どうにもならないときには
げんすけ
2020/08/10 08:49
どうにもならないときには、どうにかなるとか、なんとかやってみせると考えたり信じると、どうにかなったり、なんとかなる。
大きめの本屋さんの、ビジネス書コーナーの一画を占める
*自己啓発書
の棚にある本たちには、たいてい、そんな意味のことが書かれています。
*この不景気にもかかわらず
というか、
*この不景気だからこそ
というべきか、とにかく、よく売れているらしいです。やはり、
*ものは言いよう=言葉は何とでも言える
という言葉だけは、信じてもよさそうです。なにしろ、
*言葉は、代理様=内裏様=大理様
なのです。
*
まずは、簡単な図式を、ご覧ください。
*A図(天動説似バージョン): 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」 ⇒ 「ヒト」 ⇒ 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」
これは、理想=大雑把で横着な考え方=あり得ない話=一般に信じられていること=ふつうの考え方です。こんなふうに、
*五感を、代理として=使って=用いて、隔たったものを近くする=知覚する
ことで、
*ヒトが、世界=宇宙=森羅万象を、直接的に認識できる
としたら、楽=楽しい=苦労は要らない=極楽お気楽ですよね。
つまり、
*見たもの、聞いたもの、触ったもの、舐めたもの、嗅いだもの
そして、もう1つ、
*第六感(※実は、第六感については懐疑的なのですが、そもそも五感自体が、いかがわしい=テキトー=うさんくさい話ですので、このさい、このまま話を進めます)とかいうものを、代理とする=使う=用いる
ことによって、ピ~ンか、ビビーンか、ドッカーンか、アッハ~か知りませんが、とにかくそんな具合に、
*分かっちゃったもの
が、
*ほんまもん=現物=それ自体=そのもの
だとしたら、ややこしいこと一切なし=簡単明瞭=快眠快便=すっきりさっぱりって感じだと思います。
ひょっとすると、いや、きっとヒトは、
*自分はそんなふうに森羅万象を相手にして生きている
と、
*考えている
または、
*考えもしないで、なんとなくそんな感じでいる
のが、ふつう=常態=常識=当たりまえだのクラッカーではないでしょうか。「あんたにくだくだ言われなくても、毎日、そして今も刻々とじっこうちゅうです」という感じに、ちがいありません。
とは言うものの、自分の思考の極楽トンボぶりのわりには、
*何だかしっくりこないことが多いし、ドジばっかり踏んでいるし、あんまり幸せって感じはしないし、どこか間違っているんじゃないか。
って気がする。もしかして、
*ヒトって、もっと複雑なのかもしんない。
し、
*世界って、もっとややこしいことになっているのかもしんない。
し、
*当たり前に思えることが、実は分けわかんないのかもしんない。
もし、そうだったら、どうしよう? でも、
*どうしようもない。
から、
*ま、いっか。
ああ、おなかがすいた。ポテチでも食べよう。そんでもって、ケータイで、○○ちゃんと
*馬鹿話
でも、しようっと。
*
以上が、ごくふつうの生き方の、ほんの一例だと思います。誰もが、たいてい、以上と似たり寄ったりの日常生活を、送っているのではないでしょうか。
*B図(地動説似バージョン): 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」 ⇒ 「代理」 ⇒ 「ヒト」 ⇒ 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部もどき」
というふうに、A図(天動説似バージョン)に、
*「代理」
を加え、また、さらに正確さを期するために、がんもどきの親戚の
*「もどき」
を付け足したところで、図式の正確さ=精度がいちじるしく向上したわけでもありませんし、だいいち肝心の根本的事態は、いっこうに変化も改善もしません。
ただ、わりと単純だった
*A図(天動説似バージョン)
をいくぶん、ややこしく=詳しくして、
*B図(地動説似バージョン)
に変えることで、
*なんで、何だかしっくりこないことが多くて、ドジばっかり踏んでいて、あんまり幸せって感じはしなくて、どこか間違っているんじゃないか。
って気がする理由が、
*ほんの少しだけ、何となく分かったような気になるかもしれない。
のです。たとえば、
*言葉もお金も地位も名誉も、幸せや平和や成功や癒やしや安らぎや真理や罪やあの世や来世とかいう、言葉やイメージも、「代理」「もどき」であると考えて、あたまを冷やすだけでも、だいぶ気が楽になるかもしれない。または、少なくとも、ちょっと目が覚めるかもしれない。
あるいは、
