銃が悪いのではなく

げんすけ

2020/08/09 09:58


 銃が悪いのではなく、悪用するヒトが悪いのだ、みたいな意味の意見を見聞きしたことがあります。米国の憲法で保障されている


*武器を所持し、および携帯する権利


を根拠に、銃の規制に反対するヒトたちの言い分です。正確には、


*Not guns, who kill.


でしたか。


 で、


*銃は武器、つまり道具の一種


です。このブログの柱である


*<ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。>


【※このブログに初めておいでの方のために説明させてください。おなじみの方は、スルーしてくださいね。

「何か」とは「餅」で、「その「何か」ではないもの」とは「絵に描いた餅」と考えると分かりやすいかもしれません。比較的モチがいいと言われる餅ですが、カビは生えるし、いつか腐敗するし、だいいちモチあるきにくいので、ヒトは絵に描いてモチ運ぶのです。でも、ヒトはそれが絵だということをすぐに忘れます。

 この餅はクジラであっても宝石であってもヒトであってもミミズであってもオケラであってもアメンボであっても山であっても総理の椅子であっても宇宙であっても、それが絵に描けるなら「何か」なのです。餅を、気取って事物や現象、あるいはおおげさに森羅万象なんて呼んでも、それでヒトの気が済むのならよろしいかと思います。また、絵に描いた餅を、表象・象徴・記号と呼んでも事態はいっこうに変わりません。

 大切なことは、餅の絵が餅だと錯覚したり、餅の絵が餅ではないことを忘れたり考えないようにするのが、ヒトの常だということです。取り違えとか取り替えのギャグみたいで、お茶目ですね。モチろん、故意に、あるいはすっとぼけて、この錯覚や忘却を利用する、身モチが悪いじゃなくて、鼻モチならないやからがいるので、気をつけなければなりません。

 また、「何か」とは「あそこ(ヒトぞれぞれですので、お好きな「あそこ」を想像なさってください)」、そして「その「何か」ではないもの」とは「あそこの映った写真とか、テレビの映像とか、ネット上に出回っている写真や動画」と考えると、すごく切実=リアル=ガッテン=あら、いやだ、に感じられるかもしれません。ああいうものを見ていて、そこにはない=それ自体ではないにもかかわらず、燃えて=萌えて=催してきません? この場合には、燃えないほうが、きわめて危うい=ヤバいかと存じます。燃えてこそ、ヒトなんでしょうね。あれを見て燃えないなんてヒトでなしかもしれません。】


というフレーズの


*「その「何か」ではないもの」


に相当します。


 銃を


*核兵器


とか


*麻薬


とか


*煙草


とか


*お酒


とか


*パチンコ


とか


*カジノ


とか


*自動車


とか


*トイレットペーパー


とか


*医薬品


とか


*言語


とか


*貨幣=お金


とか


*生きがい


とか


*愛


とか


*平和


とか


*桜


とか


*旅行


とか


*新幹線


とか


*飛行機


とか


*法律


といった言葉=イメージに置き換えると、リアルに体感できるのではないでしょうか。個人差はあるでしょうが、どれについても言えるのは、それが、


*なくてはならないもの


だと考えるヒトたちがいるはずだ、ということです。


 また、


*ひとり歩きしやすいもの(比喩です)


である点がきわめて大切です。


     *


*銃が悪いのではなく、悪用するヒトが悪いのだ。


*核兵器そのものが悪いのではない。


*麻薬自体が悪いのではない。


*煙草に罪はない。


*おたけ(お酒)にとぅみ(罪)なんれ(て)ないおー、ひっくぅ(げっぷ)。


*パチンコの悪口を言うやつは許せねー。


*カジノの悪口を言うやつは、この国から出ていけ。


*自動車そのものはぜんぜん悪くありませんよね。走る凶器=狂気ですか? 狂気ってヒトのことじゃありません? そんな言いがかりをつけるなんて、正気のサタデーナイト・ふぃーばー、お熱があるのではないですか? 車に罪はありませんよ。エビデンスですか? 道路交通法で罰せられた車はいませんもの。全員ヒトです。Q.E.D.


