占い・占う(連載「かく・かける」の補遺)
げんすけ
2020/09/10 08:00
何かに何かを見る。
これがヒトの習性のようです。出だしで書いた文の、前者の「何か」と後者の「何か」が、異なっているのは言うまでもありません。両者とも「幻想」であり、そうした「見る」仕組み=メカニズムを「錯覚」であると言って片付けることも可能です。それでは、身も蓋もありません。愛想もなし。それを言っちゃおしまい。と、いうことになります。ですので、身も蓋もあり、愛想もあり、それを言っちゃおしまいのうちの「それ」を言わない話をしましょう。
このところ書き続けてきた、「かく・かける」シリーズの最終回では「身も蓋もない」「愛想がない」「それを言っちゃおしまい」的な状況になりましたので気を取り直し、今回は、補遺=ほい=ごきぶりほいほい=おまけ=付録=追加を書きたいと思います。ですので、話は、連載「かく・かける」の最終回までの一連の記事とつながっています。「占い」については、「かく・かける(1)」で、触れました。今回は、あの記事とは別の視点から、「占い・占う」をテーマに書いてみます。
*
「占い」は、この惑星に生息するヒトという種に、共通した行為=行動のようです。文化人類学、考古学、歴史学、社会学、文学などでも、さかんに扱われています。何しろ、面白いのです。個人的も、興味があります。種類を挙げたら、切りのないほど出てきます。種類別に「占い」を列挙しようとしましたが、うんざりしそうなので、やめました。ここは、言葉のフェティシストのはしくれが開設しているブログなので、観念や概念よりも言葉に注目してみます。
「うらない・占い」という大和言葉系の言葉が、「うらかた・占形=占象=卜兆」と呼ばれる、亀の甲や鹿の肩甲骨を焼いたさいに生じる裂け目・割れ目の形で、吉凶を占う行為から来ていることは、大きめの辞書を引くと知ることができます。そういえば、「亀裂」という言葉がありますね。なぜ、カメさんやシカさんなのでしょうか? 調べれば、分かるでしょうが、興味はありません。
ここで思い出しましたが、「なる(8)」で「唯○論」なるものと占いの類似について書いたことがありました。以下に引用します。
*
「唯○論」という言い方があります。ある特定のものごとや現象や特質みたいなものを用いて、森羅万象をひっくるめて面倒みよう、といった場合に用いるネーミングの産物、あるいはブランドのことです。グーグルなどで検索するさいに、半角の「*」を使うことがありますね。試しに "唯*論" で検索してみたところ、あるはあるは、そのヒット数の多さにびっくりしました。まず、以前に見聞きしたことのあるものを列挙します。
唯幻論=唯心論=唯物論=唯臓論=唯言論=唯我論=唯脳論=唯神論=唯金論……
次に、初めて見たものの中で、特に印象的だった使用例を並べます。
唯ゲーム論=唯エネルギー論=唯情報論=唯退屈論=唯創論=唯遺伝子論……
この言葉の羅列を見て感じるのは、
*「唯○論」というのは、メタな立場=「これですべてが解決=説明=解明できるぞ。大したものだろ」という視座に立ちたいという欲望である。
と言えそうです。でも、これまで見聞したところでは、メタな位置に立とうとするとメタメタ=めちゃくちゃになることは確かです。だから、わざと上の言葉を全部「=」で結びました。ちなみに、「=」は一種の感字であり感覚的なものです。「すべての面倒をみる」というメタな心意気があれば、ほかの「唯○論」と「=」で結んでもいいことになります。
なにしろ「何でも面倒をみよう! まかせとき!」というのですから。ということは、「=」は権威のあるお墨付きの印(しるし)であり、5つ星とか勲章みたいな「栄誉」のシンボルということになりませんか? つまり、
幻=心=物=臓=言=我=脳=神=金=ゲーム=エネルギー=情報=退屈=創=遺伝子……
という「存在の偉大なる連鎖」が形作られると言えます。やっぱり、「ぜんぶ、わたしに、まかせなさい!」状態です。
それにしても、すごく貪欲というか野心的な考え方ですね。思わず、占いを連想してしまいました。星、タロット、トロッコ、水晶、ミラーボール、姓名、生年月日、茶柱、貝柱、おみくじ、恋するフォーチュンくっきー!、動物、植物、ミジンコ、鉱物、風水、噴水、筆跡、指紋、声紋、鼻紋、DNA、ハンコ、電子サイン、印鑑、きんかん、印章、印象、髪型、寝癖、歯型、黒子(ほくろ)、白子、明太子、色、エロ、亀の甲羅、ナオこーら、おかゆ、オートミール、夢、霊感、性感、手相、人相、顔芸、骨相、家相、仮装、女装、鏡、りゅうじ、ひげ、はげ、まげ、鼻糞の色と質、朝一番のおしっこの色と透明度、しいたけ、さるのこしかけ、オーラ、おらしんのすけ……。「何でもあり」が「何でも占っちゃう」。