*そうした「代理」や「もどき」を使って=用いて=利用して、お金儲けをしょうとしているヒトたちから、被害を受けることを避けられる=予防できるかもしれない。
のです。もちろん、個人差はありますし、ケースバイケースですけど。で、
*でまかせしゅぎじっこうちゅう
の身なので、保証はできませんが、
*暇つぶしに考えてみるくらいの価値はある。
のでないかと思います。ですので、よろしければ、2つの図を見比べてみてください。
*A図(天動説似バージョン): 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」 ⇒ 「ヒト」 ⇒ 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」
*B図(地動説似バージョン): 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」 ⇒ 「代理」 ⇒ 「ヒト」 ⇒ 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部もどき」
両者の違いは、
*Aに「代理」と「もどき」が加わってBとなった。
という点だけです。
で、説明をしますと、
1)「代理」とは、<ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。>(※「また?」「はい、また、でございます」)というフレーズの「その「何か」ではないもの」である。
そして、
2)「もどき」とは、ヒトが見たり聞いたり触ったり舐めたり嗅いだり、さらに、ピ~ンかビビーンかドッカーンかアッハ~という具合に、「分かっている」とか「分かった」と知覚したり意識したりするものが、実は偽物だ、ということである。
と言えそうなのです(※「うっそー」。「いえ、そうなのです。というか、言えそうなのです、つまり、言えそうな、だけですけど」。「うそみたい」。「はい、確かに、うそみたい、でございます。ぶっちゃけた話、実はうそだと、にらんでおります。ほんとうなんて、ないみたいのです」。「うっそー」。「申し訳ありません」)。
で、
*ヒトにとって、五感と第六感(※やっぱり、いかがわしい言葉です。何がって、五感と第六感の両方なのですが、代行者とかお代理様って、うさんくさいのです。代議員・代議士=政治家とか、国民の権限を委譲されているだけのはずの公務員=役人=官僚を見れば一目瞭然です)で「感じる」世界は、揺るぎないものとして「存在する」。
という、揺るぎない確信=思い込み=妄想があるために、
*「(世界を)感じる」⇒「(世界は)存在する」
という、からくり=手品=でたらめは、とりあえず、留保=「どうしようもないから、そういうことにしておく」=放置しておくしかありません。
言うまでもなく、この
*「(世界を)感じる」⇒「(世界は)存在する」
というからくり=手品(※もちろん、タネも仕掛けも大有りです)=でたらめは、このブログの強迫観念=オブセッションである、
*<ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。>
という仕組み=システムの1つであると考えております。
強迫観念とは、揺るぎない確信=思い込み=妄想とほぼ同義ですので、
*いわば、みそくそ=くそみそ(※失礼!)状態=常態であり、くそvs.みそ(※失礼!)の果てしなく、また仁義なき戦いとなる。
のは、必至です。
*
話がややこしくなってきましたので、言い換えますと、
*<「(世界を)感じる」⇒「(世界は)存在する」> vs. <ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている>
という戦い=紛争=糞争が勃発しそうな気配なのです。というか、もうすでに、最終戦争=最臭戦争=ハルマゲドン=春巻き丼=アルマゲドン=或髷貪は、起こっているようにも感じられます。
*<「(世界を)感じる」⇒「(世界は)存在する」> vs. <ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている>
は、ふだんは緩やかに、ヒトのあたまのなかで起こっているもようです。
たとえば、
*複眼を持っているとかいうトンボは、ヒトとは違ったふうに世界を「見ている」んだよね。
とか、
*嗅覚がものすごく発達したワンちゃんは、ヒトが想像できないほどの匂いの世界のなかで生きているんだよね。
とか、
*コウモリは、声帯から発した超音波で障害物を探知しながら飛行するらしいんだけど、どんなふうに世界を感じているんだろうね。
とか、
*○○語を母語にしているヒトたちは、虹は7色ではなく、4色として知覚するんだって聞いたよ。
とか、
*イヌイットの言語では、雪の種類や雪の状態を表す言葉の数が、約△△個以上あるって、何かで読んだんだけど、知ってた?
