自分の書いた文章は愛おしいものです。
廉@スキとフォローをしないnote生活
2020/09/29 11:33
お尋ねします。いったん投稿した記事をいじるほうですか。私はかなりいじります。気になって仕方がないのです。
ああ、語尾が単調すぎる。てにをはが変だ。センテンスとして辻褄が合っていない。この言葉のつかい方はちょっと違うなあ。何て馬鹿なことを書いているんだ。アホが馬鹿を書いちゃ、しゃれにならないじゃないの。冗談は顔だけにしてちょうだい。ここは改行すべき。ありゃ、途中で話が飛んでるわ。どうしょう。ここはピンボケ、言いたことはこれじゃない。やっぱり手抜きをするから、こうなる。書きなぐると、こうなる。あれは入力を間違えていたけど、こっちは確信犯でやってるから大丈夫。どうも、しっくりこないなあ。何を気取っているんだ、自分。この部分は納得がいかない。当たり前のことを書いているわ。犬が西を向けば尻尾は東と同じじゃないか。こんなこと、書いたっけ?――。なんて感じです。
いったん投稿したあとに、うじうじおろおろするのですから、我ながら困ったものです。何度も何度も訂正じゃなくて、修正じゃなくて、直しますじゃなくて、変えます(ただし改善しないのが悩みです)。ダッシュボードでアクセス状況を見ると、スキがなかったり少ないのに全体ビューだけが異様に多い記事は自分ひとりが何度もアクセスしているからだと理解しています。
そんな具合に記事を部分的に変えていますから、もしどなたかが再読なされば、「あれっ、こいつ、こんなこと書いていたか?」とか「変だな。ケチをつけようと思っていたところが、消えてる」とか、直しに気づかず「何度読んでも、やっぱり、こいつは馬鹿だ」というような感想をお持ちになるのでは……と妄想しています。明らかに自意識過剰から来る被害妄想ですね。そもそも読み直す方なんていないと考えるのが尋常な心理というものでしょう。
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このアカウントで投稿している記事は書き下ろしです。つい先日までは、別のアカウントで10年ほど前の記事を再投稿していました。10年前ですよ。未練がましいですよね。
(今思い出しましたが、ほぼ毎日長文の記事を投稿していた10年前にも、いったん公開した文章を頻繁にいじっていました。こうなると、記事に関して言えば、私にとって公開は後悔と同音なだけでなく同義だと言えます。公開即後悔というわけです。)
自分の書いた文章はかわいいものです。愛おしくてたまりません。みなさんも、そうじゃありませんか。出来が悪かったり、隅でぽつんとしていると、なおさら愛着を感じるのは――私には子どもはいませんが――まるで我が子のようです。
初めてスキやコメントをくださった方のアカウントを覗くことがありますが、直近の記事にざっと目を通して興味があると、私は決まってその方の過去の記事を読みます。
最近のものよりもかなり前の記事や初めての投稿のほうが得てして面白いというのが経験則であり持論なのです。スキをするだけの場合もあり、またコメントを書くこともありますが、とても喜ばれます。思いがけなく過去の文章を読んでもらうと、確かに私も感激してしまいます。自分の書いた文章は愛おしいものです。
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今、私が悩んでいるのは文体です。長くブログ記事を書いていなかったので、アカウントを新しくして、こうやって記事を書いていると不安になります。しっくり来ないのです。
執筆中の小説の文体はほぼ決まっているので、書いていてこういう居心地の悪さは覚えません。小説は「だ・である調」で書いています。書きたいテーマというか素材も安定しています。
私はnoteはブログだと思って利用していますが、ブログでは「です・ます調」になります。話しかけるつもりで書くからでしょうね。「だ・である調」をつかおうとしたこともありますが、ブログではやっぱり「です・ます調」が書きやすいです。一方小説では、基本的に独白みたいな心境で書くので「です・ます調」をもちいるのは無理です。
「です・ます調」と決まっているのなら、文体に悩む必要はないのではないかとお思いではないでしょうか。確かにそうも言えそうなのですが、どうしても文体が定まらないのです。文体と言うよりも、書くときの心構えと言うべきなのかもしれません。
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やっぱり気になります。きのう投稿した記事がどうもしっくり来ないので、いじってみます。たぶん、この記事も、あとでいじるでしょう。
My Girl 1965 The Temptations
廉@スキとフォローをしないnote生活
2020/09/30 08:48
あれよあれよ。
引き込まれます。しかしまた古い映像――。
今の歌の振りとかの原点を見るような思いがします。
ちらりと観客席が見えるときがあります。
見ているのが白人ばかりみたいなのが、すごく気になるのは私だけ?