できないのにできる

げんすけ

2020/08/08 09:04


 できないのにできる、と思いこむことができるのが、ヒトという種(しゅ)の強さ=たくましさ=厚かましさ=頑固さ=したたかさ=鈍感さだと感じています。もちろん、自分を棚に上げたり、脇に置いたりせずに、ど真ん中にすえたうえで、土下座をさせての話です。


 このブログにおいて、金太郎飴のように切っても切って出てくる、例のおなじみのフレーズを、また出します。


*ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。


【※このブログに初めておいでの方のために説明させてください。

「何か」とは「餅」で、「その「何か」ではないもの」とは「絵に描いた餅」と考えると分かりやすいかもしれません。比較的モチがいいと言われる餅ですが、カビは生えるし、いつか腐敗するし、だいいちモチあるきにくいので、ヒトは絵に描いてモチ運ぶのです。でも、ヒトはそれが絵だということをすぐに忘れます。

 この餅はクジラであっても宝石であってもヒトであってもミミズであってもオケラであってもアメンボであっても山であっても総理の椅子であっても宇宙であっても、それが絵に描けるなら「何か」なのです。餅を、気取って事物や現象、あるいはおおげさに森羅万象なんて呼んでも、それでヒトの気が済むのならよろしいかと思います。また、絵に描いた餅を、表象・象徴・記号と呼んでも事態はいっこうに変わりません。

 大切なことは、餅の絵が餅だと錯覚したり、餅の絵が餅ではないことを忘れたり考えないようにするのが、ヒトの常だということです。取り違えとか取り替えのギャグみたいで、お茶目ですね。モチろん、故意に、あるいはすっとぼけて、この錯覚や忘却を利用する、身モチが悪いじゃなくて、鼻モチならないやからがいるので、気をつけなければなりません。

 また、「何か」とは「あそこ(ヒトぞれぞれですので、お好きな「あそこ」を想像なさってください)」、そして「その「何か」ではないもの」とは「あそこの映った写真とか、テレビの映像とか、ネット上に出回っている写真や動画」と考えると、すごく切実=リアル=ガッテン=あら、いやだ、に感じられるかもしれません。ああいうものを見ていて、そこにはない=それ自体ではないにもかかわらず、燃えて=萌えて=催してきません? この場合には、燃えないほうが、きわめて危うい=ヤバいかと存じます。燃えてこそ、ヒトなんでしょうね。あれを見て燃えないなんてヒトでなしかもしれません。】


です。


 出たあ。また? 勘弁してよ~。


という感じですね。でも、金太郎飴なのは、ヒトにとって日常茶飯事なのです。常態という状態です。この金太郎飴常態を取り除いてしまえば、ヒトはヒトでなくなる、つまり「ひとでなし」になってしまうくらい、日常的な状況なのです。


 要は、この


*金太郎飴的状況=常態を、どうやって金太郎飴的ではないように自分をだます=誤魔化す=ペテンにかける=錯覚させるか


ですが、悩む必要はありません。


*ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている、という状態=常態を忘れるようにできている。


みたいです。ほとんど誰もが、気にせずに生きています。現に、みなさんは、


*ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。


なんて、ふだんはぜんぜん意識もしないし、まして気にもかけないのではないでしょうか。ですので、このブログでは、この金太郎飴状況についてわざと繰り返して触れ、みなさんに思い出していただこうと考えております。


*おせっかいは、よしてよ。


とか


*誰も、あんたに頼んでなんかいない。


と言われれば返す言葉がありません。確かに、おせっかいです。頼まれてもいません。ただ、


*自分にとって、非常に気になる問題


なので、


*ひょっとして同じように気になっている方がいらっしゃれば、いっしょに考えてみませんか。


という感じ=ノリでもあります。


     *


 で、


*できないのにできる、と思いこむ


に話をもどします。


*ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。


とは、


*ヒトは道具を用いる。


という習性と「関係がある=ほぼ同義である」ように思えます。ところで、


*道具って何


でしょう?


