本物の偽物(後半)
星野廉
2020/09/18 12:55 フォローする
ものすごく単純化して説明してみます。「ほんもの」と「にせもの」というペアを例にとりましょう。「ほんもの」とは「本当のもの」です。一方、「にせもの」とは「本当のものに似せたもの」です。形式論理という言葉があります。言葉を文字通りにとると、「本物に似せたもの」は「本物に似ているだけで本物ではない」という「理屈」になります。でも、「理屈」も通常「言葉」という形をとります。言葉という形をとる以上、それは言葉で述べた=記述した動作・行為をなぞっているだけです。対応物を欠いて、なぞっているだけです。
よく指を立てて空(くう)をなぞることがありますね。文字や形を、目の前の空間でなぞってみる。「なぞる」とは「まねる」ことです。「似た状態を演じる」ことです。ヒトは、「ほんもの」とか「げんじつ」とか「じじつ」とかいうものを、「五感=知覚」という機能と、その機能と脳とで行われている「信号・情報・データ」を処理するという「間接的な=代理としての」行為でしか、とらえることができないのです。
極端に言えば、ヒトのやっていることは、すべてが「にせる・まねる・くうをなぞる」なのです。言い換えると、ヒトにとって「ほんもの」はなく、すべてが「にせもの=似せたもの=真似たもの=なぞったもの」ということになります。
すべてが「にせもの」。「にせものだけの世界」。
在るのは「代理だけ」。「代理だけの世界」。そんなイメージと「似ています」。そうです。ヒトは、「似ている」を基本にして知覚・思考・理解・認識しているのです。さきほど書いた「いかがわしい」というのは、そうした意味です。
「にている」「にせもの」を「相似」「写像」「表象」「代理」「再現前(化)」「対応」などという偉そうでいかめしい、からことばに「ずらして=置き換えて=体裁をとりつくろって=はったりをかまして=かっこうをつけて=もったいぶって=意味ありげによそおって」みたところで、「にせる」は「似せる」、「にせもの」は「偽物・贋物」でしかありません。
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単純化したつもりでしたが、かえって、ややこしくなりましたか? では、「言葉をずらしまくって=とちくるって=取り乱して」みましょう。いわば、パーソナル(=ひとり)・ブレーンストーミングです。では、いきます。
ほんまもんイコールにせもん。本当の嘘。本当に嘘。リアル・フェイク。genuine(ly) fake。まことのまがいもの。本当の偽物。本物の偽物。ほんまもんのにせもん。ほんまのにせもん。純正の模造品。純正の代用品。本物の複製=コピー。本当の複製=コピー。実物のレプリカ。実際のレプリカ。まさしくまがいもの。まさしくにせもの。
わけが分かんなくなりましたか? それとも、何となく体感していただけましたか? 言葉は偽物。言葉はラベル。言葉は名前。ですから、黒を白と、白を黒と言いくるめる=言い狂うめることなど、いとも簡単にできるのです。要するに、上で並べたフレーズは、本当に本当、まことにまことなんです。えっつ? 「本当に嘘」と矛盾するではないか、ですか? まさに、それなんです。黒を白と、白を黒と言いくるめる=言い狂うめることなど、いとも簡単にできるのです。それが言葉=代理=ラベルに備わっている仕組みなのです。
そこそこの味の安物のワインのボトルに、「ボジョ〇ヌーボー」というラベルを貼っても、騙されたと気づかないヒトがほとんどではないでしょうか。もちろん、お酢の入った瓶に貼ったら、ばれますよ。そこまで見え見えの偽物のレベルの話ではありません。「にせもの」は「似せてある物」、つまり「似ている」できれば「そっくり」だと錯覚させる条件を備えていなければ、成立しないのです。
またまた、かえって、説明がややこしくなりましたか? わけがわからなくなりましたか? ごめんなさい。ちなみに、「わかる」「わかった」も、嘘なんです。良く言えば、「わかる」「わかった」という名の「思い込み」です。
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みなさん、身のまわりを見わたしてください。テレビやPCの映像と音声、本や雑誌や新聞に文字として記された話や記事、人形・フィギュア・玩具・写真・絵――これらは、みんな「何かに似せたもの」=「にせもの」なんです。世の中、「そっくり」「似せたもの」「にせもの」だらけじゃありませんか。これ、みんな、ヒトが勝手に作ったり、自然にあるものに細工をして、「似せたもの」ばかりです。