それは脇に置いて、上記のような列挙作業をしたのには、理由があります。このブログでやっていることが、
*「唯○論」という「まぼろし」を形成する作業に似ている
からです。そういうわけで、このブログにはそんな野心は毛ほどもありません、と断っておきたいのです。
*
引用が、以上です。
さて、今、ここにある、ものたちやことたち、手もちの知識や記憶、自分のあたまやからだ――できるだけ、そうした近くにあって知覚できるものやことで、済まそう。これが、このブログの基本的なスタンスなのです。もっとも、格好をつけて言えばの話であり、ぶっちゃけた話が、横着で無精なのです。また、あくまでも、「基本的な」話であって、ときには、はりきっていろいろ調べまくるなんてこともします。
というわけで、ふたたび言葉に注目してみます。今度は、英語です。英語で「占い師」を fortune teller と言う場合があります。diviner とも言うそうです。結論から申しますと、前者は運とか偶然、後者は神と関係があります。あとは、占うさいに何を用いるかといったツール=道具=パーツ=部品一式に由来する言葉が、たくさんあります。これも、列挙するのが面倒そうなので、とにかく多種多様な占いの方法=メソッド=流派=お店=協会=集団=サークル活動=商売があると、理解してください。
個人的に、すごく興味がある言葉に
*予言
と、
*預言
があります。
予言は、辞書によると、ヨーロッパ系の意味と、仏教系の意味の両方があります。一方、預言は、キリスト教系の言葉に当てた漢字らしいです。以下に、まとめてみましょう。
*予言 : 予め、未来の出来事を推測して言う。
*預言 : 預言者という特殊な能力を持った人が、神から預けられた言葉を、一般の人たちに言う。あるいは、その行為を用いて、神への信仰を勧誘する。なお、預言者の言葉を書き記したものを預言書という。
らしいです。
上の2つの「予言・預言」の説明を見ていると、
*予と預の、符合=符号=引合せ(※ひきあわせ)
が気に掛かり=懸かります。「何か引っ掛かる」という言い方がありますね。ついつい、気になって、こだわってしまう、みたいな感覚を言います。宙に浮いたような感じと言ってもいいでしょう。
そこで、漢和辞典で調べてみました。すると、ややこしい説明がいろいろあって、困ってしまいました。でも、丹念に目を通し、素人なりに、次のように簡単に整理しちゃいました。このブログでは「正しい」「正しくない」ごっこはしません。ゲイ・サイエンス=楽問=「楽しいお勉強ごっこ」をやっているんです。ですので、自分にとって面白そうな=おいしそうな=楽しそうな部分だけ、まとめてみました。
*予 : 「あげちゃう」「のんびりいこうよ」「まえもって、ゆとりをもってね。そのときになって、焦っちゃだめよ」「はい、確かに、お預かりいたします。おまかせあれ」「のびのび。あれあれ、そんな遠くまでいくの~?」「ひゅーっと流れるように」
*預 : 「まえもって、ゆとりをもってね。そのときになって、焦っちゃだめよ」「あとは気楽にいこうよ。まったり主義でね」「はい、確かに、お預かりいたします。少しのあいだ、うちに置いておくからね。おまかせあれ」「お預けしま~す。あとはよろしくね」「これだけの人をずらーっと集めておけば、何があってもだいじょうぶ。よっしゃあ」
こんなん出ましたけど、という感じです。
違いがお分かりになりますか? これでも、それなりに一生懸命に2種類の漢和辞典を見比べて、感じ=漢字=感字たことを、それなりに忠実に書いたつもりなんです。
*あんまり、大した違いはない。
と結論づけても、いいのではないでしょうか? そういう前提で話を続けますよ。で、思ったのですが、
*「予」と「預」に共通する「余」裕は、「予=余=我(※われ=わたくし)=自分(※じぶん)」が、「何かどえらいもの」の代わりを務めている=装っている=演じている=化けているという、自信(=自分を信じること=自己催眠=なりきり状態=たぶん勘違い)から来ているのではないか。
そんなふうに、お感じになりませんか?