とか、
*砂漠の民って呼ばれているヒトたちの言葉では、ラクダのいろんな姿を、別々の言葉で言い表すんだって、聞いたんだけど、知ってた?
とか、
*インドでは、あの濁ったガンジス川で身を清めるって言うけど、あそこでは、「きれいときたない」と「清いと汚れた」とは、違ったふうに考えているらしいの。
とか、
*聖書に書いてあることは、ぜんぶ、真実で、進化論もビッグバンもでたらめだって、いうヒトたちにアメリカ旅行中に会ったんだけど。
とか、
*ヒトは生きるんじゃなくて生かしてもらんだって、△△ちゃんが言い始めて、さかんに、わたしにいろんなことを勧めるんだけど。
とか、
*あのヒト、思考は現実化するから始まって、心のスイッチとブレーキとか、ひきつけとか引き寄せとか、8つの法則とか、自分に都合のいいことばっかり考えるとか、脳にいいことばっかりやるとかを、はしごしているうちに、頑張りすぎちゃって、すごい抑うつ状態に陥って、今、仕事を辞めているらしいの。
とか、
*うちのじいちゃん、新興宗教の渡り鳥やっているうちに、全財産をもっていかれちゃって、役所に生活保護の申請に行ったら、息子の家に行けって言われて、今、うちにいるんだけど、また、どこかの集団のヒトたちと連絡を取り合って、うちのお金を持ちだすようになったんだけど、どうしたらいいと思う?
とか、
*とうちゃんが、先月から、おーらが見えるって言い出して、会社に行かなくなって、かあちゃんもおらも困ってるんだけど、どうしよう?
みたいに、
*思い込み=世界観=人生観=価値観=宗教観=生物間の知覚の違い=「わたしはあなたじゃないんですから」
の問題は、
*正解も正答もない
し、
*真偽も正誤判断できない
し、そもそも
*森羅万象を「観測する」ことはできない
とかっていう話もあるみたいだし、「何が」かは覚えていないんだけど、とにかく、「何か」が、あるいは、「何もかもが」、
*決定できない
とかいう話も、聞いたか読んだ覚えがあるだけど、どうなってるの? といった状況に、ヒトが置かれているかぎり、
*<「(世界を)感じる」⇒「(世界は)存在する」> vs. <ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている>
あるいは、
*A図(天動説似バージョン): 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」 ⇒ 「ヒト」 ⇒ 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」
と
*B図(地動説似バージョン): 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」 ⇒ 「代理」 ⇒ 「ヒト」 ⇒ 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部もどき」
との間の
*体感の対立
は、それぞれの説を信じているヒトたちが、ときに
*懐疑的になる
とか、自分とは別の説を信じているヒトたちと、言葉を使って=用いて=お代理様にして、
*議論をする
とか、取っ組み合ったり、または、血を流し合って、
*争う
とかしたところで解消されることは、ほぼ絶対にないと思われます。
また、そうした
*答えの出ないというか、答えのない問題を、使って=用いて=利用しての商売や悪徳商法も、ぜったいに跡を絶たない。
だろうと考えています。
*
で、このブログでは、その
*どうにもならない
事態に対し、
*ヒトは、古今東西、でまかせしゅぎじっこうちゅうである。
ことを念頭に置きつつ、この記事の冒頭に挙げた、
*どうにもならないときには、どうにかなるとか、なんとかやってみせると考えたり信じると、どうにかなったり、なんとかなる。
という、
*でまかせしゅぎ
の、
*正統派=主流派的=多数派的集団の大イデオロギー