*○○とは何か


について考える場合、辞書や事典で調べるほかに、


*○○の類語や同義語と呼ばれる言葉


を集めて並べてみる方法があります。また、○○の語源を調べてみるやり方もあります。


 いずれの場合にも、言い換えるわけですから、


*<ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。>という状況=状態=常態と似たような作業になる。


と思われます。そもそも「常態」という言葉をつかっている以上、何をやっても似たような作業になるのは、当然なのかもしれません。


*AはXをYすることである。


とか、


*AはBとほぼ同じ。Cともいう。


という具合です。


 よく考えれば当たり前です。


*AはAである。Aともいう。


なんて、辞書に書いてあったら、本屋さんを通して出版社に返品してもらうのが筋です。


*「落丁本・乱丁本はお取り替えいたします」


とよく辞書の奥付に記してありますが、「お取り替え」など不要ですよね。もしも、返品を拒否されれば、


*裁判を起せばいい


でしょう。きっと勝てると思います。ついでに慰謝料もたくさんふんだくりましょう。


     *


 で、


*道具って何


ですが、辞書で調べるのも気が進まないので、道具の「類語=親戚または兄弟姉妹の言葉」を、思い浮かべてみます。まず、


*器具


とか、


*手段


という言葉があたまに浮かびます。


 器具の「うつわ・器」という文字からは、お茶碗とかお皿が連想されます。「衣食住」なんて、ヒトにとっての基本的なものをひっくるめた言い方がありますが、ヒトっていやしい=食い意地が張っていますから、納得できます。


 手段という文字をながめていると、自分の場合、「手」という文字が目につきます。そういえば、英語では武器を arms と言いますね。「腕= arm 」という一致が気になって高校生時代に英和辞典を引いたことがあります。すると、別項で取り上げてあって、直接には関係なさそうだったので、がっかりした覚えがあります。


 日本語でも腕力という言い方があるので、敵と戦うときに腕だけでは足りずに、腕の代わりになるもの、つまり武器という道具をつかったことから、


*腕 ⇒ 武器となった


と考えたほうが、リアル=もっともらしいとお思いになりませんか。このブログでは、「腕⇒武器」というこじつけを採用します。


*「正しい」 vs. 「正しくない」


なんてどうでもいいと思っています。


*「自分にとってピンとくる」 vs. 「自分にとってピンとこない」


のほうがずっと大切な判断基準です。こういうテキトーなスタンスが、きのうの記事で書いた、


*「死の間際の心境」=「夢のなかでの全肯定」


です。


     *


 そんなわけで、


*腕 ⇒ 武器


と考えると、「手段」の「手」ともつながり、


*手 ⇒ 腕 ⇒ 器


と、こじつけることができます。


*「道具」「器具」の「具」は、「具える・そなえる」=「用意する」


という感じでしょうか。


 ここで注目すべきことは、


*手= fingers + hands + arms + shoulders の特権的な地位=位置=役割


です。ヒトという種にとって、手先が器用なことが、この惑星で大きな顔をするのに役立ったことは、古今東西のいろいろなヒトが指摘してきたみたいです。なにしろ、


*両手を合わせて指を曲げる


だけで、「器」になります。すると、水を救うことができます。


 テレビで、おサルさんが川や水溜りの水面に口を寄せて、ちょびちょび水を飲んでいた光景を思い出します。また、木の実を1個片手に持って、あるいは両手に1個ずつ持って食べていたような記憶もあります。ヒトだったら、集めてきた木の実を、両手を合わせた「器」にてんこ盛りにして、むしゃむしゃ食べることができます。


 おそらく太古のヒトは、そうやって食べることもあったにちがいありません。道具の発明=登場までは、あと数歩です。


*両手を合わせた「器」とそっくりな形状のもの


を、大きな葉っぱを折り合わせるなり、尖った石(※これはもう立派な石器ですね)で木切れを彫るなり、土をこねて固めるなりすれば、


*道具としての器


ができあがります。


 衣食住のなかでももっとも基本的なのは食だと思われますが、上で述べたように手先がものすごく器用なヒトは、自然界に存在する多種多様な食べ物(=食べられそうな物)を摂取する能力を備えて(=具えて)いたのです。つまり、


*雑食できる下地が整っていた。


と言えそうです。


*ヒトは、節操がないくらい雑食が可能なので、節操がないくらい雑食性になった。


のか、と想像=妄想してしまいます。実際、ヒトっていろいろなものを食べますよね。よく考えると、恐ろしくなります。ヒトまで食いますよ。それはさておき、雑食という特性は、ヒトが、


*できそうなことをするようになった。


一例と言えそうです。


*やればできるみたい。


というノリでしょうか。とするなら、


*できそうなことをしよう。


とか、


*やればできる! 絶対にできる! 思考は実現する!