もっとも、自然にあるものに手を加えずに、「これはまさしく〇〇の化身だ」などと思い込む「人面〇〇」のたぐいもありますね。とにかく、ヒトの想像力=創造力=妄想力=捏造(ねつぞう)力はたくましいです。ヒトは、世界=宇宙=森羅万象を相手に、ほぼ無意識に、こじつけと駄洒落をしまくっていると言えそうです。
「何かに似たもの」を、「まさに本物」ととらえる、あるいは「本当の偽物」ととらえる。ヒトには、その両方が可能です。前者は完全な錯覚であり、後者は99パーセントほど錯覚という感じでしょうか。いずれにせよ、錯覚=思い込みです。なにしろ、偽物を偽物と知覚・認識すること自体が、「何かの代わりに何かを用いる」という「代理の仕組み」のうえに成り立っているのです。
別に、ヒトにケチをつけているわけではありません。このアホに人間様にケチをつける能力=脳力などありません。たわごと=与太話を書いているだけです。みなさん、ここは笑って=嘲笑していただくところなんですけど。嘲笑っていただけましたか? そうしていただくのが、本望でございます。
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今、ふとデジャ・ヴュを覚えました。思い出したことがあります。「似ている」「激似」「そっくり」で思い出しました。今やっていたことと、そっくりなことを以前やっていました。「こんなマヨじゃ、いやだ!」と「そっくり」で似たような話を書いたことがありますので、お時間のある方は、どうかお目を通してください。
その記事に書いたことを要約しますと、ヒトの世に満ちている「似せたもの」「にせもの」の特性のひとつは、「コピー=複製」可能だということです。すると、「そっくり」があちらこちらにあふれている、という状態=常態となります。それが、ヒトの世=うつせみ=現世だ、という馬鹿話=まことの話です。
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話をずらします。
ここで提起したいというか、みなさんによく考えていただきたいことがあります。やまとことばとからことばの区別をとっぱらった、「ま」という「音(おん)」の「多重性=多層性=多義性=豊かさ=いいかげんさ=テキトーさ=パラレルなありよう」に目を向けてみませんか。具体的に示すと、次のようになります。
「ま・真・眞・間・魔・麻・摩・目・身・ma 」
こういう並び方をパラレルと、このブログでは呼んでいます。
「ま」は「真」であると同時に、たとえば「間・ま・あいだ・あわい・あい・際・きわ・さい・差異・境・さかい・ふち・辺境・フロンティア・ボーダー」でもあり、たとえば「魔・ま・悪・邪・不思議・神秘・恐ろしいもの・取り付かれたもの・取り付くもの・憑(よ)りつかれたもの・憑りつくもの・たたられたもの・たたるもの・のりうつるもの・のりうつられたもの」でもあるのです。
特に、「間・あわい」という言葉とイメージが好きです。言葉や表象について考える「さい=際」には、非常に重要な考え方だとも思っています。これまで、いろいろな記事で書いてきましたが、「かく・かける(3)」、 「かく・かける(4)」では、「取り付かれた=憑(よ)りつかれた」かのように、かなり過激に考察しています。ご興味のある方は、ぜひ、お読みになってください。面倒な方は、パスしちゃいましょう。いっこうにかまいません。
すごく簡略化すれば、「間・あわい」とは、森羅万象に相反するものなんてない、という感じのお話=たわごと=作り話です。discordia concors =「相反するものの一致」という言葉を思い出しました。大学時代に、このアホにその言葉を教えてくれたのは、何でも「つなげてしまう」名人の「学魔」こと高山宏氏でした。
どうやら、その「つなげる」=「こじつける」癖が、このアホにも伝染ったようです。
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ここで思い出したことがあります。そう言えば、ほぼ1年前に、このアホは「ま」をめぐって、とちくるったことがあったのでした。きのうのテレビのニュースを見ていて、スポーツ関連の話題になった時に、真央ちゃんの写真がちらりとテレビ画面に映り、去年のこの時期に、ある記事を書いたことが脳裏をかすめたのです。「ま~は、魔法の、ま~」というタイトルだったのですが、あれは書いていて楽しかったです。
きょうは、その再演で締めくくらせてください。「ま」についての連載の最後の余興とさせていただきます。では、恥じも外聞もなく、まいります=参ります=ま入ります=間入ります=真入ります=魔入ります。今回は、一部、ボケとツッコミ形式でいきます。
蛇足ではありますが、きのうの「まことはまことか(前半)」と「まことはまことか(後半)」で述べましたように、「狭義の言葉(or 言語)で思考する」なんていう作り話が、いかに嘘っぱちであるかを言葉たちに演じてもらいます。では、「ほんまもんの=にせもんの」、「考える」「思う」「思考する」「思想する」を実践いたします。