ではなく、
*異端派=非主流派=少数派たちの、バラバラ=百家争鳴的意見の1ケ
として、
*「それでも地面は動く」と捨てゼリフを吐いた、Mr.しょうがとか、Mr.ガリとかいうヒト
みたいに、おしっこを漏らしそうなくらいビビりまくりながら、
*それでも<ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。>んだもんねー。
と、負けたワンちゃんのように、
*遠吠えをする
か、小心=傷心=焦心のワンコみたいに、
*きゃんきゃんと鳴く
しかないのです。
*
ああ、
*伝えるのはむずかしい。
個人的なレベルの話だけでなく、
*言葉を使って、ヒトがヒトに何かを使えるのはむずかしい。
というか、伝えるなんて、
*できっこない
気がします。
*言葉を使うとすれば、比喩=たとえ=ほのめかし=黙示もどきがいくぶん有効かもしれない。
という気もしますが、それも至難の業です。あるいは、
*絵、図、記号、数式、ダンス、叫びなどの、狭義の言葉ではない、広義の言葉が、いくらか役立つかもしれない。
という気もしますが、これまた、至難の業でしょう。
なぜなら、どのような手段を用いても、依然として手段を用いて=使っているわけで、
*B図(地動説似バージョン): 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部」 ⇒ 「代理」 ⇒ 「ヒト」 ⇒ 「もの・こと・現象・イメージ=森羅万象の一部もどき」
の、
*「代理」
と
*「もどき」
があるのです。こりゃあ、どう考えても、
*伝わらない=伝染らないんです(※マジで半泣き状態でございます)。
では、
*今回の「きわめてテキトーな図式=チャート=見取り図=でまかせ図」
をご紹介します。
*「げん・幻・幻想・まぼろし・魔を滅ぼす・間を滅ぼす・(隔たったものを)近くする・知覚する」
=「げん・現・現実・うつつ・打つを打つ・うつをうつ・うつ(全・空・虚)をうつ・うつうつ」
=「げん・言・言語・ことば・言葉・言の葉・事の端」
=「げん・限・限界・限度・境い目・ふち・へり・端っこ・かぎり・かぎる・限る・かげる・翳る」
=「げん・原・源・元・みなもと・もと・本・基・原子・元素・根っこ・泉・湧く・わく・わくわく・出る・でるでる」
=「げん・Gen・遺伝子・gene・gen-・因子・ジン・仁・gene-・うまれる・生じる・うむ・産む・発生・子宮・卵・可能性・生殖・生命・いのち・あらわれる・でる・でちゃった・できる・できちゃった・わく・わくわく」
=「げん・眼・がん・まなこ・め・見(=げん・けん)・みる・みわける・わかる・わける・しる・おしっこ・しるす・しるし・知る・ち・じめん・地・なわばり・あらそう・血・あやめる・なくす・なくなる・無・むっ・m・n ・ん」
=「げん・弦・つる・ぶらさげる・ぶらさがる・ぶらぶら・ゆらゆら・宙づり・宙ぶらりん・おまかせ・どうにでもしてちょうだい・おてあげ・白旗・偶然性・さいころ・なげる・ばくち・ギャンブル・まける・まかす・まいりました」
=「げん・減・へる・hell・経る・たりない・欠乏・お腹がすいた・こまった・満足できない・ほしい・欲求・もっともっと・食べてもまた腹がすく・へらす・引き算・ひく・無限小・マイナス・ネガティブ・負・陰・だめ・だめだめ・否定・否・非・被・ちがうちがう・そうじゃない・ひっくりかえす・ひっくりかえる・ひっくりかえそう・反対・あべこべ・さかさま・かえす・かえる・もとにもどる・堂々巡り・おなじこと・減即増・増即減・減=増・無限小=無限大・一定・差し引きゼロ・ゼロサム・ゼロ・zero・零・0・○・まあるくおさめまっせー・輪・和・わ・わっ」
=「げん・絃・糸・張る・渡す・つたえる・つたわる・つながる・つなげる・ひびく・ひびき・ぴーん・おと・ふるえる・震動・ぶるぶる・ゆらぐ・なみ・波動・ひかり・つぶ・ゆれる・上下・左右・うごく・動力・ちから・熱・エネルギー・エントロピー・増大・でっけー・うへーっ・確率大・無秩序・でたらめ・でまかせ・わけわかんない」