までは、ほんの数歩ではないでしょうか。実際、そうなったみたいです。


*ヒトは、自分ができそうなことは、たいていできると確信するようになった。


と考えられます。ヒトのすごいところは、


*できそうなことをできるようにするために、道具=他者(自分以外の森羅万象の一部)=「自分の身体の一部の代わりになるもの」をつかうようになった。


ことです。これには、


*工夫=考えること=知恵+経験=いわゆる「脳・あたま」を働かせる。


が必要です。ところで、みなさん、脳にいいことだけを、じっこうなさっていらっしゃいますか? 例の本に書いてある、でまかせ以外に(失礼!)。


 話を進めます。


     *


*○○は道具(※あるいは、手段)である。


とか、


*○○という道具(※あるいは、手段)


と比喩的にいう場合があります。比喩のなかでも隠喩に近いつかい方みたいですが、そういう言い方をすると、


*比喩としての道具=一見道具ではないように思われる道具=どちらかというと抽象的な手段


を並べ立てることができそうです。つまり、さきほど書きました、


*類語=親戚または兄弟姉妹の言葉を、思い浮かべる


という方法を実践できそうです。では、やってみます。出発点=スタートライン=第一のフレーズは、


*<道具(※あるいは、手段)>は道具(※あるいは、手段)である。


および


*<道具(※あるいは、手段)>という道具(※あるいは、手段)


です。これじゃ、さっきの、インチキ辞書の


*AはAである。Aともいう。


とほぼ同じじゃないですか~。よく考えれば当然のことです。気にしないでいきます。たとえば、


*言葉・言語・英語・手話・数字・記号・論理・神話・お金・貨幣・市場経済・投資・ビジネス・マーケティング・嘘・権力・腕力・喧嘩・戦争・殺人・自殺・犯罪・愛・恋愛・結婚・癒やし・地位・肩書・裁判・法律・選挙・政治・マスコミ・メディア・新聞・テレビ・ケータイ・電話・ネット・デジタル化・電子化・ナノテクノロジー・バイオテクノロジー・IT・メール・ゲーム・手紙・ブログ・SNS・文字・活字・書籍・出版・印刷・音楽・写真・映像・映画・学問・知識・知性・論理・数学・占い・経済学・スピリチュアリティ・医学・宗教・科学・教育・時間・身体・感覚・知覚・脳……


といった言葉を思いつきました。上でもお断りしましたが、どちらかというと、手で触ることができない抽象的なものばかりを挙げてあります。明らかに道具だと考えられる、手で触ることが可能な、時計、カメラ、100円玉、ペンなどは含めませんでした。ですので、リストのなかにある、


*「新聞」は「新聞紙」ではない


また、


*「ケータイ」は「ケータイという器械」ではなく利用する機能の総体です


また、


*テレビは「テレビ受像機」ではなくテレビ放送です


とご理解願います。


     *


 さて、食器・工具・武器・寝具などの明らかに道具だと考えられるもの以外で、


*道具=手段と考えられるもの


を列挙しましたが、やっぱりこのブログの金太郎飴に行き着くようです。


*ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。


 上のリストに挙げたものは、抽象的な手段ばかりですが、見方を変えると、


*システム=体系=仕組み=仕掛け


と呼ぶこともできそうです。ここでいう、


*システムとは、ヒトがつくりだした、複数のもの・こと・現象の関係性である。


と考えてみます。また、


*システムのなかにシステムがあったり、同種あるいは異種のシステム同士が関連し合っている場合もある。


とも考えてみます。さらに、


*システムには、何らかの目的=役割=機能を担い、それを達成=実現させるために、特定の=限定的な、整合性=必然性が備わっている。


という特性は、システムのいわば存在理由であり、もっとも重要な属性だと考えましょう。もう1つ重要な条件があります。それは、


*システムを成立させ、機能させるために、ヒトは「記述」という方法に頼らざるを得ない。「記述」とは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いるという仕組み=システムと同義である。


です。


 以上挙げたシステムの特徴は、ペンという道具、新聞紙という製品、ケータイという器械、パソコンという機械、自動車という機械、ミサイルという武器、宇宙船という機械など、手で触ることができる具体的な道具=器具=器械=装置=機械にも、当てはまりそうです。


*ヒトがしゃかりきになってつくったものは、出来の良し悪しはあるが、ほとんどがシステムである。


と言えそうです。


     *


 話を、冒頭の


*できないのにできる、と思いこむことができる


という、


*ヒトという種の強さ=たくましさ=厚かましさ=頑固さ=したたかさ=鈍感さ


にもどします。


*ヒトは、依然としてできないことはできない。


にもかかわらず、


*できないことをできる、と思いこんでいる。


と言いたいのです。どういうことかと申しますと、


*ヒトは、月に仲間を送りこみ、月面を歩かせた。


というお話=フィクション=言葉=神話を思い出してください。「お話=フィクション=言葉=神話」を「事実」なり「真実」と読みかえていただいても、いっこうにかまいません。事態は変わりません。見方が異なるだけです。


