございます。
*
今回は、
*「記述論」
または
*「記述学」
または
*「一般記述学」(※どうして「一般」を付けたのかと申しますと、"記述学" でググってみたところ、既に使用中=occupied だったから頭に何かを付けよう、それだけの理由なのです。大した意味はありません。ちなみに「記述論」も使用中みたいですけど、「ま、いっか」でいきます)
でして、英語では、
*descriptionology
あるいは
*general descriptionology(※どうして「general」を付けたかは、上記の「一般」の際の理由と同じです。検索の結果、記述=既述でした。)
となり、フランス語では、
*descriptionologie
を予定しており、ドイツ語では、外来語扱いで、そのまんま
*Descriptionologie
とするか、ゲルマン系の語を勝手に=でたらめに、接木=造語して、たぶん
*Beschreibungwissenshaft
あたりが、適当=テキトーではないかと考えております。
*
冗談=本気はさておき、ヒトという種(しゅ)が、何かに取り付かれた=憑り付かれたかのように、せっせと、やっている、
*記述 or 記述法 or 記述術 or 記述癖(※右にいくほど、胡散(うさん)くさく=いかがわしく響きませんか? 大差ないんですけど)
という作業=いとなみ=行為=行動=習性=「くせ・癖・曲」について、考えています。こんなことをやっていますのも、きのうの記事で、恥ずかしくも(=「恥ずかしいのって大好き」=失礼しました)書きましたように、
*広義の「人工言語」という「言葉=物語=ガセ=フィクション」
に振りまわされ、20冊もの本を見て≠読んで、過去数日間、せっせとメモを「つくっていた=記述していた」後遺症みたいです。このとちくるいは、暑さのせいばかりではない気がいたします。
で、暑いのですが、とちくるいついでに、ちょっと本気で
*記述という、わけの分からないヒトの行動
について、考えてみようと決意しました。実際、
*記述
って、
*分かるようでよく分からない
のです。みなさん、どうお思いになりますか?
*
ところで、
*唯○論
って、ありますね。「なる(8)」で、暑かった、失礼、入力間違いです、扱ったテーマです。で、「記述」について考えていて、その「唯○論」が不意にあたまに浮かび、思い出したのですが、
*唯幻論と唯言論とのあいだで論争があった
とか、なかったとか、そんな話がありました。昔の話です。いわば、
*ゲンちゃんとゲンちゃんとの喧嘩
です。声に出せば、同じ「ゲンちゃん」なんだから、それに、両方とも結局は同じことなんだから、喧嘩はやめましょう。当時、そう思ったことも、思い出しました。
*「げん・幻・言」、ついでに、「現・減・元・源・呟・眩」
と並べてみると、どうにでも、話=フィクション=物語=口上=こじつけ=でまかせを、かます=つくる=捏造することができそうな気がします。つまり、
*唯幻論=唯言論=唯現論=唯減論=唯限論=唯元論=唯源論=唯呟論=唯眩論……
という感じです。さらに言うなら、「ゲンちゃん」でも、「ケンちゃん」でも、「ゴンちゃん」でも、「アンちゃん」でも、「ワンちゃん」でも、同じ「こと=操作=作業=手仕事=ブリコラージュ=お話」つくりができそう、いや、きっとできます。というか、たぶん、できるようになっているのです。ぶっちゃけた話が、
*何でも言えるのが言葉である=言葉を用いれば何とでも言える
という、例の話です。
*色即是空(しきそくぜくう)
じゃありませんが、
*幻即言=言即幻=原則幻=原則言=元素苦言=げんそくげん=んげぇくっそぅんげぇ
です。マジな話、そうお思いになりませんか?
