パラレル
パラレルワールドなんて言葉を、見聞きすることがあります。SFやゲームで使われているのですか。自分はその分野は苦手で、どんなものなのか詳しくは知りません。知りたいという気持ちも、特にありません。ただ、パラレルという言葉とそのイメージは好きで、よく考えます。
パラレルワールドはさておき、個人的なイメージとしては、生きていること自体がパラレルとも言えるという気がします。ひとさまに比べれば、そうとう単調な日常生活を送っていますが、あたまの中は、かなりパラレルというか、勘違い平行棒状態が常態化しているみたいです。パラパラ、レロレロ、ツーツー、レロレロ、パラソル、かさかさ、傘傘、笠笠、重重なんて、感じでしょうか。
生きていると、いろいろなものが「重なる」「並ぶ」「並んで進む」「ダブる」「ぶれる」「ぼける」わけですから、その意味では、生きていることは一種のパラレル状態と言えそうです。言葉は何とでも言えます。そのでたらめぶりには圧倒されます。だから、言葉や語や語義やイメージは、全部パラレルな関係にあると思っています。話がややこしくなりますが、「価値」や「量」や「質」が「同じ」という意味ではありません。「同列に在る」という位置関係を問題にしています。
そんなわけで、同義語とか対義語なんて区別は、ずいぶん怪しいものだという気がしてなりません(この辺については「と、いうわけです、と「お知らせ」」で盛んに悪態をついていますので、ご興味のある方はご一読ください)。言葉は、実にご都合主義的な仕組みで動いていますから。
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資本主義の対義語が共産主義だと信じられていた時代がありました。でも、そんな話は今思えば真っ赤な嘘でした。ちなみに、民主主義の逆は全体主義でしょうか。独裁主義もそうでしょうか。そもそも民主主義なんて言葉やイメージ以外に存在しているのでしょうか。やっぱり、前提からして怪しいし、うさんくさいのです。
ところで、ポジティブの反対がネガティブだなんて、冗談は顔だけにしてくれ的ジョークであることは、自己啓発書だけがよく売れる現在を生きているヒトたちには、常識ではないでしょうか。本屋さんで20冊ほど斜め読みしながら立ち読みしてみると、言い方が異なっているだけで、言っていることは同じ、同列、つまりパラレルみたいです。
抑うつに悩まされている自分は、「頑張る」の逆は「頑張らない」というお話に、未だに騙され続けています。両者は、同じと言えば同じ、違うと言えば違う。つまり、パラレルなのです。
ちなみに対義語の対義語は、同義語と呼ばれているようです。そして、その同義語の同義語として類語というものもあるようです。
で、今、類語辞典を見ているのですが、たとえば、「正義」の同義語として、公正、真実、正確、本当なんて並んでいます。こんなのをパラレルにしていいのでしょうか。あまりにも馬鹿らしいので、類語辞典は閉じました。
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このブログでよくやる「ずらす」「かえる」「置き換える」「こじつける」という作業で、言葉を並べるのと同じくらい馬鹿らしいです。どうやら、その「馬鹿らしさ」こそが、言葉の「真骨頂」とか「神髄」とか言われているもののようです。
でも、この「馬鹿らしさ」と付き合っていかないかぎり、ヒトはヒトとして生きていけないことも確かです。要は、その「馬鹿らしさ」を「真っ向から」「真剣に」「本気に」「誠実に」「真面目に」受けとめるかどうかです。
自分の場合には、その「馬鹿らしさ」をできるだけ「正確に」受けとめようと、常に心がけています。みなさん、ここは笑っていただくところなので、どうか、嘲笑なり、苦笑なり、哄笑なり、微笑なりなさってください。
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パラレルに話を戻しますが、parallel という英単語を「ジーニアス大英和辞典」で引いてみると、語源に「(わきに)+(お互いの)=お互いのわきにいる」という意味の説明が載っています。
とにかく、並んでいる、連なっている、列を成している、というイメージですね。その「並んでいるものたち」がどういう関係にあるかには、とても興味があります。さきほど、「ただ、パラレルという言葉とそのイメージは好きで、よく考えます」と書いたのは、そういう意味です。
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冒頭で述べたように、「うつせみのくら」とパラレルにこのブログを書いています。冬眠から覚めてしまって、書いています。そして、自分がブログを初めて書き始めたころから金太郎飴みたいに同じことばかり書いている、つまり、パラレルをやっていることに気づきました。
で、何をどうパラレルしているのかと申しますと、「さまざまな言葉をパラレルなものとして扱う」とでも言えるような作業をえんえんと繰り返しているのです。それと同時に、つまりパラレルに、そのパラレルに並んでいる言葉たちの「ズレ」「間・あいだ・あわい」「境・さかい」「際・きわ」「差異」「違い」「関係性」を、パラパラ、レロレロ、ツーツー、レロレロ、パラソル、かさかさ、傘傘、笠笠、重重なんて感じで、勘違い平行棒的に、ああでもないこうでもない、ああでもありこうでもあるという調子で、でまかせにじっこうしているのです。
で、くどいですけど、本気でやっているのです。正気かどうかは別にして、ですけど。
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以上が、今の自分が日々体験し、生きているパラレルワールドなのです。宇宙とか次元とか現実とかいうような大風呂敷、失礼、高級なお話とは無縁の、4畳半のパラレルワールドでの話なのです。
なにしろ、あたまで「うんうん、なるほど、そうなのか」と地動説の「正しさ」をおのれに言い聞かせるよりも、空を見上げて「ああ、お日様が動いている」というふうに天動説を体感するほうが身の程に合っていると常日頃から思っている横着者なのです。
それでも天は動く。そんな乗りです。
※この記事は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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