*トイレットペーパーを買いに殺到するヒトが悪いのです。


*医薬品は薬にも毒にもなります、使うヒトと用途次第です。


*はじめに言葉歩きじゃなくて言葉ありきの、言語様ですけど何か?


*貨幣=お金を否定できるヒトはいません。


*生きがいですよ、文句あります?


*愛についてヒトは沈黙するしかない。 by  ウィトちゃん


*平和ですよ、ピリオド=判断停止=思考停止=歯垢低脂。


*桜ですよ、私のためだけに咲いた桜、私だけのために来たサクラ。みなさん、一点の曇りもない(まるでぼくちんみたい)、すばらしい天気じゃありませんか  by あいむ・そーりー aka あまえび(※アナグラム禁止)


*旅行そのものはぜんぜん悪くありませんよー。


*新幹線自体に問題はありません。 by 元副ざちょう


*飛行機そのものはノープロブレム、アイアムのば。


*法律とか格技決定自体に瑕疵はまったくございません、ユーザーさま各位の自己責任においてご利用願いまする。


 どうでしょう。


*なくてはならないもの


だと考えるヒトたちがいるはずだ、ということ、


また、


*ひとり歩きしやすいもの(比喩です)


であることがイメージできたのではないでしょうか。


【※おふざけをしていますが、お盆を控えて、みなさんに考えていただきたい問題も含まれています。ひとりひとり、そしてご家族ごとに、いろいろな事情があるはずで、一概にああだこうだと言えない問題だと思います。真意をくんでいただければうれしいです。】


     *


 さて、前回の記事では、


*ヒトと「その「何か」ではないもの」との関係


および


*ヒトと、<「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている>という仕組み=システムとの関係


について触れました。


 そのうち、前者の、


*ヒトと「その「何か」ではないもの」との関係


には、


*主従関係があるというより、1)主従関係が交互に逆転する場合がある、あるいは、2)主従は表裏一体の関係にある。


と言うのが妥当だと書きましたが、どうも、そうではないと考えるようになりましたので、変更します。


 変更する前に、言葉遣いをすっきりさせてみます。


*「その「何か」ではないもの」


という言い方は言いにくいし書きにくいし、だいいち、ややこしい響きがあるので、あっさりと、


*道具=手段


にします。


 で、変更をしますと、


*ヒトと「道具=手段」と間には、依存関係がある。


と言えるように思われます。ただし、依存関係と言っても、もちろん


*ヒトが「道具=手段」に依存している。


のであり、その逆ではない点がきわめて重要です。


 どうして、こんな言うまでもないことを強調するのかと申しますと、ヒトは道具=手段を、


*使っている=用いている=こき使っている=自分が主従関係の主であると思い込んでいる


=ヒトは「道具=手段」を奴隷・けらい・従者・使用人みたいにみなしている


からにほかなりません。


*道具・手段には、意思がない。


のが、ふつうです。でも、


*例外は、道具・手段に当たるものが、ヒトや、ヒト以外の生き物の場合である。


と言えそうです。よく考えてみると、


*ヒトやヒト以外の生き物を、ヒトが道具=手段として、使う=用いる=利用する。


という状況は、非常に多いです。思いつくままに列挙してみますと、


*労使関係、雇用関係、雇用契約、搾取、階級、ヒエラルキー、上下関係、奴隷制度、親分子分の関係、教祖と幹部と信者の関係、代議員という制度、司法・行政・立法という代行制度、夫婦関係、親子関係、保護者と被保護者の関係・聖職者と信徒の関係・師匠と弟子の関係・教師と生徒の関係・支配者と被支配者の関係……