ゲンちゃん同士の喧嘩がどういう内容だったかは忘れましたが(※喧嘩、口論、議論、論争、紛争、殺し合い、戦争に内容や意味なんてないので、何かと理屈=言葉をつけても、みんな忘れてしまいます。傷ついた人、殺められた人がいたという記憶だけが残るのです)、
*言と幻が「素材=原料=材料」なら、こんな話になり得る
という横着な乗りで、勝手に考えてみます。
*
まず、
*「言は、物=物質=具体的」 vs. 「幻は、現象 or 意識=こと=抽象的」
と形式的=図式的に処理しておきます。
蛇足とは思いますが、誤解を避けるために、申し添えますが、言=言語=言葉は、話し言葉=音声=空気の振動、書き言葉=文字 or 活字=刻んだり引っ掻いた跡 or インクのかすなど、という具体的な物質です。したがって、知覚の対象になります。見たり鼓膜を振動させたり触ったりできない、意味やメッセージのことではありませんので、よろしくご理解とご了承をお願いいたします。なお、意味やメッセージは、幻さんの担当のようです。
ここで、視点=支点という点を考慮しなければなりません。最初から、どちらかに加担=支持=配慮する形になっては、2人のゲンちゃんが、ひがん、善悪の彼岸で腹を立てますので、公平にいきましょう。
*言から見れば=言に重点を置けば、すべては言=言語=言葉である。
となり、
*幻から見れば=幻に重点を置けば、すべては幻=幻想=まぼろしである。
となります(※同じなんですけどねー。事務的に、そういうことにしておきます)。で、
*言が、特権的=メタな立場にある、根拠=基盤=背景=理由として、ヒトは広義の言語=言葉でしか関係を築けないし、言葉によってしか知を継承できないという説=フィクション=イメージ=物語がある(※「説=フィクション=イメージ=物語」という言葉をここに持ってくることには、言ちゃんの強い抵抗が予想されますが、無視します)。
一方、
*幻が、特権的=メタな立場にある、根拠=基盤=背景=理由として、ヒトはしょせん本能が壊れた生き物なのだから「狂え! 狂え!」という説=フィクション=イメージ=物語がある(※「説=フィクション=イメージ=物語」という言葉をここに持ってくることには、幻ちゃんの強い抵抗が予想されますが、無視します)。
となります。
さて、今、上で並べた2つの文章ですが、同じことを言っています。意識的に=故意に、同じことを言わせた、同じことを書いた、やらせだ、出来レースだ、八百長だ、とも言えます。何とでも言えます。いずれにせよ、
*両者が同じことを言っている
というのが顕著にあらわれている個所は、
*ヒトは広義の「言語=言葉」でしか関係を築けない = ヒトは本能が壊れた生き物だ
という部分です。
*ヒトにおける、言語の存在=本能の壊れ
と単純化すると分かりやすいと思います。あとは、いわゆる、
*「卵が先か、にわとりが先か」の問題
です。今、「先」という言葉=イメージをつかいましたが、問題になっているのは「前後関係」という「比喩=話を進めるうえでの柱・基盤・骨組み」です。
*「前・後」という言葉=イメージは、時間的経過と空間的広がりという、時空=宇宙空間の両方の側面に対し、ヒトが共通して用いているという点が、きわめて重要である。
ことについては、「「揺らぎ」と「変質」」で、詳しく論じましたので、ご興味のある方は、ぜひ、ご一読願います(※安心してください。読まなくてもぜんぜんかまいませんので)。
ここでは、
*「言語の存在=本能の壊れ」のどちらが先かは検証も実証もできないし、結論も出ない=出しようがない
と言うにとどめておきます。こういう議論に熱を上げる、血の気の多いヒトたちのお仕事=あたまの体操・撹乱・撹拌・混乱=おそらく世界的規模のガス抜き or ロボコン or 合コンです。例の、「熱い! ヤバい! 間違いない!」的錯乱状況= orgy です。ただ今のフレーズは、もちろん、冗談=荒唐無稽=支離滅裂=景気づけ=暑さ冷まし、です。不快な記憶を呼び覚まされた、元関係者の方にお詫び申し上げます。ごめんなさい。
2人のゲンちゃんをめぐる喧嘩の仲裁は、以上です。
*
みなさん、ここで、この記事のタイトルをご覧ください。
*3人のゲンちゃん
となっています。そうです、
*ゲンちゃんは、もう1人いる
