わかるはわからない

星野廉

2020/09/21 12:51


「わかるという枠」の続きです。


 今回は、これまでとは異なった視点から、


*「わかる」という枠


に、揺さぶりをかけてみます。きっとビクともしないでしょうが、やってみますね。


     ■


 気分を変えて、複数の和英辞典で、「分かる」と「理解する」を引いてみましょう。


 思い出しました。これって、前にやったことがあります。「わかるはわかるか」という記事を書く時にやった作業です。


 で、その記事を覗いてみたところ、使える部分が多そうなので、英語の単語に関する記述も含めてほかの個所もそのまま、以下にコピーペーストしちゃいます。


     ■


*わかる・しる・さとる・とらえる・まなぶ・ならう・みにつける……


*理解する・了解する・知覚する・察知する・認識する・認知する・会得する・学習する・習得する……


*【以下は日本で広く用いられている手話です。】右手を開き胸の上に当てそのまま下ろし、胸のつかえが下りるような動作をする(「分かる」や「知る」に相当する)・口に何かを放り込み、飲み込むような動作をする(「理解・理解する」に相当する)・右手の指でこめかみ辺りをさす(「感じる・覚える」に相当する)・右手を開いて上から側頭部へと下ろし、握った状態でくっつける(「覚える・習う」に相当する)・右手の人差し指を正面のやや上方から顔に向けて2度ほど指す(「教わる・習う」に相当する・両手を顔面の前で並べて2度ほど軽く振り、本を読む動作をする(「勉強する」に相当する)【※「右手」は「利き手」と置き換えてもよさそうです。】


*understand、appreciate、know、see、tell、get、find、recognize、comprehend、learn ……


*【以下は米国で広く用いられている手話です。】自分に向けて握った右手を軽く側頭部につけ、人差し指を2度立てる( understand に相当する)・自分に向けて開いた右手を側頭部に持っていき、何度か軽く叩く( know に相当する)・左手を相手に向けて開き、右手の指で側頭部をさし、その指を開いた左の手のひらにくっつける( recognize に相当する)・右手を握り顔の斜め下に持って行き、握りこぶしを少し挙げて人差し指を突き出す( comprehend に相当する)・左手を胸の下あたりで上向きに開き、右手を開いて左の手のひらから何かをつかみ取り額へ持って行きくっつける動作をする( learn に相当する)【※「右手」は「利き手」と置き換えてもよさそうです。】


 以上が引用です。


     ■


 さきほどやろうとした作業を再開します。「分かる」と「理解する」に相当する英語の単語の語源を知りたかったのです。上記の英単語を、大きめの英和辞典を引いてみます。


* understand : 古英語で「…の間に立つ」が原義、(…の下に)+(立つ)→ あることの近くにいる → あることについて知識を持つ【ジーニアス英和大辞典より】


* appreciate : 後期ラテン語で、(…に)+(価値をつける)【ジーニアス英和大辞典より】; 中世ラテン語で「尊重された、評価された」、後期ラテン語で「評価する」の過去分詞【ランダムハウス英和大辞典より】


* know : 古英語で「知る、知っている」、can は同根語【ジーニアス英和大辞典より】


* see : 古英語で「見る」【ジーニアス英和大辞典より】; ラテン語の「従う、追う」と関係があり、原義は「眼で追う」【ランダムハウス英和大辞典より】


* tell : 古英語で「数える、語る」【ジーニアス英和大辞典より】; 中世英語・古英語で「物語る」「数える」【ランダムハウス英和大辞典より】


* get : 古ノルド語で「手に入れる」【ジーニアス英和大辞典より】; 古ノルド語で「得る」「生じさせる」【ランダムハウス英和大辞典より】


* find : 古英語で「見いだす」【ジーニアス英和大辞典より】


* recognize : ラテン語で「認める、思い出す」、(再び)+(知る、学ぶ)【ジーニアス英和大辞典より】


* comprehend : ラテン語で「手に入れる、理解する」、(完全に)+(つかむ)【ジーニアス英和大辞典より】


* learn : 古英語で「人の歩む道を導く」または「足跡をたどり経験を積む」が原義【ジーニアス英和大辞典より】; 中世英語・古英語「学ぶ、読む、思案する」、「拾い集める」。ドイツ語の「読む」と同語源【ランダムハウス英和大辞典より】


