やまとことばを多用してみました。わけがわかりませんね。多義的だからです。でも、じんときます。

星野廉

2020/10/10 08:06


 かえるはかえるではなく、かえるではないでしょうか。また、ひとたびかえったら、ふたたびかえることはできないかもしれません。


 上のフレーズでは、やまとことばを多用してみました。わけがわかりませんね。多義的だからです。でも、じんときます。個人的には、やまとことばにそなわっている意味の重層性が好きです。言い換えてみましょう。


「返る・帰る・還る」は「返る・帰る・還る」ではなく、「変える・換える・代える・替える」ではないでしょうか。また、ひとたび「孵ったら」、ふたたび「孵る」ことはできないかもしれません。


「返る・帰る・還る」は不可能ではないかと思われます。「変える・換える・代える・替える」は可能でしょう。再度「孵る」=「生まれ変わる」が可能かどうかについては、個人的には懐疑的です。輪廻というお話は信じていません。生物も無生物も含む「もの」が解体したり腐敗して別の「もの」に、原子や分子レベルで受け継がれるという考え方は別です。よくできたお話だと思います。


     *


 ヒトはさまざまな「かえる」とかかわり合いながら、生きざるを得ないのですが、「かえる」が幸せや喜びだけでなく、憎しみや苦しみや争いや殺めることの種(たね)でもあることを忘れてはならないと思います。


「返る・帰る・還る」については、たとえばパレスチナを思い浮かべてください。現在も続いている悲惨で不幸な事態が、「返る・帰る・還る」と同時に、「変える・換える・代える・替える」の問題でもあることは容易に想像できるのではないでしょうか。パレスチナは一例です。世界には、同様の危機をかかえたりはらんだ地域が数多く存在します。


 国家や地域といったレベルだけにとどまりません。「返る・帰る・還る」を「返す・帰す・還す」とずらしてみましょう。対象となるのは、お金、土地、財産、物、人、権益、権利、恩、仇……。あなたの身のまわりでも、こうしたものをめぐっての問題が起きていませんか。無数に起こっているはずです。


 返る・帰る・還る。


 ノスタルジー=郷愁や復古や回帰といった言葉やイメージとはかけ離れた、きな臭くて、血生臭い出来事が現実に起こりつつあるのです。かつてもそうでした。これまでもそうでした。これからもそうでしょう。


「戻れない」「帰れない」が「戻りたい」「帰りたい」へと「変わり」、「地」に「血」が流れる。


「しる・知る」は「領る(=領土とする)」とも表記された、と辞書にあります。最初に「地・土地」があった。その「地」を、ヒトが「知り・領り= silly =名付け=汁(しる)つまりおしっこをかけてマーキング行動をし=つばをかけ=自分のものだと宣言し」、「地」が「知」となった。次に、「知」である「地」をめぐって、他の生き物たちを相手にするだけでなく、種(しゅ)を同じくする仲間同士で「血」を流し合う。「痴」かつ「恥」な話ではないでしょうか。ちっ、ちっ、ちっ。


     *


 ヒトは、「変える・換える・代える・替える」はできても、「返る・帰る・還る」はできません。時間的にも空間的にもできません(※この点については、「「揺らぎ」と「変質」」で詳細に論じてあります)。土台無理なのです。言葉が代理である限り、不可能なのです。(「かえるはかえる」より)






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