のです。ひょっとすると、もっといるかもしれませんが、4人にすると「四」で験(げん)=縁起が良くないし、5人だと、ただでさえ暑いのに扱いきれなくて誤認(ごにん)する恐れがあるので、3人にとどめておきます。
では、ご紹介いたします。
*唯現論のゲンちゃん
です。
*"唯現論"
でググると、使用中= occupied ですが、そのご使用中のゲンちゃんのことは、存じ上げません。世の中には、同名のヒトがたくさんいます。ここでの、ゲンちゃんは、
*「げん・現・現実・事実・うつつ」という連鎖
を信奉していまして、さきほどの「言」と「幻」にならってフレーズ化しますと、
*現から見れば=現に重点を置けば、すべては現=現実=「今、現に在る事実・状態」である。
となり、また
*現が、特権的=メタな立場にある、根拠=基盤=背景=理由として、ヒトは現実に「現在する=現に存在する」事象以外を認識できないという説=フィクション=イメージ=物語がある(※「説=フィクション=イメージ=物語」という言葉をここに持ってくることには、現ちゃんの強い抵抗が予想されますが、無視します)。
ともなります。
で、この現ちゃんの意見ですが、上述の言ちゃんと幻ちゃんの言っていることが同じだったのと同じく、同じことを言っています。事務的な手続きを繰り返しますと、いちばん大切だと思われる
*ヒトは広義の「言語=言葉」でしか関係を築けない = ヒトは本能が壊れた生き物だ = ヒトは現実に「現在する=現に存在する」事象以外を認識できない
という部分が同じことを言っています。さらに単純化すると、
*言語の存在=本能の壊れ=現実の認識
は同義です。
「どこが同じなんだ?」「なぜ同義なんだ?」と疑問をいだいている方のために説明しますと、3人のゲンちゃんは、
*ヒトには、知覚、および、認識の両面において、限界=欠陥がある。
言い換えると、
*ヒトは、全知全能ではない。=ヒトには、出来ないことと、分からないことがたくさんある。
あるいは、
*ヒトは、この惑星に生息する一介の生き物にしかすぎない。
と認めている点で、同じだという意味です。
決定的に、同じなのは、
*唯言論=唯幻論=唯現論が、どれも「ゆいげんろん」と読める。=3人とも、「ゲンちゃん」だ。
という点です。というのは、もちろん、冗談でして、そうではなくて、
*唯言論=唯幻論=唯現論が、どれも「唯○論」である。 = 3者とも、「ぜんぶ、私に任せなさい」「ぜんぶ、私が面倒見よう」と言っている。 = できもしないことを言っている。 = 夢を語っている。 = 希望を述べている。
という点が同じです。蛇足ですが、
*すべてを「げん」に還元(かんげん)する(※「還元主義= reductionism 」の「還元」です)。 = すべてを「げん」で説明する。
ことはできません。なぜなら、
*たった今、記述した立場=考え方は、言=言語だからであり、幻=幻想だからであり、現=現実だからである。
からです。
*問題は、「唯」と「すべて」にある。
と言えます。
*「唯」と「すべて」は、肯定に見える=思えるが、実際には否定である。「唯」と「すべて」という言葉=イメージで、何かを特権化する=メタな立場に置く=上位に置くという作業を行ったとたんに、ヒトは不可能性に直面している=もてあそばれている。
事態に陥ることを、忘れてはならないと思います。早い話が、
*「唯」と「すべて」という言葉=イメージは、「ヒトにとって荷が重すぎる」=「ヒトには扱えない」。
ということです。
*
ここで飛躍しますが、だからこそ、
*ヒトは、必死で記述する。 = 記述するしか方法がない。 = 記述することで自らの「無力=無能=敗北」を認めている。
のです。
*万が一、ヒトが全能に近い存在であれば、記述などという、まどろこしい=ほぼ愚かな作業に、没頭=熱中しない。
とも言えます。したがって、
*メタな立場にたつ=この惑星の王者を気取るなんて、10年早いどころか、100万年早いと言ったとしても、言い過ぎ or 言い足りない。
と言えそうです。ちなみに、100万年後にヒト=ホモ・サピエンスは太陽系に存在していないだろう、という説=お話は、ガセとは言えない気がします。で、話をもどして小さくしますが、
*「唯○論」という言葉=イメージは、ジョーダン=戯言=ガセ=いわゆるひとつの「お話」である or にすぎない。