(※以上の「 」にくくられた10グループが、なぜ「=」で結ばれるのかは、もうそろそろ、お分かりいただけたことと存じます。お分かりいただけない? このアホの力不足というか、それが当然かもしれません。申し訳ありません。平身低頭。<(_ _)>)
例によって、最後に2グループ加わりました。で、最後のグループについてなのですが、
*糸電話じゃ伝わらない。
というか、
*「伝染るんです≠伝染らないんです」
という感じです。というのも、しょせん、
ヒト ─────────(糸)────────── ヒト
です。
*ヒトとヒトとの間に「糸」=「代理」があるかぎり、「意図」はもちろん、「it = It = Es = Etwas 」など、伝わるはずはなく、せいぜい「もどき」しか伝わらない。
つまり、
*いとおかし=いとをかし=糸を架し
じゃなくて、
*ちゃんとは伝わらない=伝染らない。
のです。ぶっちゃけた話、森羅万象=宇宙の根源であると、考えられる=想像・妄想される、物理的=具体的な
*揺らぎですら、ちゃんと伝わらない。
のです。
*「何か・it」の揺らぎ=動き=運動=熱=信号 ⇒ 声帯の揺らぎ=振動=声 ⇒ 空気の揺らぎ=振動=音 (⇒機械の中でのいろいろな揺らぎ=動き=運動=熱=信号) ⇒ 鼓膜の揺らぎ=振動=動き=運動=熱=信号 ⇒ 信号=熱=運動=動き=「何か・it」の揺らぎ
ということなのですが、「⇒」を「伝達=伝える」という言葉に置き換えたところで、気が滅入るだけです。もっとも、気が滅入るのはアホだけでしょう。
問題は、以上の
*「揺らぎ」をめぐってのお話=言葉=フィクション=イメージ=与太話=ガセ=でまかせは、物理的次元の伝達・通信から、「意味」と呼ばれるトリトメのない抽象的次元での伝達=解釈=理解=「わかる・わからない」という、比喩=たとえ=代理=「のように」=「もどき」=がんもどき、つまり言葉へと、置き換えられて、ああでもあるこうでもある、ああでもないこうでもない的議論へとつながる。
ということです。
*
ややこしいというか、細かいことを言えば、ですけど。でも、その
*ややこしくて細かいことが、ちゃんと伝わっていると思い込んでいるヒトが、多すぎる。
のです。
*どんなに緻密に=周到に=科学的手続を踏んで、議論しているようでも、ついつい「のように」=「もどき」=「糸」=「代理」の存在が棚上げされてしまっている。
のです。
*
*「よけいなお節介だ」
と言われれば、
*それまで
なのですけど。まことに、
*有り難い(※またしても、お節介だとは存じますが、広辞苑あたりで「有り難い」をお引き願います)
ことでございます。有難や有難や。
*
今回をもちまして、
「あわいあわい・経路・表層(1)」
「あわいあわい・経路・表層(2)」
「マンネリズム・マニエリスム」
「いみのいみ」
「何となく」
「記述=奇術=既述」
「3人のゲンちゃん」
「あつさのせい?」
「システムと有効性と比喩」
「気になるというか」
「もう1つ気になることが」
「さらに気になることが」
「できないのにできる」
「何もないところから」
「めちゃくちゃこじつけて」
「銃が悪いのではなく」
「どうにもならないときには」
という、連載=金太郎飴という意味では毎日読み切り記事を終わります。
みなさん、暑い中を暑苦しい駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。まだまだ別の駄文は続きますので、よろしくお願いいたします。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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