はじめまして
廉
2020/10/05 15:07
丁寧に書かれた文章や淡々とした筆致にひかれる。美文や達意の文章という意味ではない。素直な文章にひかれるのだ。ぎこちなかったり多少ごつごつしていても、書かなければならないところがちゃんと押さえてあればそれでいい。大切なのは律儀であること。
詩歌は苦手で、おもに散文を読んだり書いたりしている。年を取るにつれてつくりものである小説に関心が持てなくなり、以前には見向きもしなかったエッセイを求めるようになってきた。そんな意見を見聞きすることがあるが、共感する。
エッセイでも奇をてらっていたり受けをねらって書いた部分は、読んでいて何となくわかる。とはいえ、ひとさまに読んでもらうのを前提に書く場合に、あえてちょっと変わったことを書いたり誇張してみたり脚色が加わるのは当然だ。飾りや遊びのない文章は味気ないから読まれない。人と話すときに、自分でも思いがけない内容を口にしたり、ふだんと違った話し方になることがあるが、それと似ている。そう考えると素直な文章なんてあり得ないのかもしれない。他人の目を意識して書かれない文章はない。書くことは自分ではないものに身をまかせる行為なのだ。
自分ではないものとは言葉である。言葉は誰にとっても借りものであって、代々受け継がれてきた共有物だ。誰もがまわりの人たちを真似ながら言葉を身につける。生まれたときには既にある制度だから、自分ひとりでどうこうできるたぐのものではない。他人がいて言葉がある。自分が口にし文字にする言葉は他人との関係で揺れる。
きちんと描写のできる人に憧れる。文章でも絵でもいい、対象をよく見て書くあるいは描く。簡単なようで、なかなかできることではない。これはすごいと感動する描写の文章に出会うことがある。ひょっとして……と思って調べると、絵を描いている人だったりする。デッサンを学ぶ過程で物を見る目が養われたにちがいない。うらやましい。俳句や短歌をたしなむ人にも散文で簡潔かつ的確な描写をする書き手が多い。才能もあるのかもしれないが鍛錬のたまものだと理解している。
描写が少ないとか描写が下手だとこれまでさんざん言われてきた。対象と向きあってよく観察する訓練をおこたってきたのだから当然だ。note内をあちこち見てまわると、優れた描写の文章が多いのでとても勉強になる。
はじめまして。みなさん、よろしくお願いします。
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