このシリーズをお読みになっている方から、「また、あれかよー。勘弁してよ」「芸がなさすぎる」「ネタ切れか?」とお叱り=諦め=「どうにでも、好きなようにしてちょうだい」というお言葉を頂戴するのを覚悟のうえで、「かく・かける(1)」で、「1カ月早い、ひな祭り」を自己輸血=自己引用したところを、再度、自己輸血=自己引用したさせていただきます。
これって、「コピーのコピー」=「複製の複製」などとも申しまして、「トリトメのない記号=まぼろし」って、このブログで呼んでいるものなのです。ええっ? 「そんな言葉で、お茶を濁す=格好をつける=自己正当化するんじゃない」ですか? ごもっともです。失礼いたしました。とにかく、お読み願います。
*
★★この問題について、「1カ月早い、ひな祭り」という記事のなかに、「占い」と宗教の発生がらみで書いた部分がありますので、横着をして、自己輸血=自己引用=コピペをさせてください。ちょっとおふざけ気味の文体ですが、それは内容のシリアスさを薄めるためです。本気で書いたものですので、そこのところをご理解願います。
★「 ひな壇 」とピラミッドは、司法・立法・行政には付きもの。代理、代行、代議士、代表、総代が、うようよ。ハンコぺたぺたのペーパーワーク。このへんが不明の方は、当ブログのバックナンバー、「 あなたなら、どうしますか?」 、「 やっぱり、ハンコは偉い 」 を参照願います。面倒な方は、このまま、引き続き、どうぞ。「 ひな壇 」は「 虎の威=衣 」とセットで、クラス分け、棲み分けして、暮らすわけ。これが代々続けば、2世、3世、そして、世襲。仲間うちで譲ったり、譲り合えば、天下り、渡り、渡る天下に鬼はなし。
蛇足ながら、「 虎の威=衣 」は「 虎の位 」、ピンからキリまで、枚挙にいとまなし。フェイクファーのパンツから、スマトラ産の超高級品の上下一式の被り物まで、多岐にわたる。引退後は、民間人をさておいて、真っ先に褒章、勲章までもらえる。ワッペン張って、大威張り。首から下げて、涙腺を緩めるのが、最後のご奉公。なんでこれがご奉公? 公僕、最後のご奉公? ここまで来ると、もうめちゃくちゃではないか? それなのに、庶民が一揆を起こしたり、騒がないのも、究極には「 表象の働き 」の奥深さがあるのではなかろうか? もっと考えてみたいけど、きょうは、それ以上考える暇なし。貧乏暇なし。なぜか、突然、なるほど、
「 タモちゃんのお代理様 」
は、やっぱり言えている、と思う。言えてるどころか、きっと、そうに違いない。