 それはさておき、


*ヒトが、月に仲間を送りこみ、月面を歩かせた。


というフレーズ=言葉は不正確な記述です。


*ヒトという種のうちのごく一部がつくった宇宙船が、ある特定のヒトを搭載し、月に至り、そのヒトがさまざまな機械・器械・道具をつかって月面を歩くという目的を達した。


というべきだと思います。


*月面に着陸したのは、機械・器械・道具であって、ヒトではない。


という点が決定的に重要です。これは、


*○○さんが、自動車でスーパーに行った。


が、


*○○さんを、乗せた自動車がスーパーに行った。


という状況と変わりません。もっと単純な例を挙げますと、


*□□さんが、ポールペンでノートに文字を書いた。


が、


*□□さんの手で動かされた、ボールペンの先のインクがノートの紙面に染みをつくった。


という状況と変わらないのと同じです。つまり、


*ヒトは道具=手段を用いて、自分の代わりに、ある何らかの目的=役割=機能を実現させようと努力する(※「努力する」とは「失敗もある」という意味である)。


あるいは、


*ヒトは道具=手段を用いて、ある何らかの目的=役割=機能を代行させようと努力してする(※「努力する」とは「失敗もある」という意味である)。


と言えそうです。


     *


 ヒトという種は、自分だけでは、もっとも自分に近い、他の種類のおサルさんたちと同程度の行動しかできません。ひょっとすると、


*他のおサルさんたちより、ひよわい=脆弱(ぜいじゃく)


かもしれません。ヒトの赤ちゃんを見ていると、そう思わないではいられません。赤ちゃんではなく、ヒトのオトナでもいいです。


*無人島とか、樹林の奥深くに、ヒトが1匹というか1人、いや10人でも、100人でもかまいませんが、置き去りにされた。


と仮定してください。生きていけるでしょうか。


 もちろん、


*公正を期して、野生のおサルさんと同じ状態=条件で


です。ケータイも、時計も、衣服も、備蓄した食料もなしです。蛇足ですが、素っ裸という意味です。当然のことながら、裸足です。そもそも何歩、歩けるでしょう。


*ひよわい=脆弱=よるべない=なさけない=トホホの極致


では、ないでしょうか。 


 それにもかかわらず、ヒトが、


*この惑星の支配者のような気持ちになっている


のは、


*できないのにできる、と思いこむことができる。


という、この惑星の生物のなかでは類まれな特性を備えているからだ、と考えられます。


     *


 ヒトの、とほうもなく誇大な自信を支えているのは、


*代わりにやらせる


という方法=手段=仕組み=仕掛けです。単純化した言い方をすると、


*自分がやるのではなくて、何かにやらせる。


です。これもまた、このブログの金太郎飴である、


*ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いている。


という仕組み=システムと、深く結びついている=からんでいるからではないか、と想像=妄想しております。以下に、2つの立場からの「論争=悪態のつき合い」を想定してみます。


*「ヒトが操縦したから宇宙船は月に着陸したんじゃないの。ヒトがいなければ、宇宙船はうごかない」 vs. 「宇宙船なしでも、月に着陸できません。ヒトと宇宙船は対等です」


*「ボールペンが勝手に文字を書くわけがないでしょ」 vs. 「書く道具なしにヒトは文字を書けません。ヒトがいてペン先が文字を描くように、ペンがあってヒトは文字を書くのです」


*「いつか、自動車が自動的にヒトを目的地に運んでくれる日が来るだろう。大したもんだ」 vs. 「大したものって機械のことですか。ヒトが機械に負けた、ヒトはもう要らないという意味ですか」


 以上の「想定バトル=想定罵倒る」を事務的にまとめると、以下のようになりそうです。


*<ヒトは、「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いる>というとき、ヒトと、<「何か」の代わりに「その「何か」ではないもの」を用いる>という、匿名的な=非人称的な=ニュートラルな、仕掛け=システムとの間に、主従の関係を決定することはできない。


 で、


*できないのにできる、と思いこむ


については、次のように記述することも「できる」ような気がします。


     *


*「げん・幻・幻想・まぼろし・魔を滅ぼす・間を滅ぼす・(隔たったものを)近くする・知覚する」

=「げん・現・現実・うつつ・打つを打つ・うつをうつ・うつ(全・空・虚)をうつ・うつうつ」

=「げん・言・言語・ことば・言葉・言の葉・事の端」

=「げん・限・限界・限度・境い目・ふち・へり・端っこ・かぎり・かぎる・限る・かげる・翳る」

=「げん・原・源・元・みなもと・もと・本・基・原子・元素・根っこ・泉・湧く・わく・わくわく・出る・でるでる」

(※以上の5者=グループが、なぜ「=」で結ばれるのかは、おいおい説明していきます)


 そうです。これは、きのうの記事の最後のほうでご紹介した、


*きわめてテキトーな図式=チャート=見取り図=でまかせ図


の変更版≠改良(改正)版です。1グループが加わり込み入ってきたので、見やすいレイアウトに変えました。言うまでもなく、今回の図も、あくまでも、でまかせです。



※この文章は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77


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