と言えるのではないでしょうか。ですので、もし、
*「唯○論」という文字が入ったタイトルの書物
を目にしたら、いわゆる、
*トンデモ本
だとお考えになっても、かまわないと存じます(※念のために書き添えますが、トンデモ本というレッテルを貼られた本たちは愛すべき存在だと考えております)。このブログが、いわゆる、
*トンデモブログ
であるとお考えになっても、かまわないのと同じです。
*
とはいうものの、3人のゲンちゃんは全知全能でなく、「ぜんぶ、私に任せなさい」「ぜんぶ、私が面倒見よう」という立場には全然ないにもかかわらず、それなりに有効性=効果=影響力を備えていて、ヒトびとのためになっていることは確かです。
*誰がいちばん偉いか
なんて考えることはありません。それぞれの活躍の場はあるわけです。ですから、その位置関係が、
言――現――幻
なのか
現――言――幻
なのか
現――幻――言
なのか
言
/ \
現 ―― 幻
なのかは知りません。
みなさん、お気に入りの立場から、お好きな位置関係=パターンをお選びください。もちろん、これ以外にも、チャート化=図式化は可能でしょう。
*何とでも言える=書けると同時に、どんなふうにも描けるのが、「記述」の特性だ。
と言えます。
それはさておき、現実問題として、要は、
*ヒトは生きていくうえで、自分にとって「気持ちいい=快である」ゲンちゃんと付き合えばいい。
のです。ただし、
*「唯○論」の、「唯」は外しましょう。「○論」だけで、いいじゃありませんか。
そうすれば、唯言論、唯幻論、唯現論、が全部、「げんろん」となります。「げんろんの自由」は保障されています(※公平を期するために、あえて「言論の自由」とは記述しませんでした。気遣いと気配りが何よりも大切でございます)。
*
あっ、ネコが部屋に入ってきました。あっ、暑いから逃げていきました。追いかけて、遊んでもらいます。
では、事務的で恐縮ですが、きょうのまとめに入ります。
以上、見てきましたように、ほんの3例ですが、
*ヒトの世の中には、いろいろな「世界=宇宙=森羅万象」の記述の仕方がある。
ようです。注意すべきことは、
*「絶対」、「完全」、「唯一」、「すべて」といった類の言葉を発しない
謙虚さを持つことではないでしょうか? たぶん、おそらく、メイビー、パハップス、そういう類の言葉=イメージは、ヒトにはふさわしくないのではないかと思われるみたいなんですけど……。
いずれにせよ、
*言・幻・現のうち、どれがいいかなんて、「とろい」=間が抜けた=答えなんて出ない議論をする
よりも、
*妥協して「トロイカ体制」を敷く
か、
*トロイカより、「エロイカ(=英雄⇒独裁者)に支配されたい願望」=ファシズム=全体主義=思考停止状態・常態に陥らないように警戒する
か、
*そんなきな臭いことにはかかわらず=変な形で頑張らずに、せいぜい自分のPCがトロイの木馬にやられていないか気を配る
か、
*「トロイ(ア)戦争」は本当に起きたのか、をネット検索して調べるか、議論する
などして暇つぶしをするか、
*「トロイカとエロイカでは、どっちがとろいか?」「さあ?」「トロイカよ」「なんで?」「三人四脚では、動きにくい」なんて、くだらないオバハンギャグをとばす
か、
*「トロイカとエロイカでは、どっちがエロいか?」「さあ?」「エロイカですねん」「なんで?」「英雄色を好む」なんて、どうしようもないオヤジギャグをとばす
か、
*回転寿司のカウンターで「トロとイカのどっちにしようか」なんて、うじうじしながら迷っている
ほうが、よほど建設的ではないかと存じます。で、いろいろ「おふざけ」を書きましたが、
*相手の上に立とうとか、どっちが偉い or 正しい or 優れているかを命をかけてまで争うとかは、やめましょう。お遊び感覚=楽問=ゲイ・サイエンスなら、いいですけど。
と言いたかっただけです。
*
というわけで(※「どーゆーわけなんだ~!?」)、
この暑いなかを、このトンデモブログのこの行まで、お付き合いくださった方に感謝いたします。どうも、ありがとうございました。では、また。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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