 こんな感じです。なるほど、と感動してしまいました。


     ■


*「わかる」という枠を揺さぶる


のに、英語は適した言語だと思います。


*大和言葉系と漢語系の二重構造のある日本語


と似ています。


*英語の場合には、ゲルマン語系とラテン語系の二重構造がある。


そうです。つまり、


*ヨーロッパの言語における大きな二つの流れ


の両方を汲んでいる、と言えます。すごく大雑把な言い方で顰蹙(ひんしゅく)を買うのを覚悟で申しますと、


*英語は、フランス語(あるいはラテン系諸語)とドイツ語(あるいはゲルマン系諸語)を足して2で割ったような言語


または、


*英語は、フランス語(あるいはラテン系諸語)とドイツ語あるいはゲルマン系諸語)の中間に位置する言語


です。だから、


*英語には、日本語のように「語彙(ごい)が豊富=単語の数がものすごく多い」


です。一方、フランス語なんて、日本語や英語に比べると単語の数はすごく少ないです。


 というわけで、「わかる」に相当する複数の英単語の「意味=イメージ=語義」を調べれば、


*「わかる」のごちゃごちゃぐちゃぐちゃ具合を知る


のに、


*一石二鳥


だと言えます。


    ■


 別のやり方で、さらに、


*「わかる」という枠


に、揺さぶりをかけてみましょう。前回、


*「わかる」=「分かる」=「別る」=「解る」=「判る」


というふうに、かたかなで表記された大和言葉の「わかる」に漢字を利用して、


*送り仮名を付ける


という作業をし、次に「分」=「別」=「解」=「判」の4つの漢字の「イメージ=意味=語義」と用法を見てみました。今度は、漢和辞典を引いて、


*解字(かいじ)(=漢字の成り立ちを分析すること)


という作業をしましょう。学研の「漢字源」と、旺文社の「新選漢和辞典」を参照して必要な個所だけを抜き出し、素人なりにまとめてみます。「正しいこと」をお望みの方は、どうかどこかでお勉強なさってください。ここでは、ブログ開設者の趣味で、残念ながらやっておりませんので。


     ■


*分 : 「八(左右にわける)+刀」。「二つに切り分ける」という意味。「半」「班」(わける)・「判」(わける)・「八」(2で割れる数)・別とも縁が近い。


*別 : 咼(骨と肉をわける)+刀」。「分解する」という意味。関節を刀でばらばらに分解するイメージ。


*解 : 「角+刀+牛」で、「刀でからだやつのをばらばらに分解する」という意味。「刀を用いて牛の肢体を解剖する。さきわける」という意味。


*判 : 「牛+八(わける」。「牛のからだを両方にきりわける」という意味。のちに「可否や白黒を区別し見わける」の意味となった。「半」は「牛+八」で、「牛」は「物(『牛』と『勿』の合字)」の代表で、「八」は「両方にわける」という意味。【牛が物一般を表す代表だというのは、おもしろい発想ですね。それとも、これって誤解?】


 以上の解字を見ていると、とにかく


*「わかる」は「わける」


ということみたいですね。何か血生臭いイメージをいだきます。「腑分け=解剖」とか、スーパーなんかで時々やっているマグロの解体ショーを連想しちゃいませんか。


     ■


 次に、さきほど挙げた


*わかる・しる・さとる・とらえる・まなぶ・ならう・みにつける……


という一連の言葉を見てみましょう。広辞苑を引いてまとめます。


*しる・知る・領る : 「領る」は、「ある土地にあるものすべてを自分のものにする」の意味。要するに、「しる=汁=おしっこ」をかけたり、唾を付けて「これ、わてのもんやでー」と宣言すること。なわばり行動やマーキングと同じ。