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ドレミの歌の節で歌います。
「ま~」は、「まこと・真琴」の「ま~」(※「あんたのお気に入りの名前じゃないの。のっけから、私情をまじえるな」。「えらい、すんまへん」)。/「ま~」は、「まことちゃん」の「ま~」(※楳図先生のまことちゃんです)。/「ま~」は、「まこと・実」の「ま~」(※故・小田氏のことを考えています。みのるさんじゃ、ありません。念のため)。/「ま~」は、「魔法」の「ま~」(※やっぱり、これがなきゃ)。/「ま~」は、「待つわ」の「ま~」(※「孝子ちゃんだろ? またまた、私情をまじえているじゃないか」。「またまた、えらい、すんまへん」)。【※孝子ちゃんファンの方は、「まつはいつまでも、まつ」のうち、関係のある個所だけちらりとご覧ください。】/「ま~」は、「まぐれ」の「ま~」(※「でまかせの親戚じゃないか。せめて、マグロにしろ」「??」)。/「ま~」は、「まあい・あわい・間」の「ま~」(※「故・坂部恵氏に心酔しとるな?」「仰せの通りでございます」)。/「ま~」は、「マラルメ」の「ま~」(※「まだ、あのサイコロペテン師を引きずっているのか?」「やめられまっか」)。
「ま~」は、「まける」の「ま~」(※このアホの人生そのものでございます)。/「ま~」は、「マック」の「ま~」(※「PCでもあり、ジャンクフードでもあり、アンビバレントじゃのう」)。/「ま~」は、「マイコー、サイコー」の「ま~」(※深く考えないでください=深読みなさらないでください)。/「ま~」は、「まーちゃん」の「ま~」(※「野球のマー君か?」「いえ、うちにいるネコのお友達のお名前です」)。/「ま~」は、「まんま」の「ま~」(※生きる基本です)。/「ま~」は、「まなかな」の「ま~」(※「差別だ!」「……」)。【※なぜ、まなかなが差別と関係があるかにご興味をお持ちの方は、「要するに、まなかな、なのだ」と、ハンドルネームを変えて書いた、その記事の自己パクリバージョンである「女装文学登場」のどちらかのうちの、関係のある個所だけちらりとご覧ください。】/「ま~」は、「マンマ・ミーア= mamma mia」の「ま~」(※オーマイガッ= Oh, my God.= mother of mine。大きめの英和辞典を引いてください)。
「ま~」は、「まったり」の「ま~」(※「うつから解放されて、そんな心境でいたいです」「トホホなこと言うな、泣き虫めが。わしはマッコリのほうがええなあ」「このところ、お酒の飲みすぎじゃないですか。肝臓に悪いですよ」「ほっとけ」)。/「ま~」は、「ママ」の「ま~」(※「飲屋のほうか、それとも家にいるほうか?」「校正なんかの用語のほーでス[原文ママ]」)。/「ま~」は、「まいうー」の「ま~」(※「……」。「……」)。/「ま~」は、「舞妓さん」の「ま~」(※「舞妓はんやないのか?」「……」)。/「ま~」は、「まぼろし」の「ま~」(※幻・まぼろし・まをほろぼす・間滅ぼろし・魔滅ぼろし・真滅ぼし。最後のが、今回の連載のテーマでした)。/「ま~」は、「マハトマ・ガンジー」の「ま~」(※「踊るマハラジャと関係あるのかい?」「このアホでも、怒りますよー。冗談は顔だけにしてください」)。
「ま~」は、「マイケル」の「ま~」(※「さっきも出なかったか?」「マイケル・ムーアのことを考えて言ったのです」「あんさん、好きやなあ。へそ曲がり同士で『引き寄せ』かい?」「むっ!」)。/「ま~」は、「マネー」の「ま~」(※言葉と並ぶ、最強の代理=表象です)。/「ま~」は、「マーケット」の「ま~」(※「マーケット、マーケットってブログで一時書いたけど、市場経済を目のカタキにしとるな?」「はあ、まあ」「貧乏人の嫉妬かい?」「むっ! 貧しき者喧嘩せず」)。/「ま~」は、「真央ちゃん」の「ま~」(※「去年も叫んでいたじゃないか? わしはマオタイチュウ(茅台酒)のほうがええなあ」。「これでお開きにさせていだきます」)【※真央ちゃんファンの方は、「1カ月早い、ひな祭り」のうち、関係のある個所だけちらりとご覧ください。】。
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やっぱり、まことにまことはまものです。失礼いたしました。
※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77
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