「 でまかせ 」ではなく、「 言えている 」とか「 きっとそうだ 」にしてもいいでしょうか、偶然と必然のオーソリティー(= 権威 )だったマラルメさん? ここで権威にすがる自分が、情けない。それはともかく、ヒトよりも、もっともっと偉い存在がいて、ヒトはその代理を務めたいという、願望、欲求、祈り、野望、をもっているのではないでしょうか、マラルメさん? Aにはなれないから、Aの代わりを演じます。Aみたいな顔をしてみます。Aの仮面をかぶり、表情をまね、ときにはお化粧もし、かつらも付けたりもしてみます。
どうです、似合うでしょう? 様になるでしょう? だって、これだけ化ければ、○○様なんて、呼ばれるんですもの。偉く見えるんですもの。いいじゃないの。
という具合に、偉く見えるから、崇め奉られる。ちやほやされる。甘やかされる。
「 どうか、雨が降って豊作になりますように 」、「 作物が駄目にならないように、大雨が止みますように 」、「 ニワトリとブタが増えますように 」、「 隣村の馬鹿どもが攻めてきませんように 」、「 今度の戦(※ いくさ )に勝てますように 」、「 あいつとの賭けに勝てますように 」、「 おとうさんの怪我が早く治りますように 」、「 娘がいいところにお嫁にいけますように 」、「 亡くなったあとに天国に行けますように 」、「 元気が出ますように 」
「 お任せあれ。任せとき。だいじょうぶ。ところで、あれは、ちゃんと用意しているかな? このあいだは、ちょっと少なかったぞよ 」
万が一、でまかせが当たらなかったり、何かとんでもないことが起きて、都合の悪くなったときには、仮面を外し、お化粧を落とし、表情をしおらしくして、かつらもとって、わたしは代理ですと言って責任を転嫁すればいい。または、「 あんたの信心がたりんからじゃ 」と、これまた、責任を転嫁すればいい。「 代理人 = 代行者 」は、気楽で、いい商売だわい。
これは便利。超便利。魔法みたいに便利。呪術みたいに便利。イッツ・ア・マジック。マジでマジック。マジで絶句。ヒューマニズムよりも、シャーマニズム。コミュニズムよりも、キャピタリズム。デモクラシーよりも、ビュロクラシー。
*
★から、以上までが、引用部分です。
宗教と、占い=預言=予言と、半端じゃなく強い「何か」の威=衣を借りて、他の人たちの上に立つという「政(※まつりごと)=支配体制=政治」の成立というシリアスな問題を、紙芝居的に描いたおとぎ話です。きょうのテーマの1つである、「占い」のメカニズムもご理解いただけたのではないでしょうか。
★★から、以上までが、引用部分です。はい、コピペのコピペでございます。ややこしいので、図で示します。
★★――――
★―――――
――――――
★―――――
★★――――
という具合に、引用が、サンドイッチ、あるいは入れ子構造になっているということです。
それはさておき、サンドイッチのようにダブル引用した部分に書いてあることですが、言えてません?