とか


*飼育、家畜、ペット、実験動物、狩猟、漁労、農業、林業、酪農、食品産業、バイオテクノロジー、動物園、植物園、エコツーリズム……


という具合に次々と出てきます。以上の例をながめていると、


*ヒトやヒト以外の生き物を、ヒトが道具=手段として、使う=用いる=利用する=料理する=処分する=駆除する=好き勝手をおこなうさいには、部分的に、道具=手段がヒトに依存している場合もあるが、両者の関係が絶たれたときには、道具=手段は解放され自立に向かうこともあり得る。


と言えるような気がします。


     *


 また、さきほど「変更する」と書いたことと矛盾しますが、


*ヒトや、ヒト以外のある種の生き物を、ヒトが道具=手段として、使う=用いる=利用するさいには、1)主従関係が交互に逆転する場合がある、あるいは、2)主従は表裏一体の関係にある。


と言ってもかまわない、というか、そう言えるにちがいないとも思えてきました。


*でまかせしゅぎじっこうちゅう


ですので、こうしたアクシデント=不具合=誤作動=前言撤回=軌道修正=「訂正」=「リコールのお知らせ」は大いにあり得ます。


 特に、


*ヒトがヒトを、道具=手段として、使う=用いる=利用するさいには、1)主従関係が交互に逆転する場合がある、あるいは、2)主従は表裏一体の関係にある。


と言えることはほぼ確実だという気がします。エッチな例を挙げますと、


*やる側=支配する側であるはずのSが、やられる側=支配される側であるはずのMに、あれこれ命令・指示されて、こき使われる。


という話を聞いたことがあります。心当たりのある方は、いらっしゃいませんか? 別にSMでなくても、それに似たケースやシチュエーションを体験することって、ありますよね。ほかの例では、


*親が子によって親として成長させられる。


とか


*信者がいて初めて教祖や幹部が「儲=信者」かる。


とか


*ヒトがペットを溺愛した挙句、ペットロス症候群が高じて他界する。


などという話も耳にします。そうした事例を考慮すると、やはり、


*依存関係および主従関係において、どちらに主導権があるのかは、きわめて曖昧である。


と言えそうです。


     *


 ここで、ヒトや生き物を道具=手段とする場合を離れます。


*無生物である、具体的なものや、抽象的なこと・現象・状態・システムを、ヒトが道具=手段として使う=用いる=利用する場合には、ヒトは一方的にその対象に依存している。


とも考えられます。相手=対象は無生物ですから、ヒトに依存することはなく、ヒトはそれがなくなれば、


*不自由したり、困ったり、あるいは命を落とす


場合もあるでしょう。


*「酒がなければ、死んだほうがましだ」


とか


*「酒がなければ、死ぬよー」


の「酒」に、さまざまなものを当てはめることができると考えられます。


 話は飛躍しますが、次の図をご覧ください。


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        │

        ●


 これは、けん玉の糸と玉のようなものだと考えていただいて結構です。


*今回の「きわめてテキトーな図式=チャート=見取り図=でまかせ図」


です。


*「げん・幻・幻想・まぼろし・魔を滅ぼす・間を滅ぼす・(隔たったものを)近くする・知覚する」

=「げん・現・現実・うつつ・打つを打つ・うつをうつ・うつ(全・空・虚)をうつ・うつうつ」

=「げん・言・言語・ことば・言葉・言の葉・事の端」

=「げん・限・限界・限度・境い目・ふち・へり・端っこ・かぎり・かぎる・限る・かげる・翳る」

=「げん・原・源・元・みなもと・もと・本・基・原子・元素・根っこ・泉・湧く・わく・わくわく・出る・でるでる」

=「げん・Gen・遺伝子・gene・gen-・因子・ジン・仁・gene-・うまれる・生じる・うむ・産む・発生・子宮・卵・可能性・生殖・生命・いのち・あらわれる・でる・でちゃった・できる・できちゃった・わく・わくわく」