*さとる・悟る : さのようにとる→そのようにとる→そうかと納得する。【※これは、でまかせです。広辞苑に語源の説明がなかったので、でまかせをかましました。】


*とらえる・捕らえる・捉える : とりあう。取り敢う。取り合う。すっかり取る。だきしめる。これはわたしのものだからと手で握って、誰にもあげないという感じ。とらえどころがないの逆。【※これも、でまかせです。】


*まなぶ・学ぶ・まねる・真似る :【※わかりやすいですね。】


*ならう・習う・慣らう・倣う :【※「習うより慣れよ」って言い方がありますよね。そうか、「なれる」も調べよう。】


*なれる・慣れる・馴れる・狎れる・熟れる : とにかく経験しろ。触れてみろ。場数をこなせ。試行錯誤しろ。そのうちできるさ、やってみろ。なじんでくる=なれてしたしくなってくる。あれ、熟れちゃった。熟達しちゃった。


*みにつける・身に付ける・身に着ける :【※これも、わかりやすいですね。】


 何だか、かなりテキトーになってきました。いい感じです。


     ■


 このブログでやっていることを確認します。


*日本語という「枠=限界」の中での「イメージ・意味・表象・代理・でたらめ・恣意的なもの」としての、「わかる」


についての「考察=与太話=でまかせ」です。


 どうやら、軌道=奇道からは外れていないもようです。ごちゃごちゃぐちゃぐちゃしてきました。


     ■


 以上、「習うより慣れろ」式にいろいろやってきましたが、


*「わかる」という枠を揺さぶる


という「目的=戦略=企て=いたずら=お遊び=おふざけ=実は本気=マジ」は、ある程度達成されたのではないでしょうか。


 蛇足とは思いますが、おふざけの一環としての目的が達成されたのであって、「わかる」という枠そのものが揺さぶられるだろう、などとは夢にも考えておりません。単なるお遊びです。


 というわけで、


*わかるがわかってきた


ではなく、


*わかるがわけわからなくなってきた=分かるが「訳=分け」分からなくなってきた


とお感じいただければ、本望です。


*「わかる」は「わからない」のがほんとう=マジ=真面


なのです。「わかった」とお思いになったとすれば、おそらく錯覚です。失礼とは存じますが、思い違いをなさっているのでしょう。もっとも、これも、個人的な意見=でたらめ=でまかせですけど。


 で、


*わかるはわからない


は二通りの意味に取れます。


1)「わかる」ということを「理解」することはできない。


2)「わかる」と「わからない」は同じことだ(つまり、「わかる」=「わからない」ですね)。


です。1)と2)の「違い=ズレ」が、お分かりになりますか? これまでの経験から、


*「ズレ=違い=差=差異=際・きわ=間・あい・あいだ・あわい=隔たり=分かれ目=境い目=境界線=辺境=縁=ふちっこ=枠」には、深入りしないほうが賢明だ。


と思っています。どうでもいい。そう考えるのがいちばんです。でも、「イっちゃう=ヒトとしての一線を越えてしまう」のを覚悟で、いつか深入りしてみたい気持ちはあります。


