起きたことを忠実に再現するなんて、できっこありません。

星野廉

2020/10/10 08:56


 さて、


*不自由さは程度の問題である


に話をもどします。冒頭に挙げた、


2)「とらえた=知覚した=意識した」時間の経過を、「想起する=呼びもどす」


3)「想起した=呼びもどした」時間の経過を、「表現する=しるす=何かの形で残す=何か別のものに置き換える」


という行為は、


*すべてのヒトにとっての不自由さ


以外の何ものでもありません。


 具体的に、例を示します。


*あなたは、きのうの夕食に何を食べましたか? 


と尋ねられた場合には、答えるのは比較的簡単だと思います。メニューを思い出して、口にするなり、文字にするなり、絵に描くなりできるでしょう。そのさいに、思い出すのは、「映像=空間的ひろがりを視覚化したイメージ」(※たぶん、静止画像的なものではないでしょうか)であったり、それを「言語化したもの=要するに言葉」、であるはずです。では、


*あなたは、きのうの夕食に何をどういう順番で食べましたか?


と尋ねられると、ちょっと困るのではないでしょうか。さらに、


*あなたが、きのうの夕食の時間に何をどういう順番で食べたか、そして、その時間に、どんなことが同時に起こっていたかを起こった順を追って話してください。


などと言われたら、どうお答えになりますか? 誰かといっしょに夕食をとったのであれば、その相手との会話まで


*再現する


必要が出てくるのです。途中で、電話がかかってきたなら、その内容も再現しなければなりません。また、もしもテレビを見ながらご飯を食べていたとすれば、少なくとも、あなたが見た場面だけでも、


*忠実に再現しなければならない


のです。


 たった1人で食べたにしても、食べた順番や、食べた様子を


*ビデオで撮ったみたいに再現


できますか? 


     *


 ひょっとして、みなさんのなかに、


*警察で取り調べを受けた


方はいらっしゃいませんか? そうした経験のある方なら、上の文章を読んでいて、きっとその時のことを思い出したにちがいありません。


*取調室での本格的な取り調べ


ではなく、ちょっとした交通事故を目撃しただけでも、


*警察官にしつこく質問される


ことがありますよね。あれって、


*すごく難しいこと


ではありませんか? そんなことは、警察官にとっては、自分の仕事であり、日常茶飯事ですから、よく知っています。だから、


*警察官は「助け舟を出す」とか、「誘導する」とか、勝手に話をつくってくれてから「な、こういうことだよな」とか、言う


のです。さもなきゃ、


*起きたことを忠実に再現するなんて、できっこありません。


よほど特殊な、超抜群の記憶力をもったヒト以外には。なかには、いるそうですけど、


*あたまのなかにビデオカメラと画像記憶装置を備えたヒト


なんて、1,000人、いや、10,000人、いや、100,000人に1人いるかどうかという感じではないでしょうか。想像できません。


 さらに、取り調べでは、


*復唱=同じことを何度も繰り返して質問する


のを重視します。嫌になるくらい、繰り返します。これは、


*ストーリー=物語を定着させる


ためです。


*起こったことを繰り返し説明させることで、矛盾点をついて、嘘を見破る。あるいは、正確な記憶の再現へと修正させていく。


という理屈をよく耳にしますが、はなはだ疑問です。取り調べる側と取り調べられる側とのあいだに生じる力関係(=力の差)が、


*ストーリーつくり=調書作成作業


に、大きく働く=影響をおよぼすからです。これは無視できません。


*ストーリーの真偽は二の次


です。


*もっとも大切なことは、ストーリーを定着させる=何度聞かれても同じ話をできる


ように「訓練=練習=リハーサル」することなのです。もちろん、「想定されている=目的とする」のは、法廷での確認作業です。


     *


 以上のようなことが堂々と、当たり前みたいに、公然と(※いや、内々に、かな)行われているのですから、


*警察官や検察官による自白の強要や、冤罪(えんざい)が起きる


わけです。だからこそ、


*取り調べの模様をビデオカメラで残しておくべき


です。あるいは、これだけ科学捜査が進歩していたのですから、物的証拠をもっと重視した判決を、最終関門である裁判所がくだすべきです。


 でも、


*<司法の目的は、人を逮捕することではない。まして、処罰することでもない。書類を作成することだ。>


という鉄則は変わっていないようです。この点に、興味をお持ちの方は、ぜひ、「あなたなら、どうしますか?」をお読みください。恐ろしい現実が書いてあります。


 取り調べをビデオ撮影するだけでなく、そもそも、形骸化したペーパーワーク偏重に陥っている、


*取り調べという「フィクションつくり」について、専門家がその是非を研究するなり、手法の再検討をするなりするべき


なのです。でも、しないでしょう。なぜなら、(※再度コピペさせていただきますが)


2)「とらえた=知覚した=意識した」時間の経過を、「想起する=呼びもどす」


3)「想起した=呼びもどした」時間の経過を、「表現する=しるす=何かの形で残す=何か別のものに置き換える」


という、おそらく


*ヒト or ヒトの脳が、もっとも不得意とする行動=操作=作業


にかかわるからです。これは、


*「それを言っちゃあ、おしまいだ」のレベル=次元の話である


と言ってもかまわない、


*ヒトの情報処理能力の「根源的な欠陥=とてつもない不自由さ」


だと思います。


 それにしても、どうして、取り調べが、あのような、ヒトにとってほぼ不可能な形態をとるようになったのでしょうね。できもしないことを、みんなで出来レース=やらせみたいにやっているなんて。(「不自由さ」より)








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