=「げん・眼・がん・まなこ・め・見(=げん・けん)・みる・みわける・わかる・わける・しる・おしっこ・しるす・しるし・知る・ち・じめん・地・なわばり・あらそう・血・あやめる・なくす・なくなる・無・むっ・m・n ・ん」

=「げん・弦・つる・ぶらさげる・ぶらさがる・ぶらぶら・ゆらゆら・宙づり・宙ぶらりん・おまかせ・どうにでもしてちょうだい・おてあげ・白旗・偶然性・さいころ・なげる・ばくち・ギャンブル・まける・まかす・まいりました」

(※以上の「 」にくくられた8グループが、なぜ「=」で結ばれるのかは、おいおい説明していきます)


 前回の「でまかせ図」と比べてみると、お分かりになりますが、また1グループ増えています。


 いちばん下のグループの一連の言葉=イメージを絵にすると、たとえば、上で描いたような図になります。


*●は、ヒトを含めた森羅万象である。


と考えてもよろしいかと思います。


*万物は、圧倒的な偶然性に身をまかせて、静止したり、ぶらぶら揺れている。


というイメージでしょうか。さきほど、この記事の言葉たち=道具=手段と、この記事を書いているアホとが、コラボで演じました=共演・競演・狂演しました、


*ぶれ=変更=矛盾=アクシデント=不具合=誤作動=前言撤回=軌道修正=「訂正」=「リコールのお知らせ」


のみっともない


*千鳥足ぶり


も、


*圧倒的な偶然性に身をまかせた結果の、ぶらぶらとした揺らぎ


のほんの小さな一例だと申せば、言い過ぎ=手前味噌でしょうか。「あんたがアホなだけ」と言われれば、返す言葉はありません。


 で、上の図は、まっすぐに垂れて静止していますが、


*●がぶらぶら揺れたり、放り上げられたり、激しく四方八方=上下左右に飛び回ったり、あるいはぐるぐると円運動をする。


さまを想像してみてください。


*ヒトも、他の生物も、無生物も、時空に生じているであろう抽象的な多種多様な関係性=現象も、●「のように」「ある・在る・有る」。


または、


*ヒトも、他の生物も、無生物も、時空に生じているであろう抽象的な多種多様な関係性=現象も、●「のように」、圧倒的な偶然性の支配下に「ある・在る・有る」 = 圧倒的な偶然性に身をまかせて=任せて=負かせて=巻かせて「いる・居る・おる」。


言い換えると、


*ヒトも、他の生物も、無生物も、時空に生じているであろう抽象的な多種多様な関係性=現象も、●「のように」、圧倒的な偶然性に依存して「いる・居る・おる」。


のではないでしょうか。


*「のように」


とは、


*ヒトがヒトに何かを伝えたいと欲する


ときに、


*使う=用いる=利用する、道具=手段である、比喩=たとえ=こじつけ=でまかせ=ほのめかし=ほぼ黙示


という


*仕掛け=システムを、成立=起動させるための、パーツ=小道具=(実は)大道具


である


*言葉=イメージ


なのです。


*「のように」があって初めて、「ある・在る・有る」「いる・居る・おる」が成立する。


みたいです。そうです。こ「のように」=これ(ら)「のように」、


*<ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。>


のであり、


*生きる、つまり、感じたり、考えたり、行動して、最後には、亡くなる=無くなる


という具合に、


*ヒトは、その存在を全うするためには、<「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いる>という仕掛け=システムしか、術(すべ)=方法=手段=道具=代用物を持たない。


みたいなのです。


*不自由=なんだか自由みたいな気がする


ですね。


*どうしようもない = なんとでも言える ⇒ なんでもできる


ですね。


*なんとでも言える。


という


*言葉・イメージ=道具・手段


に希望をたくしましょう。ヒトで「ある」かぎりは。ヒト「なん」ですから。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77




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