*
さて、マジで大切なことを指摘します。「予=余=わたくし」と言いながら、「わたくし」ではない。あくまでも
*代理
なのです。でも、
*とてつもないどえらい何か
の代わりを務めている=演じてるから、
*「間接的に」とてつもなくどえらい=(そこそこ)どえらい
というものに
*化ける
ことができちゃう。これって、
*「おばけ」
ですよ。
*このからくり=仕組み=メカニズムに、だまされるって「おばか」さん
ですよ。
以上は、「占い・占う」についてのあくまでも個人的な感想=愚見です。お気を悪くされた、業者の方々=プロの方々=(信+者=儲)けたい方々=預言or預言者・予言or予言者を信じていらっしゃる方々=お金を喜んでお預けになっている方々=何となくお金をお預けになっている方々=怖いからお金をお預けになっている方々=強制されてお金をお預けになっている方々……に深くお詫び申し上げます。
当ブログは、営業妨害をする意思は、まったくございません。他人様の信仰にとやかく申すつもりも、ぜんぜんありません。日本国憲法の熱烈な支持者でございます。お間違えのないようにお願い申し上げます。
現に、自分は茶柱の熱狂的な信者でございます。足元で寝そべっているネコ(※うちの猫の名前です)は、鰯(※いわし)の頭の熱烈な信者のようです。みなさん、他人様のテリトリーには干渉するのはやめましょう。でも、だましたり、強制するのは、いけないことだと存じます。そこんとこは、お互いに理解し合っていますよね。たぶん。
*
ところで、ここで、ふと、思い出したことがありますので、お話しさせてください。霊感占いという分野がありますね。現在も、たくさんのその道の方々がご商売=ご活躍なさっているもようです。あまり最近のことですと、差し障りがある恐れもありますので、古い話をします。
かつて、政財界にも大きな影響力を持った、ある女性の霊感占い師がいました。その政財界の人物(※複数です)の氏名を挙げれば、「うっそー」なんて声をお上げになる、おじさん、おばさん、並びに年配の方々がいらっしゃる(※あるいは、いらっしゃった)はずです。その女性霊感占い師が、最終的には、非業の死とでも呼ぶほかしかない形で、生涯を閉じられたのは、残念なことです。合掌。
さて、この女性がテレビで占いをなさっている場面をたまたま目にした時のことを、覚えております。その時のご発言が、あまりにも、あっけないというか、馬鹿馬鹿しいというか、きわめてシンプルだったために、強い印象として残っているのかもしれません。
米国で第37代大統領を務めたリチャード・ニクソンについて、占ったのです。ご存知の方も多いと思いますが、ニクソンはウォーターゲート事件というとてつもないスキャンダルを起し、任期中に辞任しました。そのニクソンの任期のどのあたりでの占いかは、残念ながら覚えておりません。ウォーターゲート事件は解決するまでに長い期間があったので、占いが行われたのが、ニクソンの旗色が悪くなりかけた頃なのか、その前なのかは分かりません。その前だったら、「当たった」というしかないです。
で、霊感占いをテレビ局から依頼されたその女性が、どんな発言=預言?=予言?をしたのかと申しますと、「『ニクソン』さんの名前が悪いですね。『ソン』が良くないです。この方は、きっと『損』をします」。一字一句まで正確には覚えていませんが、確かにこのような意味のことをおっしゃったのです。
その女性には失礼ですけど、馬鹿馬鹿しい言葉に思えたので、こんな年齢になっても、核心部分だけは、はっきりと覚えているのです。この女性が無残なお亡くなり方をしたというニュースを知った時にも、思い出しました。
「『ニクソン』の『ニク』も、『憎い』に通じるから、良くありませんね」などという言葉と、その女性が話しているさまが、ふと、あたまに浮かびましたが、これは創作=記憶違い=嘘=でたらめ=錯覚=ギャグのやりすぎでの脳の誤作動でしょう。
でも、『損』のほうの記憶は、ぜったいに間違いないと確信しています。同じ番組をご覧になった方が、いらっしゃいましたら、ご一報ください。間違いありませんよね?
で、今になって結果的に思うのですが、あの調子でやって、あれが霊感占いだというなら、きっと、クリントン氏は「クリン」と「不倫」が似ていて、「トン」が「頓馬」の「頓」に通じるから、ああいう結末になった。
ブッシュ父子は、「ブッ、シュシュー」と砲弾が飛び交う音に似ているから、父は湾岸戦争、息子はアフガニスタン侵攻、イラク戦争という具合に、戦争と縁が深かった。
カーター氏は、キャンプデービッド合意という形でエジプトとイスラエルの関係に「片」をつけた。
レーガン氏は「霊」が「願」に応えてくれた。
フォード氏は、まともに大統領選を勝ち抜かずに大統領になったという「ほどほど」の大統領で終わった。【※これ以降の歴代米国大統領について、あれこれ言う気力はありません。特に今の怒鳴奴・妬爛腐or怒鳴奴と乱舞(ラップと読みます by 広辞苑)で世界がきりきり舞いorどうなる動乱と乱舞の米国、については……。てか、次は梅田譲くんかな?】
こんなふうに、言えるのではないか? あるいは、あの女性がご存命であれば、霊感で、こんなふうに発言=予言?=預言?したかもしれない。などと、想像=妄想してしまうのです。でも、これじゃ、まるで、自分がダジャレを飛ばすことで抑うつ対策にやった、以前のブログである「でまかせしゅぎじっこうちゅう」の乗りじゃありませんかー!
