「まぼろし」を、「魔を滅ぼす」とか「間を滅ぼす」とか「真を滅ぼす」と読み換える
星野廉
2020/10/11 07:58
幻影は、「まぼろし」と「かげ」が合体した言葉でありイメージです。「まぼろし」を、「魔を滅ぼす」とか「間を滅ぼす」とか「真を滅ぼす」と読み換えるたぐいの遊びを、よくします。自分勝手に、言葉とたわむれるのが好きなのです。
大きめの辞書を引いて、言葉の語源をたどるのもおもしろいですが、語源には「正しい」対「正しくない」といった二項対立の影がつきまといますから、どうしても窮屈です。それに対し、たわむれるさいには、夢を見るのと同じで、気兼ねも遠慮も無用です。
夢のなかでは、すべてが肯定されるように、夢想のさなかには、疑問をいだくことはありません。何でも許されてしまうのです。幻灯や映画を見るのと似ています。あれよあれよという感じです。
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魔を滅ぼす。この魔って何でしょう。ネガティブな意味合いが濃い言葉ですが、ネガティブとポジティブは反対の関係にあるというより、表裏一体ではないかと、つねづね思っています。見る者の立つ位置によって変わる。そんな感じもします。
科学では、観測者という視点が重要性を増しているという話を、何かで読んだことがあります。共感を覚えます。そもそも「見る」とは、一介の生き物にほかならないヒトという種(しゅ)にとって、広義の主観的行為であるはずです。
それが忘れられがちなのは、残念なことです。話をもどします。
「魔を滅ぼす」でしたね。実は、魔という言葉は、他の言葉を呼び寄せる枕詞か触媒のようなもので、あまり意味はないというか、興味がありません。むしろ、「間を滅ぼす」や「真を滅ぼす」のほうに、個人的にはおもしろみを感じます。
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魔、間、真というように、「ま」という音を、漢字に置き換えてみる。分光する、と言ってもいいかもしれません。つまり、「ま」という表音文字が喚起するイメージを、漢字という表意文字を当てることによって、「分ける」のです。そして、また「ま」に送り返してやる。
すると、「ま」というひらがなと、それを口にしたときに発せられる「ma」という音に、「たましい」が、いわば「やどる」。そんな遊びなのですが、よくやります。もちろん、個人的な次元でのたわむれであり、いたずらです。
意味と音。この二つを、いったん分けて、その中身を確認し、再びくっつける。それこそが、自分にとって、「まをほろぼす」という音と字の発する意味なのです。まさに、まぼろしですね。(「げん・幻 -1-」より)
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