*イっちゃって戻れなくなる。


かもしれません。ものすごく恐ろしい体験みたいです。


     ■


 ちょっとだけ、イっちゃいましょう。たとえば、


*わかるはわかるわけない=「わかる」は、「わかる」「わけない」=「分かる」は、「分かる」「訳ない」=「分かる」は、「分かる」「分けない」


とずらして、その「ズレ」を本気で考えてみるのです。心身ともに調子のいい時(※ビョーキの身ですが、それなりに調子がいいと感じる時があります)にやってみたいです。


     ■


 話を戻します。


*わかるはわからない


は、


*「わかる」は「わからない」ように「できている=なっている」


とも、言えそうです。それなのに、


*「わかる」は「わかる」


と思い込もうとするのがヒトなのです。ですから、


*「わかる」が「わかる」


と言うヒトがたくさんいても、全然おかしくはありません。


*当然


なのです。でも、こうした事態は、


*自然


ではありません。


*ヒトは自然に逆らって、うだつの上がらない尻尾のないおサルさんから「ヒト=人間様」になった。


のですから、当然です。自然ではないけど「当然=あたりまえ」です。


*「当然」は、ヒトに固有な属性だ。


と思われます。


     ■


*当然は必然に似ている。


とも言える気がします。


*当然は、「シナリオ=筋=筋道=筋書き=ストーリー=物語=フィクション=作り話=でたらめ」を「前提にしている=暗に、つまり無意識に、あるいは故意に想定している」。


と思われます。


*自然には、「シナリオ=筋=筋道=筋書き=ストーリー=物語=フィクション=作り話=でたらめ」は存在しない。


と考えられます。


*圧倒的な偶然性が支配する場


だからです。


*「圧倒的な偶然性」には、「必然性=整合性=当然」も含まれている。


と言え、比喩を用いれば、


*ブラックホール


みたいな場なのです。何でも飲み込んじゃう。イってしまう。いったん、穴にはまったら決して戻って来れない。そんな感じでしょうか。


 別の比喩で言うなら、


*当然が出来レースなら、自然は彷徨(ほうこう)だ


という感じです。彷徨ですから、定まった方向はありません。ヒトは、翻弄(ほんろう)され、揺れ動き、千鳥足状態で、よろよろするしかありません。「どうやら、行き先は決まっているようだ。しめしめ」なんていう具合に、ヒトが安閑としていられるのは、自然ではなく当然の世界に生きているからです。


*「わかる」は、自然ではなく当然を「指向=志向=思考=試行=歯垢」する。


作業=行為です。最近、


*量子


をめぐって、「これからは量子の時代だ」みたいなポピュラーサイエンス的言説が流通していますが、あれって典型的な出来レースです。目新しくも、衝撃的でもありません。


*ヒトはわかることしかわからない。


とか、


*ヒトには「わかる」ように「なっている=できている」ことと、「わからない」ように「なっている=できている」ことがある。


感じがします。


     ■


 ちなみに、こうした、


*「○○する」あるいは「○○できる」ように「なっていること=できていること」と、「なっていないこと=できていないこと」


を、このブログでは、


*「経路」


と呼ぶこともあります。万が一、ご興味のある方がいらっしゃいましたら、「あわいあわい・経路・表層(1)」と「あわいあわい・経路・表層(2)」をご一読ください。


 いずれにせよ、


 量子をめぐる「言説=物語=フィクション=戯言=でたらめ」は、もちろん、わかるようになっていることでしかありません。量子を、ヒト自らが自らに合わせて作った計器の力を借りて観測したところで、ヒトは自らの知覚(知覚機能)を通して認識するしかできません。


 つまり、


*代理=表象としてしか、とらえられない


という意味です。これは量子という自然科学の領域の話にとどまらず、「悟り」、「覚醒」、「解脱」、「幻想」、「幻覚」、「透視」、「預言」と呼ばれる「言説=物語=フィクション=戯言=でたらめ」についても当てはまりそうです。


     ■


*自然=圧倒的な偶然性が支配する場=比喩的に言えばブラックホール


は、本来なら、こんな言葉遊びなどで語ることはできない「場」なのです。でも、「それをいっちゃおしまい」なので、ヒトの端くれである、この駄文を書いているアホめは、やむを得ず、とりあえず、あえて、


*ことわり=事割り=理=断りする


している次第です。


     ■


 でまかせしゅぎに、結論とかまとめとかは、そぐわないのですが、言葉をつづっている以上、次回には、とりあえず、やむを得ず、とりあえず、あえて、「まとめもどきのがんもどき」を致したいと思います。



※この記事は、かつてのブログ記事に加筆したものです。https://puboo.jp/users/renhoshino77



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