いずれにせよ、あえて名指しはいたしませんでしたが、あの非業の最期を遂げた、女性霊感占い師の方のご冥福をお祈りいたします。再度、合掌。
*
さて、話を「予言・預言」にもどします。個人的には、「予言・預言」に共通する、
*「言=言う=言うこと=言葉を発すること=言葉で伝えること」
にも、とても興味があります。預言書となると、書き言葉=文字≒活字になるわけですが、
*「とてつもないどえらい何か」のメッセージが、言葉という形で、代理人から、ふつうのヒトたちに伝えられる。
という、現象=過程=プロセス=仕組み=メカニズム=仕掛けが採用されていることは興味深いです。
ここで、言葉を広義の言葉と狭義の言葉に分けてみましょう。
*広義の言葉=言語とは、話し言葉、書き言葉、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、ホームサイン(=家庭だけで通じる断片的な手話)、指点字、点字、音声(=発声)、音楽、合図、映像、図像、さまざまな標識や記号や信号など
だと、このブログでは考えています。
その広義の言葉に含まれる、
*狭義の言葉=話し言葉と書き言葉
だけが、予言や預言において、なぜ優先されるのか?
実は、この質問自体に問題点=欠点=「よく考えていない点」があるのです。
*啓示(≒黙示)
という言葉があります。
*「とてつもないどえらい何か」がヒトにメッセージを伝える
ことです。これは、狭義の言葉であるとは限りません。
たとえば、冒頭近くで述べた「亀の甲や鹿の肩甲骨を焼いたさいに生じる裂け目・割れ目の形」であったり、暴風雨であったり、誰かの死or死に方であったり、誰かの出産or誕生した赤ちゃんであったり、疫病の発生や流行であったり、この惑星を覆う大気の温度が徐々に上がる現象であったり、マネーという名の表象がとちくるいだしたり、ミツバチが世界同時多発的に激減したり、この惑星のヒトの数がリミットを遥かに超えて増加し続けたり、仲間同士の争いが原因でおびただしい数のヒトたちの命が失われたりする……という形をとる場合が数多くみられます。
これら森羅万象は、「表象」や「トリトメのない記号=まぼろし」や「ニュートラルな信号」という様相=機能=働きを、はらんだ=仕組まれた、
*「しるし」や「きざし」や「あらわれ」
としてヒトの目に映ります。
ただし、幸か不幸か因果か必然か偶然か何だか分かりませんが、「尻尾のないさえないおサルさん」の脳内で、おそらく、
*「ズレ=狂い」
が生じた結果、「尻尾のないさえないおサルさん」がヒト=人間様になり、
*言葉を持ってしまった
ために、上で述べたような多岐にわたる「啓示(≒黙示)」、つまり、おそらく「とてつもないどえらい何か」がヒトに伝えるために送ったと想像=妄想されるメッセージは、
*言葉という形で、ヒトに示される
ことになったらしいのです。たぶん。
*
で、話はこの記事の冒頭にもどります。
*ヒトには、何かに何かを見る、という習性がそなわっている。
らしいのです。おそらく、ですけど。
さて、「占い・占う」については、今のところ、以上のように感じております。できれば、次回は、「かく・かける」シリーズの補遺=おまけ=付録=追加の第2弾として、ふたたび「賭け・賭ける」をテーマに書いてみたいです。
※以上の文章は、09.05.20の記事に加筆したものです。なお、文章の勢いを殺がないように加筆は最小限にとどめてあります。
#エッセイ
#言葉